Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

ひとりの休日

2006年11月18日 | diary
 うららかなり。のんびりなり。お休みなり。

 たった今、炊事・洗濯・掃除を済ませたところ。部屋の掃除はしばらくやってなかったから、けっこう埃がたまってた。やっぱりすっきりした部屋は気持ちがいい。S&Gのファーストをかけながらパスタを茹でて、ロジャー・ダルトリーのベスト盤を聴きながら食べた。今日はダグ・サームの命日であることを、友人からのメールで知った。後でダグのレコードも聴くとしよう。仕事仲間が、マーティン・スコセッシが制作総指揮を務めた『The Blues Movie Project』のDVD-Rを3枚くれたので、これもひつつくらいは観て、それから、読みかけの『水曜の朝、午前3時』を読んでしまおう。で、夜はどっかの店でお酒でも飲もうかな。

 そんなこんなで、きっと今日という1日は過ぎていくのだと思う。それもまた、悪くない。

Bleecker Street

2006年11月17日 | diary
 昨日は渋谷へ。えっと、もちろんお仕事です。電車に乗る前に文庫本を買っとこうと、鎌倉の駅前にある本屋さんに寄った。僕は本には疎くて、作家の名前も作品もあまり知らないから、なんとなく本屋に入っても何を買ったらいいかがわからない。さて、どうしたもんかと迷っていたら、吉田修一の『パーク・ライフ』という本を見つけた。「おー、タイトルがブラーのアルバムと同じじゃん!」と思って手にとってみると、なんでも芥川賞を受賞した作品だとか。「芥川賞とブラーだってよ。すごいねー」と、たいして意味があるとは思えないことをつぶやいてから、僕はその本をレジへ持っていった。

 行きの電車ではついついウトウト。『パーク・ライフ』は帰りの車内でぱらぱらと読みはじめた。どうやら、この小説でいうところのパークとは日比谷公園のことらしい。あり得ない出逢い方で男女が知り合い、2人は恋をするわけでもなく、あくまでも小説らしいあり得ない会話が交わされていく。まぁこれはこれで悪くないかな。でも、芥川賞って、もっとたいそうなもんだと思ってた。最近だとこういう作品にもあげちゃうんだね。

 『パーク・ライフ』はけっこう薄く、すぐに読み終わってしまいそうだったので、なんかもう1冊買っておこうと、帰りに地元の駅ビルにある本屋さんに寄った。ところが、僕は本には疎くて、作家の名前も作品もあまり知らないから、そんななんとなくな理由で本屋に入っても、何を買ったらいいかわからない。さて、どうしたもんかと迷っていたところ、蓮見圭一の『水曜の朝、午前3時』という本を見つけた。「おー、タイトルがS&Gのアルバムと同じじゃん!」と思って手にとってみると、さすがにこれは芥川賞を受賞していなかった。「でも、関係ないよね。芥川賞よりサイモン&ガーファンクルでしょ」と、やっぱりたいして意味のないことをつぶやいてから、僕はその本をレジへ持っていった。

 大戸屋で豆腐ステーキ定食を食べて、江ノ電に乗って、マインマートでボージョレー・ヌーヴォと6Pチーズを買って帰り、The Whoの『Endless Wire』を聴きながら『パーク・ライフ』のつづきを読んだ。ボージョレー・ヌーヴォは、とてもフルーティで爽やかだったけど、6Pチーズとの相性は今ひとつだった。「若いワインにチーズの味は強すぎるのかな」と僕なりに納得しつつ、フルボトルの半分くらいを空けた。

 S&Gの『水曜の朝、午前3時』は、昨年の1月に下北沢の中古レコード屋さんで買った。小雨と小雪がまじる寒い日だった。“Bleecker Street”が好きだった。あの頃は、S&Gのレコードをよく聴いていた。

ゆれる

2006年11月16日 | diary
 朝晩かるーく冷えてきたりしてる。んで、鍋なんぞを食いたくなってきたりしてる。あと、熱燗など。1年前もそんなことを思ったし、きっと一昨年も同じようなことを考えてたんだろうし(覚えてないけど)、その前だっておそらく…。というわけで、

