えみち in East Lansing, Michigan

Michigan State U. 大学院生えみちの怒濤の日々。(読逃&アドレスを第三者に教える事はご遠慮下さいませ)

退職日に思うこと

2006年07月31日 | 留学準備
もうすっかり学生面しているワタクシですが、
実は今日7/31までまだ会社員です。
(日本時間だとすでに昨日か。)

明日からは単なる一学生。

でもそれが心地よかったりします
年齢だったり、所属だったり、経験だったり、
それに見合う何か、「○○歳ならこうあるべき」
というような物差しや役割を要求されないから楽。

もちろん今までの来歴に自信は持っているし、
期待に答えることもできると思うから
それを厭うものではないけれども、
事前の情報のもと、バイアスがかかっていたのが
日本では正直少し息苦しくもあった
(もちろんこれまでの仕事にたっくさん助けられてきたことも承知の上で。)

今学生だからそうなのか、それとも、
ここが米国だからそうなのかわからないけど、
「ひとりの人間」として見られる。
良くも悪くも。それ以上でもそれ以下でもなく。

その傾向に適応できないことを
「ロールショック」って言うらしいんだけど、
逆にそれを心地よく思う私は帰国後の
逆カルチャーショックが心配されるようです。

携帯解約

2006年07月19日 | 留学準備
渡米を明日に控え、携帯を解約してきました。
(やっとリアルな日付に追いついた!)

この携帯番号は大学3年の秋、
就職活動を始めようとする学生に無料配布していたのを
(当時の東京デジタルホンが携帯普及のために行った戦略)
入手して以来だからもう10年使っていて
番号にもメアドにも愛着があったし
解約するのにかなり抵抗があったのですがいたし方ない。
無駄に継続させててもしょうがないので。

でもいざボダフォンショップに行こうとしても
気が進まなくてつい必要のない買い物をしたり
お茶してみたり、、。
家を出て2時間ちかく経ってやっと意を決して
ボダフォンショップで手続きをしました。
所要時間5分くらい。
え?もう終わったの?というくらいあっけなく。

もうただのオブジェに成り下がってしまった私の携帯。

下に敷いてあるのは以前トルコで買ってきたミニカーペット。
エキゾチックな模様が気に入ってます。

社会との接点がなくなってしまったようで、
ものすごい不安な気持ちになりました。
今までいかに携帯依存症だったかがわかりました。

そんなこんなでやっと実感が湧いてきた。

保険

2006年07月11日 | 留学準備
アメリカは医療費が非常に高い。
向こうで急病にかかったりすると
ものすごい治療費を請求されたりする(らしい)。

MSUの場合は留学生は全員保険に入ることになっています。
(多分最近そういう学校がほとんどだと思う。)
というか、留学生の払う授業料の中には保険料が込み
MSUのキャンパス内には病院があって、
そこで学生は無料で治療してもらえる仕組みです。
(眼科とか歯科とか特殊なものは除く。)

だけど病院が休みだったり(土日は休み)
急病だったりして違う病院で
緊急治療を受けるかもしれないし、
キャンパスから離れた場所で事故に遭うかもしれない。

うーんん、、と迷った挙句、
留学生用の保険に入るとケガや病気だけじゃなくて
賠償関係もカバーできるし、
日本語のサポートも受けられるし、
(心細くなるだろう時にそれはありがたい)
安心料としてやっぱり別途保険に入ることにした。

AIUの代理店に資料請求したら、
ネットに載ってる正規のプランのほかに、
エコノミープランなるものが同封されてきた。
おー、やっぱり資料請求してよかったな。
最長1年で10万円ちょっとのプランがあり、
そうすると1ヶ月負担にして1万もかからないので
もうそれに決めました。

1年後に契約を延長するかどうかはまた後で考えます。
保険にお世話にならなくて済むならそれに越したことはないですしね。

ちょっとした注意事項
短期の旅行だと空港で保険に入れますが、
その場合は家から空港までの事故などは補償されません。
また、長期の滞在の場合、出発1週間前までに
申し込みを済ませないといけません。

