益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

自民党議員諸君心配スンナよ!!!国民は馬鹿だから自民党の天下は続くよ

2006-12-15 22:29:45 | Weblog

 

          画像は富士川SAからの冠雪富士 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

政治家が、議員が、国会が、如何に国民を馬鹿にしているか・・・は何度言っても、どのように指摘しても、どうってことはない。何の変哲も無い。
我国の政治家は遣りたい放題が出来て、下は地方公務員まで・・・村民、町民、市民、県民,道府民・・・国民を蔑ろにして税金を搾り取り、無駄遣いし、私物化し、私腹を肥やしその挙句が、どうってことはない。何の改善もない。平然と、当たり前の如くその遣りたい放題な事が繰り返され続くんだ・・・。

国会にシナリオがあり、官業癒着し、相撲界に八百長がある・・・そんなことは昔から囁かれてきた公然の秘密であって珍しいことではない。
当ったり前の事として罷り通ってゆく社会現象の一つだ・・・まともに考えてはいけない。今に始まったことじゃないのだ。社会には、この世には・・・表なら表だけの、裏なら裏だけの一面だけで成り立っている道理なんてそもそもがそんなものではないのだ。裏と表の世界が歴然と存在していて、御尤もな面してぬけぬけと如何にも真実はこちらでござい・・・とばかりの面を見せて通り抜けるものなのだ。

まともに受け取って腹立てようが、知って気付かぬ振りしようが、端から無関心で居ようが、何にも変らないさ。変る訳はないのだ。諦めるがいいぜ・・・諦めたって、抗うたってどうせこの世は変らない。世直しなんか出来やしない。出来ると思うのは錯覚だ。出来たと思ったその時点からまるで起き上がりこぶしのように、新たな正義面した奴等が現れて同じことを繰り返して行くだけさ・・・(笑い)

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纏まり悪さ序に・・・

2006-12-11 21:09:57 | Weblog

 

            画像は富士川SAからの冠雪富士 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

今年5度目の四国帰省が一本の電話で決まり、済ませてきた。殊に4度目の場合の3度目からの帰宅してからの間隔日数、5度目の4度目からの帰宅してからの間隔日数が10日~12日で、気忙しく行き来したことになる。福島へ行ったことを含めば二ヶ月平均ごとに動いたことになる。

その内2度が不幸ごとで、思えばこのところ兄弟姉妹が顔を会わすのも不幸ごとが多く、皆がそういった年齢に差し掛かり、互いに歳を取って来たことを痛感せざるを得ない。兄弟姉妹お互いが交わす挨拶も身体を気遣うことが多くなってきた。

纏まりの悪い兄弟姉妹たちではあるが、縁あって兄弟姉妹の関係で今生をこれまで過ごしてきた者として、それを喜び感謝し合い、親睦を深めるための一席を企画してみようかと思うこの頃である。

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誘惑に負けて・・・

2006-12-05 20:07:10 | Weblog

 

                画像は銀杏の落葉 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

自動車で通る度に目に付いて気になるところがあった。三浦半島の京浜急行電鉄久里浜線の終点、三崎口駅の近くで白地に「砂丘」と書かれ赤色の矢印が細い農道の奥へ向けて指示した、手製と思われるシンプルな小さな看板があった。その矢印の向こうが海でそこにどれ程の規模かはさて置き「砂丘」らしきもの、思しきものが存在する・・・のを想像させる看板であった。何回となくその存在を確かめたくなる誘惑に駆られながら果たすこともなく打ち過ぎていたが、去年の初冬思い切って気紛れにその農道へ侵入してみた。

「あれっ!どうしたのどこへ行くの?」家内は驚いて私の馬鹿げた野次馬行動に呆れ顔をしながらも「期待しない方がいいわよ」と結果をまるで見透かしでもしているような口ぶりで、付き合うしか仕方のない身で往くほどに沈黙した。道は畑の外れに横たわる防風林の一部に入り一層狭くなった。「引返した方がいいのじゃないの?・・・」家内は行くも返すもどうにもならない羽目に陥る袋小路の恐ろしさを想像している発言だった。

