益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

混同して「必要性」ありと思っては騙される・・・

2006-10-31 19:48:05 | Weblog


          今は主の居なくなった家の庭に取り残された苦瓜 (画像クリック)

益鳥の身辺余話

去る8月。一ヶ月近い入院生活からやっと帰宅してみると、ご近所でお付き合いのあった一人住まいのご婦人の家の雨戸が閉まったままになって、夜も灯が点らないので、「ご旅行にでも出掛けられているのだろうか・・・」などと推測しながら、「あるいは・・・」という嫌なケースを無理に打ち消して様子を見ることにした。

勿論10分ほどのところにご長男がお住まいだとは訊いていたが、お家の所在も知らず、お会いしたことも無いままだった。様子を見る・・・それが当面は私どもとしては、仕方のない対応だと自分達を納得させていた。一週間が経ち、10日が過ぎ、やがて二週間になんなんとしたある日、気づくと門扉が開き玄関のドアも開き人の気配がし、雨戸が一枚開いている。

「あれっ。何方か見えてるわ」と家内が見つけて言った。ご本人がお帰りなのか、それとも・・・。お姿を見かけない限りそれは分からない。「それとなく覗いてみようかなぁ・・・」家内が思案していたところ間もなくチャイムが鳴り、そして我家を訪ねられたのはそのご婦人で、ご長男の奥様だと分かった。つまり「嫁の私には何一つ相談されることもなかったものでして・・・」とあっさりその事情と成行きをかいつまんで説明され、回覧や、ゴミ当番の組内のお付き合いの出来なくなった届け出を何方へ出せば良いかを尋ねられた。

そしてご婦人は、つまり「お姑は検査入院してまして・・・脳梗塞の疑いがあるのだとお医者様はおっしゃられるのですよ・・・」と話された。私どもの「嫌な」予感が的中したことも大きなショックだったが、加えて県外にお住まいの弟さんのお家へ当面落ち着くことになるような話が進行中であるとも言われ、このお家には帰って来られないらしいことが分かった事だった。

お付き合いのあった人とのこんな別れが日が経つにつれて寂しさを増し、身につまされる思いに陥るのは、単なる晩秋の季節的感傷にすぎないものだ等とは済まされない、無理も無い歳になっている自分がそこに居るからだと気づいた。気づいたが故に尚更増して止まない寂しさなのである。


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私見

気をつけないといけないのは、教育現場の荒廃は深刻で、いじめや、自殺や必修科目の未履修問題も相次いだとはいえ、教育基本法を改正する必要はない・・・のであって、現在の状況を即「見ろ!・・・必要ではないか!」と解釈、こじつけ、必要性の拠りどころとするのは明らかに間違いであり、政府の思う壺に陥る考え方だ。明らかに違うことであることを肝に銘じて考え、政府の改悪法案を阻止しなければならない。その立場は教育現場の荒廃的現象の続出とは無関係であり、「必要性」という点において、政府の主張する改正の「必要性」と混同してはならないものだ。

新聞コラム&社説より・・・


社説
2006/10/31(火)付

教育基本法改正案 「いま、なぜ」もまだ不明確だ

 安倍晋三首相が臨時国会で最重要法案に位置づける教育基本法改正案の実質審議がきのう、衆院特別委員会で再開された。
 だが、いま、なぜ改正か、関連する他の法律がどう変わり、現場はどう改善されるかの出発点からして、いまだ不明確だ。
 「志ある国民を育て、品格ある国家をつくるのが目的」。首相はそう答弁したが、抽象的なうえ、言葉と裏腹に首相のめざす教育再生のもとでは金がものをいう教育格差をもたらさないか。危惧(きぐ)がぬぐえない。
 野党側が成立阻止で一致したのに対し、自民党は先の通常国会で長時間審議したとして強行採決もにおわせる。ただ民主党は対案に政府案より直接的な表現で愛国心を盛り込んでいる。与党への揺さぶりだとしても国民にはわかりづらい対応だ。
 「国家百年の大計」の教育にあって憲法とされるのが教育基本法だ。禍根を残す強引な審議の進め方は避けねばならない。
 教育現場の荒廃は深刻で、いじめ自殺や必修科目の未履修問題も相次いだ。とはいえ処方箋(せん)は個々に見いだすしかなく、理念法である基本法が解決してくれるわけではない。ほかならぬ政府自身がそう認めている。
 そもそも改正案には問題が多い。思想信条の自由を侵害するおそれがある「国と郷土を愛する態度」の規定に限らない。
 たとえば教育の目標である。「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与」「伝統と文化を尊重」など五項目を新設した。
 これに、義務教育の目的を「国家および社会の形成者として必要な資質を養う」としたことなども考え合わせたい。

 教育を受ける権利を保障する意味合いから、現行法は教育を行う側の責務に比重を置き、自発性や自主性を重んじている。それに対し、国民に必要な資質を規定する改正案では教育を受ける側の責任が問われるようになる。国家の求める人材を育成しようという意図もにじむ。
 国の権限強化も大きな転換点だ。戦前の軍国教育への反省から不当な支配の排除を掲げたのが現行法だ。ところが改正案は「(教育が)この法律および他の法律の定めるところにより行われる」とつけ加えた。
 政府は教育振興基本計画も定めることになっており、国家統制色は大幅に強まるだろう。
 首相が手本にするのは英サッチャー政権の市場原理導入による教育改革だ。が、英国在住のジャーナリスト阿部菜穂子さんによれば、学力テストによる学校序列化は貧富差による教育の階層化を招いたそのため、地域によりテストを全廃するなど修正に向かっているという(雑誌「世界」十一月号)。
 テスト順位を上げるため地方教育庁が学校にテスト科目以外の授業をしないよう迫ったという話は、日本の未履修問題と重なる。無批判な追随は疑問だ。
 「百年の大計」に拙速はそぐわない。今国会成立の日程ありきなら論外で、改正が本当に必要かも含め、いくらでも時間をかけて論議を尽くすべきだ。


2006年10月31日 
教育基本法改正 机上論争の前に現実に目を
 「愛国心」などを争点にする教育基本法改正案の実質審議が30日、衆議院の特別委員会で再開した。議論がともすれば空疎に響くのはなぜだろう。社会や教育界で現実に起きている緊急問題や矛盾とかみ合わないからだ。

 立て続けに表面化したいじめ自殺や高校の大量未履修は、今の日本の教育の骨格を揺るがす問題をはらんでいる。

 いじめに追い詰められた子供の遺書を無視した北海道の教育委員会、教師が率先していじめた福岡の中学校。これらは戦後の学校教育の基本的仕組みである教育委員会制度や教員の資質チェック機能に不信を広め、教委廃止論や教員免許更新制論に弾みをつけた。

 文部科学省は異例の現地調査を踏まえ、全国の教委の担当者を集めていじめの隠ぺい防止と対策改善を強く指示した。その足をすくうように岐阜県で23日、女子中学生が自ら命を絶つ事件が起きた。

 事前の様子や遺書はいじめを示唆するが、学校側の説明は二転三転し要領を得ない。「『ウザイ』などのからかう発言はいじめに当たると思うが、自殺につながるかは推測の域を出ない」。この説明は、いじめは受けた子の身になって判断し対処するという90年代からの共通基準にも反している。

 未履修は、学習指導要領や高校教育とは何か、さらに学力、教養とは何かまでも問う。横行の理由(言い訳)が入試準備のためだから、そんな入試をやってきた大学の責任でもある。問題はわが国の「最高学府」の中身と質まで問うているといっていい。

 文科省は、学校側の指導で未履修組になった生徒も、正直に履修した生徒も混乱の被害者であり、できるだけ不公平感のない措置をするという。ぜひそうしてほしい。だが、乗り切った後、問題の論議を打ち切って幕を引くようなことがあってはならない。

 一連の問題は子供たちに不幸、不運を重ねながら次々に浮上した。その痛ましさや影響の大きさから、教育状況に対する国民の関心はこれまでになく高い。そこで与野党に提案したい。教育基本法改正案の審議も当面は逐条的な論争ではなく、こんな連鎖的な教育危機ともいうべき状況の中で教育の基本問題を真摯(しんし)に考え、率直に論議する場にすべきではないか。

 そうした社会の空気を背景に、30日の審議で、法案だけではなく、いじめや未履修について質問や意見が相次いだのは自然だろう。しかし現実先行の中で、とらえ方はまだ浅く、社会の不信や疑念、不安に答える内容にはほど遠い。また法案阻止の時間稼ぎの方便にこの論議が利用されてはならない。そうした駆け引きは不信を大きくするだけだろう。

 一方、教育基本法改正論に対しては「それで現場の難問が解決するのか」という異論が常にある。推進派もそれに答える意味で、眼前にはだかる現実問題とまず向き合い、国民的論議に広げていくべきだ。それが、ひいては法の改正をめぐる論議に厚みをもたせることにもなる。


いじめ自殺 悲しみの連鎖を断て
 また、いじめの自殺である。教師や教育委員会の体質に批判が集まるのもやむを得ぬ。だが、それだけで連鎖は防げない。要は社会全体が、かけがえのない命の価値をどう伝えていくかである。

 こんな連鎖は、何としてでも断たねばならぬ。

 福岡県筑前町で中二男子が、クラスでのいじめを苦に自宅倉庫で首をつって自殺した事件の衝撃から半月足らず。岐阜県瑞浪市の中二女子は、「これで、お荷物が減るからね」という悲しい遺書を残して自らの命を絶った。

 もちろん、「お荷物」な命などこの世に決して存在しない。十四歳という、可能性と希望に満ちた命より尊いものは、この地球上のどこを探しても見つかるはずがない。

 未成熟な体の中に、不安定な“ガラスの心”を漂わせるのが思春期だ。ガラスの心は外からの風に傷つきやすく、割れやすい。

 相手に対してさしたる不満や嫌悪を抱くわけもなく、ただ大勢に流されていじめに回る側にも、心の不安は潜んでいる。

 ちょうど二十年前の春、一人のアイドル歌手が自殺した。その直後、落胆、あるいは同情したファンの後追い自殺が相次ぎ、国会でも取り上げられる社会問題と化した。

 思春期の不安や悲しみは、同じ世代の心から心へと急速に伝染していくものなのだ。

 福岡の事件を機に、いじめ対策は安倍内閣の目玉の一つ、教育再生の重要課題として浮上した。

 政府や自治体、学校現場がそれぞれに対策を講じていくのは当然だ。だが、それだけで、短絡的な背景を持ついじめを根絶することはできないし、子どもたちの心の不安を取り除くのも難しい。

 社会を構成するすべての大人が、子どもたちの心の揺れやサインに目を凝らし、不安を吸い取る役目を果たしていくべきだ。

 そのためにはまず、子どもに信頼される毅然(きぜん)とした大人であらねばならぬ。教師主導のいじめや学校ぐるみの隠ぺい工作などはもってのほかだ。そんな大人に子どもたちが安心感を抱くはずがない。

 教育者でない人も、学校などを批判するだけではすまされない。経済優先で自然の命を軽視してきた社会全体の風潮を改め、続く世代と命の尊さを共有し、話し合う機会を見つけていかねばならぬ。

 そしてマスメディアの側も、子どもたちの心の“揺れ”に細心の注意を怠りなく、死の悲惨と生きていく喜びを届けられるよう自戒したい。



いじめ自殺 死に急いだら負けになる

 北海道と福岡県に続き、岐阜県瑞浪市でも、中学2年の女子がいじめをうかがわせる遺書を残して自殺した。子供たちの心に連鎖反応が起きているとすれば、対処を学校だけに任せず、社会が力を合わせて連鎖を断ち切らねばならない。

 岐阜県のケースでは、自殺した生徒の両親が「明らかにいじめがあった」と主張しているのに対し、学校は「いじめの事実は確認できていない」としている。遺書の内容や部活動での同級生の言動などをよく調べ、自殺の動機や背景を解明してほしい。

 この種の問題が起きると、マスコミなどは往々にして学校の責任を集中的に追及しがちである。「先生はなぜ、いじめの兆候に早く気づかなかったのか」「校長はなぜ、いじめを隠そうとするのか」…。先生がいじめに加担した福岡県筑前町のような事例は別として、大半のいじめ問題は学校だけに責任を負わせても解決しない。

 作家の曽野綾子さんは本紙のコラム「透明な歳月の光」(30日付)で、こう書いている。「私が違和感を覚えるのは、だれが悪いという犯人探しである」「自殺した当人も親も先生も、いじめをした側の当人も親も先生も、そして同時代の社会全体も、共に責任の一端を担うべきだろう」

 その通りである。ただ、責任の軽重はなくはない。いじめた生徒とその親たちの責任はやはり重い。厳しい反省が求められる。

 いじめ問題に限らず、教育は、学校と家庭、地域社会の3者の協力によって成り立っている。近年、共働き家庭の増加もあって、親が行うべきしつけまで学校に頼るようになった。いじめっ子をしかる近所の怖いおじさんも少なくなった。学校に負担をかけすぎた面を反省する必要がある。

 もちろん、だからといって、学校が生徒指導に手を抜いていい理由にはならない。

 安倍内閣の教育再生会議では、こうした現在の教育現場が抱える問題を幅広い視野で議論すべきだ。

 自殺は、いじめに屈して負けを認めるようなものだ。真相も分からなくなる。曽野さんが指摘するように、いつかはいじめた相手を見返すくらいの気持ちをもって、心身共に強く生き抜いてほしい。


安倍首相の教育再生審議は「軍事国家再生教育」としての統制教育再生の目論みの他ではない!