私の場合はクレジットカードに保険がついているので
短期の旅行の場合に保険をかけたことはなかったですけどね。

お役所まわり

2006年07月03日 | 留学準備
今日はお役所まわりで1日費やしました。
一番最初に区役所へ行く。

まず、米国への転出届の提出。
書類に記入して免許見せてあっさりと終了。拍子抜け。

次、健康保険の窓口へ。
住民票を移してしまうと健康保険には入れませんとのこと。
あ、そうなんだ。終了。

次、年金の窓口へ。
海外にいる人は年金の納付義務は発生しないとのこと。
ただ代理人に依頼して納付し続けることもできるそうなのだが、
トータルで25年払い続ければOKなので
2年くらい払わなくてもいいか、と思った。
それに私はまだ退職していないので
(7月は有休消化中)手続きができないらしい。

最後、住民税の窓口へ。
会社からの退職の連絡が入って初めて
住民税の納入依頼通知ってのが発行できるから
まだ退職してない今は何も動きようがないんだって。
退職する前に渡米してしまうことを話して
代理人が納税する申請用紙をもらいました。

次に税務署に行きました。
確定申告(所得税)について教えてもらいました。
今はネットでもできるみたいなことを聞いてましたが、
その為には何だかいろいろと申請が必要で面倒らしく、
住民税と同じく代理人に納税してもらったらいいですよ、とのこと。
その用紙をもらって帰ってきました。

住民税と所得税については代理納付の書類を提出しに
また出向かないといけないけども、
とりあえず手続きは無事に終わりそうなので一安心です

こういういろんな手続きをしていると、
今までいかに会社におんぶにだっこだったかがわかります。
留学終わってもまた会社員に戻りたいです

最終出社日

2006年06月30日 | 留学準備
大学院受験の準備を始めた時から、
いつかこの日が来ることはわかっていました。
この日が来ないということは
私の受験が失敗することを意味するわけで、
来てくれなかったら困るなあとも思っていたけど、
いざ、その日が近づいてくると、
やっぱり複雑な気持ちなわけです。

陳腐で平凡な言葉になってしまうけども、
2002年5月に入社してから4年間、
本当に、本当にいろんなことがありました。
4年とは思えないほどの密度の濃い時間でした。
いろんな人に会いました。
いろんな出来事に遭遇しました。
ここで働いていなければ決して出会うことのできなかった
たくさんの人々。出来事。
初めて知る・触れるいろいろなことに
私の知的好奇心はいつも刺激されていました。
自分の中のいろんな感情とも向き合い、
どう付き合っていくのかも学びました。
まだまだ未熟だけど少しは成長できたと思う。

あー、大変だったけど楽しかったなぁ~
しみじみと歴史的な瞬間に立ち会えた幸運を感謝しています。
そして同僚の皆さんにもいっぱいの感謝を送ります。心の底から。

ここからは思い出写真集でーす。
好きな写真たくさんあって選ぶの大変でした。






ハウジングの手配

2006年06月15日 | 留学準備
今日は留学先での住まいについて。

MSUに進学が決まった後すぐに
大学院生用の寮について問い合わせました。
1人部屋希望としたらロンっていう人から
「まずは2人部屋から。Waiting Listに
名前入れておくので空いたら1人部屋。」
と感じの悪~いお返事が返ってきました。
(英語でも感じの悪い文章ってすぐわかるね)

それじゃアパートでも住むかな、、とも考えましたが
土地勘もないし、サマースクールの1ヶ月間は
例え2人部屋でも我慢しようと手配を依頼しました。
そうしたら意外にも1人部屋だったの。

なのでまたメールを出して「秋からもその1人部屋に住ませてよ」
と交渉したら「部屋は押さえておいてあげるから書類と小切手送れ」
と言ってきました。
今回はデビーという人が担当だったんだけど
彼女はとってもいい人で助かりました
アメリカって担当者によって全然対応違うのよね。

でもその後が大変でした。
手付金は25$なのに小切手のみで受付。
私何度も金額確認してしまいました。
だって送金小切手の手数料は3~5000円。
(銀行によって額が違う)
小切手額より手数料の方が多いのよ。
でもその方法しかダメなんだって。
会社近くの某銀行に行くと窓口で同じことを聞かれ、
「もったいないですねぇ」と言われた。
っていうかあーた達の手数料が高すぎ
しかもできるのは翌々日。
(R銀行の手数料はもっと安かった上に翌日できたよ!)

