7月も時間が経つのが早い。あと一週間で終わってしまう。
そんなバタバタした日々の中でも、身内の不幸は万物の生死についてあれこれと考える機会を与えている。
死がとてつもなく遠いものだったのが、生活の中に急に入ってきた感じだ。しかも全く馴染みのない仏教から見る他界はあまりにケニヤのゾウの世界からはかけ離れている。
その巨大なアンバランスが時間の感覚を狂わせているのかもしれない。
死が悲しいというよりも大宇宙の力に吸い込まれていった故人の大きな旅立ちを見ている気がする。だからふと故人が戻ってくるような錯覚もある。
フィールドに戻って万物の悠久なる大自然の力に身を任せて対話をすると、また違った他界が見えてくるのだろう。そういう自分を見るのが楽しみだ。
そんなバタバタした日々の中でも、身内の不幸は万物の生死についてあれこれと考える機会を与えている。
死がとてつもなく遠いものだったのが、生活の中に急に入ってきた感じだ。しかも全く馴染みのない仏教から見る他界はあまりにケニヤのゾウの世界からはかけ離れている。
その巨大なアンバランスが時間の感覚を狂わせているのかもしれない。
死が悲しいというよりも大宇宙の力に吸い込まれていった故人の大きな旅立ちを見ている気がする。だからふと故人が戻ってくるような錯覚もある。
フィールドに戻って万物の悠久なる大自然の力に身を任せて対話をすると、また違った他界が見えてくるのだろう。そういう自分を見るのが楽しみだ。