ベンガルのうた・内山眞理子 

内山眞理子の「ベンガルのうた」にようこそ。
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タゴール生誕150年 8月7日は没後70年命日

2011-08-07 | Weblog

 

 

          

 

 1941年8月7日、コルカタの生家にて、タゴールは最後の息を引き取りました。

80年と3カ月の生涯でした。その生涯は、英国支配確立による祖国インドの

激動の90年に重なります。

 

 タゴールの生家は、今、タゴール・ミュージアム(タゴール・ハウスとも)と呼ばれ、

一般公開されています。

 そこには、詩人の生きたあかし、さまざまな記録、メモラビリアが保存されています。

その中には、シャンティニケトンで学ぶ貧しい子どもたちのために、寄付をお願いする内容の、

何通かの手紙もあり、胸を打ちます。

 

 そして詩人逝去を報じる1941年8月8日付Hindusthan Standard (Calcutta Edition)。

Golden Voice to be Heard No More の見出しで。

「詩人であり博愛主義者であったタゴールが永遠の眠りに。葬儀はニムトラ火葬場にて」という記事内容。

 最後の瞬間の詩人のようすは… 

 As the poet lay in eternal sleep, his face serenely calm, his eyes gently closed,

his snowy beard reaching up to his breast, his silken hair waving in curls, his

white forehead pasted with sandal mark and his soft, smooth and fair body bathed

and clad in silken robe, it was difficult to imagine that he was dead.

 

 さらに、その死を悲しむ人びとのようすを拙訳にて紹介させて下さい。

「棺が運ばれてゆく道すじでは、周囲の家々のバルコニーや屋上テラスから、

詩人への愛と敬意をこめて、花が雨のように降りそそいだ。

 棺は3時45分にタゴール邸を出発。

 ヴィヴェーカーナンダ通り、チットランジャン・アヴェニューを経て、カレッジ・ストリート、グレイ・ストリートなど、

全5マイルの道のりを、ゆっくりとした歩みで、2時間をかけて進んだ。

 道みち、人びとにより花輪がつぎつぎに棺の上に載せられた。女性たちは競い合うように、さまざまな花、

薔薇の花びら、薔薇水を投げかけて、最後の別れを惜しんだ。

 人びとの唱える

           Bande Mataram (母なる祖国に帰命する)

       Biswa Kabi Rabindranath ki Jai (世界詩人ラビンドラナートよ、永久に栄光あれ)

 の声が空に轟きつづけた」

 

タゴール詩集『お母さま』巻末の「タゴール略年譜」より:

 ラビンドラナート・タゴールは第一義的に詩人であり、純粋な理想主義に立つ愛国精神をもち、

インド独立運動にも多大な影響を与えた。インドはタゴール死去後、1947年に分離独立を果たした。

 

 

 

 

 

 

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