…とりあえず何とか手続きを終えました。
留学生活の拠点になるところを
ちゃんと押さえることができたのでホっと一安心しました。
それがOwen Graduate Centerというところです。
部屋がすごーく狭いんだって。
あとカフェテリアの食事がまずいらしい。
でもそれはもともとアメリカのことだし期待してないし。
キャンパス内にあるからどこに行くにも近いのと、
友達ができやすいというメリットの方を楽しみにしたいと思います。

ツベルクリン反応

2006年06月12日 | 留学準備
渡米準備のひとつに予防接種があります。
同じ予防接種でも日米によって考えが異なるので結構厄介。
(接種回数とかが違ったりする。)
そして米国内でも州によって要求が異なります。
私の行くミシガンは緩いのだけど、
マサチューセッツは厳しい(らしい)、とかね。

私はもう大人ということもあって、
ほとんどの予防接種は不要Or済みでしたが、
ツベルクリン反応だけは必須でした。
留学生はキャンパスについてから
無料で検査してくれるとのことだったので、
ノンビリしていましたが大変なこと発覚!
ツベルクリン反応は結核かどうかを
調べる検査なのですが日米で解釈が異なる!

つまり、日本では抗体がある方(陽性)が
免疫があってよいという考えから、
陰性の子にはわざわざBCGというワクチンを
受けさせています。つまり陽性をヨシとする。
ところが米国だとちょっとでも陽性だと
すわ、結核か?と思われるとのこと。
この考えだと日本人は結核予備軍だらけ。
キャンパスで検査を受けて面倒になるより、
日本で検査を受けて、もし陽性なら
「陽性だけどBCGのせい。心配不要。」
っていう証明書を出してもらうのがよい。
(ここまで辿りつくのも一苦労でした。。)

じゃあどこでやってもらえるのかな?
保健所に聞いたら「お子様ですか?」と聞かれ、
「いえ、、ワタシなんですけど。。。」と
ちょっと恥ずかしい思いをする。
確かに自分の子どもの検査でもおかしくない年齢だし。。ハハ。
次に会社の近くのクリニックに問い合わせ。
するとワクチン取り寄せに4日かかる上に
(ということは予約制)
8000円とベラボウに高くてびっくりしてしまい、
予約もせずに電話を切ってしまいました。

結局ちょっと面倒だったけど、
日本検疫衛生協会という所で
やってもらうことにしました。
東京駅そばにあって、予約不要だし安いし。
ここってその昔ジンバブエに行った時に
黄熱病の予防注射してもらったところだ。
当時は横浜にしかなかった気がしたけどな?

すぐ名前を呼ばれて細い注射でワクチンを注入。
ものの5分で終わったけど48時間後(2日後)に
反応を見てもらうため再度訪問。
そしたらね、私、全然注入場所が膨らまず、
完全なる陰性ということが判明しました。。
(陽性だとプクーっと膨れるそうな。)
それって米国留学には便利でよかったけど、
日本の基準で言ったらNGだよねぇ。。
子どもの頃BCG受けてないのかなあ?
まあ今まで結核にならなくてよかったですけど。
結核は過去の病気じゃないらしいです。
診療所にそんな内容のポスターが貼ってありました。

銀行にて

2006年06月09日 | 留学準備
大学院の出願および渡米手続きでは
いろいろ初めて行う手続きが多かったです。
今回は銀行で行った手続きについてまとめようと思います。

1)残高証明書
出願手続きの時、VISA申請の時、
アメリカで不法に就労しなくても
(学生ビザだと働いてはいけないことになっている)
十分に財政的な余裕があることを証明するために発行してもらいます。
通常は日本語&円表示ですが、英語&ドル建てで発行を頼みました。
これ、銀行が発行してくれるものだとわかるまでに結構時間がかかりました。
(各銀行はなんでWebに載せてないの?)

2)送金小切手
私は大学院の授業が始まる前にサマースクールに行くことにしたのですが、
その授業料の納付は「Bank Checkを送付」と指定されていました。
小切手のことでした。
クレジットカード不可なんですよ。
どうやって発行するのかわからず最初シティバンクに行ったけど
口座を持ってる人だけにしか発行しない。
普通に邦銀でも発行できることがわかって
R銀行で作ってもらいました。
これまたWebに載せててくれればいいのに。

MSUが名義人になったT/Cみたいな小切手が翌日できあがってきました。
これを同封して願書を郵送しましたが、
無事に届くか気が気じゃなかったです。

…この後実際に留学生活が始まると
現地の口座に国際送金をしてもらうという
ステップが待っています。

米国ビザ

2006年06月04日 | 留学準備
米国ビザとは日本人が90日以上
米国に滞在する場合の入国許可証です。
(正確には入国の推薦状みたいなもので、
実際の入国許可は現地で入国審査を受けてから)
私の場合は学生ビザ、F1ビザというものを取得します。

