Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アクセルロッド/N響

2022年01月23日 | 音楽
 元々はトゥガン・ソヒエフが振り、ワディム・グルズマンがソリストを務める予定だったCプロ定期は、指揮者がジョン・アクセルロッドに代わり、ソリストが服部百音(はっとり・もね)に代わった。プログラムはそのまま。

 服部百音を聴くのは初めてだ。まず音の小ささに驚いた。いまどき珍しいタイプだ。音のふくらみという以上に、音圧が乏しい。きわめて集中力が強く、テクニックもあるが、それがステージ上の、服部百音が弾くその小さな空間にとどまり、こちらが身を乗り出して(あくまでも比喩だ)音を聴きにいかなくてはならない。

 プロフィールによると、辰巳明子とザハール・ブロンに師事したそうだ。それらの師の門下生としては個性的なタイプに属するだろう。エキゾティックな顔立ちなので、人気演奏家かもしれない。少なくともわたしは面食らった。

 アンコールが演奏された。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が埋め込まれた曲だ。一夜明けて確認したところ、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第4楽章「復讐の女神たち」だった。演奏はこれも同じく音量が小さく、集中力があり、敏捷な動きを見せる演奏だった。

 次はブラームスの交響曲第3番。どこといって非難すべき点もないが、特徴もなく、一言でいってルーティンをこえない演奏だった。外形的には整えられている。N響の音も聴こえる。かといって、その先にはなにもなく、目的意識に欠ける演奏だった。

 わたしは先日(1月14日)に聴いた阪哲朗指揮日本フィルの同曲の演奏を思い出した。あの演奏では内声部が目まぐるしく浮き上がり、即興性に富む演奏だった。今度のアクセルロッド指揮N響の演奏は、内部から沸きあがるものに欠けた。同じ曲なのに、同じ曲には思えなかった。もっとも、初めて聴くアクセルロッドを、今度の演奏だけで判断する気はない。デスピノーサとともに現在あちこちのオーケストラで引っ張りだこのアクセルロッドなので、中には今度のような演奏も生まれるのかもしれない。

 なお、今回は、開演前のプレコンサートは聴かなかった。新型コロナの感染が急拡大しているので、ホールにいる時間を短くするためだ。そもそもあのプレコンサートは、休憩なしのショート・プログラムに変更したCプロの、その埋め合わせのためのサービスかもしれないし、また以前やっていたプレコンサートの再開の要望があり、それに応えたものかもしれないが、見方によっては、居酒屋に行って頼みもしない付け出しが出てくるのと同じような感じもする。もちろん喜ぶ方もいるだろうし、いやなら食べなければよいだけの話だが。
(2022.1.22.東京芸術劇場)

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