アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

678 生きてるだけで丸儲け ⑨ 翠みち代  女ものまね芸人

2019-12-23 08:17:52 | 日記

翠みち代

「翠美千代」の画像検索結果

 

 

 

 

 

これを知っている人はかなりのマニアだ。

桜井長一郎、川上のぼる、大久保玲など綺羅星の如く君臨した中で、翠みち代は異彩をはなっていた。「ものまね・歌まね」という芸能分野の創成期である。桜井長一郎は、そのほか歴代総理大臣のものまねは至芸である。川上のぼるは、腹話術と音楽ショーを率いていた。大久保玲はその後「素人名人会」の名物審査員であった。素人名人会については、数々の本当の名人を産んだ伝説の番組で、後日詳しく語りたい。

翠みち代は、東京生まれだったが松竹座や花月でも違和感なく勤めていた。吾妻ひなこなど数少ない華のある女芸の一人で、とにかく肉付きの良い派手な美貌に派手な和服が似合う美人だった。基本的に歌が上手いので、ものまねには納得する。美空ひばり、島倉千代子、水前寺清子など、声だけではなく形態模写もしっかりやっていた。その後のモノマネ芸は、彼女のモノマネではないかと思う。昭和の最後に,田淵いわお、海原千里(上沼恵美子)、片岡鶴太郎など続々と出て来た。

ユーチューブで7秒だけ聞ける。(泣)

父が浪曲師の廣澤竜造であり、泉ピン子は姪にあたる。そして夫は上方落語会の重鎮である桂福団治である。

「福談じ」の画像検索結果

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677 アチャコの京都日誌    生きてるだけで丸儲け  ⑧ 横山ホットブラザーズ

2019-12-12 08:47:57 | 日記

「生きてるだけで丸儲け」シリーズ第8段は、

「おーまーえーはー、あーほーかーーー。」これで分かれば合格だ。ノコギリを膝に挟んで、小さいハンマーで叩き、その傾きで音程を調整して「荒城の月」を演奏する至芸である。最後に、「ぽあーん、ぽあーん、ぽあーん、ぽあーん、---。」と叩き「お前はあほか?」とやる大爆笑ネタで有名な、横山ホットブラザーズだ。

「横山ホットブラ...」の画像検索結果

現在は、兄弟3人の音楽ショーだが、その父親横山東六が存命中の持ちネタ(雑芸)の一つだ。「明るく笑ってリズムショー、楽しく歌ってリズムショー、陽気に愉快に仲良く奏でる、ホットブラザーズーーーー♪♪。」とテーマソングをハイテンポで合掌し、大概センターのマコト(次男)担当はアコーディオンの「北酒場」で始まり、立ち位置左のアキラ(長男)のギターを叩いてリズムを取り、調子に乗ってちゃちゃを入れてマコトが怒りまくる定番の笑いで幕を開ける。立ち位置右のセツオ(3男)は、弦の調整部分のない途中でちょん切れたギターを駆使する。因みに、長男・次男・三男とは、この3人の出生順位を現わすだけで、実際何番目の子かは不明である。

「横山ホットブラ...」の画像検索結果一番右が東六

とにかく、先代横山東六の雑芸は、まさに何でもありだった。「日本海海戦」では、最後マイクスタンドで国旗掲揚する。鍋や釜、バケツ・ほうき・はたきなどなんでも楽器にする。そして、極め付きは、冒頭紹介した「おーまーえーはー、あーほーかーーー。」です。その他うけない芸も多く、その場合は、「お邪魔しましたーーー。」と舞台後方に下がり、やはり爆笑を取っていた。

「横山ホットブラ...」の画像検索結果

ノコギリ芸は、長男アキラに忠実に伝承されているが、数多いネタが絶滅した。現在はあまり見かけないので心配だ。NHKラジオの「上方演芸会」の出演回数は現役最多で、歴代でもいとし・こいしに次ぐ2位を誇る。

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677 アチャコの京都日誌    生きてるだけで丸儲け  ⑧ 横山ホットブラザーズ

2019-12-11 08:57:09 | 日記

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

「生きてるだけで丸儲け」シリーズ第8段は、「おーまーえーはー、あーほーかーーー。」これで分かれば合格だ。ノコギリを膝に挟んで、その傾きで音程を調整して「荒城の月」を演奏する至芸である。最後に、「ぽあーん、ぽあーん、ぽあーん、ぽあーん、---。」と叩き「お前はあほか?」とやる大爆笑


