サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

誕生会で話題に上がった日系人の解雇問題

2009-02-02 18:27:03 | Weblog
 幼稚園の友達の誕生日会があった。自宅での誕生日パーティーで、恒例の花火ケーキ。

 朝からご家族の皆さんが手作りで料理を用意してくださった温かなホームパーティーでした。巨大なスイカもデザートに登場。種まで大きかった!

 日系人のファミリーなので、そこで話題に上がったのは今日本でも大問題になっている日系ブラジル人の突然の大量解雇問題だった。

 ほんとうにお金がなくて帰国できないという人や、住むところまで失っているという話題、そんな中で、ある資産家は自らの閉鎖しているホテルを一時的に住居で貸してあげることにしたなどの話題。約7万5千人がブラジルへの帰国を希望しているけれど、飛行機の席も足りないのが現状とか・・・この報道はブラジルの新聞でも大きく取り上げられた。  
 決してオーバーではなく、私も日本に帰ったとしたら、ブラジルに帰れなくなるともいえる。もしブラジルに帰りたかったらタンカー船にでも乗り込まなければいけないのか?う~ん、、、そこまでしてブラジルに来た人の話を聞いたことがあるけれど、これが出来ればたいしたもの。はたして、私にもそんな度胸があるかなあ・・・現代版大浦お慶(江戸末期、上海行きの船に密かに乗り込んだ)になれるだろうか?やっぱりタンカー船は怖いなあ・・・
 昔、日中戦争が起きて日本に帰国できなくなったというブラジルの日本移民の話を聞いたことがある。今も経済は常に戦いなわけで、先行き不透明な世界経済というか、ほんと、どこで暮らしていても何が起こるか分からない。

 30万人いるという日系ブラジル人の突然の解雇問題。やっぱり家と食料は最低限、命をつなぐだけの援助は必要だと思う。誰がするかって??やっぱり行政?でも、行政は税金を使って仕事をするわけだし、税金をブラジル人に使ってほしくないなんていう日本国民もいるかもしれない。でも人道的問題だ。

 今、日本は格差社会とかいう言葉が言われるようになってきた。でも、格差って、今始まったことではない。表に見えない、見せないだけで、確実に日本は昔から格差社会。もし、お金を持っていない人を底辺とするならば、その底辺の人の精神的余裕度は、今も昔もブラジルの方が余裕度が高いように見える。特に戦後日本は、なんとなく誰もが届きそうな基準を設けて、それに達するか達してないかが焦点になっていただけの話ではないかな?ほんとうに富んだ人は表に登場しないだろうし、何も日本国内に資産を置いているとも限らなさそうだ。

 だから思う。企業や個人でお金にタップリ余裕のある人は、やっぱり、基本的生存権が危うい人がいるなら、援助の手を差し伸べるべきではないかと。そりゃあ、汗水たらした一族の富かもしれないけれど、汗水たらしてたらお金なんてそれほど得られないはず。それに多くの人がいて、たまたま自分のところに集まっただけの富のはず。『金は天下の回りもの』お金は基本的生存権を得るため以外の額は、そもそもみんなのお金に使ったっていいんじゃないのかな?ホテルを提供してくれたという資産家のような人が、社会のあらゆる場面に援助の手を差し伸べるような社会になるのもゆとり社会のために必要なことではないのかなあ?

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