1)入学予定の大学院からの入学許可証
(これをI-20、アイトゥウェンティという)
2)財政証明証(銀行に発行してもらう)
3)必要経費の振込み済証
4)(今さら)大学の成績証明証
5)過去10年に発行されたパスポート全て(含:現パスポート)
6)その他書類(2-3通)
7)写真

といろいろと準備して米国大使館で領事との面接に臨まなくてはいけません。
書類がまた面倒くさくってさぁ。。
一番面倒だったのは今までに訪れた外国全部書けというヤツ。
漏れがないか過去の手帳を引っ張り出してイチイチ点検しました。
所定の欄に入りきらず別紙提出にしました。

面接は完全予約制。
日本人に限らずいろいろな国の人が来ていて、
大使館=治外法権を身をもって感じた。
セキュリティチェックを受けた後、
持参した書類に不備がないかのチェック、
その後病院の待合所みたいなところで面接の順番を待ちます。
却下されたらどうしよう、と超緊張してたよ。
その間に指紋をスキャンされます。

面接と言ってもカウンターに呼ばれて
「どこ行くの?」「何勉強するの?」と聞かれただけでした。
「OK」と言われたから「今日はこれで終わり?」と
思わず確認してしまいました。拍子抜け!
後で聞いたら学生ビザの場合は受け入れ先が
しっかりわかっているから簡単なんだそうです。

その後3日ほどでパスポートが返送されてきました。
写真つきのビザスタンプが押してあります。
これで問題なく入国できるはずです。
ビザは留学手続き最大の山場だったので
あーよかったー!と肩の荷が下りました。ホ。
本件でいろいろとアドバイスしてくれたNちゃん、
どうもありがとう!!

そうそう、大使館では俳優の瑛太君がビザ申請に来てました。
ヤンジャンの入ったビニール袋を右手に持ってました。
フツーのお兄さんでした。

社内外の反応

2006年06月02日 | 留学準備
合格がわかって、そこに進学しようと決めた後は
会社にその話をしなくてはいけません。
退職するのは新卒で入ったS社以来2回目。
以前、転職経験者の先輩から
「辛いのは最初の転職の時だけで次からは慣れるよ」
なんて言われていましたが、そんなことはないです。
まず、打ち明けるのからして気が重い。申し訳ない。
だけど上司もチームメイトも驚きはしたものの、
すぐに祝福と応援の言葉をかけてくれて、
それには本当にうれしく思いました。
どれほど気持ちが楽になったかしれません。
本当にどうもありがとう。

前回も今回も、私が一番気にしていることは、
「なぜ辞めるのか」をきちんと伝えること。
逃げたり、諦めたり、捨てたりするするわけじゃない。
それをわかってほしいからゆっくり時間をかけて
いろいろな人に時間をとってもらって話しをしました。
特に身近な同僚達にわかってほしかった。
上司から業務連絡のついでに発表されたり、
何となくウワサで伝わったりしたら
絶対にわかってもらえないだろうから、
(特に私は中途入社だからあるステレオタイプで
見られがちなことも自覚していたし)
そこのところはすごく気を使いました。
そのせいか、この話をする時は毎度、
自分でもおかしいくらい緊張していました。
ちゃんとわかってもらえるだろうか、
どう説明したらわかりやすいだろうか、って。
私は緊張すると(Or興奮。要するに感情が振れると)
声が低くなってかすれますが
そうなってる自分を客観的に見てる自分もいて、
何だか変な気分でした。

幸い、わかってもらえたようでよかったと思います。
でも足りなかったかなあ。。
本当はもっと話す時間がほしいと思っています。
でもどれだけ話してもこれで十分ということはないのかな。

直接、話をできない人たちへはどうしても
事実ベースでご連絡するしかないわけで、
そうすると自分が意図しない形で理解されたり、
もどかしいことが多いです。
(前回退職時に経験済み。)
かと言ってひとつひとつ訂正して回るわけにいかないし。

これってコミュニケーションの仕事そのものです。
記者会見とかで説明したことがちゃんと理解されずに
世の中に流布していく。。
訂正したいけど難しい。
私事でさえもどかしい思いをするのに
これが社会的に重要な事柄だったりしたらもう、
モチベーション下がりまくりですよね。

