ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

25 仙台藩白老陣屋は 広かった

2017年11月20日 00時33分19秒 | 2017北の縄文を歩くツアー

北の縄文を 歩く ・・・・ 付録

25 仙台藩白老陣屋 は 広かった

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昨年 「三好監物」を 知ってから

いろいろ 調べていた。

元陣屋 2代目の 御備頭・三好監物の 曾々孫である 

仙台市の 三好彰医師 は 白老の 小中学校の 

耳鼻咽喉科健診を 現在も 行っている、という記事。

その 三好彰さんが 

マンガ「三好監物物語」を 出版した、とあった。

 三好監物物語

資料館に 電話したの だったかな。手紙だったかな。

上のような カラーではないが、冊子が 届いた。

漫画 だから 私にも 分かりやすい。

お礼状 そこに「いつか 伺いたい」を 付け加えた。

xxxxxxxxxxx その いつか xxxxxxxx

仙台藩士は ここまで 1~2ケ月も かかって、たどりついた。

2年ほどかけて 要害を つくりあげた。 

白老陣屋の中に「塩竃神社」「愛宕神社」などがあるという。

塩竃神社の 坂の 手前まで 資料館の方に 案内していただいた。

あの時代の 大きな うねりの中で、ご苦労した方々を、思う。

内曲輪 と 外曲輪とを 開いた ご苦労が しのばれる。

広い 陣屋だった。

 

土塁が 残っている。


基礎石 が ある。

想像する。ここで 警備に あたった 人たちが

業務をしていた さま を……。

曲輪を 出ると 説明板が あった。

そこでさえも 広い敷地。

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この陣屋は、

戊辰戦争から続く 函館戦争の後まで維持されていた。

仙台藩が維持する白老陣屋に対し

政府軍が 攻撃をかけるとの 情報が 入る。

守備していた藩士たちは 仙台に 帰ることになった。

情報が 遅れてきた 白老の藩士たちは

この地を 追われるようにして

小樽より 海路をとり、仙台まで戻った、という。

こちらも ご苦労だった、と 思うが

ひとり陣屋へ 残った上司の 悲壮な人生の終わりを 私は

語ることが できない。

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その後の明治時代、 

仙台藩の 白石・亘理などから 移住をした人たちがいた。 

現在の 札幌白石区や 登別市・伊達市 などの

基礎を築いた、という風に 聞いた。 

  

    右手に さっきの 説明板がある。

上の写真・ 中央付近 長くのびる 緑の台地に そって 

現在の 道がある。 左へ行けば 白老駅。  

右手に 行ってみた。

小さいが 「墓地」の 案内版を 見つけた。

だれに 聞かなくとも 墓地へ 行けたことになる。

すぐ そこだったのだ。

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時間を 約束した タクシーが 来た。

白老駅に着く 

ここから 札幌駅。 そして ホテル。

そして 先に書いた「北の縄文を歩く」 1 に 話は つながる。

仙台藩の 陣屋を つくったのが

岩手県南部に 屋敷を持っていたという 三好監物。 

その足跡を 知りたくて、

仙台藩の 地域に すんでいる 私は

その 白老陣屋跡へ 寄る 予定を 組んだのだった。 

時間 足りなかった。

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白老陣屋跡が 2017年 10月 13日(金)。

北の 縄文ツアーは 10月 14日(土)

 15日(日)  そして 16日(月)は

ゾウさんのための えこりん村。

あとは 帰り道のはなし ……。 


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