25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

事故というもの

2019年09月28日 | 文学 思想
 捜索にあたっていた自衛隊が任務を終えて去って行った。警察、消防、ボランティア、仲間がさらに引き続いて捜索する。美咲ちゃん。7歳。我が孫娘と同じ年齢である。
 よく通っていた料理屋のご主人が旅の宿で、姿を消した。同じように捜索したがすぐに見つからなかった。見つかったのは一か月も過ぎた頃だったと思う。風の噂で聞いたのだった。美咲ちゃんは生きているかもしれない。以前少年が生き延びて助かったことがあった。

 人の身におこる不条理な事故は想定外のことばかりなのだろう。自分には起こるはずもなかった事故。父の妹はお腹の子とともに、扇風機に感電して死んだ。亡くなった妹は二人の長女と長男がいた。長女の子供は幼児の頃、鉄道事故に遭って、死んだ。
 事故。通り魔殺人も事故に遭ったのと同じようなことだ。

 大事な人を失うということも、突然に失うよりも、徐々に知って、徐々に覚悟を決めていけるほうがよい。突然の事故はショックが大きくて、喪失感よりも巨大なショックだと思う。そしてやがて深い喪失感がくる。
 周囲の知り合いを見渡しても順風満帆で人生を歩んでいる人など数少ないような気がする。なにかとある。
 毎日のテレビでの考えないられない悲惨な報道を目にする。旧約聖書にあるヨブ記のようだ。それでも我々は生きてゆく。


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