2006-10-30 12:45:43 | Weblog

 

                                           菊 (画像クリック)

 子供から金曜日の午後メールが届いた。「これから帰ります。00時00分頃到着予定・・・(警官)」といった文面であった。

折り返し私は返信した・・・「解りやんした・・・(総監)」・・・(警官)という下りが「何でだ!~」と、ちょっとひっかかったものの、ふざけ心での表現だろうと解釈したのは当然のことで、だから私はそれに応えるように(総監)と書いて返信した。

駅まで子供を迎えに行き、後は土日と四方山話や、買い物に出たり、食べたり呑んだりの水入らずの時を過ごして、一息入れ様とスイッチを入れたTVの画面に、折りしもソフトバンクの通信費0円ニュースが取り上げられていたこともあって、メールの話になり、「それはそうとあの(警官)ちゅうのはどういうことだったのだね」と訊いてみた。

「えっ!警官って???」「メールの最後に書いてたじゃないの・・・」「ああ、あれ!警官?あ、あれ・・・(敬礼)よ。絵文字の敬礼を入れた・・・」と言って「解った!お父さんの携帯ドコモでしょう?ドコモに敬礼の絵文字がなかったのねぇっ・・・それで・・・」

送信メールを見せて貰うと警官が敬礼をしている絵文字が貼り付いていた。瞬間的に警官・総監と反芻した家族は大笑いになってしまった。

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苛めも、それ故の自殺も、履修不足も、優秀大学進学への期待と実力との狭間での、精神的重圧が引き起こす犯罪、自殺も全ては格差社会の仕組み上の犠牲的悲劇で、これまでの政治家の責任は重いものがある。しかもこの時期、安倍政権は「教育再生」を最重要施策にあげ、その解決どころか問題点の助長をこそすれ改善には程遠い案件を以って審議中である。その案件たるや再生は望むべくもない代物ばかりである。勿論安倍首相の望むところは軍事国家再生教育としての統制教育がその主なる目的であり、希望するところであるとするなら頷けないことはないが・・・
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新聞コラム&社説などより・・・

いじめの実態を調べて統計を出すとなると、その定義が必要にな…


 いじめの実態を調べて統計を出すとなると、その定義が必要になる。教育現場が定義にとらわれると、いじめがいじめ でなくなる▼埼玉県新座市の中学で、少年三人が同級生を失神させて顔などを殴る事件があった。市教委は学校から報告 を受けたが、三人が警察に逮捕されるまでいじめと認めなかった。文部科学省が定義するいじめは(1)自分より弱いも のに対して一方的に(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じる-こと。「継続的かど うか分からなかった」という▼岐阜県瑞浪市の中学では二年生の女子生徒が自殺した。両親の相談を受け、いじめられて いないか先生が生徒を見守っていた中での悲劇。学校側は、部活動中に本人がいじめと受け止めた出来事があったかもし れないが、いじめ自殺と確認できていないとしている▼「個々の行為がいじめに当たるかの判断を表面的、形式的に行う ことなく、いじめられた児童、生徒の立場に立って行うこと」。文科省はいじめの定義を示す一方で、こうも要請してい る。女子生徒の思いはどうだったのだろうか▼「どの親も戦々恐々で子どもを学校に送り出しています。被害者にならな いか、加害者にならないかと。いじめは起きて当然と認識することから始めたい。その方が被害者は声を上げやすいし、 加害者にならないよう子どもを指導しやすくなる」。ある小学校の先生からこんな手紙をいただいた▼今大事なのは、い じめで苦しんでいる子どもを一刻も早く救うこと。大人の叡智(えいち)と行動力を示したい


 学歴社会の矛盾
 (2006年10月30日付)

 「いい成績をとり、いい大学に入って医者になることが幸せにつながるという価値観を暴力に訴えてまで押しつけ、知 らず知らずのうちに精神的な極限状態まで追い込んでしまいました」▲「そのことで妻や二男、長女は命を失い、長男も 罪を償うことになり、今までの人生で築き上げた何もかも失ってしまいました」。奈良県で母子3人が死亡した医師宅放 火事件で父親が公表した手記の一部である。その悲痛な叫びは学歴偏重社会の告発にも聞こえてくる▲全国の高校で相次 いで発覚している必修科目の未履修問題も同根ではないか。本県で未履修を明らかにした鎮西学院高の校長が記者会見で 「進学のため」と語っているように受験重視によるひずみが教育内容をゆがめてしまった▲こんなデータもある。県地域 労使就職支援機構が若者に生きる力や働く意欲を持たせるためにどうしたらいいのか、親、教師、企業に問うたところ、 トップに上がったのは「企業や社会の学歴偏重を改める」「大学入試の廃止」だった▲受験至上主義の行き詰まりが見え ているのに転換できない。格差の広がりが、保護者に受験競争へのさらなるこだわりを生み、学校評価の重視が進学実績 を上げたい学校の焦りとなっているのではないか▲「教育再生」をうたう安倍新政権発足に合わせたかのように教育現場 の矛盾が噴き出している。教育とは何か。受験一辺倒の社会価値観そのものを問いかけたい。



バーチャルな改憲論

 就任後の“豹変(ひょうへん)”が指摘される安倍晋三新首相も、新憲法制定への意欲は変わりません。間もなく公布 六十周年を迎える日本国憲法はいぜんとして揺れています。

 戸惑いを隠せない顔の数々が目に浮かびます。安倍首相が誕生して一カ月、新首相の本当のところが見えてこないので す。

 ベストセラーになった著書『美しい国へ』は、言葉が躍るだけで具体的内容が乏しく、戦前的価値観への郷愁ばかり、 という印象でした。それまでの首相は、ナショナリズムを鼓吹する人たちから輝く星のようにもてはやされていました。

 ところが、政権を握ってからは様子が違います。

■どちらが“実像”なのか

 日本によるアジア侵略と植民地支配を認めた村山首相談話や、従軍慰安婦問題で強制があったことを明確にした河野官 房長官談話を踏襲し、靖国神社参拝は事実上凍結です。

 これらと矛盾する過去の自分の発言は「個人の見解」と棚上げしました。中韓両国の声を無視し続けた小泉外交から舵 (かじ)を切ったようです。

 個人としての安倍像、首相としての安倍像、どちらがリアルで、どちらがバーチャルなのでしょう。

 その一方で、一九四六年十一月三日に公布され、平和憲法として国際的にも評価されている日本国憲法を廃止し、新憲 法を制定する熱意は衰えないのですから「はて…」と判断に迷います。

 辞書を引くと「リアル」の項には「本物の・本当の」と、「バーチャル」は「仮想の」とあります。側近の一人で、首 相補佐官となった世耕弘成参院議員が雑誌『論座』十一月号で披露しているメディア戦略を読むと、戸惑いは一層募りま す。

 政策はもちろん、記者会見での話し方、カメラ位置についてのメディアへの注文、対談中の肘(ひじ)のつき方、視線 の方向など首相に対する“振り付け”は多岐にわたります。

■欠けている現実の認識

 懸念されるのは、そのように振り付けする側も、振り付けされる側もリアルな現実認識がないのではないか、と思われ ることです。

 太平洋戦争中の日本人の意識と生活の記録『暗黒日記』を残したジャーナリスト、清沢洌は四五年元日のページに次の ように書いています。

 「昨夜から今暁にかけ三回空襲警報なる。…日本国民は、今、初めて『戦争』を経験している。戦争は文化の母だとか 、『百年戦争』だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。…戦争はそんなに遊山に行くようなものなのか。 それを今、彼らは味わっているのだ」

 沖縄以外の国内が地上戦の戦場になったことはなく、政府による情報統制とそれに対するマスコミの迎合で、当時、国 民は実情を知らされずに、圧倒的多数が戦争を支持していました。米軍の空襲に連日さらされるようになって、やっと戦 争についてリアルな認識を持ち始めたが遅かった、と清沢は批判したのです。

 アフガニスタンやイラクでの戦争に対する日本人の意識と似通っていませんか。私たちは、遠くの、自分に見えない戦 争を人ごととして傍観していなかったでしょうか。

 爆弾が落とされる下には、ミサイルを撃ち込まれる先には、必ず普通の市民が暮らしているのです。イラクではいまだ に連日、たくさんの人々が亡くなっています。

 国際社会に背を向けた北朝鮮の暴走は止めなければなりませんが、戦争のもたらす現実をしっかり認識してことに当た りたいものです。

 民族派の論客である、一水会顧問の鈴木邦男さんは「今の日本では右翼団体より市民団体や右派メディアの方が過激だ 」と苦笑しています。

 いまや人口の大部分が戦後世代です。安倍首相と首相を取り囲む政治家の大半も、戦争を知らない、しかも市井のホコ リにまみれたことのない二、三世議員です。

 首相の変化は就任して現実の重みに直面したせいかもしれません。それでもなお、彼らの改憲とナショナリズムの主張 は、戦争に対する正しい認識を欠いたまま戦争できる国を目指しているのではないか、という不安を感じさせます。いわ ばバーチャルリアリティー(仮想現実)に基づく新憲法制定論です。

 二十世紀のはじめ、デンマークの陸軍大将、フリッツ・フォルムは各国議会に自分の考えた「戦争絶滅受合(うけあい )法案」の制定を働きかけました。一口で説明すると、戦争開始から十時間以内に国家の元首、その親族、首相、大臣、 国会議員、高級公務員など地位の高い人たちを最前線に送り込む、という内容です。

■戦争の顔をしてこない

 これが法制化されれば憲法第九条はもっと大切にされるはずですが望み薄です。せめて局面転換に向けて「戦争は戦争 の顔をしてこない」という言葉を反芻(はんすう)しましょう。

 戦争をしなかった国がいつの間にかそれのできる仕組みを持つようになるさまを描いた絵本『戦争のつくりかた』の制 作に協力した翻訳家、池田香代子さんの指摘です。

 


安藤美姫、逆転でGP初優勝!おめでとう!!!スケートアメリカ

2006-10-29 22:22:35 | Weblog

安定した演技・・・良かった!

安藤、逆転でGP初優勝=浅田真は3位-スケートアメリカ
2006年10月29日(日) 9時31分 時事通信

 【ハートフォード(米コネティカット州)28日時事】フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ今季第1戦、スケートアメリカ最終日は28日、当地で行われ、女子でトリノ五輪代表の安藤美姫(トヨタ自動車)がこの日の自由演技でトップの125.85点をマーク、合計で自己最高得点となる192.59点とし、ショートプログラム(SP)の2位から逆転優勝した。
 18歳の安藤はGPシリーズ初制覇。SPで首位に立った16歳の浅田真央(愛知・中京大中京高)はジャンプに精彩を欠き、171.23点で3位に終わった。昨季世界選手権優勝のキミー・マイズナー(米国)が177.78点で2位、浅田の姉、舞(愛知・東海学園高)は6位だった。
 アイスダンスはアルベナ・デンコワ、マキシム・スタビスキー組(ブルガリア)が201.58点で優勝。渡辺心、木戸章之組(新横浜プリンスク)は149.27点で7位だった。ペアは井上怜奈、ジョン・ボルドウィン組(米国)が169.90点でGP初制覇。


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世情は不安なことが一杯で、安倍政権の軍事化右傾暴走施策が大きな不安を上乗せする

2006-10-27 19:22:10 | Weblog

 

 

これも一昨日手紙を投函の帰途撮ったものである。(画像クリック)

昨夜はさほど寒くもなかったが、電気毛布のスイッチを試験的に入れてみた。すっかり冬支度の出来た我家の最終的メニューで、これで暖房の為の器具は出揃った訳だった。それは良かったのだが、案の定寝過ぎてしまった。もう二十七、八年も前になろうか。それまで我家の主流だった綿入り布団の、爪先の圧迫感が堪らなく苦痛だと言ったら、家内が早速買い揃えてくれた羽根(羽毛)布団の時もそうだった。翌朝、眠りが深く爆睡して恐ろしさを感じたものだ。「若しかして、俺は痴呆になったのじゃないか?・・・」と心配になった程自分の脳みそが、リラックスを通り越して朦朧とした状態なのだ。気持ちよく爆睡出来たのは良かったのだが、真剣に心配だったものだ。
そんな昔のことが甦って来るほど二人とも爆睡し、「眠りが深く寝過ぎちゃったね・・・」と言い合って大笑いとなった。

カーテン越しの陽射しは晴天だと思わせるに充分な明るさと、気温の上昇を予感させていた。洗濯日和かな・・・私は窓を開けてみると、ベランダが僅かに水滴で濡れている・・・降っていた雨が止んだ朝かと当然それくらいの気持ちで隣のベランダを見ると、洗濯物が出ており、その並びのお隣も出しているのが見えた。・・・が、良く見ると小糠雨が静かに偲びやかな狐の嫁入りを告げる日和雨となって降っていた。


陽が確かに射しているのだが・・・天空より細い細い無数の金糸が地上へ向かって伸び、ロマンの香りを封じた優雅で艶やかな衣装が紡がれてゆくような感じだった。一瞬お隣の奥さんへ雨の降っていることを知らせねばと思ったのも事実だが、また一瞬、直ぐ止むものであることを見越されての放置かもしれないので、騒いでは却ってご迷惑かと思い直した訳だった。

それに我家とは違って五人家族の洗濯物の量は半端なものではない・・・入れている間に雨は止むかもしれないともつまないものであることを思うと言わないほうが良い・・・と判断してしまった。それから家内の治療を終えると二時間ほど経っていて、我家の洗濯物を干そうと覗いたベランダ越しに、お隣の洗濯物は無くなっていた。

路地を挟んだもう一軒先のお家の洗濯物はそのままだった。どれ位の時間雨は降り、いつ頃上がったものだろうか・・・が問題だけど???どうも悪いことしたようだなぁ・・・と思わず責任を感じたのだが、今更悩んでも、しっかたなかんべさぁ・・・(笑い)と、今夜狐が嫁入りする提灯行列が見える筈だ・・・が、それが見えたか見えないか・・・をも含めて、私の責任の外にある問題であることもまた確かなのだ・・・と決め込んだ。(爆)




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格差の助長、税負担増強、福祉退行社会不安、右傾化軍事国家逆行施策強行内閣、・・・我々国民は何一つ安心して暮らして行けない。