 おいしい鍋が食べたい。

 と、僕は声を大にして言いたい。仲間をうちに呼んで、今年出た新作を聴きながら、みんなで鍋をつつくってのもいいな。スプリングスティーン、ディラン、ザ・フー、クラプトン、レイ・デイヴィス…などなど。

 映画『ゆれる』を観てきた。以前に強く薦められたんだけど、観そびれてたら、最近になって地元の映画館にもやってきたので、それで仕事帰りに寄ってみた。いわゆる兄弟の話。本当ははっきりした物語だと思うのだけど、意図的に(ストーリーの重要な部分も含め)曖昧に作られており、多くの部分を観る側の想像力にゆだねてくる。こうした手法ってバランス感覚がけっこう難しいと思うんだけど、この作品は全体の空気に統一感があったので、すっと映画の世界に入っていけた。役者さんも、ひとりをのぞいては良かったと思う。ただ、兄弟のつながりとか関係性とかは、ちょっと現実味が薄かったかもしれない。この映画の中の2人は、物語の中にしかいない兄弟だと思う。

 帰ってから『クライマーズ・ハイ』を読み終えた。この作品の題材となった事件は、僕もよく覚えているから、そうした記憶にも後押しされて読んだ。スプリングスティーンの『Nebraska』をかけたのは、多分、『ゆれる』を観た後だったからだろうな。“Highway Patrolman”には、『ゆれる』とはまた違う兄弟が出てくる。この歌にインスパイアされてショーン・ペンが映画を1本撮っている。僕はこの歌がとても好きだ。

Just the Way You Are

2006年11月15日 | diary
 『クライマーズ・ハイ』を順調に読みすすめているとこ。電車に乗るとたいていは寝こけてしまうのだけど、昨日はそんなこともなかったから、それで。部屋に帰ってからは、ビリー・ジョエルのレコードをかけながらページをめくった。『The Nylon Curtain』と『The Stranger』。

 上司が本音を吐いた後に酔いつぶれるのを見て、主人公は、昔、母親から言われた言葉を想い出す。

「酔わなきゃ本音を言えない人を信じちゃだめだよ。そういう人は本当の人生を生きてないからね」

 そうなのか、と15年ほど酔っぱらって生きてきた僕は思う。で、自分はどうだろうなと考えてみたりする。基本的には、シラフでも酔ってても、思ったことは言う方かもしれない。それがいいことかどうかは、まぁ場合によるんだけど、裏があるように見られたりすることは少ないと思うし、自分でもそういうタイプじゃないとは思う。ただ、すすんで自分のことを話すことはあまりない。個人的なことであればあるほど、また、それが自分の心の大きな部分を占めていればいるほど、話さなくなる。酔っぱらって話すなんて、まずあり得ない。別にそう決めてるわけじゃないんだけど、どういうわけかそうなってしまう。多分、恥ずかしいのだと思う。そんな僕が、もし素直に自分のことを話しているとしたら、きっとその人は特別な存在なのだろう。

 これから先、時間が過ぎていって歳をとったら、僕も酔っぱらって自分のことをしゃべるようになるのかな?「まぁ聞けよ。あんとき俺はさぁー」とかいって。そうなったら、それはそれで気楽かもしれない。

ほっと一息

2006年11月14日 | diary
 お仕事関係で来日していたアーティストのツアーも昨日で無事終了。今日はいつもより30分遅い出勤でいいと言われたこともあって、ちょっとほっと気味な朝。ほっ…。

 冷蔵庫を開けたらからっぽだった。山形旅行へ行く前に、なんとなく空にして、そのまんまだったりする。スライス・チーズが1枚残ってたので、それをかじった。ケチャップとマヨネーズがあったので、少し舐めた。そろそろ買い物に行かないとなぁと思った。

 今日も天気がいい。JJケール&エリック・クラプトンの新作を聴く。晴れた空に湿地なサウンドが気持ちいい。なんとなく、電車に乗ってどっか遠くへ行ってみたい気持ちになる。でも、これから僕が乗る江ノ電は鎌倉が終点。これが現実なり。せめて海でも眺めるとしよう。昨日の海はとてもきれいだった。きっと今日もきれいだろう。

 いつかもっと自由な毎日が送れるようになれたらいいなぁと思う。

 横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』を購入。まだ読み出したばかりだけど、いい感じ。先が楽しみ。

