益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

特技

2006-11-30 22:00:50 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

AM7時31分気温15℃。湿度66%。寒々とした朝であった。咳がでたり、鼻水がでたり、身体が熱ばんだり・・・寒さはと言うより冬という季節が苦手だ。エルニーニョ現象が見られ暖冬の予想・・・気象庁の予報を信じたい。毎冬の詮無い望みなのだが、概ね当て外れなことが多く殆ど裏切られる事になる。まぁ、冬だから「寒い」ことは寒くって当たり前のことなのだがつい期待し願望するのである。


子供の頃からそうだった。老いては尚更苦手意識が強くなっても不思議ではなかろうが、一つに自分のこともさりながら、家内の免疫力の無さと活力不足が私にある一種の脅威を与え続けている季節として冬があり、私の苦手意識の一因ともなっている。

私のくしゃみは何故か大きい。それは確かに大きいと自認している。くしゃみは冬に限って出るものではないが、しかし風邪気味な時にその多くは催すところをみると、冬と関係の深い生理現象に違いない。冬の季語でもあり手元の季寄せには「診察室より先生の大嚏(くさめ)」石塚友一・・・とあって面白い。

「品の無いくしゃみ」とよく家内から小言を頂戴する私であるが、突発的に催してくる現象なれば品のよいくしゃみかどうか等と考えている暇などはないのである。確かにその連発に及ぶこともあって、「品」を糺されれば品が良いものではないであろう事は、私も否定するものではない。だからといってこの特技を他人の思惑に合わせる積りも、努力もしたくない。せめて嚏くらいは自由に「大嚏」して生きて行きたいと思う。(笑い)


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気もそぞろなる様

2006-11-29 22:54:30 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

AM8時41分気温15℃、湿度68%。今日は久しぶりの晴天。洗濯物をベランダへ出す。朝日が次第に陽射しを届けてくれる。もしかすると今日は富士山が見えているかも知れないような朝だ。しかし思いとどまる。家内の治療を終えなければ一日が始まらない我家の、私の日課がある。先日四国からの帰途静岡県富士川SA辺りから、富士山の雪を戴いた山容を前に左に後にと見ながら帰って来たばかりであるが、この富士山の魅力は我々夫婦にとっては貴重な心身的生命力エネルギー源としての一端がある。殊に家内は富士山を見ることが出来ることによって「元気」を貰っている。だったらいつも見に行けば良いじゃないかということになるが、そうも行かないのである。

富士は容易にいつでも眺められる山であるようでさに非ず・・・なかなか滅多に遭遇できる山ではないのだ。朝早起きの習慣があり、お天気に恵まれ、それも条件を充たしている時期のある時間帯に限ったり、見えるとなると一日見えたり、刻々とその姿を霞や雲の向こうに隠したりすることがあり、運がよければ目を見張るような容姿に遭遇出来るが・・・といった山なのである。

早起き,散歩の習慣のない私どもにはまさに運がよければ、気紛れに午後出かけたドライブの折などに見ることが出来ればもっけの幸いな僥倖の如く感じられるお付き合いなのである。家内の体調が今朝からやっと良くなってきた。調子よくなっても余人の如くはいかない。私にとってはガラス細工を扱うような気持ちで居なければ、到底その体調維持は覚束なく気を遣わねばならないのが何時ものことなのである。

家内の母がよく言っていた、「木の空(梢の先)にいるようなものじゃ・・・」といった心境がこんなものではなかったかなぁと思ったりする。九人の子供を育てた義母のそれらの子供を一人前にするまでには、毎日が、「木の空(梢の先)に居るような」気の休まることの無かったことを振り返って表現した言葉だった。その義母の育てた子供の中の一人、家内と夫婦となり私がその心境を受け継いで居るのであるが、家内との生活は私にとって掛け替えの無い幸せな生活であって、不服や不満、愚痴の種に俎上にあげる積りはないが、思えば人間誰しも「木の空に(梢の先)身をおいている様な」気もそぞろなるものかも知れないなぁ・・・と思うのである。

