25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

村上春樹の小説

2014年11月16日 | 文学 思想
「根源的なる悪」。これが村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のテーマのようです。「風の歌を聴け」から出てくる鼠は「羊をめぐる冒険」で自殺します。父親の悪を継承したくないのです。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」では妻が「根源的な悪」に汚されたので、突然失踪します。
 主人公はかなり受身の人間です。僕のあまり好きではないタイプです。その主人公がなんとなく根源的な悪に拮抗しようとします。乗り越えようとします。
 「ノルウェーの森」でもそうです。主人公は受身で、積極的に何かをなそうとか救おうという意識がありません。他者のことをそう真剣に考えていません。でもって、セックスはやっているという村上春樹の異常な世界です。それは奇妙に思いながらもいいのですが、「1Q84」になってくると、根源的な悪は揺さぶりを受けます。何が善で、何が悪か、混沌としてきます。そして主人公の青豆という女性が強引に受身の天吾をかっさらって別の世界へ脱出します。それを愛の力、互の引き寄せる力だと言って終えるのが「1Q84」の世界です。
 簡単に言ってしまうとそういうことです。しかしながら、村上春樹のの小説にはおもしろい会話があります。そして地の文には鋭い、哲学的思考があります。写しとっておきたいようなアフォリズムがあります。
 さらにストーリーは謎に包まれています。まるで謎でミステリアスです。そういう読ませる力があります。それら全体の中で言っていることは「お金をもつものも悪」が「宗教を司る悪」「人間の中に生まれ落ちたときからもっている悪」「戦争など時代による悪」という悪を追究したものです。
 阪神大震災、オウム真理教事件を契機に村上春樹の思考は深まっていったように思います。それらの事件がなければ、どこかで尻切れトンボの悪の追究で終わったのかな、と思います。しかしながら、1995年を境に村上春樹はもっとエネルギーをもらったと言っても過言ではないでしょう。
 その解決を「愛」に求めることなど、まさかしないでしょうが、今のところは「牽引し合う愛」で終わっています。
 宝石のように素晴らしい「文句」を考え出す村上春樹なのに、種明かしをすれば、そういうことなのか、とよく考えればなってしまいます。
 例えば、よく考えると、「羊」とは悪の象徴であり、鼠とはそれに拮抗する矛盾ある男であり、直子とは羊を愛する女であり、リトルピープルとは「原始の人間がもってる諸悪」であり、「空気さなぎ」とはそれを継承していく悪の遺伝子であり、と読み解くこともできます。主人公は不格好にうろうろしている男です。もちろん、いろいろな風に読み解くのも村上作品のいいところです。
 漫画、ビジョアルな表現活動、ストーリー性、サスペンス、などなどあふれる表現活動の中で、文字ひとでやり抜いていく村上春樹には応援を惜しみません。そこまでやれた作家は、すでに1970年以降いないからです。

  
    
 


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