Bon Voyage Banquet

2006年06月01日 | 留学準備
アメリカ大学院受験に際しては
独学では絶対に挫折すると思ったので、
この分野で圧倒的な実績のある予備校に通っていました。
プリンストン・レビューといいます。
http://www.princetonreview.co.jp/

約1年間週1回、多い時には週2回、
渋谷駅から坂を登って通ったものです。
新しいお友達できるかな♪
そんな期待は見事に裏切られました。
だって皆必死なんだもん。鬼気迫る顔つき。多分私も(笑)。
まあ確かに週末に5時間の授業は辛かった。
私もよく沈没してミミズののたくったような字で
意味不明のことをノートに書いていました。

この学校、巷では「高い」という
評判も聞きますが私はそうは思わなかったな。
単純に授業料と時間数を割れば1時間数千円。
金額的には高くないし、カリキュラム、先生方の質、
面倒見の良さ、これらは最高でした。
使い倒せば十分元は取れますよ。
(私は取ったと思ってる。)

特に先生方は素晴らしいです。
皆必死だから休み時間中も質問責め。
先生が休めないよ!っていうくらい。
でもイヤな顔ひとつせずに(←ここがポイント)
真摯に対応なさってました。
私はといえばあるところでTOEFLの伸びが鈍化して
質問というより相談をしてみたら、
本当に丁寧な回答がかえってきたし、
Writingでは自分の担当する1ヶ月の授業期間が終わっても
「いつでも(英作文を)送って下さい」とおっしゃる。
彼らとてサラリーマンのはずなのに。
素直にすごい人達だなぁと思ったよ。

だから合格した時はそういう先生やカウンセラーに
真っ先にご報告をしました。
皆さん喜んでくれて嬉しかった。

そして今日はそのプリンストン主催の「Bon Voyage Banquet」、
要するに合格祝賀パーティでした。
150人近くの合格者達が集まっているので
前向きな空気が漂っていて、こちらもちょっと高揚しました。
改めて先生方にお礼を申し上げ、
先生方・カウンセラー方からも激励されて
留学がまたちょっと現実味を帯びてきた。


渋谷のホテルセルリアンタワーで立食パーティ♪

国際免許

2006年05月25日 | 留学準備
アメリカはクルマ社会
NYやLA、DCなどの大都会でない限り、
クルマがないと生活できないと言っても過言でない。
ましてや私の行くミシガンはGMが本拠を置くところ。
しかも片田舎。。

というわけで免許取得以来10年超、
万年ペーパードライバーの私もとうとう
実際に運転しなくちゃいけなくなりそう。。

そのためにもひとまず国際免許を作りに行った。
(身分証明書代わりにもなるしね。)
最寄の警察署でも申請できるのだけど
そうすると完成までに2週間くらいかかるらしいので、
試験場まで行くことにしました。
必要な書類はパスポートと写真。
申請書に記入して待っていたらあっさり取得できました。

この国際免許は1年しか有効じゃなく、延長不可。
1年を過ぎたら現地の免許を取らなくちゃいけないらしい。
そもそも国際免許は旅行などの一時滞在者のためのものなので、
長期で滞在する場合は現地の免許を取るのが一般的だそう。
クルマを持てるか、運転できるのかはともかく、
いずれ向こうの免許を取りたいと思っているので
(これまた身分証明書代わりに。。)
この1年の間に何とかしなくちゃね。
あとこの国際免許は返納しないといけないそうです。

在米中に免許が切れるので日本の免許も期間前更新をしました。
普通の更新と一緒に窓口に並ぶので長蛇の列で参りました。
今って以前の免許は没収されてしまうのですね、
記念に取っておくことができなくて残念でした。

留学決断の理由・過程

2006年05月25日 | 留学準備
私の留学の話が「突然」と思われるのは
その決断に至る過程や理由を
きちんと伝えきれていないからだと思う。
なのでここに書きとめておきたい。

1)実は昔から留学したかった
→それこそ中学校くらいから漠然と留学したかったのです。
でも怖気づいたりReadyでなかったり、タイミングが合わなかったり。。。

高校生になって行こうと思ってたけど、
学校のサポートがなくて自分で調べないといけなくて、
どうしていいかよくわからなかったし、
学年が下がるのがイヤだったり。

大学時代は語学に力を入れている学部だったので、
それを使って海外に行くことが楽しくて、
やっぱり留学することを考えたけども
高校時代と同じくいろいろと理由をつけては諦めてた。
社会人になったら自分のお金で行こうと思った。