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祝杯

2006-11-28 19:43:20 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

今日も雨模様・・・7時31分気温17℃、湿度67%。不燃物のゴミだし日。お隣の奥さんとお二人の奥さんの路上会談がなかなかに喧しく続いていた。「お早う御座います」お一人が言って他の奥様もそれに習う。「お早う御座います」の挨拶を返す。位置を移動して会談は継続されていた。当番札と記録ノートを次の方へお願いする為に、その方のお家を確認して訪ねる。チャイムを鳴らしたが応答はなく、気配もはっきりしない。人様の玄関先でうろうろするのは禁物である。傍らの郵便受けに入れて帰った。帰って直ぐに電話した。気配が無くもなかったからであったが、矢張り留守番モードになっていた。用件を喋って受話器をおいた。

今日は配達日指定の注文品が届く日でもあった。それと妹が出張の為上京して来る日であり、その息子即ち甥がモッズヘアのスタイリスト試験を受ける日でもあった。配達の知らせや、妹の電話は何ていうこともないのであるが、甥の電話に始まり電話に終わるその始まりと終わりに付いて来る結果の重みが、冬空の重く垂れ込めた雪雲のような一種の圧迫感を感じさせる性質のものであれば、いい結果であれば話は自ずと別であることは言を待たないが、問題は逆の結果の場合のことである。「だいじょうぶだろうか?」と問われて「大丈夫だ」と言いつづけて来た私としては、殊更にその意味合いと重さに違いがあることを、どうしても避けて通るわけには行かないのだ。

電話が鳴った。「今終わったところなんやけど・・・」「あっそう・・・」「大丈夫だろうか?もう結果は分かっとると思うんやけど・・・伯父ちゃんどうやろ?」「大丈夫だよ。必ず通ってるよ。合格さ!」「だったらいいんやけど。ありがとう・・・ご免ね度々電話して・・・」「いやいや。まぁ安心して待ってみなさいよ」「ええそうするわ」・・・と電話を一旦切った。その後30分が過ぎ、5時を回っても電話が鳴らない。若しや駄目だって電話がしづらいのではないか・・・大丈夫と言い続けて来た私の気持ちが一瞬動揺する・・・。

風呂から出て意を決して慰めのメールを打とうとした時だった。電話が鳴った。私は甥の名前を確認して受話器を握った。甥の「大輔だけど・・・」の一声で分かった。「合格やった」「ああ、そうか。良かったねぇおめでとう!おめでとう!」「いろいろ有難うございました!」「いやいや。良かった!ところで本当なんだろうねぇ?合格って?」と私の方が逆に思わず口走ってしまう始末だった。「伯母ちゃんへもよろしく・・・」甥の嬉しそうな弾んだ声音が受話器を置いた後も耳底にいつまでも残った。夕食は心配を共にした家内と祝杯を挙げた。

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ゴミ当番

2006-11-27 20:03:29 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

今朝はゴミステーションを出し収集車が収集作業完了後の周辺清掃の当番で、6時に起床。気温14℃、湿度66%。昨夜遅くからの気紛れ雨がまだぱらついていた。先週からの適切な選別が出来てなく、収集されなかったゴミの袋がそのまま残されたままだ。いまだにいい加減なことをして平気であり、迷惑をかけることが明らかな無責任行為が後を絶たないのも情けないことである。

昼過ぎから空が明るみ雨は止んだが、青空を拝めるほどでもなかった。子供宛の宅配便発送依頼にコンビにまで行き、「雑貨」と申告した。雑貨としておけば管理場所へ入れて帰ってくれるが、果物などでは業者は持ち帰って再配達になるらしい。正直が時に不便なこともあるのが世の中というもので、そのために方便というものがその穴埋めをすることになるらしいが、飽くまでも罪の無い内容で、御他人さまにご迷惑の及ばない範疇に限られるのがその建前というものであろう。人の迷惑を顧みることもない無責任行為とは本来一線を画すものに違いないと思うのだが、今日では堂々と「嘘」が本物然とした厚かましさで罷り通るのも珍しいことではない。