新聞コラム&社説より・・・

不安

 海辺の道に立つ老いた夫婦。見る間に消えていく朝焼け。妻が言う。「空が恋をしていたのね」。夫は応える。「儚(はかな)い人生のようだな」。二人の会話が、声として聞こえてくるようだ▲佐世保を代表する歌人だった中嶋英治さんが、1991年10月に出した異色の詩集「鶴」(北羊館)。その中の「晩秋」という作品の冒頭部分。その道にはあわだち草が咲いていて、いつだったか、子どもたちが「戦争の匂(にお)いがする」と言った場所である▲なんでもない日常に、戦争の匂いを感じ取る子ども。感覚の鋭さへの共感。何かまがまがしいことが起きるかもしれないという不安。それを意識しつつも、それとはまた違ったものが、これからの人生にあるような気もする▲だから朝の歯を磨き、妻をそばに毎晩、「明日迄(まで)さようなら」と言って眠る。もの悲しいけれど、人生とはいいものだ、とも思わせる秋の風景である▲その秋の静けさを破るように起きた、米海軍佐世保弾薬補給所(前畑弾薬庫)での建物火災。美しい夕焼けの代わりに、戦争のきな臭さそのもののような火炎が不気味に夜空をこがした▲モクセイが香り、一枝を妻が折り取ってつぼに飾る家。妻は絵を描き、夫は親鸞の語録なる歎異抄を読む。花の香は二人を包み「まるで繭(まゆ)ごもりでもしているようだ」と、詩は続く。機密に覆われた弾薬庫の火災などで、こんな市民の人生や暮らしが脅かされる。なんと理不尽なことか。(雅)


世襲議員

疑問が再びわいてきた。先日の大阪・神奈川の衆院補選。自民が二議席獲得したことではない。引っかかるのは、当選した二人とも二世議員であるという点だ。国会内に世襲議員が、また増えた▲調べてみると、特に衆院の異様さに気付く。両親などが国会議員経験を持つ議員は、現在約百二十人。うち九割近くが自民党だ。定数が四百八十だから、四人に一人が世襲ということになる。諸外国でも例がない▲地盤、知名度の看板、資金力のかばんの三バンを引き継ぐ世襲議員に対し、政界を硬直化させるなどの批判が以前からあった。しかし最近は議論すら少なくなった。世襲が当たり前のように容認されているとしたら問題だ▲二年前、当時民主党代表だった岡田克也氏が世襲制限の党改革を掲げ、自民党を批判した時のこと。自民党幹事長代理だった安倍晋三首相が「おやじが政治家では駄目で、大企業オーナーならばいいのか」とかみついたことがある。岡田氏の父親がイオングループ創業者であることを皮肉った▲確かに二世、三世にも有能な議員は多いが、それと世襲問題とは話が別。政治の世界では、同族支配につながりやすい。それに意欲や資質のある人が、政治家になる道を閉ざされることがあってはならない▲自民党的なものを壊した小泉純一郎前首相は、世襲改革には手を付けなかった。安倍首相の頭の中にも、問題意識はないのだろうか。言うまでもなく、この二人も世襲議員である。

疑問はまた浮かぶ。
 大学受験のころの苦労話は誰しもあろう。私立文系を選んだ筆者には、3年の定期試験の理数科目が難題だった。ある時、答案代わりに苦し紛れの短歌を書いた▼当然職員室に呼ばれた。意外にも先生は「労作に今回だけ点をやる」。「だがな、理系の考え方は後々大事だぞ」と説教が続いた。若者が学んで無駄なことはない。教師の側が無駄と決めつけたら、そこは学校でなくなる

 ▼全国の高校で、世界史など必修科目を生徒に履修させていない事実が明るみに出た。東北各県の公立高校でも続々。むろん国の学習指導要領に違反する▼受験本番も間近な3年生が、このままだと単位不足で卒業できない。どこも緊急の補習授業を組むのに大慌てだ。退職した教師の手まで借りて。なぜこんな手抜きと失態が広まったのか▼裏カリキュラムというそうだ。限られたコマ数。不要な科目を切り、受験に集中させる。教育委員会にうその履修報告までして。生徒の負担を軽くするため、という校長らの釈明に驚く

 ▼大学合格者数が高校の評価や格付けを決め、親も満足させ、「優秀な」生徒を呼ぶ―。あからさまな勝ち組競争に染まる高校の内実を、本当に教委は知らなかったか。歴史や世界を知らぬ若者が増えたら困る、と説く先生はいなかったか。疑問はまた浮かぶ。



世界史など高校の必修科目ごまかしで、卒業生の単位不足が発覚…

 世界史など高校の必修科目ごまかしで、卒業生の単位不足が発覚。不正が全国的な広がりを見せている。「必修とは、必ずしも修めなくてよいことの意」と誤解されかねないところへ、ブラックジョークのようだが、二十七日は「文字・活字文化の日」で、来月九日まで読書週間である▼知識とはなんのためにあるのか。子どもは大人から何を学べばいいのか。教え、教わるとは何か。そんな根源的な問いかけをしたくなるが、目先の受験の利に引きずられ、本分を疎(おろそ)かにした学校現場などには“反面教師”の名を進呈し、若者や子どもたちにはいっそ“独学”をすすめようか。知識は自力で獲得するしかないのだから▼出版文化産業振興財団(JPIC)が、第一回「読ませ大賞」をスタートさせた。「好きな本は、好きな人にも読ませたい」の触れ込みで、読者が薦める作品を募る。とかく出版界など与え手の都合が先走る読書運動を、読み手の側からとらえ直そうという試み▼同財団の肥田美代子理事長は昨年七月、読書環境の整備を進める「文字・活字文化振興法」を超党派の議員立法で成立させた直後に、小泉“郵政解散”の総選挙で落選、十五年の議員生活に区切りをつけた▼もともと童話作家。阪神大震災で亡くなった女の子を描いた『ゆずちゃん』がある。自ら携わった法律を、今度は民間の立場で支えたいという▼「話す・書く・読む・伝える」の、すべてを含む“言語力”を高めること。それには幼い時から本に触れられる子ども図書館を充実させることが必要と。

2006/10/27(金)付
社説=高校履修漏れ 生徒への負担は避けたい
 大学受験の追い込み時期に入った高校生に、とんだ災難が降り掛かってきた。世界史を中心に必修科目を受けておらず、卒業に必要な単位が足りないといった事態が次々と明らかになっている。県内の高校も例外ではない。

 受験競争の激化で、高校の授業が入試準備に傾かざるをえない事情が背景にある。建前論をふりかざして高校を批判するだけでは、問題はいい方向へ向かわない。現実と理想のギャップをなるべく小さくするよう、冷静に対処すべきだ。

 高校の学習指導要領では、地理歴史のうち、必修の世界史と、日本史、地理のいずれかを学ばなくてはならない。現実には1科目だけだったり、2科目でも世界史を受けていないことが明らかになった。他の教科でも単位不足がありそうだ。

 こうした問題を抱えるのは、主に公立の進学高校だ。覚える内容が多い世界史は、受験生から敬遠されがちだ。受験には日本史、地理を選ぶ生徒が多い。

 各地の進学校は、難関大学への合格者数で“成果”が評価され、中高一貫で受験準備をする私立校との競争も厳しい。学校週5日制の導入で授業時間が減り、生徒も学校側も、なるべくなら受験科目に集中したい事情がある。

 県教委には「虚偽」の報告をしていたことになる。その結果、受験をひかえた生徒が補習を受けなくてはならないのは不幸なことだ。県教委は実態を速やかに明らかにするとともに、生徒の負担がなるべく少ない対応を検討してほしい。

 履修漏れが全国に広がっている状況は、大学入試の現実と学習指導要領が掲げる理想とのずれが大きいことを明らかにした。履修内容を、あらためて考えるきっかけにしたい。

 世界史の必修は、国際化への対応として、1989年の学習指導要領改訂で決まったものだ。文部科学省の中央教育審議会では、高校社会の内容について検討が続いている。日本史や地理を必修にすることや、新たな科目「近現代史」の設置を求める意見もある。

 若い世代が自国や世界の歴史を学ぶことは大切だ。しかし、受験に必要な勉強と、授業の内容が懸け離れているようでは、学習意欲を持たせることも難しくなる。何をどこまで学ぶべきか、入試のあり方も含めて考える必要がある。

 この問題は、近く政府の「教育再生会議」でも取り上げる。学校の評価と競争を強めると、今回のように点数を上げるための教育が加速する。そのことを踏まえて、教育改革の論議をすべきだ。


舞台から目を離せない。
まるで歌舞伎の顔見世興行のようだ。安倍晋三首相の肝いりで発足した「教育再生会議」である。きのう二回目が開かれたが、メンバー十七人の顔ぶれは、多くの人が「ああ、あの人ね」とうなずく豪華な陣容

▼座長の野依良治さんはノーベル化学賞学者だし、張富士夫さんは世界のトヨタの会長。「ヤンキー先生」や「百ます計算」の先生、劇団四季代表、五輪銅メダリスト、外食チェーン社長、落語家夫人もいる

▼多彩な半面、教育観はさまざまで、かなりの個性派ぞろいだ。百家争鳴、意見百出で結論に至るのか不安視する声が早くも噴出。事務局長は本県出身の山谷えり子首相補佐官だが、かじ取りの妙(たえ)ならんことを

▼「百家争鳴」「百花斉放」は一九五六年、毛沢東が提唱したスローガンだ。人民から多様な意見を求める言論自由化運動で、学術・芸術文化の活性化を図ろうとしたが、あまりに厳しい批判に仰天。わずか一年半後、反右派闘争で弾圧に転じた歴史がある

▼教育再生は安倍首相の公約の柱である。確かに最近の学力低下や規範の喪失、いじめ問題の続発など喫緊の課題は多い。多士済々の教育再生会議が顔見世に終わっては困るし、かといって日本版「百家争鳴」になってもならぬ

▼安倍政権はきょう誕生一カ月。首相の意気込み通り、最後に見得(みえ)を切れるかどうか、舞台から目を離せない。




政府は力の入れ所が違やぁしませんか・・・

2006-10-26 16:57:29 | Weblog

 

昨日家内に頼まれた手紙を投函するためにポストまで歩いた道すがら撮ったものである。(画像クリック)

今朝は18℃。寝室の窓のカーテンを僅かにめくって眺めた上空の一部を、黒雲がゴミを散らかしたように覆っていて、陽が射さない状態のようであった。家内が「雨が降ってるの?」と訊いたので、「いや多分、禿なかせだろうと思うよ」と私は答えた。禿なかせとは早朝いかにも雨でも降って来そうな気配を漂わせてはいるものの、決して降ることなく時間が経過するにつけ、陽が射し始めて必要ないだろうと思っていた髪の毛の失地多きを占める頭の持ち主達の、必須携帯用品である帽子を、その油断した、今日は不必要判断によってその後照りつける陽光に泣きたい思いをする・・・といった程のジョーク的表現であり、田舎で誰ともなく言い出し定着したこれでも、地域限定的天気情報表現のひとつなのである。陽は案の定10時頃より射し始め、3時過ぎまで照り気温を6℃も上昇させた。正に禿泣かせであったのだ。

買い物に出てその帰途信号のないT字交差点で私はガードマンに停車を指示された。そこから100メートルほどの距離の直進道路の片側が工事のために通行止めとなっていた。私にとってはそこは右折する何時ものコースなのだ。対向車の接近した至近距離でない限り右折するのは当然である。見れば対向車は100メートル地点をゆるゆると過ぎたばかりで私の右折は充分可能な距離と時間的余裕はあった。にもかかわらず、長々と待たされてしまった。助手席の家内は私の心理を分析して、私が充分時間があるから曲がろうとしたことを咎め、「あれくらいの時間でいらいらするのは歳をとった所為よ。待ったとしても、どうってないことでしょう?」とながながとしたお説教を垂れ給い、私は「はい御尤も・・・」ですと聴かなければならない羽目に陥った。いやぁ~災難はどこに転がっているか分からないもんですなぁ・・・私の教訓「偏に忍耐は宝」ですわ・・・(笑い)


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政府は力の入れ所が違っちゃぁ・・・居ませんか?

新聞コラム・社説などより・・・

議員復党
 聖書でイエスが語っているたとえ話の中でも放蕩(ほうとう)息子の帰還は、印象深い話の一つだ。--二人の息子の弟の方が父親に財産分与を求め、受け取ると家を出て遠い国で放蕩三昧(ざんまい)の暮らしをしてお金を使い果たす。尾羽打ち枯らして家に戻った時のことである

▲自分を雇ってほしいという弟に、父は怒るどころか最上の服を与えて家族として迎え、祝宴を開いた。怒ったのは地道に親孝行をしてきた兄で、父の不公平に抗議する。父親はいう。「子よ、弟は死んでいたのに生き返った。祝宴を開くのは当たり前だ」

▲このたとえ話では、弟は悔い改めた罪人(つみびと)、父はその罪人を赦(ゆる)す神、兄は偽善者をそれぞれ表すという。俗世の常識ではまじめな兄に肩入れしたくもなるが、そこを逆転してみせるのがこの世の秩序を超えたところで人の魂を救う宗教というものだろう

▲さて一転、この世の権力をめぐるどろどろした話だ。先に郵政民営化法案に反対して離党した造反議員の復党をめぐり自民党内が揺れている。祝宴まで開かずとも早期無条件復党を認めるべきだとする容認派と、いま復党では筋が通らないという前執行部などの間の対立である

▲参院自民党から出ている復党論も、別に悔い改めた罪人への慈愛ゆえではない。来夏の参院選でぜひとも造反議員の支援がほしいからだ。一方で反対論は、総選挙の大勝利をもたらした有権者の期待を裏切れば参院選でしっぺ返しを受けると主張する

▲確かに総選挙では造反議員との対立を盛り上げるだけ盛り上げて票を集め、参院選では何もなかったように仲良く票集めをするのも釈然としない。来るものも、帰ってくるものも拒まないのは自民党の真骨頂だが、世論が放蕩息子の父ほど優しいかどうかは分からない。


テレビも命令放送の対象に=政府資金拠出で-菅総務相

 菅義偉総務相は26日の衆院総務委員会で、NHKの国際短波ラジオ放送に北朝鮮の拉致問題を重点的に取り扱うよう求める命令を検討していることに関連し、テレビの国際放送も総務相による命令放送の対象になり得るとの認識を明らかにした。
 菅総務相は、2007年度予算で短波放送と同様にNHKの国際テレビ放送への政府資金拠出(要求額3億円)が実現すれば、「短波放送と同じ考え方になるのが自然だ」と指摘した。



