10月5日佐倉市民ハイキングクラブ 特別企画「三嶋夢街道を歩く」に、カレッジの仲間と共に参加しました。
18号台風の接近で、天気を心配しつつ、ユーカリが丘を6時に出発しました。
総勢203名 バス5台の大所帯。
健脚コースは三嶋大社より出発
推奨コースは塚原新田より出発
楽組 は三ツ谷新田より出発
私は足に自信がないので楽組から
出発しました。(私が付けた名前)
バスを降りて広場で皆と準備体操をして、
歩き始めました。
友人たちは、一つ前で降りて、歩き始めて
います。
ゆっくり歩けばいいと思いつつ歩きだしたのですが、皆さんのスピードは速く、勾配はきつく、すぐアップアップしました。
箱根から三嶋は、下り一方で、逆から来るんだから、登りだけ。
申し込んでから、思い出し、心配した事が、的中。
しんがりの係りの方が、心配なさるので、名前を告げて、先に行って頂きました。ゆっくり、丹田呼吸で息を整え、一歩一歩、歩き始めました。
「こわめし坂」では、写真を撮る余裕は有りませんでした。登り切って、国道1号線を渡り、石畳に入ってから、ときどき、写しては休んでいました。
上の写真は、道標2枚と、山中城跡の本丸跡と蓮池です。
203名の方々がどこへ散ったか、殆ど誰にもお会いしませんでした。仲間と行ったのに、山中城跡で、幹事さん達と食事をし、分かれてから、山中城の非常に珍しい障子掘等の写真を撮り、一番のシャトルバスで箱根へ行き、遊覧船に久しぶりにのりました。
箱根神社の赤い鳥居を湖上から見るのも久しぶりです。船から見たホテルの湯気に曇る窓を見て、日帰り入浴をしました。
お風呂を出てロビーに行くと、凄い雨でした。雨の中で、仲間と出会い、みたらしだんごでお茶をし、帰りのバスに乗車。歩きで雨に殆ど合わず、まずまずの旅でした。
大勢で出かけたのに、箱根旧街道(三嶋夢街道)は一人旅でした。
non_nonさんのスライドショウソースをお借りして纏めましたので、小さい画像にマウスのせてご覧下さい。
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その後天正十七年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は秀吉の小田原攻めに備え
急遽掘や岱崎出丸等の整備、増築を行いました。
しかし翌天正十八年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、四万の豊臣軍の総攻撃を受けました。
北条軍は四千で必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したそうです。
400年前の遺構がそのまま復元されている山城は非常に珍しく、
掘や土塁が良く残っており、箱根山の自然の地形を巧みに取り入れた山城で、
昭和9年(1934年)国の史跡に指定されています。
壮絶な戦いのあった山中城跡
つわものどもの夢のあと
参考 三島市観光協会パンフ