それだけではない。政府から庶民生活の端々まで「信じられること」がなくなりつつあり、「まとも」なことが「異常な」ことに席巻され、世はまさに荒廃の一途を辿ってその落ち着く先が格差増幅社会、犯罪地獄、自殺者増加社会、加えて軍事国家への逆行暴政がその鉄路を敷設強行するようでは、「美しい日本」は安倍政権の国民を謀る最大の「虚偽偽善地獄大国日本」実現への合言葉でなくて他の何であろうか・・・。



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不思議な世界

2006-11-26 20:18:15 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

AM9時54分気温12℃、湿度64%。曇り・・・。昨夜子供が帰って来て一時頃まで話が弾み、朝寝坊してしまった。夕方6時ごろからバンド仲間との練習があるのみで4時ごろまで家に居れるという。午後、家族の健康メンテナンスを全面的に受け持っている、ホームドクター的存在の我輩の治療を子供に望まれ施術した。私の治療法には心霊治療的要素が多分にあって、私の授かった能力的一種独特の「治癒力」が対象者自体の治癒力を鼓舞高揚させるらしい。子供もすっきりして出掛けて行った。

先日代官山のある喫茶店で江原さんを見かけたらしく、子供からのメールを受け取っていたこともあってその話が弾んだ。子供の勤務先の社長は「心霊的不可思議な世界」にかなり興味があるらしく、江原氏に一度見てもらいたいと常々言っている程の、強い願望を抱いている人物であるらしいが、ちょうどその時喫茶店に居合わせてはいたものの、ある人物と懇談中であって江原氏に気付きもしなかったようだ。
後で「何故言ってくれなかったのか・・・」と残念がったことは言うまでもないが、社長は懇談中でとても、「江原さんですよ・・・なんてお知らせ等出来ませんよ・・・」と言った子供に一頻り悔しがったそうだ。

近々手狭になった取引先の会社が現在の場所を引き払い転居するらしい。その転居先がどうもう「出る」らしいという噂があるところだという。それを聞いた江原氏フアンの社長がのたまったそうな・・・「うちの00を連れてったら真偽のほどは直ぐ分かるよ」我家の子供の霊感も身近な人達の間では認知されているらしい。不思議な世界が我家では有り難いことに普通の出来事であり、その恩恵に浴しているということが寧ろ不思議と言えば言えるだろう世界なのだ。

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デジカメ

2006-11-25 20:03:13 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

今朝は7時55分12℃、湿度59%。嫌な季節の到来をどんどん認識させられて往くのもこの移行期のことだ。四国路ではまだまだ紅葉の名所がこれから見ごろを迎えるところもある様だった。こちらでもまだ間に合うところがあるのではないかと思う。鎌倉瑞泉寺は12月上旬から下旬まで楽しめるらしい。

祭りの写真の整理にかかったものの、どうも出来が良くないものばかりで途方に暮れる。こんな筈ではなかったのだが、今更悔やんでも仕方がないことであることは解ってはいるが、ガックリと気落ちした意気消沈振りが身体に応える。気を取り直して整理にかからねばなるまいと自らに言い聞かせる。

私のカメラは200万画素の5年ほど前に子供から譲られたコンパクトカメラで、今日この頃画素数のうなぎのぼりを競う各社自慢のカメラと違って、それらの売り出しのチラシを横目に睨んで、いまだ「これで良いじゃん・・・」と納得ずくの代物ではあるが、今回の出来栄えがカメラの所為であるとは考えようがない。そんなことは考える以前に無関係であることは明らかであることを、自分は知っている。カメラの所為などにする・・・そんな惨めったらしいことを考えるような人間ではありたくない。

今回の出来栄えがカメラの所為などではなく、自らの失敗がどこにあって、この結果が出たかは、よく解っているのだ。それを転嫁しようなどという気は更々無いのである。しかしそれが解っていればこその、どうしようもない悔しさの大きさに自らを苛んで今日が暮れた。00と鋏は使い様・・・捨てがたいカメラの魅力はまだまだ、こんなことがあった位では諦めきれないものがある。「もったいない」から当分失敗を繰り返しながら付き合ってゆきたいと思うのだ。