放送命令 報道の自由を危うくする


 政府がNHKに対し、北朝鮮による拉致問題を放送するよう命令する姿勢を強めている。拉致報道は重要だが、政府の命令は報道に対する介入にあたる。北朝鮮の核実験などに対する反発に乗じて、民主主義の根幹を揺るがすような事態を招いてはならない。

 対象はNHKの短波ラジオ国際放送である。菅義偉総務相が北朝鮮による拉致問題を放送するよう命じることの是非を、11月8日の電波監理審議会に諮問する方針を明らかにした。諮問すれば、放送命令を認める答申が出る見通しだ。

 放送法3条は、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と定めている。原則は編集権の自由にあることを、まず確認したい。

 例外を設けているのが、33条と35条だ。NHKの国際放送に限って、国が費用を負担し、総務相が放送事項などを指定して、放送を行うよう命じることができると規定している。

 NHKの短波ラジオ国際放送は国から費用の一部を交付されており、総務相が命令できる仕組みになっている。菅総務相の方針は、こうした制度に基づいている。

 ただ、これまでの政府命令を見ると、その内容は「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府見解」の3つである。

 具体的な内容までの指定はなく、大ざっぱな項目にとどめている。政府は放送法の原則を尊重してきたといえる。

 菅総務相は、3項目に「拉致問題に留意することを加えたい」と述べた。従来に比べて、具体的な中身にまで踏み込んでいる。政府が方針を転換したとみていいだろう。

 北朝鮮の拉致は犯罪であり、放置できない国際問題である。政府ができる限りの手を尽くすのは当然としても、だからといって報道の内容にまで踏み込むのは間違いだ。NHKの自主性に委ねるべきである。

 北朝鮮の核実験強行で、国民の不安や反発は一気に高まった。世論を後押しにして、今回の放送命令を皮切りに、一連の北朝鮮対策についても政府がNHKに介入を強めていく懸念も捨てきれない。

 与党内にも慎重論があるなか、丁寧な論議もないままに諮問に踏み切るのは、問題が大きい。速やかに方針を撤回すべきだ。

 今回の問題に対して、NHKは「今後も自主的な編集のもとで、きちんと取り上げていくつもりだ」と述べている。NHKにも、筋の通った対応を求めたい。


国は何をしているか―
 奈良県で妊婦が出産中に意識不明に陥った。ほかの病院で処置してもらおうとしたが、次々断られた。20カ所目でやっと受け入れてもらったが、既に手遅れ

▼この間、6時間。家族はどんな思いで事態を見守ったことか。胸が痛む。たぶん奈良県の医療の中核であろう奈良県立病院、奈良県立医大病院などまで断ったというから驚く。どんな救急システムになっているのか、と

 ▼病床難を含めて医療の現場が荒廃している。特に頭を抱えるのが医師不足。中でも地方は悲惨な状況にある。次々診療科が閉鎖される。病院集約化も進み、診てもらうには遠くまで金と時間をかけて出かけねばならない

▼厚生労働省は2015年以降は医師余りになると見る。まさか、と多くが思う。そうなるのは大都会と特定病院だけだろうといぶかる。地方は同じ税金、保険料を払いながら診てもらえず選べずで、やはり天を仰ぐのか

 ▼医師不足解消のために26項目を紹介したのは宮城県の久道茂病院事業管理者(元東北大医学部長)。養成策、スカウト策、地方義務化策、医療圏・診療科ごとの定員設置策…(薬事日報新書『医学・医療の品格』)

▼久道さん自身が賛成しかねる策まで取り上げた。そこには、弱り果てる地方の現実が映る。国は何をしているか―。そう言おう。



どんどん危うさの加わってゆく世の中でも・・・花も咲き小鳥も歌う

2006-10-25 15:39:08 | Weblog

 

 

       尋ぬれどそしらぬ顔の花おもて名前無きとて秋を咲き往く -------------------------------(画像クリック)

11月下旬か12月初旬の気温だったという昨日とうって変わって、今日は午後に入ると、確実な晴天快晴となって気温は24度になった。

林は今日も気紛れに吹く風と共同謀議でもしたかにざわめきを続けている。鵯の甲高く鋭い鳴き声が混じる。竿竹売りの軽トラからエンドレスに吹き込んだ売り声が流れて来る。私は「幾等流したってここでは売れないよ・・・」って呟く。高齢者の婦人の弱味に付け入って一本三万円など法外な金を巻き上げた業者がいて、自治会で注意が喚起されている。その折、近所に良心的値段で配達までしてくれる店のあることを付け加えた緊急回覧が回っていたのは確か去年だったと記憶しているが、性懲りもなく業者は回って来るのだ。

間もなく飛行機の爆音が空と私の脳裏を縦断したかと思うと、今度はヘリの音だ。神奈川は基地のある町だ。当然ながら米軍住宅地もある。外国人の乗った自動車とすれ違うのも、当然の日常性の中にある。原子力空母の横須賀配備問題では、抵抗も空しく容認する形となった。

安全性の確認が大事だということは誰が考えたって幼子にも分かる条件だが、それもその「確認」自体それを幾等繰り返したところで空しいことだと思いながら、確認を要求せざるを得ない立場が基地の町に付き纏う建前なのだ。本音はなるようにしかならない・・・空しい現実を知らないで居るわけではない。

しかし先頃の神奈川補選でも如実であるように、水が高いところから低きところに流れるように、流れという本流には流される続ける運命的などうしようもない自然原理がある。危うくなり続け、雪崩れ込むようにその墓穴へ、地獄へ真っ逆さまに陥ってしまいそうな昨今の動きが、「解っちゃいるのだが・・・」気になって仕方がないのも事実なのだ。


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新聞ニュース・コラム欄より・・・

<集団的自衛権>「国会で議論を」久間防衛庁長官

 久間章生防衛庁長官は24日の参院外交防衛委員会で、憲法解釈で禁じられている集団的自衛権行使の問題について「何十年も前の解釈が現時点でも変わらないことがいいのか。状況は変わっていると思うので、立法府でも議論すべきだ」と述べ、政府が示してきた憲法解釈の是非を国会で議論すべきだとの考えを示した。

勝海舟は言う。「情実の間に生まれたものは、情実のために敗れ…

 勝海舟は言う。「情実の間に生まれたものは、情実のために敗れるということは決まったことじゃないか」。それでも人は弱いのか、私情が絡み、公正さや志を失う

▼清潔な政治を売り物にしていた佐藤栄佐久・前福島県知事(67)が収賄の疑いで逮捕された。「兄は知らなかった」と「防波堤」になっていた四歳違いの弟も同時に再逮捕となった。東京地検特捜部は、兄が大株主で弟が社長を務めていた会社に対するゼネコンからの資金支援をわいろと判断した

▼会社は二人の父親が創業した。今の社長は弟の長男。前知事も二〇〇二年まで役員を務めていた。この間を含め、弟逮捕の責任を取って辞任するまで五期十八年も知事として福島県政に君臨した兄。会社が傾く中、規模を縮小しながらも家業を守ってきた弟。いつの間にか、兄の権勢を利用し弟が裏金を集める構図ができあがっていた。家業存続に欠かせない構図でもある

▼二人は一緒にいるところを周りにほとんど見られていない。兄は建設業者らを近づけないことで知られていた。その業者と付き合う弟と仲良くしていては、裏の関係を感づかれると思ったのか

▼「花に十日の紅なし、権は十年久しからず」。細川護熙元首相は熊本県知事を二期八年で辞める際、こう心境を説明した。花がいつまでも咲き続けないように、権力も十年たつと腐ってくる、という思いを込めている

▼三期十二年で退任した浅野史郎前宮城県知事は「権力は長く続けば、腐敗するとは言わないが陳腐化する」と言う。時の残酷さを思う。



「民意」とは、文字通り「国民の意思」である。
議会制民主主義では、それを問う最大の手段が選挙だろう。だが、民意はしばしば移り気で一定しない

▲新幹線の新駅建設で揺れる滋賀県栗東市。二十二日の市長選で、建設推進派の現職が再選された。「新駅建設」の民意が一応示されたといえる。しかし、「凍結」と「中止」を合わせた見直し派二人の得票数を合わすと約六割。批判票が上回り、問題はややこしくなった

▲おまけに、七月の滋賀県知事選では「もったいない」と凍結を訴えた嘉田由紀子氏が現職を破って当選している。県と市のねじれ現象。どちらが正当か、と言われても困る。ただ、それぞれが民意を主張するだけでは平行線だ

▲新幹線駅は「ないよりあった方がいい」と地元住民が思うのはわかる。だが、京都駅に近いし、二百五十億円の建設費は高い。どうみても無駄な公共事業に映る。新駅が今なぜ必要なのか。さまざまなデータをもとに、公開の場で評価し直せば、おのずと結論が出るのではないか

▲同じ日にあった岩国市議選は、米空母艦載機の移転問題が焦点だった。三月の住民投票、四月の市長選では圧倒的に「移転反対」の民意。市議選の結果は反対派が半数の十七人、容認派十二人、意思表明を避けたのが五人。何とも微妙な数字である

▲これをどう見るか。政治の世界は、自らの方針に合う民意だけをくみ上げがちである。民意の見極めはなかなか悩ましい。



携帯談義
 「ケータイが通ってる/ひっきりなし通ってる/おしゃべりケータイで通ってる/駅前交番の所で今どき風俗の流れを見てる」。詩人伊藤信吉さんの「ケータイ通りで」は、ケータイ(携帯)談議に花が咲く

▼「見てる私は/先刻(さっき)買ったばかりの/パン包みを携帯してるだけだから安気(あんき)なもんだが/以前(もと)はそうでなかった」と伊藤さんは歴史に目を向けたケータイを語り出す

▼「うっかりそこらを通りかかろうものなら/『おい、その袋/なんだ/中味を見せろ』/容赦ない/ケータイ品調べだ」と。国民に監視の目が光った怖い時代をよみがえらせるケータイもある。「私だって/ケータイしてる/〈老齢〉という消える〈世紀〉を携帯してる」と結んだ伊藤さんにとっては伝えておきたいケータイの記憶だろう

▼いまケータイは一人一台の時代を迎えた携帯電話の代名詞だ。デジタルカメラに加えてテレビ、ラジオ、デジタル音楽プレーヤー、さらには電子マネーやクレジットカード機能などを詰め込み、使い勝手も年代に合わせて機能を絞り込む工夫が進んでいる

▼そして携帯電話会社を変更しても同じ電話番号を持ち運べる番号継続制も始まり、業界は利用者を取り込むためサービスや料金でしのぎを削る本格競争時代に突入した

▼便利な道具というより生活必需品の地位を確保する勢いの携帯電話。人間がケータイに使われることがないよう、自制のケータイが欠かせない社会になった。



私は思わず泣けてしまった
 「それまでの僕はあんまり勉強しなかったけれど、その子たちと出会って以前より勉強するようになりました。だって『夢は学校に行くこと』だって言うんです」。

 会津若松市の若松二中2年の高橋源君はフィリピンでごみを拾って暮らす子どもたちと交流した思い出をこう語った。ユネスコによると全世界の子どもの数は約22億人。このうち毎日の食事に困らないのは3億人程度しかいない。飢えや貧困と闘い、死と隣り合わせの生活をしている小さな命がいかに多いことか。

 高橋君と姉でザベリオ学園中学部3年のめいさんは昨夏、社会教育団体「修養団」が募集した支援ツアーに参加、ごみの山から鉄くずなどを拾って生活費を稼いでいる子たちと語り合った。修養団のスタッフがエピソードを教えてくれた。交流会で出されたごちそう。空腹の子どもたちは初め、目を輝かせ、うれしそうに食べる。しかしやがてどの子も料理に手をつけなくなってしまう。理由を尋ねると「持ち帰って家族に食べさせてあげたい」と答えたという。

 高橋君は考えた。おなかいっぱい食べられて毎日学校に行ける自分たちは幸せだ。でも本当の豊かさとは何なのか。モノがあふれる日本なのに悲しい事件が多い。いじめを受け自ら命を絶つ子。わが子を虐待して死なせてしまう親。夢や人生を奪う権利は誰にもないはずだ。




風・・・に思う

2006-10-24 15:46:48 | Weblog

                 

          竜胆が咲いた。襲名菊の根元に咲いたものである。(画像クリック)

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昨日からの雨は降ったり止んだりを繰り返し、「かなり纏まった雨」となりそうだ・・・と言った予報程には荒びることもないおとなしさであった。

今朝はそれも上がって晴れ間が見え、時折陽が顔を出すが、引き換え風が強く屋外は林の葉摺れの音のざわめきが止まない。

林の落葉は(落葉樹の)勿論木々の生理的代謝がなせる現象が主であるが、木が春から夏にかけて艶やかに整えた青葉は、台風やその前後の強風によって吹きちぎられ、一枚一枚のみに限らず、細い梢の先ごと吹き飛ばされてしまう試練に幾度か晒されながら、その葉群を僅かずつ間引きされ、この本格的な落葉の時期を迎えるまで持ちこたえ、力尽きたかに、季をゆずるかに、敗戦の将馬の如くその運命に身を委ねるのだが、その姿には最後まで損なうことのない品位と誇りの存在を感じさせるものがある。有難う・・・私は思わず呟いていた・・・。

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教育基本法改正・・・は、安倍政権が・・・というよりも、潜在的に我国の政権が企んでいる右傾化統制教育の実現へ向けての地ならし的改悪をめざすもので、その必要性は「さしたる理由根拠が見い出せない」ものである。学力低下問題改善など・・・とその大義を弄して国民の目を逸らし、欺き、その実、憲法改正に関連する、一連の地ならし法案国民投票法、共同謀議罪等々の軍事国家実現の為の悪法への取り組み以外の何ものでもない。


追い風・・・風の向きが味方した・・・
なんという情けない現象を言う表現だろうか。選挙は主権在民の唯一の証である参政権に保証された国政、あるいは地方自治への参加であるはずのものでありながら、風によってその投票が一方に固まりその方を潤すなど、もっての外と言わざるを得ない現象だ。

