25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

八咫の死

2015年11月10日 | 日記

  僕の辛苦の時期を伴にした八咫(ヤタ)が老衰で昨日の夜死んだ。もうすぐ18歳というところだった。2日前から一切物をたべなくなり、ミルクにしてみたり、ヨーグルトにしてみたが、一切拒んだ。それまでは水を大量に飲んでは、食べ物も少々は食べていたから、まだ生きるぞ、と思っていた。後ろ足はまず右足がダメになり、続いて左足が使えなくなって、寝たきりになったのは1ケ月もない前くらいである。そして水までも飲まなくなった。最後にコールのような便がでたので、その日か翌日かと思っていた。夜の8時25分、突然口を開けて、そしてガクッとなってそのまま動かなくなった。

 この犬(黒と腹が白の柴犬)のおかげで、17年の大半は毎日散歩させたので、こちらもよい運動になった。若い頃は走るのも早かったが、2年程前から散歩も億劫になってきた。まあ、大往生という死に方だったし、突然の死ではなかったので、こちらの心構えも徐々にできていたのだろう。

 子供の頃から犬を飼ってきたが、老衰というのは初めてだった。 外へ夫婦で出なければならないときは松下夫婦のお世話になった。「ヤタ、ヤタ」と可愛がってくれた。死んだことを伝えるとすぐに駆けつけてくれて、お別れをした。お世話になり感謝している。

 娘が高校2年生のときに、この黒い柴犬が飼いたいと言い始めた。娘に育てられたが、娘はそのうち大学にいき、尾鷲を離れた。以後、私たちが面倒を見てきたのである。「柴犬は外で飼う犬だ」という僕の意見と妻と娘の連合ペアは「屋内で飼う」と言って譲らなかった。

 晩年は居間で寝起きし、居間に住んでいた。静かに眠っているようである。今日、火葬のために市のクリンクルセンターへ持っていって、手続きをした。

 八咫の死とともに僕の苦難の時期は終わろうとしている。もう犬が飼える年齢ではない。自由に旅行もできるようになる。

 僕は冷たいのか醒めているのか、父の死の時も八咫の死の時も涙は出なかった。 その点はいつもひっかかるところだ。

 



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