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お互い身に沁む感慨・・・

2006-11-24 21:54:32 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

地域で一番遅い秋祭りを見に帰って来た。私は高知の出身だが、親戚が愛媛県に住んで居るため愛媛と縁が深い。先にも書いたが今年4回目の四国帰省となった。祭り以外の帰省の一つの楽しみに、先輩ご夫婦のお家を訪問して御挨拶かたがた歓談の刻を過ごすことが出来れば幸せこの上ない・・・との思いを抱いての帰省でもあった。

午前中に家内がお訪ねする旨のTELを入れて愛媛に到着した日のその午後、早速先輩ご夫婦のお家を訪ねた。貴重なお時間を割いて快く私どもにお付き合い下さり、清澄な秋空を仰いだ時のような爽快感を味わいながら歓談すること2時間余り、名残を惜しみながら辞するともう早い日暮れが迫っていた。

先輩は半年前に、冬の積雪で傷んだ車庫の屋根の補修作業中、梯子から転落し左足足関節部骨折をされていた。勿論メールではお見舞いを申し上げては居たものの、今回お家をお訪ねしたのには、遅くれてしまって申し訳のない話ではあったが、そのお見舞いをも兼ねていたのだった。

すっかり良くはなられて居る様であったが、まだ体重がかかると痛みが感じられるとのこと・・・完全治癒にはまだまだ時が掛かりそうであった。お家を辞する前に現場を見せていただいて驚いた。「こう言っちゃぁ変な表現になりますが、良くまぁ・・・足の骨折だけで済みましたですねぇ」と思わず言ってしまった程の高さと険しい傾斜地であり、下は側溝のコンクリートとアスファルトがあるところだった。

辞する時お互いが「気をつけて下さいよ・・・」と言い合う形になってお別れした。私方も今年は家内が二度転んで打撲骨折を経験していたので、お互い身に沁む感慨が言葉に籠もっていた。

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願わくばそこを天寿として・・・

2006-11-12 19:29:27 | Weblog
益鳥の身辺余話

AM9時17℃、湿度64%。遅い目覚めだった。一度5時に目覚めてトイレに行き、再び潜り込んだ所為で大抵こうした場合いつもそうで有るように寝過ごしてしまうのがお決まりのことなのだ。それも寒さが苦手の自分は寒い時期にこうしたことが多い。眠っているのだが気温をどこかで感じて「まだ起きたくない」と命令するもう一人の自分がいるように、だらだらと寝床の温か味を貪るのだ。自分の中に居るもう一人の自分・・・。

その自分の分身の中に、普通良心と呼ぶ真面目な役と、そそのかして悪戯っ気たっぷりな悪役を演ずる役柄のものとがいる。私は幸いにしてその分身的葛藤に悩まされることがない。殆ど決定権は端から良心的な支配下に「悪戯っ気」を差し挟ます隙を与えないで即決速断することが多い。殊に人が絡んでいることでは尚更で、その「人」優先指向が何の不思議も無く基本にあって、誰が考えてもそれを選び、そうするであろう結論を選び、自分にも恥じることのないことであるかどうかの条件を充たしているかどうかの斟酌を行い、決断へと推移する。

こうした自分のあり方に不満は無い。毒にも薬にもならない人間、人畜無害な人間という評価も甘んじて受ける。人に言われるまでも無く啼かず飛ばずの人生だが、これもまた自分らしく良いじゃないかと思っている。願わくば慾は言わないから、心身ともに自分の五体の統治権が有効で、命令指揮系統に乱れが来ない状態で、今まで生きてきた程の年月で良い更に長生きして、そこを天寿として全うしたいものだ・・・と考える。因みに自分の歳は現在67歳である。(笑い)