でもS社に入ったらとてもいい感じでキャリアを積ませてもらって
(そりゃハードでしたけども!)
わざわざここでキャリアを中断してまで
留学をする意味があるのだろうか?と疑問に思っていました。
ちょっと言葉が話せるようになるだけの留学だと意味ないなぁ、、と。
だからこのまま留学しなくて終わるかな?と思っていた。

M社に転職した後もその気持ちは変わらなかったけど、
語学力がすごく落ちてさらに中途半端になっていたので、
「やっぱり行きたいな」「いつか行こう」とも思っていた。
そして「いつかっていつよ?」状態だったので
そんなの私らしくないなと思って。
その「いつか」も後がなくなってきたし。

2)ちゃんとした形を残したい
→「留学」にもいろいろあるわけだけど、この年齢である程度のリスクを負うわけだし、
せっかく苦労するのであればきちんと「形」つまりは「学位」を取りたかった。
だから大学院に行きたいと思った。

3)自分の過去と未来をつなぐ勉強をしたい
→大学院で学ぶとなると相当ハードだからそこまで打ち込める学問でないと無理。
学部時代の専攻は国際経営なので、MBAが自然なんだろうけど、
MBAにはちっとも興味がなかったし。。。
調べるうちに広報でマスターの学位が取れることを知って、
「これだ!」と思った。
そもそも日本における広報ってまだまだボンヤリしているし、
学問の分野としては全然確立できてない。
今までの自分のキャリアを棚卸ししつつ別の学問的なアプローチを行うことで
その後へとつなぎ幅が広がる、、。

これはもう行くしかないかもね?

すごく単純化するとこんな感じです。
もちろんこれ以外にも小さな理由はたくさんありました。
S社からM社に転職する時も実感しましたけども、
人が重大な決断を下す時の理由というのはひとつじゃないのですね。
昔はWhy?に対してたったひとつのBecauseを求めていましたが、
Becauseがいくつもあってもいいんだ、と知りました。
ちょっと大人になったかな??

さて、ここまでクリアに大学院進学への道が見えてもなお、
1年くらい迷いました。
受験勉強に耐えられるのか、合格したところでついていけるのか。
不安は尽きなかったからです。
でも「いつかっていつよ?」って自問自答しながら
重い腰をあげて勉強を始めた2005年1月。
その後はもう考える間もなかった。ノンストップでしたね。。

合格通知をもらった時はうれしかった、
というよりもホっとしました。
今までのいろんな投資が報われたー!ってな感じで。

留学します

2006年05月24日 | 留学準備
わたくし、えみちは現在のお仕事を6月いっぱいで卒業しまして、
7月末から米国の大学院に留学します
ミシガン州立大学(Michigan State U.)広告広報学部(Dept. Adv. & PR)の
修士課程で広報学を専攻します。

この話をすると皆さんに物凄く驚かれますが、
実は2005年の1年間をかけて準備をしたプロジェクトだったのでした!
(落ちたら恥ずかしいから内緒にしてたの。)
今だから言うけど、去年は本当に辛かった。。
長い長いマラソンをずっと走り続けていて、
途中勢いよく走っていることもあれば、
辛うじて足を前に出しているだけ、という感じの時もありました。
先が、ゴールが見えなくて途方にくれて、
後ろを振り返ってみたら今度はスタート地点が見えなくて、
思いのほか遠くに来たことを実感し、
「もう戻れない」と腹をくくったことも
今となっては懐かしく思い出します。

もちろんその間も仕事はしていたわけで、
120%の力を仕事に注げなかったのは申し訳なかったなと反省しています。
(決して手は抜かなかったつもりだけど)
その代わりこの間にバランス感覚だったり、
タイムマネジメントだったり集中力だったりがすごく磨かれた気がします。
多分それはこれからの留学生活でも役立ってくれることだろうと思います。

ブログ開設

2006年05月23日 | 留学準備
大学院受験中から合格に至るまで、
合格が分かってから退職・渡米までの間に様々な形で
たくさんの方々からサポートをしていただきました。
その方々に心からの感謝を込めて。
また、今後の自分の状況を知っていただくために
本ブログを開設いたします。

渡米してから書き始めようと思いましたが
準備のことも書いておこうかなと、
まずは別のところに書き留めておいたものの転載から。

早くリアルな日付(本日は7/9)に追いつくべくピッチあげていきます!