円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

知恵→智慧

2011年11月02日 | 日記
ああ、結局法務にいっぱいイッパイで更新をサボってしまっている~。


はい、お久しぶりです。


この前の日曜日10月30日19時より、お隣の宗像組第4期連続研修会へ出講。

鞍手組より私を含め3人の法中が講師としてご縁をいただいているこの研修会もまもなく修了。


残り二回となったこの前の日曜日の講義にて講師担当であった。

テーマはこれまでの講義内容を振り返っての話し合い法座。
そこで問題提起15分のお話と、参加者4班に分かれ、それぞれ班別での話し合い法座(座談)70分が終わった後のまとめの法話40分を担当。

3年間にわたる講義を受けて、受講者の皆さんは大変活発な意見交換をしていただけたようでホントありがたい。


さて、話し合い法座後のまとめの法話である。

お念仏のみ教えをいただく私たちが、現実の生活において本当に阿弥陀如来の願いに沿った日暮しが出来ているのだろうか?を問うお話をしようと考えていたのだが、しっかりとまとめることはなかなか難しく、後からこうすればよかった~と後悔しつつ、その日はなかなか寝付けなかった。


浄土真宗のみ教えを聞き、お念仏申す生活となることを願う。
しかしそれが「知識」として浄土真宗の教義を習得することの満足へと方向性が変わってしまうと悲しい。

「助かってくれよ」と阿弥陀如来に願われたそのまんまをよろこぶ私と育てられる。これが大切。
御恩報謝とは阿弥陀如来の願いに沿った私になることである。等価交換の如くいただいたご恩をきっちり返していかなければ怒られる、といったものでは決してない。

私を、そして私を取り巻くこの世界をありのままに見抜き、一切の生命の尊厳を認める阿弥陀如来のご本願をいつも仰ぎつつ、ありのままをそのまま認め遇えるような私にならせていただくことが念仏生活というものであろう。


自己中心の「知恵」から、阿弥陀如来の真実を見抜く「智慧」にいつも自らを問うていくことへの転換、このことをもっと言いたかったのだが。


あと一回講義がある。私は講義担当ではないが今回伝えることが出来なかったことを何とか伝えることが出来ればと思う。
そして鞍手組連研においてもこの反省を生かしていきたい。




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