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身近に起きる実感

2006-11-11 19:44:41 | Weblog
益鳥の身辺余話

雨となった昨夜遅く四国の妹が電話してきた。私達はもうベッドの中だった。電話のディスプレイ画面に妹の名前が出ているのを確認して受話器をとると「ああ、兄さん!私よ・・・こんな時間にすみません」「いいえ」「そちらはどう~?こちらは今時折空が真昼のように明るくなっては1.5センチぐらいの大きさの雹が、恐いぐらい激しく降り続けているのよ・・・」「えっ!そうなの?こちらは雨だけだけどね。変だねぇ近頃のお天気は。予報では突風などの吹く恐れがあると言ってたからその所為だろうねぇ」「聞こえる?この音・・・」ウッドデッキとの境の掃き出し窓を開けたらしい。激しい雹が降り立てる音が受話器を通して聞こえてきた。「大輔が帰って来ないのよ。まだ・・・」「0時半過ぎか・・・ちょっと遅いねぇ。しかし、大丈夫だよ。何事も有った訳じゃなく帰ってくるよ」「そうやろかなぁ・・・そうじゃったらいいんやけど」「大丈夫よ」「もう帰ってくるやろか」「うん。間もなくだなぁ・・・」「ありがとう!じゃ・・・」

「誰だったの?」「ジョンだよ。雹が凄い降り方したらしいよ」「え~っそう・・・」「大輔が帰って来ないので心配になったらしいよ」「もう遅いででしょう時間。大輔どうしたんでしょう?」「さぁね・・・何もあった訳じゃないだろう。直ぐ帰ってくるからって言っといたよ・・・」「何も無けりゃいいけどねぇ」
再びベッドに潜り込んではいるものの、眠りにつける訳でもなく浮かんで来るままに物思いに耽っていると再びベルがなった。「兄さん私!今大輔が帰って来たから有難うねぇ・・・」「ああ、それは良かったね」これだけは伝えておきたかったのだろうそそくさと妹は電話を切った。私達も安心して眠りに就いた。

今朝は案の定の雨が時に激しく時に小降りとなり、また止むでもなく夕暮れのような暗さになって降り続いた。「本当に昨日行っててよかったねぇ」まるで合言葉のように、マントラのように私達は呟き合っていた。今夕の妹からの電話では、点検してみるとベランダの波板に三箇所ほど穴が開いているのが見つかったという。そして大輔は帰途走行中ピンポン玉ぐらいの雹が降りだして、ガード下でやり過ごしたのだと言っていたとのこと・・・幸い今朝点検したが自動車に傷はなく「絶対遣られてるんじゃないかなぁ・・・と思ってたんやけど、よかったぁ!」と言っていたそうだ。前代未聞のことが身近に起きる今日この頃と相成った実感を覚える話だった。


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恐い話

2006-11-10 20:53:49 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

今日は温かく良い天気で洗濯日和であった。遅い朝食を済ませ洗濯物を干した後新聞に目を通している時、「今日行っておかない?」と家内が言ったことによる急な思いつきで、洗濯物をベランダに干したまま午後買い物に出かけた。洗濯物を取り入れるのは夏とは違ってこの時期、3時30迄に取り込めばいい方で、4時になるとちょっと遅すぎる環境に我家のベランダはある。

出掛けるにあたってちらっと取り込んでた方がいいのでは・・・との思いが頭を掠めたのだったが、余りにも良い天気なのと家内が洗濯物の「せ」の字も、何も言うこともなく出掛けるところをみると、遅くとも時間ぎりぎり若しくは若干の遅れ位で帰宅の予定・・・なのかと勝手に推測して家を出た。一軒目で先ずはお目当ての品物を買ったところで遅めの昼食を摂り、その後もう一軒のデパートに移動追加商品を買って帰途についた。

道は渋滞が見られる時間帯となっており、間もなくスモールを点灯して走らねばならなく急速に帳が下りてきた。もう一軒スーパーに寄る予定を「もう寄らないで帰りましょうよ」と家内は言ったが、「寄って済ませようよ。どうせ洗濯物は今から帰って取り込もうが、少々遅れようが変りはないさ・・・」と私が立ち寄って帰ることを決めた。

