Photo: The Miura Peninsula, Japan
何年か前のこと、新聞か雑誌の投稿にこんな意見が紹介されていました。
先日、XX駅のエスカレーターに子供と並んで立っていると、後ろから来たビジネスマンに退くように言われた。次から次へと人が来て、子供と並んで立つことができなかった。エレベーターの片側を空けるように、とはどこにも書いていない。最近そういうエスカレーターが増えているようだが、小さな子供がいる親は並んで立つのが安全だから、そういうことはやめて欲しい。
こんな内容だったと思う。ただ、トーンはもうちょっと不満、というか怒っている感じだった。
この方の意見には賛否両論があると思うのですが、わたしがこれを読んですぐに思ったのは、この人はもし海外で暮らすことになったら、苦労するだろうな、ということ。
わたしたちは、明文化されていない暗黙のルールの中で生活しています。表示や張り紙があるわけでもない、ルールブックがあるわけでもないのに「そういうことになっている」ということがたくさんあります。
たとえば、ある場所のトイレはフォーク並びだけれど、別のトイレはそうではない。ある職場のあいさつは、いつでも「おはようございます。」会議の時のあの席は誰々さんが座る席。出張へ行ったらその土地のおみやげを買って帰る、などなど。人が集まって生活していると、いつの間にか誰が決めたわけでもないルールが出来てきます。それをたまに親切な人が教えてくれる時もありますが、自分で「気付く」ことが要求される場合が多いです。
それができないと新しい環境になかなか馴染めなかったり、「どうして、わたしの前の職場では . . .」と自分の中の常識を回りに要求し、恥をかいたり、痛い目にあったりします。
エスカレーターの意見の投稿者の心には「小さな子供を持つ親はエスカレータに並んで立つ」という常識があり、おそらく普段は使っていないXX駅にもその常識を通そうとしたために摩擦が起こってしまったのでしょう。
わたしはたまたまXX駅を知っていたのですが、そこはまわりに多くの会社が集まる場所で、私鉄とJRの乗り入れがあります。そこのエスカレーターは乗り換えの人がいつも列をなし、右側は急ぐ人が足速に登っていきます。その女性はその駅での暗黙のルールに気付かなかったのか、または気付いても受け入れられなかったのかもしれません。
海外で生活するということは自分の常識を覆すような暗黙のルールの海の中に入るようなものです。職場や学校、ショッピングセンターや美容院。いたるところに「そういうことになっている」という決まりのようなものがあり、最初は戸惑います。戸惑いながら、失敗を繰り返しながらも「そういうことか」と受け入れていく人もいれば、「どうしてよ!」と不満をひきずり、なかなか環境に馴染めず、ストレスをためてしまう場合もあります。
ですから、外国で暮らそうと言う人は、暗黙のルールに敏感な方がいいかと思います。また、たとえ敏感でなくても、ルールを知ったあとに、「そういうことなんだ」と受け入れる心の柔軟さがあった方が本人にとって楽だと思います。
多少の疑問や不満を持つのは全く自然なことだと思いますが、結果として自分の常識とは異なる「その場の常識」を前向きに受け入れる姿勢がないと必要以上に苦労することになるでしょう。
そして、この「暗黙のルールに気が付く力」と「自分の常識と異なる常識を受け入れる柔軟性」は実は語学学習においても重要な要素なのです。次回は、このことについて、わたしが教えている大学1年の学生が投げかけた英文法に関する疑問とそれに対するわたしの返答をご紹介したいと思います。
こういう話、ちょっと興味あるという方は->人気ブログランキング 応援のポチをいただけるとノッテきます。
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先日、XX駅のエスカレーターに子供と並んで立っていると、後ろから来たビジネスマンに退くように言われた。次から次へと人が来て、子供と並んで立つことができなかった。エレベーターの片側を空けるように、とはどこにも書いていない。最近そういうエスカレーターが増えているようだが、小さな子供がいる親は並んで立つのが安全だから、そういうことはやめて欲しい。
こんな内容だったと思う。ただ、トーンはもうちょっと不満、というか怒っている感じだった。
この方の意見には賛否両論があると思うのですが、わたしがこれを読んですぐに思ったのは、この人はもし海外で暮らすことになったら、苦労するだろうな、ということ。
わたしたちは、明文化されていない暗黙のルールの中で生活しています。表示や張り紙があるわけでもない、ルールブックがあるわけでもないのに「そういうことになっている」ということがたくさんあります。
たとえば、ある場所のトイレはフォーク並びだけれど、別のトイレはそうではない。ある職場のあいさつは、いつでも「おはようございます。」会議の時のあの席は誰々さんが座る席。出張へ行ったらその土地のおみやげを買って帰る、などなど。人が集まって生活していると、いつの間にか誰が決めたわけでもないルールが出来てきます。それをたまに親切な人が教えてくれる時もありますが、自分で「気付く」ことが要求される場合が多いです。
それができないと新しい環境になかなか馴染めなかったり、「どうして、わたしの前の職場では . . .」と自分の中の常識を回りに要求し、恥をかいたり、痛い目にあったりします。
エスカレーターの意見の投稿者の心には「小さな子供を持つ親はエスカレータに並んで立つ」という常識があり、おそらく普段は使っていないXX駅にもその常識を通そうとしたために摩擦が起こってしまったのでしょう。
