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ブラジル戦終了

ブラジル戦が終わってしまった。前半玉田の先制ゴールした時点で
クロアチアがオーストラリアを1点リードしていた時はいけるかも、
と期待していたのだが・・。試合終了後,中田選手がピッチで
仰向けに倒れいつまでも起き上がらない姿がTVに写し出されていた。

先月インタビューで会った時の印象はどんな質問にも理路整然と自分の
基準に照らし合わせて語る人だなというものだった。もちろん
インタビューというのは時間に限りがあるので事前にある程度
質問内容を伝えておくものではあるが、インタビュアーの武田篤典さんが
思わず「どうしたらこういうしっかりした子に育つんですか?」(笑)と
本人に聞いたほど(U-15から毎年選抜遠征で海外経験をして来ている
という話の流れの中で)である。自分の基準がしっかり有りしかも世界レベルで
結果を残してきているのでその基準が更に揺るがないものになっていったのだろう。

3戦通して日本を引っ張っていたのは間違いなく中田選手だったと思う。クロアチア戦
で他の選手が消耗していく中、攻守にみせた運動量は驚異的で頼もしかった。
ヒデがブラジルに勝つつもりならそれは不可能ではないと信じた人は多かったはずだ。
ヒデの基準で‘やれる’というのであればみんなわずかでもそれに賭けようと思ったはずだ。
その分、試合が終わってもヒデがピッチ上で倒れ込んで動かなかった姿は全てが終わって
しまったことを表しているようで悲痛だった。

フィーゴもジダンも33才でチームを引っ張っているし中田選手にも
次もがんばって欲しいのだがどうなるのだろうか。おそらく今回の結果に、
王様の‘自分の基準’には賛否両論の意見が出るだろう。しかし監督が誰とか戦術が、
というより世界レベルの基準を持った選手がもっと現れないとこれ以上は
厳しいんじゃないだろうか・・・
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都市的な風景とは

カルティエ現代美術を観に行った。いろんなものがごった煮的で
楽しかった。そんな中、ひと部屋の中でロンドン、上海、ベルリン、
カイロ、東京、モスクワ、NY, アジス・アベベ、リオ・デジャネイロ(他にもあったかも)の
都市の風景を同時に動画で流していた展示があった。特に変わった事象を写しているのではなく
通行人や通り過ぎる車や公園でくつろぐ人々など都市の普通の日常が延々と流れていた。
最初はどこの都市か分からないのだがずっと観ているとリオ・デジャネイロとアジス・アベベと
上海を除いて大体当てる事ができた。(アジス・アベベは全く分からなかった。エチオピアらしい)
特に東京は一目で分かった。
朝の通勤時であろう。どこかの私鉄かな?駅の出入り口から次々と人が吐き出される画。
不審そうに一瞥するサラリーマンの姿もあるが大半が無関心で足早に画面から消えていく。
東京や日本を示す文字などはなかったがそれが日本の都市の風景で日本人であることが
瞬間的に分かった。自分の国だから当たり前といえば当たり前か。
でも昨年行ったシベリアの街でアジア系の人々を見かけた瞬間や昔、NYの街で
日本人を見かけた瞬間などに共通する何か人種的なセンサーのようなものが久々に働いた
気がした。
来月の半ばからシベリアのウランウデに行きブリヤート国立大学東洋言語学部の方々に
会ってくる予定なのでそのあたりもう少し突き詰められればと思っている。
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W杯開催の~

ドイツの首都ベルリンではすでにW杯ムードが高まっている模様。ニュースなどに見る
ベルリンの街はかつて社会構造やイデオロギーの対立するの東西陣営の最前線だったことが
遥か歴史のかなたのように感じる。

夜行に乗って着いたベルリンの駅は暗い雰囲気でそれまでの西ドイツの駅と明らかに違っていた。
ワルシャワ行きの列車に持ちきれないほどの大量の家電製品を積み込んでいるアフリカ系と思われる人々が
乗り込んでいく。駅構内にはホームレスやその他素性がまったく推測できない人々が通行人を品定めでも
するように佇んでいる。駅周辺は治安があまり良くないとは聞いていたが、、。とりあえず壁を観に行こうと
地下鉄に乗る。地下鉄は東側領内の駅は当然通過するのだが、ちらっと見えたが駅の壁には木の板が打ち付けられ
裸電球の下には銃を持った兵士がじっとこちらをみつめていた。
長い壁の所々には木の十字架があり東側から逃げてこようとしてこの場所で亡くなった人たちの名前と日付が
彫り込まれていた。西側の検問所、チェックポイント・チャーリーの脇には小さな資料館がありこの検問所を
や壁にまつわる様々な悲劇を展示していた。当時レーガンとゴルバチョフの会談が決裂して西側と東側の緊張が
一気に高まった時期だった。
当時学生でカメラ一個持って旅した時の話である。印象深かった街だった。この時以来ドイツには行っていない。




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EMMET GOWINの~

エメット・ゴーウィンの風景写真は一見するとモノクロの幾何学模様が美しくまるで抽象画の
ようでアート作品としてや地質学的観点から見てしまいがちだが撮られている場所は地下核実験の
による陥没した大地や陸軍施設内の氷河の浸食模様だったり毒性廃棄物処理場の貯水池だったり
鉱物探索の為に切り取られた山の斜面だったり噴火した火山灰と混じり合う氷河だったりと
そこに美しさを感じるにはあまりに矛盾した、無惨に切り裂かれた地球の大地の姿である。
対象物に忠実に客観的に撮れば撮るほど美しさが浮かび上がってしまう矛盾。表層的な
風景写真など足下にも及ばない。

という話はおいといて、一昨年来日したらしくその際出版された写真集に2000年に撮られた妻
エディスの写真が出ていて思わず「あっ、奥さんお元気だったんですか」と知り合いでも
何でもないのにつぶやきそうになった。
ベトナム戦争当時以来エメット・ゴーウィンは妻エディスの実家バージニア州ダンビルに住みエディスと
その家族を撮りだす。8×10に4×5のレンズを付けてイメージサークルもろ出しで撮ったりと実験的な
作風も残してはいるが本質的にはエディスを中心としたバージニアの郊外の、のどかな(?)生活の写真である。
しかしこの見るからに意志の強そうな、ノーマルではない光を瞳の奥に宿しているエディスは
祖母の後ろで若い肢体をさらしたり臨月の全裸姿で山野の中ポーズをとったり
Xマスツリーが残されたゴミ溜めのような部屋でたたずんだり納屋で放尿したりしている。
赤ん坊を逆さに抱いている時のその無表情さには危険な匂いすら感じる。
それから出産を経験したのだろう。数年後皮膚はたるみ体の線が崩れたその姿も写真に
残されている。何のてらいもなく`これこそ自分`と主張するがごとき様は、コラージュの手法だか
なんだかというものがすべて吹き飛ぶほど被写体としてシンプルで強く魅力的な女性の姿である。

1980年と2000年に同じダンビルで撮られた写真が出ていたが驚いたことにあまり容姿が変わらない。
相変わらず野性的な魅力を放ち、意志の強そうな目でカメラを見据えていた。

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