したがってとっぷりと暮れた帰宅と相なったが、「洗濯物お願いっ!」と家内は夕食の支度に取り掛かった。入浴、夕食後「明日は雨らしいよ・・・今日済ませといて良かったねぇ」と天気予報を見たのであろう家内が言った。「明日は降るの?」「らしいわよ」「そうか・・・」「北海道はまた明日も注意が必要なんだって」「ああ、あれね・・・嫌だね。恐い話だね」


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国民の英知

2006-11-09 16:27:25 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

AM7時02分16℃、湿度61%。陽が射すと上昇する気温がPM3時30頃まで26度。この寒暖の差を初め、その他の極端な対極的大差を見せる現象を「極端現象」と呼んでいますと専門家が言っていた。この極端現象が気象の世界で近年頻発していることは、日本に限らない世界的な現象で、地球が病んでいる前駆症状とも言える憂うべき現象である。人為的要因がその主なることは指摘されて長く、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを目的として、気候変動枠組条約、京都議定書定書が締結されており、先進国等に対し、温室効果ガスを1990年比で、2008年~2012年に一定数値(日本6%、米7%、EU8%)を削減することを義務づけている。

世界の4分の1も二酸化炭素を放出しているアメリカがまずこの条約からの離脱を発表しました。2001年3月、ブッシュ大統領はアメリカが京都議定書から離脱することを発表しました。その理由は、
1) 途上国が削減をしない
2) アメリカの経済に悪影響がある
3) エネルギー政策は重要だ
というもの・・・。(*印内はWeb京都議定書ページより抜粋したものである)

ブッシュ政権は加えて正当な理由が存在しないにも拘わらず、情報操作等々に自国民のみに限らず、世界の各国国民を騙してイラク戦争に踏み切ったが、その正当性は存在しなかったことが次々と明らかとなり、今回の注目の米中間選挙で野党民主党が十二年ぶりに下院の過半数を制し、上院でも議席伯仲となった。

投票有権者の英知が実を結んだ結果と言えるすばらしい投票結果だ。ブッシュ政権の誤ったイラク戦争に真っ先に尾を振り加担した我国日本の政権、その首相の責任への審判はどうであったか。恥ずかしい限りだ。嘆かわしい限りだ。政界事情の基本的違いのあることを知らないわけではないが、国民が下す選挙という唯一の参政権の行使における有権者意識、民意の反映が我国のように、常に裏切られ、騙され、口先で誤魔化され、苦しみだけを押し付けられ続けながら、その政権に「NO!」を突きつけることが出来得た例がないというのも、何と言うお粗末で哀しい事なんであろうか。

国民投票法、教育基本法、ひいては憲法改悪への自公民政権の企てに、野党第一党「民主党」が肩入れしている我国の政界事情は、真の民主政治が機能している「民主国家」とは程遠いものだ。民主党は壊滅せよ!不要な政党だ!そして国民よ!如何にどの政党が必要で、投票権を如何に有効に「自分達国民の為の」政治が行える政党選びに行使するべきかに、真に目覚めなければ我国の上から下へ腐りきった病巣病症を呈している体質改善は実現することがないまま過ぎて往くだけであろうと思う。


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強風の贈り物

2006-11-08 21:06:00 | Weblog

 

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益鳥の身辺余話

今朝はAM7時28分15℃、湿度60%。昨日が立冬だったとはいえ、体感温度の差異は「暦上」のこと・・・といった感覚で推移するのだが、今朝は「やはり・・・」と思わせる肌寒さがあった。昨日一日吹き荒れた強風の所為で、葉をすっかりもぎ取られた梢が空を透かせて見せる。春から夏、そしてびっしりと梢に群がっていた葉が落葉するこの時期を迎えるまで、葉群で隠れて見えなかった谷向かいの数軒の住宅も姿を現してくる。裸木となった林の息を殺して冬に備え耐えゆくその静かなる闘志を感じながら、老夫婦が同じように春を待ってゆくのだ。

