桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

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2012・5・31

2012年06月01日 | Weblog
新藤兼人さんのお名前を初めて聞いたのは、20歳の時、意外にも亡くなった父親の口からだった。防衛庁の研究官でありながら国際問題と軍事問題の評論家だった父にとって映画監督なんか、特に当時日本映画の独立系の監督だった新藤兼人さんなんか知っている理由がない。後に映画女優になる妹のKもまだ高校一年だ。それなのに父は、大学受験に失敗している内に大学にいかないことを自己正当化して演劇とが映画にのめり込んでいた長男が将来はシナリオライターになりたいので脚本家スクールへ行くお金をだしてほしいと頼んだ時に、本当に脚本家になりたいのならフィルムの現像所で働け。新藤兼人という映画監督はフイルムの現像をしながら映画の作り方を学んで脚本をかけるようになったんだぞと、今にもコネのあったY新聞の映画部を紹介しそうになったとのだった。ちょっと待ってくれよ。俺はシナリオを書きたいんで、フイルムの現像をしたいんじゃないんだ。そんないい加減な嘘で俺を脅かして脚本家志望を諦めさせようとしても無駄だよと心の中で反論したのかとりあえず頷いたのか今となってはよく覚えてていないけど、そしてどういう事情で現像所送りにならずに、脚本家スクールに通う授業料を出して貰えたのか分からないけど(多分は母のヘソクリだろうと思う)、そのスクールでの一番最初の授業が新藤兼人さんだったのも何かの縁だった。俺は一番最前列の席に坐って新藤さんと「お会い」した。そしてそこで語られたのは本当に現像所でフィルムの一齣一齣をチェックしながら映画と脚本の構成を学んでいったという修業時代のことだった。父の言ったことは事実だったのだ。でも、何故父はそんなことを知っていたのだろうか?今となっては想像するしかないが、きっと脚本家になりたいなんて言い出した何事にも根気のない長男のことを母から聞いて、脚本家になるにはどうしたらいいのか知り合いに聞いたり調べたりしたのだろうか?ふとそんな想像力の働いた俺としては、今度こそ逃げる訳には行かなかった。新藤さんの書かれた「シナリオ修業」という著書の中に、新藤さんが私淑した溝口健二監督に脚本を見せたら、これは脚本ではない、ストーリーだと言われたのにショックを受け、古本屋で世界戯曲全集を買ってきて、一年間部屋に籠もって全巻読み続けたというエピソードがあるのを真似て見ようとした。更に新藤さんはデビューするまでに柳行李一杯の習作を書きためたと言う逸話も真似てみようとしたことはした。両方ともみようとしただけで、戯曲全集はイプセンとチェーホフくらいでギブアップ、習作は行李の底がまだ埋まらない程度しか書けなかったけど、でも、とにかく数年後には脚本家として食っていけるようになった出発は新藤兼人さんだったのだ。そんな新藤兼人さんがなくなった。その後は一度内輪のパーティで一度お目にかかってご挨拶をしただけだったし、乃木坂に店が移ってからは作家協会のパーティでウチの店に来られたこともあっただけで、親しくお話をしたことはなかったけど、すぐ近所にお住まいということもあって、新藤さんを介護的に面倒を見ている孫の風さんが新藤さんが眠ったすきに飲みに来て、「兼人クン」を介護する苦労話を愛情を籠めてしていったりしたもんだから、いつの間にか新藤兼人さんは俺にとって大先生の地位から女友達のお祖父さんになってしまっていた。だから訃報をきいた現在、俺は一人の偉大な映画人の死としてより、風さんのお祖父さんがお亡くなりになったと言う感慨の方が強くなる。多分しばらくは風さんには会えないだろうから、ここで六年間お祖父さんの介護、お疲れさまでしたと風さんを労おう。そしてしばらくしたら今度は映画監督でもあるあなたの出番が待っているよと檄を飛ばしておこう。●COREDOプロデュース・津森久美子ファドライブ『リスボンの夜vol3』ポルトガルギター演奏・西村輝彦、6/24(日)開場12時開演14時・料金3000円 ~ご予約お問い合せはコレドシアター03ー3470ー2252まで、

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