Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

須賀敦子「ユルスナールの靴」

2018年04月08日 | 読書
 須賀敦子(1929‐1998)の「ユルスナールの靴」(1996)を読んだ。ユルスナール(1903‐1987)はフランスの作家。その生涯と作品を辿りながら、そこに須賀敦子の人生を織り込む作品。

 わたしはユルスナールという作家を知らなかった。そんなわたしが本書を読んで何が分かるのかと、読む前はためらったが、読んでみると、須賀敦子のいつもの滑らかな語り口がそこにあり、また須賀敦子の人生の出来事、そしてユルスナールへの興味が募り、あっという間に読み終えた。

 須賀敦子の第1作「ミラノ 霧の風景」は、20年ほど前のイタリアでの生活の、その切り取り方の鮮やかさが印象的だった。第2作の「コルシア書店の仲間たち」と第3作の「ヴェネツィアの宿」も、基本的には同じ趣向だが、そこに挿入される須賀敦子の人生は、イタリア時代から徐々に離れて、幼年期から60歳代を迎えた「今」にまで広がった。

 第5作に当たる本書は、先ほども触れたように、自身の人生と、ユルスナールの人生と作品とが、2本の糸のように縒り合わされているが、そのユルスナールの部分が、真正面からユルスナールと向き合い、その人生を捉えようとしている点に、以前の作品にはないものを感じた。

 話は時々脱線気味になり、ギリシャの遺跡テセイオンの話になったり、18世紀イタリアの画家・版画家ピラネージの話になったりするが、それらを含めて、須賀敦子が触れたヨーロッパを総体的に語ろうとする姿勢が現れている。その意味で、本書は須賀敦子のヨーロッパ体験のまとめの第一歩のように感じる。

 友人との読書会のために、3月中は須賀敦子の作品を集中的に読んだが、その中でわたしは、須賀敦子がイタリア人ペッピーノと結婚したのは、ペッピーノが体現しているイタリア文化を総体として捉えようとしたのではないかと思った。それは音楽評論家の吉田秀和(1913‐2012)がドイツ人バルバラと結婚したのと似ているのではないか、と。

 読書会で友人にそのことを話したら、友人も首肯して、こう言った、「須賀さんの文体は吉田さんのと似ているね。きっちりしていて、感性も豊か」。わたしはそれを聞いて、自分がなぜ須賀敦子に惹かれたのか、その理由が分かった。

 気になったので調べてみたら、須賀敦子がパリ留学に旅立ったのが1953年、吉田秀和がアメリカ経由でヨーロッパに旅立ったのも1953年、二人は同じ頃にパリにいた。
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