車庫や玄関前に吹き溜まった落ち葉を掃くと、ゴミ袋の大が直ぐ様2個できた。そしていずれ我家の前や車庫へ吹き溜まるべく路側に溜まっている落ち葉の20数メートルの中のせめて数メートルを掃くことにすると更に1袋が一杯になってしまった。更に家の周りを集め、その序にところどころ緑葉を覗かせている雑草をも抜き取る作業は、微砕石を敷き詰めているだけに正に手で拾うことが石を混じ得ない最善の方法だと思って続けているとはいえ・・・ちょっとの事だと思いついてはみても、何時もの事ながらその所要時間は結構忍耐を要し、腰の痛みを覚えさせられる作業なのである。しゃがみこんでのその作業を続けていると、大腿が冷え込んで来て今朝の寒さを実感することと相なった。

朝食の間初めてエアコンをつけて昨夜四国の兄弟が「こちらも寒くなって来たよ・・・霰が降ったんよ」と言っていた事が話題に上った。四国でも一番遅い秋祭りで雪が降ることもあるという。その祭りが近づいている。去年も帰ったが今年も帰ってみようか・・・と思案中である。去年は4回、今年も帰れば4回目の帰省となる。今年は帰るたびにスケジュール上の都合でご挨拶に伺えてない先輩御夫婦のお家がある。帰ってご挨拶することが出来れば、この上ない今年の旅の終わりをハッピーに飾ることが出来ることは間違いない。帰ることにしよう・・・かなぁ・・・結論を預けて買い物に出かけた。昼は朝と違って汗ばむほどの気温になっていた。

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転送された葉書

2006-11-07 16:21:36 | Weblog
益鳥の身辺余話

先日三年ほど前まで住んでいた住所地の、現在の居住者の方から電話を戴いた。「葉書が届いて居まして、失礼ながら読ませて戴きましたところ、とても重要そうな文面ですので転送させて頂きました・・・」といった内容だった。

丁寧にお礼を言って切ったのであったが、一日遅れで届いた葉書は、確かに(重要そうな)文面の葉書だった。子供宛に届いたその葉書は例の「振り込め詐欺」のいずれかのグループの制作投函したもので、名前を騙られた省庁や、被害者相談出先機関が盛んに注意を喚起、呼びかけしている葉書の一つであった。

PCで検索してみると、幾通りもにその文面や騙られた省庁名等によって分類されていた。まるで身に覚えの無い架空請求であることは間違いなかった。一応消費者センターに報告の電話を入れ、葉書文面をFaxした。私どもは転居して三年ほどになるが、子供は六年ほどにもなる旧住居地に届いたこの葉書。「振り込め詐欺」グループならではのミスが、私どもにとっては幸いであったが、「同窓会名簿」等が彼等のターゲット選びに使われている可能性が大きいのですよ・・・というセンターの話だった。

今や個人情報が管理されている妄想に安堵していては、情報漏れが結構甚だしく頻発しており、知らない間にどこで自分が素っ裸にされているか分からない事態も不思議ではない時代だ。今日の新聞に拠ると、やっと政府が一つの対応策を検討し始めたというニュースが出ている・・・これが被害者救済は本よりのことであるが、犯罪者の減少または根絶に結びつけばこの上ないことだと思う。以下はそのニュースの転載である・・・


振り込め・ヤミ金、不法収益を被害者に返還…政府検討

 政府は6日、振り込め詐欺やヤミ金融業者、マルチ商法などの経済犯罪の収益を犯人から没収し、被害者に返還する制度の検討を始めた。

 弁護士などを管財人に指名して損害賠償の訴訟を起こし、犯人の手元に入った違法収益を残らず拠出させる仕組みを検討しており、来年度中に制度の概要を固める方針だ。

 新制度は、米国の「違法収益の吐き出し制度」を参考に、金融庁が中心となって検討している。〈1〉事件発覚を受け、行政側が弁護士などを管財人に指名する〈2〉管財人は違法収益を隠した犯人の口座を凍結する訴訟を提起する〈3〉新聞広告などを使って被害者を掘り起こしたうえで損害賠償訴訟を提起し、判決に基づいて収益を吐き出させる――という流れを想定している。刑事事件の有罪判決を待たずに手続きを進め、被害者の迅速な救済を図るのが最大の目的だ。


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白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