わたしはたまたまXX駅を知っていたのですが、そこはまわりに多くの会社が集まる場所で、私鉄とJRの乗り入れがあります。そこのエスカレーターは乗り換えの人がいつも列をなし、右側は急ぐ人が足速に登っていきます。その女性はその駅での暗黙のルールに気付かなかったのか、または気付いても受け入れられなかったのかもしれません。
海外で生活するということは自分の常識を覆すような暗黙のルールの海の中に入るようなものです。職場や学校、ショッピングセンターや美容院。いたるところに「そういうことになっている」という決まりのようなものがあり、最初は戸惑います。戸惑いながら、失敗を繰り返しながらも「そういうことか」と受け入れていく人もいれば、「どうしてよ!」と不満をひきずり、なかなか環境に馴染めず、ストレスをためてしまう場合もあります。
ですから、外国で暮らそうと言う人は、暗黙のルールに敏感な方がいいかと思います。また、たとえ敏感でなくても、ルールを知ったあとに、「そういうことなんだ」と受け入れる心の柔軟さがあった方が本人にとって楽だと思います。
多少の疑問や不満を持つのは全く自然なことだと思いますが、結果として自分の常識とは異なる「その場の常識」を前向きに受け入れる姿勢がないと必要以上に苦労することになるでしょう。
そして、この「暗黙のルールに気が付く力」と「自分の常識と異なる常識を受け入れる柔軟性」は実は語学学習においても重要な要素なのです。次回は、このことについて、わたしが教えている大学1年の学生が投げかけた英文法に関する疑問とそれに対するわたしの返答をご紹介したいと思います。
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日本で環境が変わっても、(職場とか住む地域とか)特に何も思わずあわせられるんですが
住む国が変わって、「違い」が「不満」になってしまいました~
だから、せめて家の中だけは日本流にしてもらってますけど
やっぱり訪ねてくる人には理解できないですからね。
「郷に入ったら郷に従え」なのはわかってるんだけど。
"豪"にいるだけに(笑)
どうにもならない住んでる国の常識をとやかく言っても始まらないと思うことは多い。
20年以上も住んでる人から、この手の愚痴を聞かされるのは苦痛です。
だからといって、私がどれだけ柔軟かと問われても自信はありません。どこで折り合うかでしょうね、自分の中で。
室内を靴のままでというのにどんなに慣れても、畳を靴で上がられると不快を通り越して、相手がだれであれ野蛮人にしか見えません。
ご飯粒が一杯残ったままの茶碗を見ると、やっぱり美しくないと思います。
どこに自分の信念があるのか、海外に住んでいると、嫌でも考えさせられます。
柔軟性は必要です。ただ、「郷」だけがいつも正しいとも思いません。
ところで、今朝はMinkさんの影響で、green tea soup を食べました。永谷園ですけど。たまに食べるとおいしいですね。
本当にそうですよね。たいせつなポイントを補足していただいてありがとうございます。間違ったことがまかり通っていることってありますからね。
学生とかでたまに柔軟すぎて悪いことまで吸収して(drugとか)留学先から返ってくる子とかもいますし。回りがみんなやってたから自分もしただけだ、とか言って。
異文化を受け入れながらも自分を見失わないようにする、難しいけれども大切なことだと思います。
アメリカの大学の interculural communication のクラスで、あなたはアメリカ文化の何を取り入れ、何を拒否するかと尋ねられ、「キャンパスの誰にでも笑顔で挨拶するフレンドリーさは真似したいが、足を椅子の上に投げ出して座るようなことはしたくない」と言ったら苦笑いされたことを思い出しました。
確かに暗黙のルールって沢山あるし、社会生活において重要な事だと思います。
でも、お互いがもっと臨機応変に振舞えば良いのに…
僕が思うに、急ぐ人の為に片側を空けておくという事はエスカレーターに乗る時の常識だけど
いくらルールであっても、急ぐ人がいない場合は並んでいても良いんじゃないかな?
ただ、急ぐ人が来たら前に進む(どく)という事を念頭に行動する事が出来れば。
例えばバスや電車に乗っていて、近くに老人や体の不自由な方もいないのに、優先席を空けておく必要は無いと思いますね。
場合によっては、気分が悪い人がだっているかもしれない。
ただ、優先席を必要な方が来たら席を譲るという事が重要な事だし、自分の座っている席が優先席でなくても席を譲るという考え方が重要なんだと思います。
エスカレーターの話に戻ると、イギリスや関西では左側を空ける。(名古屋は地域によって違うとか?)
エスカレーター問題が、何故タバコのポイ捨てや歩きタバコ禁止のように大々的に取り上げられないのか?
そこにも答えがありそうですね。
すみません。生意気な事をダラダラと書いてしまって。
あくまで偏らない意見として読んでください。
臨機応変さって大切ですよね。jesseさんのように毎日変化のあるビジネスの世界で活躍している方は,その点が特に重要かもしれないですよね。そして臨機応変であるということは、状況判断する力とそれに対応する柔軟性があるということではないでしょうか。きっとjesseさんはそれをお持ちなのではないかと思います。
marine fishさん お茶漬け食べたんですね♪
私はDorothyさんの影響で
ご飯と炊いておにぎりにして食べました。
私も影響されまくり~ヾ(^▽^)ノ
ところで今日お風呂上がりに体重計のったら、増えてるんですけど~!