風は選挙民が吹かす支持の方向性を指しているのはまだ良いとしても、大事なのは、肝心なのはその中味であろう。中韓に会談に行った成果、対朝鮮強行対策などの姿勢が評価された為に吹いた「風」とは・・・情けない風の中味ではないか。

選挙はそんな安倍が首相として必然的に「行って話した」朝鮮へ強い態度を示した・・・などのスタンドプレーを投票理由、支持理由、その根拠にするなどといった考えでは駄目だろう。

安倍政権が何を目指し、何を企んでいるか・・・自分の一票が自分たち国民の将来を、またしても戦争地獄へと誘おうとしているその暴挙暴政を、国民自らが後押しし、その政権へ力を与えることになるであろう方向を選んでは何をか況やである。尤もそれが望み・・・だというのだとしたら余りにも哀しすぎやぁしないか・・・そもそも風を起こす風のような選挙民の選挙感覚の存在そのものが哀し過ぎることだと言わなければならないのも確かだが・・・。

子供の受難が後をたたない・・・これも政治の責任が大きく影響していることは間違いないが、児童相談所が全然機能していない事例がまた一つ顕在化した。
警察に相談しても何にもならぬ・・・児童相談所も尚役に立たない・・・ではお粗末過ぎるではないか。なんとも遣り切れない事件が多い。

地方公務員待遇等の不可解極まる怠慢行政、相も変らぬ談合事件等も加えて、我国の病巣への大胆且つ緊急なな改善取り組みがなされなければ、安倍政権の政権としての価値は評価出来得ない話だ。政治は何処にも陽の射し当たる国民の為のものでなければ何の価値もないからである。

新聞社説とコラム欄より・・・


教育改革 現場は戸惑っている

 政治主導で次々と示される教育改革に対し、公立小中学校の校長に聞いたところ、85%が「速すぎて現場がついていけない」と感じている。東大の基礎学力研究開発センターの調査で明らかになった。

 近年、学力低下問題などに対応した制度改革が相次いでいる。しかし、現場には目まぐるしい変化への抵抗感が強いことが示された。100年の計といわれる教育には、性急な論議や方針転換はなじまない。そのことを、政治家は再認識すべきだ。

 この調査は今年7、8月に公立小中学校の校長を対象に行った。約4800校から回答を得た。

 近く国会で審議入りする見通しの教育基本法改正案については、反対が66%に上った。「教育問題が政治化されすぎている」と感じている回答者も67%だった。注目されるのは「教育改革は、学校が直面する問題に対応していない」という答えが、79%に達したことだ。

 中央教育審議会が導入を答申し、安倍政権の「教育再生会議」でも検討する教員免許更新制に、反対する校長は6割に上った。来年度から始まる全国学力テストは、85%が「結果を教育の改善に生かす方法ができていない」と手厳しい受け止めだ。

 一部で始まっている学校選択制は、「学校を活性化する」という肯定的な見方が約6割ある。一方で、学校間の格差やレッテル付けの広がり、教員の士気が落ちるといった懸念を持つ校長が少なくない。

 では、学校側は何を解決すべきだと考えているのか-。学力低下は、教員の指導力不足よりも、家庭に問題があると考えている校長が多いことが読み取れる。

 20年前に比べて、家庭の教育力が下がったとの回答が約9割。基本的なしつけができていないことや、保護者の利己的な要求が深刻な問題だと受け止めている人も8-9割に上る。現職校長への調査だけに、身内に甘い面は否めない。ただ、価値観や生活環境が多様になる中で、子どもや親との対応に苦慮する現場の様子がうかがえる。

 教育問題は社会的な関心が高く、政権の人気取りに使われがちだ。小渕・森政権の「教育改革国民会議」は、教員免許更新制や学校評価などを提言した。安倍内閣の教育改革はこの流れをくみ、より競争原理を導入しようとしている。再生会議は来年1月に中間報告を出す予定で、急ぎ足の論議になる。

 教育改革は教員や保護者らの理解と支持がなければ成果を望めない。もっと現場の声を丁寧に聞くべきだ。政治の都合で、子どもたちが振り回されるのが最も困る。


 北朝鮮から吹いた強い「北風」を自民党の追い風に変えたのだから、安倍晋三首相の手腕もなかなかのものである。与野党が総力戦を繰り広げた衆院神奈川16区と大阪9区の統一補欠選挙で、自民党が二勝した

 自民党候補は、神奈川では優勢が伝えられたが、大阪では知名度で民主党候補に劣り、接戦が予想された。安倍首相は就任後初めての国政選挙で、選挙の顔としての面目をほどこした

 首相に就任して早々に、中国、韓国を訪問して、外交関係を打開したことが効を奏した。北朝鮮の核実験実施発表に対し、中韓と連携して対処する姿勢を示せたことは、国民に対する大きなアピールになった。連立与党の公明党も集票力の大きさを見せつけた

 一方、民主党の小沢一郎代表には、選挙に強い”小沢神話“が崩れかねないほどの打撃だろう。安倍首相の出はなをくじけなかったばかりか、四月の衆院千葉7区補選の勝利で得た上げ潮ムードも消えた

 政治の風向きは変わりやすい。低支持率に苦しんだ森喜朗元首相の退陣後、二〇〇一年夏の参院選で、小泉純一郎前首相がブームを起こして大勝したのがいい例だ

 来夏の参院選には安倍政権の命運がかかる。格差社会の是正や少子高齢化対策など内政面でも課題は山積している。与野党とも国民のニーズを見極めなければ、追い風は得られない。



社説=安倍政権 補選2勝におごらずに

 神奈川16区と大阪9区の衆院補選は、いずれも自民党が制した。就任して1カ月の安倍晋三首相は、さぞほっとしていることだろう。

 北朝鮮による核実験強行が、かねて拉致問題などで厳しい姿勢をとってきた首相に追い風になった形である。

 選挙戦では、小泉内閣の時代に広がった格差の問題や、年金制度立て直し、教育改革など、内政問題の影は比較的薄かった。北朝鮮の問題がなければ、関心が寄せられるはずのテーマである。

 安倍政権の政策は、内政面ではまだまだ粗削りだ。核問題が前面に出る選挙戦になったのは、自民党にとっては幸運な展開だった。

 歴代の内閣を見ると、政権が発足した直後の支持率はおしなべて高い。安倍政権の場合、各種調査で6-7割の支持率を確保している。

 しかも今回は2選挙区とも、自民現職の死去に伴う選挙である。来年春には統一地方選、夏には政治の流れを左右する参院選が控えている。自民党にとり、2議席確保はいわば至上命令。取りこぼしのできない選挙だった。

 今国会では、防衛庁の「省」への昇格、憲法改正に向けた国民投票法案など、与野党の主張が対立する重要案件が浮上している。安倍首相はこれまで、内政問題は基本的な考えを示すにとどまり、具体化へ向けての手順などはこれから論議のテーブルに乗せる段階だ。

 安倍政権が勝利におごり、強引な国会運営に走るようでは、民意に背く。これまで以上に丁寧な政権運営が首相に求められる。

 民主党にとっては、地力不足をまたも露呈する結果となった。

 補選は総選挙に比べ、投票率が下がりがちだ。「風」頼みの傾向がある民主党には苦手な面がある。低投票率の下では、連立与党の公明党の組織票が物を言う。

 北朝鮮の核問題が深刻化する中で、民主党が掲げた格差対策など内政問題の主張は十分浸透しなかった。小泉政権の“負の遺産”といわれるアジア外交の行き詰まりを争点にする戦術も、安倍首相が就任早々、中国と韓国を訪問、関係改善の糸口を付けて機先を制された。

 民主党は4月の千葉7区補選は制したものの、勢いをつなげることはできなかった。選挙に強い「小沢神話」にも影が差した形である。

 小沢執行部の真価が問われる状況だ。来年の統一地方選、参院選に向け、敗因を謙虚に分析し、地方の支持組織の強化など、基礎体力を付けることに力を注ぐほかない。



多くの地域が雨模様で肌寒い日が続く。昨日は二十四節気の霜降…

 多くの地域が雨模様で肌寒い日が続く。昨日は二十四節気の霜降(そうこう)。北海道の各地では先週、初霜が観測された
▼<旅人の宿りせむ野に霜降らば我(あ)が子羽ぐくめ天(あめ)の鶴群(たずむら)>。万葉集の、遣唐使の母が詠んだという一首。旅人が宿る野に霜が降るのなら鶴たちよ、その羽でわが子を包んでくれるか…。この母に限らず、親ならだれしも抱く願いなのだろう。わが子が幼ければそんな思いはひとしおに違いない

▼二年前の昨日は、新潟県中越地震発生の日。寒々とした土砂崩れの現場で繰り広げられた皆川優太ちゃんの救出の光景を思い出す人もいよう。救助隊員の懸命の活動で奇跡的に助け出されたが、一緒に車に乗っていて亡くなった母の代わりに、天の鶴たちが小さな命を包んで守ったようにも映る

▼優太ちゃんは来月で五歳。家族や近所の人に見守られて明るく成長しているといい、多くの優しい羽が坊やを包んで守っているかのようだ。が、一方では守ってもらえなかった小さな命も。京都府で三歳の佐々木拓夢ちゃんが亡くなった。体重は標準の半分の約七キロで、父親と同居女性の二人が虐待容疑で捕まった

▼「ママおなかすいた。ママ起きて」と昼夜泣き叫んでいたという。春に六歳の姉が保護され、先週は拓夢ちゃんの情報も受けたのに、児童相談所は確認しなかった。「助け出したいくらいだったが、できなかった」と涙ぐみながら語る自治会長の言葉がつらい

▼希望を感じる話の一方で子どもの相次ぐ悲報。見知らぬ子でも、鶴の一羽になって、包んでやりたい思いにかられる。



嗚呼無念なることよ・・・&何がどこが違うのだろうか・・・

2006-10-23 15:32:23 | Weblog

                                         

                      襲名菊NO2

衆院補選自民2勝 “小沢神話”に陰り 民主党内、再び路線対立も・・・

選挙結果は変わらない。幾度繰り返しても同じ自民党(自公民連立)の勝利・・・民主党が第一党の野党では勝てるはずもないことは明白だ。民主党に政府与党との政策的違いは殆どない。

いつまで再編を考えることもなく、国民の為の政治の奪還にまともな取り組みをしないのだ。

第一党である民主党が自公民と変らない政党で存在し続け、その上に分散型党勢小能力プチ政党が散らばっていても、真の国民の為の政治の実現は程遠いばかりでなく、如何に国民の為の政党を誇示したところで、党勢の弱きは民主党と同じく、国民の為の政治看板を掲げながら全く機能しない存在と何等そこに違いは見い出せない。

せめて真に二極政治態勢が整い、全てが緊張感溢れる政治の場とならなければ、未来永劫我国国民は政治の恩恵に浴することなく、欺かれ通しで終わらなければならない。嗚呼無念なることよのう・・・(笑い)

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昨夜は遅く、一時的に激しい雨音が暫く続いたが、後は小雨が降ったり止んだりの状態で朝を迎えたようだ。コンビニへ一走りした。ゆうパックでは配達時間に居ないと持ち帰られ、局まで受け取りにゆかなければならない手間がかかるのだと言い、その時間的ロスも惜しい程の多忙さなのだという娘の場合は、管理箱へ入れて帰ってくれる黒猫ちゃんの方が都合が良いのだと言う。

コンビニにもゆうパック提携店と、クロネコ提携店がある。近い方のコンビニはゆうパック提携店で、それより百メートル余り離れてあるもう一軒のコンビニが、クロネコちゃん提携店であった。そのコンビニは昼時の所為もあって昼食を求める人達で混雑していた。

L字カウンターのはずれで伝票を書いたが、そこは背後が電子レンジが置いてあり、弁当をチンする人達がひっきりなしに、それを利用する為に私の背後に蠢いていた。伝票を書きつつ、その視野のはずれにその人達の手が、私の股下辺りの前へ、にゅっと突き出されてくるのが気持ち悪く、それでも伝票を書きながらそれとなく掴んだ状況は、私の足元にゴミ入れが置かれている為だと分かった。

弁当をチンした彼等はその其々が、包装してあるラップをそこで剥ぎ取り、私の前に備えられているダストボックスに投げ入れる動作を執って店を後にしていたのだった。(笑い)


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何処かが違う、違っているのは確かだが・・・どこが、どこで、どう、何によって違ってきたのか、違っているのだろうか???・・・

新聞コラム欄より・・・

 映画監督の才を発揮しているビートたけしさんにセピア色の場面を思わせる詩がある。「兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれて行ってくれた/初めて見た外国の映画は何か悲しかった」で始まり、題は「兄弟」

▼ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲む2人。しかしたばこを吸っている人たちに兄ちゃんが殴られ、お金をとられた、と詩は語る

▼「帰りのバス代が1人分しかなく/兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした/僕はバスから飛び降りた/兄ちゃんと歩いて帰った/先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた/僕も泣きながら歩いた」

▼淡々と兄弟の1日を描いた詩。悔しさをかみしめる結果になったほろ苦さも漂うが、救われた気持ちにもなる。バスに乗せようとした兄とバスから飛び降りた弟。2人を結ぶ強い糸が感じられるからだろう

▼時代小説で知られる作家の山本一力さんが上京して新聞配達をしながら学校に通っていた中学3年のとき、休日を利用、銀座に行ってコロッケ定食を食べた思い出を語っていた。初めての経験で何とか食券は買ったが、その後どうすればいいか分からない

▼込み合う店で立っていると、サラリーマン風の人に食券を出して待つよう教えられ、一緒に座ってナイフとフォークの作法も手ほどきしてくれた。山本さんは大人の親切が身に染みたそうだ。兄弟に限らず子ども同士、そして子どもと大人の関係。型にはまらない生きた教育の場である社会の土壌の現実を思う。


