アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

411 アチャコの京都観光日誌 新シリーズ アチャコの京都歳時記 ㉗ 狸谷不動院 火渡り祭

2018-07-28 08:50:05 | 日記

7月28日 狸谷山火渡り祭

護摩壇の檀木①

左京区一乗寺の「狸谷不動院」で行われる行事である。狸谷不動院は、桓武天皇が都を開くに当たり鬼門のこの地に、不動明王を安置した事に始まる。不動院の開祖は木食正禅。因みに、木食とは苦行の一つ十穀絶ちを行った僧のことを言う。当然米や麦、粟稗など十穀を食べないだけではなく、その上で比叡山を巡る難行・苦行を行うのである。食するのは木の根や実などしかなく「木食」とはまさに断食に近い。中には即身仏(ミイラ)になる為に自分の体から脂肪分を完全に取り去る目的でもあった。死後腐敗しにくくする為だ。そこまで行かなくても断食行を達成した修験僧を特に「木食上人」と呼ぶ。

「木食修行」の画像検索結果

その一人木食禅正が、江戸時代に狸谷不動院として創建した。左京区修学院の奥、瓜生山の山沿いにある。詩仙堂の門前をかすめるように急な坂道を登り本堂まで20~30分かけて登る。本堂は崖造り(舞台造り)で、清水寺の本堂と同じ構造だ。見上げるような本堂に向かい最後の階段を登る。

本日開催の火渡り祭は、夕刻巨大な護摩壇に火を付けて修験僧が数々の秘法を施し、その上を最後に火伏のまじないを行い素足で渡る。願うは無病息災だ。その後1000名を超える一般人が次々に火渡りを行う。(やけどしないのか?)

火渡り



以下の写真と文章は、筆者が本年正月の「初不動」のお参りに行った時の事だ。(当時のブログから)

御所の鬼門に当たるこの界隈には、霊験強力な寺院が多く鬼門封じを勤めている。

「赤山禅院」では猿をまつり鬼門を封じているが、ここは狸様だ。

狸谷は、300年の歴史を誇るが、大本は桓武天皇が鬼門の地に不動明王を配した事に始まる。秋里離島の「都名所図会」の続編

「拾遺都名所図会」に出て来る「狸谷石不動」というのがここだ。

木食上人が、石像の狸谷不動明王像を、この地の石洞窟に安置したことに始まる。

木食上人は、泉涌寺で出家した後、熊野大社で修行し大権現を感得したと言われる。

狸谷山修験道の起源である。確かに、山の奥には岩が迫り、ふもとから本堂にたどり着くのにはハイキング気分では行けない。

 

本殿は、懸崖造り。清水の舞台と同じ構造だ。こちらは飛び落ちると確実に死ぬ。

 

1月28日は初不動の日。

がん封じに「笹酒」がふるまわれる。運転者には持ち帰りが用意されていた。

 

京都3初参り?

初天神・初弘法・初午大祭・初庚申・初恵比寿・初阿弥陀?これはあったかなあ?

 

そして、7月28日には、火渡りの祭りが行われる。一般の方も火渡りが出来る。

 「火渡り」の画像検索結果「火渡り」の画像検索結果これは火炙りの刑だ。

 

さて、車で行こうとして大渋滞に巻き込まれた。

しかし様子がおかしい。下の詩仙堂の駐車場において徒歩にて向かう。

すると、消防車や救急車が止まっていて、騒然としている。

誰かが、山上で体調を悪くした様だ。残雪残る参道の石段を慎重に登ると、

向こうから大勢の消防隊員が、大声で呼びかける。道を開けるように言っている。

急な石段だ。しかも雪道。隊員たちはアイゼンを装着している者もいる。

担架が見えて来た。慎重に慎重に降りて来る。参詣客たちは足を止めて様子を見る。

運ばれるのは、相当なご老人だ。顔色が悪い。とても悪い、失礼ながら生きているのか?

あとから心配そうな老婦人。

極寒の京都のお寺参りは、くれぐれも慎重に・・・・。お不動さんのご加護をあの老人へ、と願う。

 

※数少ない読者の意見

「歳時記は良いけど終わった後を読んでも意味がない。事前の情報を書いてくれ。」

承知しました。

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