松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

本田木蝋工業所

2010-03-29 23:29:29 | 復活奮闘日記
島原市の本田木蝋工業所へ行ってきました。今回の訪問は二回目です。

上の写真の通り、入り口は重厚な門ですね。

こちらが櫨資料館。


中に入ってみると…

櫨やろうそくに関するいろんな資料が集められています。玉絞り全盛期だった大正時代の頃の写真もありました。

それに平成3年の普賢岳噴火の時に空から落ちてきた溶岩。

あの噴火の時、こういう直径40cmぐらいの岩がドーンドーンと千本木地区を中心に落ちてきたんだそうです。おかげであのあたり一帯に広がっていた櫨畑は燃え尽きてしまいました。「昭和福櫨」という優秀な櫨蝋の原木も、その時に失われてしまったのだそうです。

こちらは蝋を搾り出している真っ最中。

大正時代の鉄の玉絞り機械が、まるで蒸気機関車みたいな動きで動いています。この時代の機械は重厚な魅力がありますね。

櫨の実を蒸して伝統的な玉絞り機で絞る製法は日本でもここだけになってしまいました。コストパフォーマンスから言って、玉絞り製法はお世辞にも良くはありません。昔の機械ということもあり、残念ながら約30%の蝋もれがおきてしまっています。

しかし石油由来の化合物であるヘキサンで抽出する製法に比べると、遥かに人体に良いのは間違いありません。手がけ職人からはやはり玉絞り蝋でないと石油製品独特のカブレが起きてしまうと言われています。

大正時代の玉絞り機が2010年の今でも稼働して蝋を搾ってるなんてスゴすぎる!

昭和のチンチン電車が海外で活躍してるという話は聞きますが、それ以上の奇跡のような風景が日本にあるんです。

このような風景がいつまで見られるかはわかりません。大正時代までは繁栄を誇ったものの昭和の時代になり高度成長期に、玉絞りによる製蝋所は次々に閉鎖に追い込まれていきました。

もし玉絞りの最後のトリデである本田木蝋さんがなくなったら、和ろうそく職人は非常に困った状況に追い込まれることになります。

貴重な玉絞り蝋をなんとか将来的にも安定して続けていけるようにできないものか。

以前もそうでしたが、今回もまた後ろ髪を引かれるような思いで、帰りのフェリーに乗ったのでした。

↓押してくださると励みになります。

人気ブログランキングへ


福岡よかもん市場店「和ろうそく松山櫨通販サイト」へ