 高校生の大学進学率が50%を超えたのは、ここ二、三年のことで全国平均は52%強になっている。今や二人に一人が大学生になる時代である

一八八七(明治二十)年、四高など全国に五つしかなかった旧制高校は、後に富山高校などの創設で三十以上に増えるが「戦前社会で高等学校に入学できたものは同年齢の1%以下」(北國文華7号=近代日本と旧制高等学校・竹内洋氏)だった

旧制高校生は百人に一人のエリートだったのである。百人中五十人が大学生になる今日の教育の大衆化は、それはそれで大事なことだが、当時と今の学生の間には比較できないほどの差があって当然だろう

その1%のエリートが各界で指導者の大半を占め、戦前の日本を動かした功罪は様々に言われている。が、ひとりよがりの選良意識ではなく、周囲の人々から愛されたことは名作「伊豆の踊子」に描かれたとおりだと竹内さんは指摘する

きょう金沢では四高開学百二十年祭が開かれる。旧制高校生は今の若者とどこが違い、何が共通するのか。学都の遺産が未来にどのように生かされるのか。市民とともに考える機会になれば幸いである。



 郊外地の車の往来が後を絶たない大通り脇の地べたにあぐらをかいて談笑していた女子高生数名。缶ジュースを片手に一目で学校名が判別できる制服を着たまま。周りの大人の視線などまったく意に介していない

▼商店や食事処が連なるにぎやかな通りの店舗の外壁には同様に制服姿の男子高生が立て膝になってもたれている。会話もなく道行く人々の視線を気にすることもなく置き物のように座っている

▼いつの頃からか下校後帰宅することなく何をするでもなく人通りの多い通りの店舗の軒下に群れて傍若無人に過ごす高校生の姿が目につくようになった。通行人を冷やかしたり絡んだりすることはなくただ無為に過ごしているだけである

▼そのためかメディアが取り上げることはない。世の大人たちも関わりを避け静観の構えである。学校の先生方は授業の前後はもとより放課後も煩雑な校務に追われており以前のように校外補導に出向いて指導するゆとりも時間もない

▼選挙の投票権の下限年齢が現行の20歳から18歳に引き下げられることがそう遠くない日に実現しそうな日本において大人社会は高校生世代も国の将来に対して義務と権利の自覚ある行使は大過なく果たせると認知しだしたようである

▼要はこれらの自覚のみならずタテヨコ複雑な社会のしがらみの中で人として欠くことのできない規範を誰がどの段階で芽だし支援するかである。識者の多くは幼児期における親のしつけが出発点であり怠ると成長後に悔いを残すと指摘している。


下り坂・・・やがて雨になった。

2006-10-22 16:27:23 | Weblog

                           

襲名菊が咲いた・・・四、五日前に撮ったものだが、この清楚さと品の良さがなんとも魅力な花だ。

今日は午後急に空模様は憂い顔になって明日明後日と「纏まった雨になりそう・・・」という気象庁予報を裏付けるかに変った。買い物に出かける前に、洗濯物を室内へ取り入れておいたので正解だった。


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「爆笑問題」の太田光・・・の面白い発想の素晴らしさ・・・に拍手したい!

新聞コラム欄より・・・

連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーを一九四六年一月、幣原喜重郎首相が訪れ、天皇制存続と平和主義を訴えた。現代史の研究者たちは、この会談こそ平和憲法の出発点ではないかと注目する

▲マッカーサーは同意したばかりでなく、感動の涙さえ浮かべたともいわれる。およそ十日後、幣原首相の訴えに民主化を加えた三原則を部下に示し、憲法草案づくりを命じた。とすれば憲法は米側の一方的な押し付けばかりでもなかったことになる

▲もっと大胆な議論を展開するのが漫才コンビ「爆笑問題」の太田光さんだ。宗教学者の中沢新一さんとの対談憲法九条を世界遺産に」集英社新書)である。憲法を、理想社会の具現を目指していた米国人と、もう戦争は起こすまいと決意した日本人とで合作した「奇跡」と強調する

▲東西冷戦へ向かう、その後の歴史の流れから「あの無垢(むく)な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか」と熱っぽく振り返る。人々の思いが「国境を超越」して一つになった点に積極的な意義も見いだす。漫才を超えて、さまざまな活動に挑む太田さんらしい

▲新憲法制定へ意欲を示す安倍晋三首相。理由の第一に占領下で制定されたことを挙げ、「私たち自身の手でつくる必要がある」という

しかし平和主義を掲げた憲法が、今も国境を超えて人々に支持されているのは事実である。議論の出発点はそこにあるのではないか。

 


柳の下・・・

2006-10-21 20:57:25 | Weblog

国民投票法案の成立を11月に予定している安倍内閣・・・教育基本法改悪、憲法改悪を許してはならない。北朝鮮の核実験対策で政権の視点が、国民の意識を欺くにはお誂え向きに「国民の目を外へ逸らしてくれる」状態が出来上がっている。

政治も、常に観衆の目をどこか他へ惹きつけ逸らして、マジックを成功させるということが常套手段である、マジシャンのテクニックと良く似ている。必ずお笑い芸人のくだらない番組が横行すると、国民を締め付け痛めつける為の法案があっという間に成立可決されることが、これまで繰り返されて来ている事実だ。

国民のじっくりと考える習慣を喪失させるには、馬鹿番組が一番効果的なのかもしれない。つまりIT戦略は小泉純一郎という、ただ単なるお調子者ほどの人物に過ぎない男を、一国の宰相として5年半にも及び長期在任させる支持を与えてしまった。

有名になった内閣総理大臣補佐官世耕弘成(広報担当)をそのまま従えて、安倍は柳の下の二匹目の泥鰌を狙っている。いや安倍に限らない、常に国民は阿呆面さげた観衆を演じさせられる宿命にある。何故なら、「真の国民の為の政治」は嘗て行われた試がないからだ。お気をつけあそばしませ皆の衆・・・(笑い)

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新聞コラム欄より・・・

安倍政権の発足と北朝鮮の核実験で、政治の目は外に向かい、内では教育基本法改正が焦点という。この“姥捨(うばすて)”の現実を見過ごしていていいのか。

 <政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと>七月末に、八十八歳で急逝した鶴見和子さんが遺(のこ)した歌だ。免疫学者の多田富雄さんが『機』十月号(藤原書店)の追悼特集に寄せた文章「山姥(やまんば)の死」の中で紹介している

▼鶴見さんは、南方熊楠(みなかたくまぐす)の研究家として知られる比較社会学者。哲学者の鶴見俊輔さんは実弟だ。脳出血から奇跡的に回復したあと歌詠みに目覚め、さらに思索を深めた。半身不随の身で山野を渉猟し、水俣訴訟でも舌鋒(ぜっぽう)鋭く告発、現代文明に警告を発し続けた

▼そんな「エコロジーの精霊」のような生き方に、自ら創作能も手がける多田さんは能の「山姥」を思い浮かべ、鶴見さんを「現代の山姥」に見立てた。鶴見さん、まんざらでもなかったらしい

▼多田さんも脳梗塞(のうこうそく)に倒れ、発声を失ってリハビリ中だったが、この春、療養病床削減で、リハビリ打ち切りの挙に出た政府の医療改定に異議を唱えると、鶴見さんは最後のエッセーで「老人は寝たきりにして死期を早めようとするのだ。この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだ」と糾弾、冒頭の歌を詠んだ

▼小泉政治の六年間で、年収三百四万円の老人夫婦は、夫が長期入院すると、七十二万円も負担が増えるとの政府試算が明らかになる(朝日新聞)。所得税や住民税控除が縮小廃止され、社会保障の負担増が高齢者を追い詰める▼安倍政権の発足と北朝鮮の核実験で、政治の目は外に向かい、内では教育基本法改正が焦点という。この“姥捨(うばすて)”の現実を見過ごしていていいのか。

 


安倍首相の安全偽装運転

2006-10-20 15:26:53 | Weblog

安倍首相は、ただ今安全運転を心がけ、如何に国民を欺けるかを内閣総理大臣補佐官(広報担当)のアドバイスを受けながら、試走中・・・したがって北朝鮮核実権後「核保有の議論があってもいい」と自民党幹部や外相の発言に対し見解不統一を否定したが・・・殆ど姉歯じゃないが偽装運転の疑いは晴れない。(笑い)

透明人間誕生か?米で透明マント実験成功・・・
のニュースは、「核」と同等あるいはそれ以上の脅威となる、我々にとって決して歓迎せられざる実験成功ニュースだ。良く発明には功罪あって両刃の剣だ・・・という表現があるが、この実験成功は、寸毫ほどの功もなく、大きな罪のみをもたらすものだ。尤も戦争のための・・・武器としての開発であれば、もともと戦争が国家犯罪そのものであるから、この成功が、如何にその罪そのものであるかが解ろうというものであるが、これが、国家犯罪である、戦争に利用されるに止まらず、必ずや各国、世界人類の社会秩序はもとより、あらゆる倫理、道徳、人権の蹂躙と破壊、果ては破綻へと直結した、取り返しのつかない発明となろうことは明白である。


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新聞コラム&ニュースより・・・ 

「国民として誇りに思う」と、北朝鮮の人たちがマイクに語った。先日の核実験の後、中国の空港で撮られたニュース映像。本音か、取材向けの笑顔か▼旅行が許されるほどだ。現体制の崩壊は困る特権層だろうか。窮乏に耐える庶民が欲するのは核爆弾より、飢えも強制もない暮らしのはず。核兵器とは何か知らぬから言える一面もあろう

 ▼広島や長崎、日本各地で挙がった原爆被爆者の抗議を聞くがいい。数十万の肉親やわが身に難を負い、60年終わらぬ痛み、恐怖、怒り。原爆は救国の神などでない、と知る在日同胞の被爆者も輪にいた▼惨禍を体験した唯一の国として、日本は非核三原則を国是とした。痛みゆえ、新たな核保有の企てを「人類への暴挙」と正当に問える。核保有大国である米中ロなどとは違う思いで

 ▼北朝鮮がミサイル実験をした7月、「敵基地への攻撃能力が必要」と前防衛庁長官は語った。やり返せと言わんばかり。今回の核実験では「核保有の議論があってもいい」と自民党幹部や外相が発言を重ねた▼これも「美しい国」づくり? 安倍晋三首相はそうは考えないようだ。「国是を堅持する」と不統一を否定した。日本が核の傘の下にあるのも現実。だが、被爆国がたやすく報復論や現実論にくみしては、誰が核廃絶の旗を掲げるのか。


透明人間誕生か?米で透明マント実験成功
 かぶると姿が見えなくなる「透明マント」の実現につながるような素材の開発と実験に成功したと、米デューク大など米英の研究チームが20日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 研究チームによると、銅を含む特殊な人工素材で金属の円筒を覆い、電磁波の一種のマイクロ波を照射、反射させずに裏側に回り込ませることができたとしている。

 光も電磁波の一種で、物体に当たって反射することで物が見える。光に見立てた電磁波の一部が反射、散乱せずに回り込めたことから、研究チームは「透明に見せる素材の最初の実証に成功した」としている。

 真の透明を実現するには、光のすべての波長を、どんな形の立体でも完全に回り込ませることが課題だという。

 「透明マント」の研究は見えない兵士や軍用機などの開発のため米軍などが研究しているとされている。「見えない戦闘機」で有名なステルスは、探知用のレーダーの電波を異なる方向に反射させて受信させにくくする技術で、光を迂回(うかい)させて見えなくする技術とは異なる。


[2006年10月20日11時9分]




教育再生会議に会議ならぬ懐疑を抱く・・・

2006-10-18 15:21:57 | Weblog

景気回復・・・

パンチを食らわせただけではない。踏んづけ蹴っ飛ばし瀕死の状態の庶民の懐からその財布を抜き取り現金を奪い、せせら笑う。政府の名前で行われている庶民への経済的〔高税負担、給付減額、消費税税率引き上げ)負担増押しつけは、正に強盗、ゆすり、たかり・・・と何等違わない犯罪に等しい現状だ。景気回復を自画自賛の、小泉流手前勝手な手柄話にしてもらっては困る。政治家は国民の多くの、大半の、殆どの庶民が、どれだけの犠牲を強いられているかを考えたことがあるのだろうか。政治ってもっともっと温かいものであらねばならぬのではないか。温かさ・・・それは国民一人ひとりが平等に潤い、安定に裏打ちされ、恵まれた生活が保障された状態なのではないだろうか。

核保有論議をすべき・・・とまたまた麻生の大糞バカ外相の発言があった。お前なんか漫画でも読んで何もしないで死んでくれ!
音声版・・・聴く・ダウンロードボタンをクリック・・・

教育再生会議・・・ははっきり言って会議ならぬ懐疑的会議だ。こんなことで成果があがると思ったらそれは大きな誤算も甚だしいと言わねばなるまい。やる気の有無や、能力判定・・・免許更新制度。学校評価制度の導入・・・これではその将来に、政府が思い通りになる教師や、それを忠実実践する学校の画一的化が進むだけだ。昔の軍事教育体制の復活を目論む政府の、教育再生に名を借りた右傾化教育体制整備の強化であることは見え見えの茶番であり、ペテン劇である。

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新聞コラム欄と社説などより・・・

いざなぎ景気 きょう10月18日はミニスカートの女王と呼ばれた英モデル、ツイッギーが1967年に来日したので「ミニスカートの日」だという。当時、ミニスカートは爆発的流行を巻き起こし、後に佐藤栄作首相の寛子夫人のミニスカート姿も話題になった。「いざなぎ景気」真っただ中の時代風景である▲高度経済成長期の絶頂をなす57カ月間にわたる戦後最長の景気拡大がいざなぎ景気だった。それ以前に神武景気、岩戸景気と大型景気を日本神話から命名していたのが、とうとういざなぎの国生みまでさかのぼったところで高度成長は幕を閉じた▲いざなぎ景気は年平均約12%という経済成長をもたらしたばかりではない。その間国民の所得格差は縮まり、意識の上でも70年には国民の9割が「中流」という社会を作り上げた。同じ高度成長でも所得格差が拡大する今の中国とはまったく違う▲先ごろの月例経済報告で現在の景気拡大が57カ月目に入っていざなぎ景気とならび、記録の更新はほぼ確実という。だがあわてて古事記や日本書紀からいざなぎ・いざなみより前の神様の名を引っ張ってくる人はいない。そんな高揚する時代の気分とは無縁の静かな「いざなぎ超え」だ▲というのもこの間の年平均成長率が2%余にとどまったからだけではない。富裕層のリッチな消費行動が目を引く一方で、リストラによる非正規雇用や働く貧困層の増大が伝えられ、格差拡大によって社会のきしむ音が聞こえる中での景気回復である▲ミニスカートの大流行のように、1億人が同じ夢に向かって走った高度成長はもう昔話だ。だが経済を動かすのが現状に満足しない人の夢見る力なのは変わらない。夢見る人と、夢を失う人の二極分解はどうあっても避けねばならない。