いつまでも

2006年11月13日 | diary
 The Whoとクラプトンの新作を、せっせと繰り返し聴いている。かたや24年振り、かたや1年振り。つい久しぶりなThe Whoの方をありがたがってしまいがちだけど、ずっとコンスタントにアルバムを出しつづけてくれているエリックへのリスペクトも、また新たにしているところ。アルバムを出すたびに、こんな遠い国にもちゃんと来てくれるエリック。今も1ヶ月かけての来日公演中。ほんとありがたい。特に今回はバンドがすごいことになってるので、これまでのどこかツルンとしたサウンドにはならないはず。きっとすごいことになってるはず。楽しみだ。

 そんなわけで、自分が観に行く11月29日まで、現在エリックに関する情報をシャットアウト中。セットリストなどがわかってしまいそうなところ(想像できてしまいそうなところ)には、極力近づかないようにしている。なにとぞご理解のほどを。

 さて、The Who、エリックとつづけて新作を買ったところで、「今年になって俺は何枚くらい新譜を買ったんだろ?」とふと思いたって数えてみた。

 Bruce Springsteen『The Seeger Sessions』
 Bob Dylan『Modern Times』
 The Who『Endless Wire』
 JJ Cale & Eric Clapton『The Road to Escondido』
 Ray Davis『Other People Lives』
 Van Morrison『Pay the Devil』(これはいただきもの)
 Pearl Jam『Pearl Jam』
 Lynn Miles『Love Sweet Love』
 Roger Joseph Maning Jr.『Solid State Warrior』
 Suzan Cagle『The Subway Recordings』

 えっと、純粋なニュー・アルバムとなるとこれくらいか。さすがに平均年齢高い。若手といったらスーザン・ケイグルひとりだけ。それだって、もし買いそびれてるポール・サイモン、ニール・ヤング、トム・ペティ、プリンスなどを加えてしまえば、彼女の若さもしょせんは焼け石に水状態か。

 新しいバンドにも興味はあるんだけどね。こう好きなアーティスト達がばんばん新作を出しちゃうと、なかなかそこまで手がまわらない。でも、それはそれで嬉しいこと。いつまでも元気でいてほしい。僕が新しい音を聴く暇がないくらいに。いつまでも。

Escondido

2006年11月12日 | diary
 雨の土曜日。この日は姪っこの七五三だった。ただ、僕は神社には行かず、遅れてみんなが集まる兄貴の家に向かった。僕が着いた頃には既に食事も終っており、「遅いんだよ」と言われた。義姉がビールを出してくれて、お刺身と一緒にいただく。美味い。僕が来るまで、姪っこが服を着替えないで、きれいなかっこうのまま待っていてくれた。とてもかわいかったので、僕は姪っこの頭をなでた。にっこりと笑う姪っこは本当にかわいい。

 行くのが遅くなったのは、髪を切ってたからだった。バリカンとハサミでちょこちょこと。あまりうまくいかず、切ってはやめ切ってはやめを繰り返し、てきとうなところであきらめた。義姉の母親からは「手先が器用なのねぇ」とほめられたが、実の母親からは「矢沢永吉みたい」と言われ、大きなショックを受ける。

 帰り道、地元のレコード・バーでビールを1杯だけ飲んだ。時間にして30分ほど。軽い息抜きみたいなもの。

 部屋でJJ.ケールとクラプトンの『The Road to Escondido』を聴く。何年か前に出たロバート・ジョンソンのカヴァー集『Me & Mr. Johnson』と、伝わってくる空気がなんとなく似ている気がした。リラックスしていて、無理をしていなくて、JJ.ケールと彼の音楽に対するエリックの尊敬と愛情が伝わってくる。おそらくエリックは、死ぬ前に(なんて言うと縁起でもないけど)、自分が影響を受けた音楽ともう一度、優しい気持ちで向き合っておきたいのかもしれない。そんな気がした。それはそれでとてもエリックらしいと思うし、人間らしいことだと僕は思う。ビリー・プレストンも参加していて、このアルバムは彼との想い出に捧げられている。そんなところも嬉しかった。ちなみにジョン・メイヤーも参加してたりする。金曜日に彼のライヴを観たばかりだっただけに、ブックレットの写真に彼の顔を見つけたときは、普通にびっくりした。なんかのご縁かな?そんなことねーか。