家内が恐れるのも無理も無いのである。これまでに私は何回となく家内の忠告を押し破って、興味本位に乗り込んだ末、ハラハラドキドキしなければならない窮地を経験させ、無事脱出に成功してはいるもののその都度心臓の悪い家内を文字通り肝の冷える思いに至らしめていたのである。私は家内の危惧を無視した・・・というよりも、もう既にそこでは転回の場すら見当たらなかったのである。進むしかなかった。

言わないことではなかった。家内の危惧が現実味を帯びた。おやっ・・・道が無い!と思わねばならないほど重なり合っていて、家と家の間に道があろうとは思えないほど接近して見えるその場所では、思わずブレーキを踏んで一旦止まったほどであった。一瞬どうしようかと迷ったところへエンジン音が聞こえてどうやら車が出て来るようであった。運転していた女性に「オバカさん!」とでも言いたげな一瞥をされそこを何とか抜けると海が見えた。

「海だ!」私の頭の中には規模は兎も角「砂丘」が浮かんでいた。その予感を盛り上げるかのように少しだけ道幅が開け、私は期待でちょっとだけスピードを乗せた・・・その視線の先に「砂丘」の看板である。農道の入り口のものも小さいものだったが、それよりも更に小さな看板が防風林の立ち木の一本に掛けられていて、その矢印が右下を指示し「駐車場」と書き足されてているのが見て取れた。私はハンドルをきった。正に入らんとしてそこでブレーキを踏んでしまった。正面に「民宿砂丘へようこそ!」と帯看板をその屋根上に張り巡らしている家屋が目に入った。左へハンドルをきり直しさらにちょっと進むと視界が開け、小さな入江と狭い砂浜があり、大笑いする為に車を降りた。

因みに砂丘は鳥取砂丘、南遠大砂丘(静岡) 、吹上浜(鹿児島)が挙げられるらしい。帰途私が思い出し笑いをしていると、「どう~?気が済みましたか?・・・」家内が揶揄っぽくポツンと言った。

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うひゃぁ!!!冬の薄ら寒い空と銀杏

2006-12-04 21:22:04 | Weblog

 

           画像は 薄ら寒い冬空の午後の銀杏 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

AM8時気温10℃、湿度60%。各地この冬一番の冷え込み。富士山が綺麗に見えたらしい。早朝地震があった。ニュースによるとAM6時8分頃で震源地は千葉県北東部。茨城県鹿嶋市で震度3。我家では微震を感じただけであった。うとろうとろしながら2時間ほど過ぎたところでエアコンのスイッチを入れ、ゴミ出しに起きた。

昨日町内清掃日で落葉の始末が出来ていたので辺りは殊の外綺麗だったが、ゴミ袋の数はすさまじい多さだった。先日の低気圧の所為で我家で掃き集めた落葉は大袋3袋半もあり、生ゴミの袋と一緒に出した。

 田舎から電話があって送っておいた写真が届いたと喜んでくれた。有効枚数240枚を10枚の両面印刷紙にアルバム編集して送ったもので、雰囲気だけは伝わりそうであった。

そして今日は道の駅で偶然出会った別の従姉へ「アイスクリーム食べよるところなんか撮りなや・・・」と嫌がった一枚を送った。「あそこのアイスクリームは美味しいですね。またばったり出会ったりするかもね」と書き添えて・・・。(笑い)その郵便局からの帰途見かけた銀杏を撮った。

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頓馬が欠伸している

2006-12-02 19:42:41 | Weblog

            愛媛県松山市内・近郷の方御贔屓にお願い致します               

                 画像は四国路の紅葉 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

AM8時42分13℃、湿度65%。今日は甥の大輔がスタイリストとしてデビューの日である。昨夜も電話の声がきらきらと輝いて聞こえてきた。彼のこれまでの努力に惜しみない拍手を贈ってやりたい。彼の場合、大学卒業後一旦就職していた会社を辞めて、目指した道が遅いスタートであったことで、年齢的な焦りがしばしば彼を挫けさせようとしたり、自棄にならせたりしたが、その度によく思い止まり頑張ってくれたものだ。

