Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

オルフ~雑感

2014年01月28日 | 音楽
 カール・オルフ(1895‐1982)のナチスとの関係はどうだったのか。「カルミナ・ブラーナ」の初演は1937年。時まさにナチスの全盛期だ。そういう時代の空気と「カルミナ・ブラーナ」の成功とは、なにか符合するものがあるのだろうか。そもそも「カルミナ・ブラーナ」の冒頭は、なんともいえず物々しくて、ナチスの党大会に相応しいような気がする。結局のところ、オルフはナチスの寵児だったのだろうか。

 こんなことが頭のなかでモヤモヤしていた。そうしたら、N響のプログラムで広瀬大介氏が次のように書いていた。

 『党(引用者注:ナチ党)とオルフとの関わりについての最新の研究では、「オルフはドイツを離れることはなかったが、ナチ党には入党せず、同情的な言動を寄せたこともなく、全国音楽院の役職にも就かず、‘御用作曲家’と見なされるようなこともなかった」という評価が定着しつつある。』

 ひとまずホッとしたが、では、どういう関係だったのかと具体的に調べたくなった。Wikipedia(英語版)、長木誠司氏の「第三帝国と音楽家たち」(音楽之友社)などで、断片的ではあるが、いくつかの興味深い事実を知った。

 以下は一つのエピソードにすぎないかもしれないが、オルフは反ナチス抵抗運動の地下組織「白バラ」の創設者の一人クルト・フーバー教授と親しかった。1943年、フーバー教授がナチスに逮捕された日、たまたまオルフはフーバー教授を訪ねた。フーバー教授の妻はオルフに夫を助け出すために影響力を行使してほしいと懇願した。だが、オルフは断った、「フーバー教授との親交が発覚したら身の破滅です」といって。

 戦後、非ナチ化の過程でオルフは連合国側に「自分は『白バラ』の創設を助けた」と証言した。オルフは釈放された。だが、オルフの言葉以外には、なんの証拠もなかった。

 なんだか暗い気持ちになるエピソードだが、これをもってオルフを責める気にもなれない。人間だれしも――いや、大方の人間は、といったほうがいいだろうが――あのような極限状態になったら、似たような身の処し方をするのではないだろうか。

 フルトヴェングラーやリヒャルト・シュトラウスのように、ナチスの体制下、その中枢に身を置き、それゆえ軋轢があった人物とちがって、オルフは多くのドイツ人と同じように、流れに身を任せながら、自分らしさを失うまいと心掛けていた人物ではなかったろうか。まずはそう考えたい。

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