 今日は友人からの電話で起きた。で、その5分後に彼は僕の部屋にいた。自分の寝起きがいい方でよかったと思った。しばらくしょーもない話をして、転職が決まった友人に電話をかけて、感じの悪い親父がやってる近所の中華屋に行ってビールを飲んだ。チャーハンが割と美味かった。それから部屋に戻って、杏仁豆腐を食べて、洗濯機をまわしてから、レコードを何枚かかけた。ピーピーと洗濯が終わったのを知らせる発信音に合わせて友人は帰っていき、僕は洗濯物を外に干して、もう1回洗濯機をまわしてから(2週間分たまっていたもんで)、奥田英朗の『イン・ザ・プール』を読んだ。まぁまぁだった。テーブルに最近読んだ文庫本が積み上がっていく。それをぼんやりと眺めて、なんていうか、ちょっと不自然な気分になった。読み過ぎなのだ。

 でも、きっと明日また別の小説を買うのだと思う。ふむ…。

ジョンとキースが会った森

2006年11月11日 | diary
 昨日は友人のご好意により、ジョン・メイヤーのライヴを観てきた。75歳のジョアンの翌日に観る27歳のジョン・メイヤー。すごいね。で、感想はというと、ギターが上手だなぁと思った。あと、ソウルっぽいバラードがいいなぁと。でも、いたって普通のライヴだった…ような気はする。それより、バックを務めていた初老のギタリストが、元プリテンダースのロビー・マッキントッシュだったんで驚いた。彼はかつてポールのツアー・メンバーとして来日したこともあって、僕は勝手に親しみをもっている。まさかジョン・メイヤーのライヴで見かけるとは思わなんだ。そういや、ノラ・ジョーンズが来日したときにもいたらしいし、けっこう若手から頼りにされてるのかもね。えらい!

 というわけで、ロビーがいてちょっぴり嬉しかったのだった。

 帰りは地元のアナログ・バーで寄り道。ジョアンの話をしたり、ジャズの話をしたり、日曜日の午後2時に聴きたい曲をみんなで考えたりした。僕はパスタを食べて、ビールとウイスキーとワインを飲んだ。金曜日の夜らしく、遅くまでカウンターにはお客さんがいた。

 店を出てふーっと溜息をついた。なんとなく歩いて帰る気がしなくて、連日のタクシー。家に着くとJJ.ケイル&エリック・クラプトンの新作が届いていた。今夜ゆっくり聴こうと思う。

 奥田英朗の『ウランバーナの森』を読んだ。ジョン・レノンが主人公の架空の物語。作者のジョンへの愛情がひしひしと伝わってくる。しみじみと優しくて、ちょっぴり悲しくて、とても面白い。そんな本だった。キース・ムーンまで出てきたときには、けっこうびっくりしたけど。

「人は何を隠して生きているのだろう。みせかけの笑顔の奥に、何を封じ込めて毎日を送っているのだろう。のぞかれたくない胸の内。見ないふりしてる真実。「しあわせ?」と聞かれれば嘘でも「しあわせ」と人は答える。それはまるで、そうありたいための自己暗示のようなものだ。けれど、それのどこが悪いというのか。うぬぼれと思い込みがなければ、人生はつらいばかりじゃないか」

 そう思って、ジョンはこらえきれずに泣くのだった。

一昨日、そして昨日

2006年11月10日 | diary
 一昨日、仕事帰りに地元の映画館でクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を観てきた。ちょうどメンズ・デイで千円だったし、いいかなと思って、ふらりと。

 イーストウッドが硫黄島をテーマにした映画を撮ると聞いたときは、正直、複雑な気持ちがした(そういや前に日記にもそんなこと書いたなと思って検索したらありました→こちら)。でも、映画は僕が心配していたのとは、だいぶ内容の違うものだった。戦争によって、また1枚の写真によって、翻弄された兵士の物語であって、それはとても慎重に撮られていた。そして、イーストウッドらしい、はじきだされた弱者の物語にちゃんとなっていたのがよかったと思った。エンドロールが終わると、最後にもうひとつの硫黄島をテーマにした作品『硫黄島からの手紙』の予告編が流れた。日本の側からの硫黄島。きっと一層慎重に作られたことと思う。勝者が敗者の映画を撮るのはとても難しいことだから。でも今は、きっといい映画に仕上がっているんじゃないかと思っている。