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676 アチャコの京都日誌    生きてるだけで丸儲け  ⑦ フラワーショー

2019-12-10 08:50:11 | 日記

生きてるだけで丸儲けシリーズ 第7回

フラワーショー

「フラワーショー」の画像検索結果「フラワーショー」の画像検索結果

タイヘイトリオと宮川左近ショーが、「浪曲ショー」そして、かしまし娘が、美人女性3名の「歌謡ショー」の先鞭をつけた。落語や浪曲のようにじっくり時間をかけて見聞きする芸より、すぐに笑えて浪花節や芝居のクライマックスだけをじっくり本格的に聞かせる。そんな芸が一世を風靡した。

ましてきれいな女性3人が華やかに出てくれば、一層舞台が映える。中に一人、不細工な女性もいてそれがギャグになったりする。その頂点にいたのが、フラワーショーだった。

「フラワーショー」の画像検索結果義理の親子。

中央の華ぼたんは、美人浪曲師。左に華ばらは、パンチパーマのおっさん風のギター師。そして右手には華ゆりが、テンポの遅い会話で笑わせる。女性ミスターオクレだ。ミスオクレか?

ぼたんは、浪曲師吉田天洋の実の娘で、6歳から舞台に立ち数々の経験を経てフラワーショーを立ち上げた。和服の似合う小柄な美人で、浪曲には珍しい透き通った良い声の人だった。ばらは、実は10歳ほどの年齢差だが、ぼたんの養女となっている。二人の関係はそれほど強い。念のためぼたんは結婚していた。ゆりは、初代京山幸枝若の娘。本来は歌手志望であったようで中々の美声であった。

いずれにしても一時のブームに乗ったコンビであった。その後、ジョウサンズやチャッキり娘など、次々に似た形式のコンビが誕生する。

テーマソングは、道頓堀行進曲の替え歌で、「よおこそー、皆あ様、ご機嫌よろしゅー!歌っあて、笑っあて、フラワーショーーー。どうぞーー、よろしくーーお願いーしーーまーーすーー。」

「フラワーショー」の画像検索結果こちらはチャッキリ娘。

その後、弟子や一門が活躍したとは聞かない。


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675 アチャコの京都日誌    生きてるだけで丸儲け  ⑥ 砂川捨丸 中村春代

2019-12-09 07:52:35 | 日記

「砂川捨丸」の画像検索結果

「砂川捨丸」の画像検索結果高級万歳?


「ええー。漫才の骨とう品でございましてね。」と、始まる。オール巨人がたまに物まねをするが、本ものを見た人は少ないのでなかなか面白さが伝わらない。

「砂川捨丸」の画像検索結果

漫才よりも、「万歳」と表記する方が相応しい。まさに「骨とう品」だ。鼓(つつみ)を手に持つ漫才師は他に見たことが無い。しかし本来の三河万歳の形を残している。踊りを披露する時に、相方の春代が、「出た手足に目鼻を付ける。」と指示する。捨丸が、本当に手足に目をくっつけながら踊ると、春代の張扇(はりせん)が捨丸のひたいに飛ぶ。晩年はこのギャグだけだったが、100以上のネタを駆使し、基本的に鼓とあほだら経などの節回しをじっくり聞かせる。万歳が能や狂言など古典芸能と同一線上にあった時代だ。今の漫才が古典芸能とは言わない。

明治23年(1890年)大阪府三島郡味生村(現摂津市)に生まれる
明治32年(1899年)千日前の井筒席で初舞台(江州音頭)
明治38年(1905年)萬歳師として独立。捨丸16歳。
明治45年(1912年)10年近く萬歳の上演が禁止されていた神戸で、上演を解禁にした。捨丸23歳
大正13年(1924年)中村春代とコンビを結成
昭和35年(1960年)串本町名誉町民
昭和46年(1971年)10月12日死去。享年80歳

捨丸だけで、一冊の本が出来る。

大衆芸能の伝承者であった。普通、ベテラン芸人を呼ぶとき、「師匠」と言うのが一般的だが。捨丸だけはさらに敬意をこめて「先生」と呼ばれていた。エンタツ・アチャコも「先生」と呼ばれていたいたのではないか。

弟子・一門は100名を超えていたという。

子供の頃の筆者には、当時このコンビが出て来たら次の芸人が出るまでの「辛抱」だったが、今思えばよく観察しておけば良かった。

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