私もその遅い転職の経験者で、私の方が彼よりも更に十年近く遅い年齢からのスタートだったことを思えば、彼はまだ独身であり、「気持ちは解るが性急なことを望んでもいけない」大事なことはじっくりと取り組むことだ・・・ということを常に説いた。今日のこの日を彼が迎えてくれたことは私にとっても無上の喜びである。

 当時の私は勿論結婚して子供も居た。既に不可思議な現象が自分の身体を通じて現れ始めていた折も折り、それを如何に活かすか・・・に思い悩んでいたある朝。「治療家となれ!」という天の声を聞いて目覚めた。私はそれを家内に話して、その道を選ぶまでに躊躇はなかった。が、義母の言葉ではないが「木の空に(梢の先端)いるような・・・」気持ちで5年間を賭けて資格を取った。思えば元気なだけが取り得の自分には打ってつけの仕事だった。

天の声はまさに私にとっても私達家族にとっても「天の助け」であった。が、この「天の声」は現在、官製談合で地方首長の意向を指していうものらしい。この意味で「天の声」が新語・流行語大賞の銅賞を受けたのは13年も前のことだというが、今日現在もその意味するところの官製談合が日本列島を駆け抜けている。

宮崎県知事がインタビューに応えて「天の声はないんだよ・・・といつも言って来た云々・・・」と言っているのを聞いた。こうした意味合いがあることを知らなかった私はどうやら矢張り頗るつきの頓馬が欠伸している様な人間だなぁ・・・と苦笑するしかないようだ。(笑い) &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&


丈六寺

2006-12-01 16:58:05 | Weblog

 

           画像は 四国路の紅葉 (クリック拡大)

益鳥の身辺余話

亡命先のロンドンで奇っ怪な死を遂げたロシア情報機関元中佐の尿からポロニウムが出た。暗殺説の色濃い事件のことで、何故か丈六寺を思い出した。徳島の徳島市丈六町丈領にあるこの寺を訪れたのは、もうかれこれ30年も前のことだ。丈六寺の血天井を見に行ったのだ。

戦国時代、四国平定をもくろむ長曽我部元親が阿波侵攻したさい、室戸海部回りの南方からの軍勢は、富岡城主新開遠江守忠之の勇戦に阻まれた。そこで、謀略戦に変更し、平定後の好条件のかわりに富岡城を開場することを提示し、和議を丈六寺で行うこととした。和議成立後の祝宴で酔った新開主従が帰ろうとして縁側に出たとき、がげに潜んでいた武士たちが斬りかかり、討ち取られた。その時の血の付いた手形が残っており、その縁側の板で後世に天井を作ったとされる・・・と解説されている。

当時のしかも新開主従ほどの武士が単なる酒による酔いぐらいで易々と討ち取られたとは信じ難い・・・つまり毒でも盛られた故のことならあり得ることだと思ってのことだったように記憶している。勿論ここを訪れたからといってここにその解明の鍵が存在するわけではないし、またそれを期待しての訪問でもなかった。ただ和議が行われたという寺、新開主従が討ち取られたという詳細に亘る位置は兎も角、その現場となったとされている寺、「丈六寺」の雰囲気というか、匂いというか、そうした現場に身をおいてそこから語りかけられる何かを自分なりに期待してのことではあった。

あれからその思いは私の中で時を止め、記憶の片隅に打ち捨てられたように蹲った腐土の塊りと化していた。が、それを何故か突然思い出させた暗殺と推察される今回の事件である。どこにも、何も繋がりのない記憶が何故思い出されたものかは兎も角としても、何だか我国でも起こりうる体制作りがじわじわと感じられる昨今にあってみれば、これが対岸の火事では決してなく我国のみならず世界の危機、人類の危機が迫っていることに不安と脅威を覚えることも確かである。

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