25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

校長とはなんだ?

2018年01月20日 | 文学 思想
 ずっと思ってきて、書き忘れていたことがある。話題になった日馬富士暴行事件の席に教育関係者、特に校長がいたという話だ。石浦や照の富士が通っていた学校の校長で、白鵬の内弟子石浦の親でもあり、教育者でもある。
 白鵬が礼儀、礼節をきちんとやれと説教しているのを聞くのはいいだろう。頷いていたのかもしれない。それが突然日馬富士の暴力が始まった。最終的には鶴竜や白鵬が止めたということである。校長は何をしていたのか。本来教育者なら、しかも年上の年配者であれば、日馬富士という横綱であれ、すぐに止めるのが役割だろうと思う。教育者の矜持がないのかと思う。このことについてマスコミの取材はなかった。
 ぼくだったら、「止めんか、バカモン!」と大声で叱責すると思う。横綱であれ、まだ30そこらの若者である。人生先輩でもある。すぐに止める度量がほしい。しかし校長は一切口を閉ざすバカぶりであった。
 人間というのは、このような想定外の事が起こった場合、どのような行動をとるか、その時に本質がでてしまう。常日頃、相撲を教えていて、監督としても指導者らしき振る舞いをしていることだろう。それは表面上の化けの皮なのだ。地位や肩書きというつまらぬ衣類を着ているだけなのだ。
 彼らも記者会見をして、教育者いや人間として見たことと、それへの意見を言うべきだった。
 ぼくにはどこが不満であった。


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