[2006/10/18]  江戸中期、名君とうたわれた米沢藩主の上杉鷹山(ようざん)。一時は封土の返上を考えていた藩の財政立て直しに成功した。一汁一菜、衣服は木綿。質素倹約の生活である。藩主自ら模範を示した。しかし、江戸時代はコメ経済だったから改革といっても選択肢は限られる。倹約のほかは新田開発、漆、桑など特産品の奨励ぐらいなものである

▼その点では、現代の経済政策は多様にある。安倍晋三首相は重点政策の一つに財政再建を掲げ、簡素で効率的な「筋肉質の政府」を目指すと述べた。筋肉質が何を意味するのか、よく分からないが、景気の回復を追い風に経済成長路線を走るのではないか

▼歳出削減、国債発行の抑制は当然としても、消費税は「逃げず、逃げ込まず」の姿勢である。首相は消費税率のアップは避けられないと考えている節があるが、来年は参院選だ。そこまで踏み切れなかったことは想像がつく。「逃げて、逃げまくろう」である

▼小泉純一郎前首相はワンフレーズ・ポリティクスと揶揄(やゆ)された。だが、政治という舞台で演じた劇は国民を引きつけた。安倍政権はその余韻を受け継いだ。「美しい国」もいいが、この国の針路をはっきり示すべきだろう

▼「受次いで国のつかさの身となれば 忘れまじきは民の父母」。鷹山の述懐である。

<北朝鮮核実験>「日本の核保有議論も大事」麻生外相が発言

 麻生太郎外相は18日の衆院外務委員会で、北朝鮮の核実験問題に関連し「隣の国が(核兵器を)持つことになった時に、(日本が核保有の是非を)検討するのもだめ、意見の交換もだめというのは一つの考え方とは思うが、議論をしておくのも大事なことだ」と述べた。「非核三原則を維持する政府の立場は変わっていない」と前置きしたうえでの発言だが、現職の外相の発言だけに今後国内外で波紋を呼びそうだ。 笠井亮氏(共産)の質問に答えた。 日本の核保有論をめぐっては、自民党の中川昭一政調会長が15日、テレビ番組で「選択肢として核(兵器の保有)ということも議論としてある。議論は大いにしないと」と指摘。政府・与党内からも批判が相次ぎ、安倍晋三首相は翌16日「非核三原則は国是として守り続ける。(核保有を)政府で議論することはない」と強調。17日には「もう終わった話だ」と述べるなど、火消しに努めていた。外相発言はこうした問題を再燃させるとともに、野党などから「閣内不一致」との批判を受ける可能性もある。 北朝鮮の核実験を受け、米国などからも日本を含めた周辺国が核保有に走るのではないかという懸念が出ている。ブッシュ米大統領は16日のテレビインタビューで、日本の核武装論について「彼ら(中国)が懸念していることを知っている」と述べていた。

社説 2006/10/18(水)付

「核保有」発言 安倍政権の本音はどうなのか

 核実験の実施を発表した北朝鮮に対し、結束して封じ込めようとする国際社会の努力に、水をさす発言だ。  日本の核保有をタブー視せず、論議することは必要―自民党の中川昭一政調会長がテレビ番組でそんな認識を示した。  「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる、やればやり返すという論理はありうる」。そうも述べている。  翌日になって「私はもとより核武装反対論者だ。非核三原則をいじるとはひと言も言っていない」と語ったが、発言を撤回したわけではない。  非核三原則は国際社会での信頼獲得に多大な役割を果たしてきた。原子力を平和利用に限った原子力基本法の精神や核拡散防止条約(NPT)批准国の立場も忘れてはならない。  唯一の被爆国として日本は核廃絶を主導するべきで、韓国や台湾の核武装論に拍車をかけ、東アジアをさらに不安定化させるようなふるまいは論外だ。北朝鮮と同様、世界を敵に回す。米国の「核の傘」に守られる矛盾はあるにせよ、国民の多くも非核三原則の堅持を求める思いに変わりはないはずだ。  どう釈明しても、その揺るぎない国是をあえて俎上(そじょう)にのせるとなれば、おのずと見直しも視野にあってのことになろう。  日本の原理原則を顧みない過剰ともいえる反応は、弾道ミサイル発射に対し政府内から敵地攻撃論が出たときと似ている。ついタカ派の本音を漏らしたという印象もぬぐえない。  国際社会には日本の核武装に対する警戒感がある。ブッシュ米大統領も間接的表現ながら日本を牽制(けんせい)した。国民には心外だが、中川氏の発言はそうした潜在的脅威論を刺激しかねない。  折しも本県では伊方原発3号機のプルサーマル計画に地元同意した。プルサーマルには日本が保有する大量のプルトニウムの消費を促す意味合いもある。が、再処理工場の稼働でプルトニウムがさらに蓄積される一方、全国的なプルサーマル実施の目標達成は疑問視される。  狙い通りの保有量削減につながるかどうかは不透明なわけで、その点でも政治に不可欠なのは絶対に核を保有しないという強い意思表示だろう。  核保有発言では一九九九年に小渕恵三内閣の西村真悟防衛政務次官が更迭されたのが思い出される。ところが二〇〇二年、安倍晋三官房副長官が「原子爆弾も小型であれば問題ない」と発言し、福田康夫官房長官も将来の非核三原則見直しの可能性を示唆した際には、小泉純一郎首相が不問に付した。中川氏の発言に危うさを感じるのは、そうした伏線があるからだ。  安倍氏は首相就任後、一転して非核三原則の堅持を何度も明言している。一方でブレーンのなかには最近、核武装論に関する本を出した学者もいる。  自らが任命した党幹部の発言にどう対処するかや過去の発言などとの整合性を含め、首相は通り一遍の受け答えでなく、この際率直に語るべきだ。

<教育改革>「再生会議」が初会合 教員免許更新など検討へ

 政府は18日、安倍政権の最重要課題である教育改革を検討する「教育再生会議」(座長、野依良治・理化学研究所理事長)の初会合を首相官邸で開いた。安倍晋三首相は冒頭「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障するために、公教育の再生や家庭・地域の教育力の再生が重要だ」との方針を示し、教員免許更新制度や学校評価制度の導入の検討を要請した。 来年1月に中間報告を出し、予算措置が必要なものは来年6月にもまとめる「骨太の方針」に盛り込む。 首相と17人の委員、伊吹文明文部科学相らが出席した。首相は具体的な検討課題として(1)質の高い教育提供による学力向上(2)規範意識や情操を身につけた美しい人づくり(3)地域ぐるみの教育再生――の3点を提示。その後の討議では、いじめによる生徒の自殺も取り上げられ、義家弘介・横浜市教育委員が「脱落した子を受け入れる仕組みがない」と新たな制度づくりの必要性を強調した。 今後は全委員による自由討議の後、月内にも分科会を設置し中間報告の取りまとめ作業に入る。首相の要請を踏まえ、教員免許更新制度のほか全国的な学力調査、学校評価制度などについて議論を進める。政府は来年の通常国会に、中間報告を反映させた学校教育法改正案を提出する方針。 一方、首相が提唱する大学の9月入学制や教育バウチャー(利用券)制度の導入は与党や教育界に抵抗感が根強く、本格議論は中間報告後に先送りする方向だ。



偽装擬態ロボットと苛め問題

2006-10-17 14:22:52 | Weblog

自民党内部の流れが,あるいは政府の企みが「中川昭一政調会長」の暴言から推測できる。これは正にほんの一端を露呈したに過ぎないものであることは、今や周知の否定しがたい、加速度を増しつつある事実であり現況なのである。

安倍首相は安全運転を肝に銘じての「暴走癖、きれ易い性格」という鎧を温厚、生真面目、安全運転を装った衣で隠してスタートした、自公連立暴走族内閣期待の暴走族元締めであり、日米相互にリモート‐コントロールされるロボットの臆面もない偽装擬態工作で、当面を恰も切り抜けれるかに過信した「先任小泉譲りの言い逃れ、言い換え、すり替え」優等生的姿勢に徹して国民を先任小泉に続いて欺こうとしている。騙されるじゃないぞ!国民諸君!!!

いじめ・・・は難しい要素を含んでいて、一面的であろうが、多面的に捉えようが、その発生を防ぎ得る手段はおいそれとは見つからない。しかし手を拱いていれば、発生の助長を促すばかりであることはまた明らかなことであるから、何等かの対策を講ずることは必要不可欠である。

先生だけに、あるいは家庭だけに、まかせて済むことでは決してない。生徒自身を含めての三者に加え、周囲の地域住民の協力も含め、情報が表面に浮揚しない潜伏傾向を,敢えてこれに挑み把握できる態勢を整備する必要があるのではないか。

福岡の場合のように、先生自身がいじめ差別の張本人であることなど言語道断なことであるが、先生に拠る生徒へ対するいじめや差別が先ず潜在的に存在することは、古今その存在を否定しがたい現実として、何等変ることなく続いている教育現場の恥部病巣であることもまた現実なのである。

教育の機会均等の歴史と成果は誇れるものの、受験地獄による生徒という人間、人格に対して、その助走路から踏み切り点に至る冷徹非情な選別と階級的差別が、生徒という人間社会の情操を著しく破壊破綻へ導いていることは明白であり、その選別的差別が、優越感、劣等感の派生につながり、果ては行き場のない一つの嗜虐性、排他性を生み、弱者、苛め易そうな奴をターゲットにして自分の不満を転嫁発散させる快感を貪ることになるのではないか。

思えば、先生自身もこの差別的いじめの外にいる人間では決してないのである。先生自身がこの差別的苛めの環状線の中にどっぷりと身を晒して、捌け(はけ)場のない病状に苦しんでいるのも事実ではないかと推測する。即ち解決対処法は簡単なことではない。ただ言えることは、他人へ対する、隣人へ対する「思い遣る心」がその全ての根本にあれば少なくとも、他人や、同級生や、隣人を死に追いやるまでに至らしめる恥ずべき愚行を思い止まることができるのではないかと思うのだが・・・。

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新聞コラム欄&社説より・・・

【核保有論】首相はけじめつけよ

 自民党の中川昭一政調会長が日本の核武装論について論議することは必要との認識を示した。

 北朝鮮の核実験発表を受けて、国内外で日本の核兵器保有に対する懸念が広がっている折でもある。政権党の政策責任 者の発言を看過することは到底できない。

 中川氏は「憲法でも核保有は禁止されていない」とも発言した。平和主義を掲げる憲法が、大量破壊兵器の最たるもの である核兵器に触れていないのは自明の理だ。

 専守防衛の原則、核拡散防止条約加盟国の立場からいっても、核を持てるはずがない。憲法改正が党是とはいえ中川 氏国是である非核三原則に対する認識を疑われても仕方あるまい。

 唯一の被爆体験を背景にした非核三原則は、米の「核の傘」下にあることとの矛盾を指摘する声はあるものの、核廃絶 に向けた日本外交の背骨の役割を果たしてきた。同時に、周辺諸国に安心感を与えてきたのも間違いない。

 もっとも、中川氏と同様の考えは自民党内に古くからあった。岸首相は防衛のため核保有は可能と述べ、佐藤首相は「 日本の核保有が妥当と確信する」が本音だったとされる。

 最近では、2002年に当時官房副長官だった安倍首相が「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と発言し、関連 して福田官房長官が非核三原則の見直しにつながる発言を繰り返した。

 だが、小泉首相は「どうってことない」と不問に付した。自民党内のどこかに流れる非核政策転換への動きが、今回の 中川氏の発言を生んだとみえなくもない。

 国連安保理が対北朝鮮制裁決議を全会一致で採択したのは、核兵器の拡散に対する国際社会の重大な懸念の表れだ。そ こには、日本など周辺諸国が核武装を含む軍拡競争に走りかねないとの危惧(きぐ)の念も込められている。

 北朝鮮の核保有は日本にとって大きな脅威ではあるが、それに便乗するような発言は厳に慎むべきだ。在日米軍再編に よる日米の軍事的一体化の進展、集団的自衛権容認の動きなどが周辺国の不安につながっている現状を忘れてはならない 。

 自民党総裁でもある安倍首相は核兵器保有を明確に否定し、非核三原則の堅持を強調している。であるなら国内外の 懸念を取り除くため、中川発言についてけじめをつける必要がある。



いじめ
 お笑い芸の世界には「客いじり」という言葉がある。舞台からお客にからんで笑いをとる芸で、邪道ともいわれる。だ が、今のテレビのバラエティー番組は、素人相手や芸人同士の「いじり」芸で成り立っているともいえる▲携帯電話で書 かれた現役高校生の小説という木堂椎著「りはめより100倍恐ろしい」(角川書店)の「り」は「いじり」、「め」は 「いじめ」という。からかいやすい「いじられキャラ」をクラスに作り出し、常に道化役を強いるのが、今の中高生の隠 れたいじめの実情らしい▲「日本国語大辞典」(小学館)で「いじる」を引くと、最初に「弱い者を困らせたり、からか ったり、いじめたりする」とある。もともとが人をもてあそぶ言葉だったのだ。一説には「いじめる」の語源だともいわ れるから、こちらの方が根が深い▲福岡県筑前町の中学2年のいじめによると見られる自殺では、元担任のからかいの言 葉がクラスのいじめの引き金になったのではないかと疑われている。当の教師は遺族に自らの言動を謝罪し、亡くなった 男子生徒は「からかいやすかった」と語った▲からかいやすい誰かをからかって場を盛り上げようというのは、人間集団 ではありがちなことだ。だがそれが教室という閉ざされた圧力釜のような空間では残酷な暴力になる。本当に悔しい屈辱 はそれを自分の笑顔で包まねばならない時であるのも、不快な「いじり」にあった人なら分かる▲「生まれかわったらデ ィープインパクトの子供で最強になりたい」。生徒が死の前にこう書いた時の孤独感、無力感を思えば胸がつまる。だが 同じ境遇に苦しむ子供たちよ、死んではいけない。今は見えないが、君を応援する人はこの世にたくさんいると信じてほ しい。