2006-11-06 19:55:39 | Weblog

益鳥の身辺余話

明日は立冬を迎える。朝晩の冷えが厳しさを増し始める。敬遠気味であった、衣食住に関する温かいものへの関心と嗜好が自然に受容され、秋から冬へ季の移ろいをある驚きを以って、大きな発見と遭遇したもののように新鮮に感じられるのもこの時期ならではのことである。

その中でも酒が美味さを増すのはまた格別なものがある。酒はある節度を以って嗜むことが自分も周囲に対しても最も理想的な嗜み方であることは言うに及ばない事ながら、ちょっとその節度の度合いを越えて、ハチャメチャに嗜んで見たいという欲望と憧憬の虜になるのもまた、酒の持っている魅力の一つなのだ・・・と思う。

酒が美味くなる・・・この時期、余人はいざ知らず私は少なからずこの欲望に毎年のように駆られる。 勿論そんなことが出来るなんてことは現実味の無い話で、実現したこともなく、出来た試しは更々無い。

欲望と憧憬を脳裏や身体の芯にこの時期一時的に感じながら、「酒の美味い季節が来たなぁ・・・」と誰に言うでもなくぽつねんと呟くのだ。自分に言い聞かせるように・・・自分を納得させる為でもあるかのように・・・。 「そうねぇ。不思議なものね」と家内が我が気持ちを察してか、食卓に用意してくれた御銚子一本を季の初めに味わって、今年も相変わらず味わえることの出来た幸せをしみじみと天に感謝するのだ。

因みに酒は適量を守れば、生活習慣病による死亡率を下げるという。適量 とは、ビールなら中瓶1本強、清酒なら1合弱、ワインならワイングラス2杯弱、焼酎で半合弱・・・位だと言うが、この「適量」を守れるかどうかが問題なのである。

 歳とともに酒量を控えられる嗜み方が出来れば良いが、歳とともに増えてゆく嗜み方は危険だ・・・とは解っちゃ居ても、植木等のスーダラ節の顛末に陥る公算は大であるのも酒の魅力の為せる業だ。

折りしも酒に対する世間の眼も厳しさを増していて強い意志が必要であろう・・・自分の為であり、他人や世間さまにご迷惑をかけることのない嗜み方が要求されている。

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夜回り先生

2006-11-05 15:56:17 | Weblog
    画像は夜回り先生「水谷修」人権情報ネットワーク・・・より

益鳥の身辺余話

先日午前0時をまわって一時半過ぎまで「夜回り先生水谷修」の密着ルポ番組をみた。家内が見ていたものをそのまま二人で見ただけのことであったが、水谷修氏の取り組みとその実践の模様を見て、「現代の神」と言っても良いのではないかとさえ思った。

生徒の陥る世界と事件が毎日のようにマスコミを賑わわせている。いじめ、落ちこぼれ、不登校、内籠もり、家庭内暴力、家出、売春、シンナー、タバコ、リストカット、他の麻薬・覚醒剤と言われるドラッグ・・・等々の常習化から、一人でも多くの生徒を救い出そうとする献身的、命がけの行為にはキリストを感じさせるだけではなく、悩める者にとってのみに限らず「神、キリスト」そのものだと言っても過言ではないのではないかとすら思った。

勿論陥った者の救済は当然のことながら、陥る寸前の彼等を救いたい・・・と願う氏の気持ちの尊とさと、その氏の根底にある犠牲的精神は、多くの傍観者が口にするであろう「彼そのものは神ではあろう筈はなく、普通の人間である」としても、彼に宿った病める彼等、悩める彼女達を救いたいと願い行動するその元となる精神生活エネルギーは、「神」がなせる業に等しいと言って過ちはないであろう。

「こうした人も居るんだねぇ・・・」二人して放心したように見入っていた余韻のまま数分が過ぎて、家内がポツンと言った。「ああ・・・ご立派なもんだねぇ。現代の神だよこの人は・・・」彼等にとってということのみに限ったことではない。現状社会全体にとって・・・といった意味からでもそうではないか・・・と思いながら私は応えた。

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