 そんな話を昨日はし忘れた。

 昨日は、ジョアン・ジルベルトのライヴを観てきた。ジョアンを観るのはこれで3回目。アーティスト側の意向で、空調が切られ、非常灯も消され、ぎっしりと埋まった満員の会場が真っ暗になる。ステージにライトが当てられ、袖からギターを持ったジョアンが歩いてくる。たったひとりのステージ。椅子に座って、うつむいた姿勢でギターをつま弾き、あの声で静かに歌い出す。その瞬間…

 会場はジョアンの宇宙に変わる。

 完全に静まり返った会場で、僕らはジョアンの歌とギターに耳を傾ける。それは、いわば心と心の交流だった。宇宙的な交信だった。ボサノヴァ特有のまどろみの中で、僕の心の扉は開かれ、ジョアンの細やかな息づかいが、そこへ小川のようにそそがれる。僕もジョアンになにかを返す。遠い想い出の記憶や感情を。それはちゃんとジョアンの元へ届く。時間の流れ方がいつもと違う。うまくは言えない。ただ、ジョアン・ジルベルトの生み出す世界とはそういうものだと、僕は思う。

 僕はジョアンのことをあまりよく知らない。アルバムも少ししか持ってないし、昨日だって半分くらいは初めて聞く曲だった。でも、退屈することはない。ジョアンの音楽はジョアンそのものだから、1曲でも好きな歌があれば、きっと他の歌も気に入ると思う。だからこそ、たったひとりの弾き語りで、2時間以上のステージであっても、知らない曲が多くても、まだまだ観ていたいと思わされる。ずっとその場にいたいと思わされる。

 静かな熱気に包まれた空調の切られた会場で、僕はじんわりと汗をかいていた。

 終演後、友達と居酒屋さんで乾杯して、終電よりも少しはやい電車で帰ってきた。地元の駅からは歩かないで、タクシーに乗った。ちょうど千円くらいだった。

Endless Wire

2006年11月09日 | diary
 昨日からThe Whoの新作『Endless Wire』をくり返し聴いている。帰ってから聴いて、もう1回聴いて、ベッドの中で聴いて、窓から差し込む朝の光の中で聴いて、で、いろいろと思ったりしている。

 とにかくこれはあのThe Whoの新作なわけで、やっぱりプレーヤーのボタンを押すにもちょっとした緊張感があったりした。でも、数ヶ月前に先行で発売されたEP“Wire & Glass”で音の質感はだいたいわかっていたし、割とすんなりと聴けた印象。周囲からのプレシャーの中で混乱していく精神とか、暗闇の中に差し込む希望の光とか、そんなピート・タウンゼントらしい世界が展開されていくあたりは、安心して楽しめた。ま、僕の場合、この作品に関しては目が曇りまくってるわけで、「とんだお笑いだ。お前は嘘を信じるってわけだな」なんてブレーズが出てくるだけで、「いいぞ!ピート!」と無邪気に万歳三唱してしまうから、えっと、まぁあれなんだけど。

 全体的に落ち着いたサウンドで、これはドラムがザック・スターキーじゃないことが大きかったのかな?The Who特有の火を吹くようなダイナミズムはあまり感じられず、派手なナンバーもどこか人工的な気がした。ザックが叩けば、ピートのギターもまた違ったものになった気がするし、サウンドもよりリアリティのある肉体的なものになったんじゃないかなぁと思う。それくらいザックの存在は大きい。でも、気になったのはそれくらい。

 なんであれ、これはまぎれもなくThe Whoの新作なわけで、結局のところ彼らにしか作れない音楽だ。不思議なもので、幾多のバンドが同じように演奏しても、こうした音にはならない。それがオリジナルであるということなのだろう。それだけのものをこのバンドは生み出してきたのだなぁと思うと、やっぱり胸が熱くなるのだった。

 今日はこのアルバムを鎌倉に連れてってあげよう。で、みんなにも聴かせてあげよう。当然ヘビロテで。