教育学者の佐藤学さんが、教室の事実の「奥行き」を知った最初…

 教育学者の佐藤学さんが、教室の事実の「奥行き」を知った最初の出来事がある。小学校一年の教室。一人の男の子が 授業中に何度も机を離れて担任にまとわりつく。注意すればするほど、その子はいら立った行動をする。困惑する新人の 担任。授業を観察していた年配の先生は後で「叱(しか)らないで」と忠告した▼その子は右手の爪(つめ)だけ伸びて いた。自分で切っているからだろう。「まずは母親代わりになってあげて。家でもたぶん一人なのよ」。男の子の隠され た「物語」を洞察できる先生がいて、教育は成立する(「学び その死と再生」太郎次郎社)▼福岡県の中学校二年の男 子生徒が自殺した問題では、一年当時の担任の言動が「子どもたちによるいじめの大本になった」(校長)という。担任 は両親に「からかいやすかった」と釈明した。これでは教育にならない▼自殺した生徒は当日の一、三、五時間目の授業 中や休み時間、友人らに「死にたい」と話した。六時間目の美術の授業では、隣の生徒と話しながらスケッチブックに遺 書を書いた。放課後には校内のトイレで同級生に自殺すると告げ、「本気なら下腹部を見せてみろ」と言われた▼夜に自 殺するまで、生徒は言葉に出して繰り返し救いの手を求めた。でも誰も本気にしなかった。洞察力を必要とされる場面で はない。何が必要だったのか▼教育には人の脆(もろ)さや叫びに応答する「ケアリング(いたわり)」が含まれている 、と佐藤さんは説く。ここにもいじめ自殺による悲劇を絶つための答えの一つがあると思う。

2006年10月17日
 ▼先端産業で知られる福岡県は、栃木県と国内トップの座を競い合うイチゴの主産地でもある。「とよのか」の後継品 種として開発したのが「あまおう」だった。

 ▼研究の結晶である品種名が、生徒のランク付けに使われていた。福岡県の男子中学2年生がいじめを苦に自殺した問 題。生徒への言葉によるいじめが指摘される1年時の担任教諭は、生徒を学業成績によって「あまおう」「とよのか」「 ジャムにもならない」などと呼んでいた。

 ▼どんな感じで使っていたのかは分からない。悪気はなかったかもしれない。しかし、生徒を品物のように分類する担 任の思考が、クラスにいい影響を与えるはずがない。まして自殺した生徒を「偽善者にもなれない偽善者」「うそつき」 とののしってもいる。

 ▼「教師の格差意識がいじめを助長している」。わが子を失った父親の言葉は、学校の抱える病巣の一端を突いている ようだ。担任、生徒の加害割合はまだはっきりしないものの、担任の心ない言葉が、波紋のように広がった教室の空気に もただならぬものを感じる。

 ▼「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」。悲痛な叫びを遺書にしたため、東京の男子中学2年生が自殺した のはちょうど20年前。この時も「葬式ごっこ」に担任教諭が加わっていた。教訓がなぜ生かされないのか。

 ▼赤い、丸い、大きい、うまい。「あまおう」は、4つの言葉の頭文字から命名されたという。担任と生徒の関係、教 室の雰囲気は、こんな感じであってほしい。


いじめ自殺 言葉が『刃』となる怖さ
 言葉はときに鋭い刃(やいば)となって、人の心を突き刺す。福岡県筑前町の男子中学生の自殺は、担任の不用意な発 言がきっかけだった疑いがある。いじめを招いた要因解明こそが、教育再生につながる。

 「からかいやすかった」と、自殺した中二の生徒について、担任の男性教諭は語ったというから、何とも言語道断な話 だ。

 生徒の母親が担任にある相談ごとをしたときも、その中身をクラスの中で暴露したことで、生徒は差別的な「あだ名」 で呼ばれるようになった。それらの経緯についても、担任は認めているという。

 担任自らの言動が、いじめを誘発したことになるわけで、教育者として失格なのは言うまでもない。

 運動会でこの生徒が腕にけがをしたと訴えた際も、「おまえはうそをつきよる」というむごい言葉を吐いた。生徒はお そらく自分が突き飛ばされた思いだったろう。

 昨年九月には、北海道滝川市の小学六年生の女児が、教室内で首をつった。その自殺については、一年あまりたった今 月上旬になって、ようやく市教委が、いじめがあったことを認めた。

 そのいじめとは「キモイと言われた」ことだった。その言葉が女児の心を刺した。傷つけられた思いを綴(つづ)った 遺書を残していたが、市教委はずっと公表せず、「いじめの事実を確認できない」と言い続けていた。

 これは市教委による、いじめの「握りつぶし」と非難されてもやむを得まい。猛省すべきだ。

 一九八六年には東京都中野区の中学生が「葬式ごっこ」などのいじめで自殺した事件があった。九四年には愛知県西尾 市の中学生が、やはりいじめで自殺し、社会に大きな問題を投げかけた。

 数々のいじめ自殺の原因は、その前兆を敏感に感じ取る教諭の注意力不足や指導力不足によるのもあるだろう。滝川市 教委のように、いじめの事実自体を封印しようとする風潮が、依然として、教育界の中にあるのも無縁ではなかろう。

 見たくない現実から目を背けるならば、子どもたちの声なき叫びなどとても耳には入らないからだ。教諭の多忙さなど で、一人一人の子どもに目配りできないような現実があれば、それこそ重大な問題だ。

 十八日には安倍内閣の目玉である「教育再生会議」が始まる。教員免許の更新制や大学九月入学制などが論議される。 だが、その前に、むしろ教育現場の現状を直視し、いじめや校内暴力など生の問題に取り組み、議論を深め格闘してほし い。


自民党・中川昭一政調会長の暴言許し難し!!!

2006-10-16 16:30:00 | Weblog
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だからといって、我国が核を所有すべきだ、所有しても良いではないか・・・ということにはならない。改憲もすべきではないし、教育基本法も改悪すべきでなく、集団自衛権も都合よく解釈の改変拡大をすべきではない。

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新聞コラムと社説より・・・

安保理制裁決議
2006/10/16 中韓との堅固な連携築け

 北朝鮮の核実験実施発表に対し、国連安全保障理事会は、非軍事の経済・外交制裁を規定した国連憲章第七章四一条に基づく制裁決議を全会一致で採択した。これまで対北朝鮮制裁に反対してきた中国、ロシアも賛成に転換した。北朝鮮の暴挙を決して許さないという国際社会全体の断固たる意思が示された。日本は冷静かつ着実に決議を実行していきたい。

 北朝鮮は決議を受け、すべての核兵器と核開発計画を放棄しなければならない。ところが同国国連大使は採択に「ギャング的行為」などという言葉を投げ付け、「不当決議を全面的に拒否する」と表明した。あきれるほかはない。

 決議で最後まで焦点となったのは「貨物検査(臨検)」である。

 臨検は公海上で船舶を強制的に停船させ、積み荷の検査などを行う。武力衝突の引き金になる可能性があり、中国が懸念したのも理解できる。最終的には加盟国への義務化を見送り、各国が国内法に基づき対応することになった。米国にも慎重な行動が求められる。

 日本の対応だが、すでに輸入と入港の全面禁止、北朝鮮国籍保有者の入国原則禁止という、今回の決議を上回る内容の制裁を実施している。安保理決議を受け、金融制裁拡大など追加制裁を行う方針だ。政府の対応は評価されよう。

 むしろ懸念は、議論が軍事的に前のめりになっていることである。一つは、
自民党の中川昭一・政調会長「核保有の議論があってもいい」などと発言したことである。国是である非核三原則無視した暴論である。


 次に、貨物検査への対応だ。臨検は交戦権の行使にあたり、
日本では憲法上許されない。周辺事態(周辺事態法)が認定されれば船舶検査法による「船舶検査」が可能だが、それも強制力はない。そのため政府は米軍の臨検活動に協力するため、周辺事態法による後方支援や、新たな特別措置法の制定を検討している。

 
しかし、果たして現在の状況が、近隣諸国での有事を想定した周辺事態に当たるのか疑問だ。「わが国に火の粉が降り掛かる緊迫した状況でなければ認定できない」(岩屋毅外務副大臣)との指摘が常識的な判断ではないか。さらに、周辺事態と認定しても、米艦船への補給や輸送などの後方支援は、米軍の武力行使との一体化の恐れがある。また、米艦船が攻撃された場合など、集団的自衛権行使につながる危険性もある。憲法の原則が軽視されてはならないし、不測の事態を避けるためにも冷静で慎重な議論、対応が必要である。


 今回の制裁の実効性のカギを握るのは中国、韓国である。制裁は長期にわたる可能性が強い。日米の協力はもちろん重要だが、中韓との堅固な連携こそ不可欠だ。
日本は両国への働き掛け、説得に全力を尽くすべきである。



2006年10月16日
 ▼「朝鮮の新たな危機に対処するため、どうしても必要であれば原子爆弾を使用することも考慮中である」。1950(昭和25)年11月30日、トルーマン米大統領は定例記者会見で、こう言明した。

 ▼朝鮮戦争が始まって5カ月余。戦況打開に向けた決意表明だったが、「ヒロシマ」「ナガサキ」の悲劇を目の当たりにした世界の人々に大きな衝撃を与えた。53年7月の休戦協定までに核兵器が使われることはなかったものの、これを境に分断国家の朝鮮半島には核の影が落ちるようになる。

 ▼米軍は58年から韓国へ核兵器を配備。それらは冷戦終結後に撤去されたが、米軍は朝鮮有事での核兵器使用を想定した訓練を、現在も国内で実施しているとの見方がある。98年に模擬弾頭の投下訓練を行ったことは開示資料で分かっている。

 ▼「韓国には核兵器1000発以上が配置されているが、わが国はそのうちの2発だけで破壊される」。86年、北朝鮮の金日成主席は、友好国との首脳会談でこう述べた。三十八度線の南方にある脅威を理由に、核兵器保有を正当化したかったのだろうか。

 ▼核実験を実施したという北朝鮮の発表を受けて、国連安保理が経済・外交制裁を全会一致で決めた。安保理による北朝鮮への制裁決議は初めてのこと。7月にはミサイル発射もあっただけに、友好関係の中国も突き放さざるを得ない状況だ。国際社会の怒りは大きい。


 ▼北朝鮮の行動は断じて許されないが、大国の核兵器信仰にも目を向ける必要がある。


北朝鮮制裁

 うずたかく中古自転車を積んだ北朝鮮の貨物船が先日、日本の港を出ていった。核実験の制裁で入港禁止になったからだ。日本製の自転車は人気があり、高価という。最後の自転車はとても一般国民の手には届くまい▲
 国際社会もついに北朝鮮制裁に踏み切った。禁輸の中の「ぜいたく品」が、ことさら目を引く。兵器関連物資とまるで同等の扱いだ。金正日総書記を「暴君」と呼んだ、ブッシュ米政権の警告的意味合いを感じる▲
 そういえば曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんも、金総書記を「悪魔」と批判したことがある。「人々が持っていないスポーツカーや米国製ビデオ二万本を持っている」と。ぜいたくざんまいの暮らしの一端を物語っていよう▲
 国連決議を受けた日本政府の追加制裁にも、ぜいたく品の輸出禁止が盛り込まれそうだ。高級品、嗜好(しこう)品は金総書記一族だけでなく、軍や党の幹部にも渡るとされる。一部の特権階級にとっても禁輸は痛手にちがいない▲
 北朝鮮でこのさき気がかりなのは、やはり貧困にあえぐ国民の生活だ。恒常的な食糧不足に加え、今年七月の豪雨で深刻な被害が出たと伝えられる。せっかくの人道援助も平壌止まりでは、人々は飢えをしのげはしない。子どもや老人ら国民の命がいっそう心配になる▲
 三年前、非武装地帯近くの都羅山統一展望台から北朝鮮の農村風景を見た。高倍率望遠鏡のレンズの向こうに自転車に乗った人や歩く人の姿があった。あの人たちに制裁を受けるいわれは、もちろんない。



 破れかぶれとも思える北朝鮮の核実験強行には、驚きや怒りを通り越して一種の哀れみさえ感じる。先の大戦前夜、満州事変を引き起こした日本が「名誉ある孤立」を叫んで国際連盟を脱退した愚行と、状況が似ているからだ

▼いつもはベールに包まれた動静だが、ミサイル発射の時と同様いち早く公表し核保有国を誇示したのも、一人芝居を見ているようで何か物悲しい。同じ核問題でも米軍横須賀基地の放射性物質検出騒ぎは、軍事機密の壁が厚く、原因究明はうやむや

▼「安全上の問題はない」との政府調査結果を盾に横須賀市は、さっさと終結宣言。風評被害を恐れるあまりの幕引きだが、果たしてどうだろうか

▼汚染源は基地に出入りする原潜の可能性が高い。微量とはいえ、何らかの人的原因による漏出であることは疑う余地がない。市民の不安を一掃するには、米軍相手の脆弱(ぜいじゃく)なチェック体制を再点検しなければならない

▼騒ぎのさなか原因不明の電波障害が発生、車のリモコンキーなどが操作不能になるトラブルが相次いでいる。米空母が出す強力電波による影響とみられる。こちらも早期解決は難しいという。北朝鮮の無謀な核実験と同列には論じられないが、米軍の無神経な振る舞いで被害を受けるのは、いつも周辺住民である。