Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

沼尻竜典/日本フィル

2018年12月08日 | 音楽
 久しぶりに日本フィルの指揮台に戻ってきた沼尻竜典が振る定期。1曲目はベルクの「歌劇《ヴォツェック》より3つの断章」。冒頭で弦の透明な、沈潜したようなハーモニーが聴こえてきたとき、その音はいつもの日本フィルとは違うと思った。その音はその後も崩れなかった。

 そこには沼尻竜典の(後述するような)成長した姿があった。同時に、ラザレフ、インキネンによってアンサンブルが鍛えられた日本フィルの姿もあった。そしてもう一つ、ゲスト・コンサートマスターの白井圭の効果もあったかもしれない。

 ソプラノ独唱のエディット・ハラーの、呟くような、ドラマ性をはらんだ弱音から、ホールを揺るがす、朗々と響く大音量までの声のコントロールは、さすがにウィーンやミュンヘンの大歌劇場で活躍する第一線の歌手だけあると思われ、圧倒的だった。

 オーケストラの美しさと歌手の力量とが相俟って、ベルクのオペラがステージ上に見事に現出した。最近はオペラの演奏会形式上演が盛んだが、ベルクのオペラこそふさわしいと思った。言い換えると、演奏会形式でその音楽に浸りたいと思わせるものが、ベルクのオペラにはあると思った。

 「断章」はベルク自身によって編まれた。オペラを作曲したものの、上演のあてがなかったベルクが、いわばプロモーション用に編んだ。オペラの中から兵士ヴォツェックの内縁の妻マリーが登場する場面を中心に編んでいる。オペラの中でも抒情的な場面が選ばれている。その選択の巧みさゆえだろう、意外なくらい新鮮に感じた。

 2曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」。これも名演だった。名演という一般的な言い方より、いつもの日本フィルとは一味違う演奏といった方がいいかもしれない。精緻なテクスチュアが、淀みなく、流麗に流れる演奏。ホルンの1番奏者などに小さなミスがあったが、それも音楽の流れに浮かぶ塵のようなものにすぎなかった。

 沼尻竜典は成長したと思う。淀みのない音楽の流れは、デビュー以来のものだが(わたしは昔、新星日本交響楽団の定期会員だったので、沼尻竜典が1993年に同団の正指揮者になって以来、もう25年も聴いていることになる)、音楽の流れは磨かれ、またリスクを取った表現の積極性が目覚ましくなった。

 オーケストラ全体が沼尻竜典の流れに乗る中で、オーボエ首席奏者の杉原由希子の濃厚な表現が異彩を放ち、存在感があった。
(2018.12.7.サントリーホール)

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