益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

政治家とは自分の使命を自覚しているのだろうか?

2006-05-17 09:58:04 | Weblog

子供たちへ胸張って受け継がせる「日本と言う国」は、本当に存在するか?果たして存在しているであろうか?

今我国は5年に亘る小泉政権の暴政悪政によって、これまでの安定した平和な国民生活の歯車は逆回転逆行し、破壊破綻され、一握りの政財界人の私腹肥やしとおぞましい戦争地獄へのレールが再び敷かれ始めている。

若者を、子供を毒する「吉本興行」を初めとするお笑い業界が幅を利かし、それを煽り取り上げるTVマスコミがバカ番組の垂れ流しを連日連夜続行して居る内に、精神の退廃は取り返しのつかない「真面目に考えること、働くこと、人を思いやること・・・」等々の大きな欠落と犯罪増加と社会の安定を著しく阻害、反社会的傾向が蔓延しつつある。そしてそれをチャンスと小泉政権暴走政権は地獄への罠を更に仕掛けんと意図している。今一度良く考えて見直して見る必要があるのではないか!

与党に属する政治家、時の政権小泉政権・・・は自らの失政のつけをすら国民に擦り付けその自らの責任問題を決して問わない。隠す、目を逸らさせる、無視する・・・何か一つでも、国民の安定平和,幸福、福祉の為に成されたことがありますか?

民主主義の破壊と庶民生活のささやかな安定を根こそぎ奪い、不安と窮乏のどん底へ突き落とし、自殺者、犯罪増多社会にしただけではありませんか!

更にそれは我々国民の現在だけではなく、未来をさえも強奪壊滅させてゆく道づけに繋がっていて、国民の負託を軽視、無視したものであるばかりでなく、余りにも隔絶した民主政治とは名ばかりの、暴政強権政治の非道極まりなさに尽きる有様ではありませんか!

ある新聞コラム&社説より・・・
2006年05月17日
 ▼万緑の季節にはまだ早いかもしれないが、土佐路の緑も日ごとに濃く、豊かになっている。

 ▼「薔薇(ばら)ノ木ニ 薔薇ノ花サク。ナニゴトノ不思議ナケレド」。生命の不思議に感嘆した北原白秋の詩に倣うと、木々の緑も個性にあふれているのが分かる。一口に緑といっても、色合いは樹種によって異なる。系統で言えば橙(だいだい)、茶、黄、緑と実に多彩だ。

 ▼そんな個性の輝きを人づくりの場で生かそうとしたのは戦後の教育基本法。「個人の尊厳」「人格の完成」の文言は、同じ色合いになることを求めた戦前の全体主義への反省から生まれている。「教育の憲法」といわれ、憲法とともに民主主義の柱を形成した教育基本法をめぐる動きが慌ただしい。

 ▼きのう衆院で審議入りした与党の改正案は、「個人の尊厳」は変わらないとしながらも、「国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」を重視する。戦前の教育への回帰だ、いや民主主義の定着した今の時代にそんなことはあり得ない、と見方は大きく分かれる。

 ▼まさか、よもや…そんな言葉とともに1冊の本を思い浮かべた。フランスの心理学者、フランク・パブロフさんの「茶色の朝」(大月書店)。ある国では法律によって犬や猫が茶1色に染め上げられる。続いて新聞、ラジオ、政党の名称などもすべて「茶色○○」に。やがて国民も違和感を覚えないようになる。

 ▼単なる寓話(ぐうわ)で済ませられるに越したことはないが、パブロフさんは、こうも書いている。「やり過ごさないこと、考え続けること」。
 

教育基本法 じっくり議論を深めて
 教育基本法改正案の審議が、衆議院で始まった。現行法にない「愛国心」が条文化されるなど、国論を分かつ理念も盛り込まれている。誰にも分かる言葉で、しっかり議論を深めてほしい。

 小坂憲次文部科学相は、改正案提出の趣旨説明で次のように述べた。

 一九四七年制定の現行法を取り巻く環境は、少子化や情報化社会の進展などで激変した。国民が豊かな人生を実現し、わが国が一層の発展を遂げ、国際社会の平和と発展に貢献できるよう教育基本法の全部を改正する。

 民主党が近く国会に提出する予定の「日本国教育基本法案」の前文にも「日本を愛する心を涵養(かんよう)」する、とうたわれている「愛国心」については、早くも文言をめぐってのやりとりがあった。

 政府案が、教育の目標で定めている「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養うこと」などとする、「態度」という言葉について、民主党教育基本問題調査会会長の鳩山由紀夫氏が、「心」とどう違うのかをただした。

 これに対し、小泉純一郎首相は「態度は心と一体として養われるものである」と述べるにとどまった。答えになっていないこれで納得できる人は、いるのだろうか。

 条文の中にある「伝統」や「文化」についても、きちんと議論してもらいたい。抽象的すぎて一体何を指すのか分からない。それが決まらなければ尊重のしようがない。

 日本経済史・思想史が専門のオーストラリア国立大学教授のテッサ・モーリス=スズキさんは、本紙への寄稿で次のように述べている。

 「伝統と文化」や「愛国心」が政治的に議論されると、「尊重されるべき伝統と文化」そして「愛されるべき国の姿」を、政府や与党が恣意(しい)的に決定してしまう。

 このような批判を避けるためには、審議を通じて問題提起し、家庭や職場でも、議論が巻き起こるようにすることである。

 そもそも、自分の国を愛するような感情は、自然にわき出てくるものであり、われわれはこれまで、条文化にはそぐわない、と主張してきた。いま、なぜ、教育基本法に盛り込まなければならないのか。そこのところも、納得のいくまで、分かりやすく議論を尽くしてほしい。

 改正案を審議する特別委員会のメンバーは全部で四十五人。うち自民が二十七人、公明は三人。与党が合わせて三十人を占めている。議論が生煮えのまま、法案を数で押し切るようなことは許されない。

 

愛国心求める人と、国を愛する人と
 愛国心といえば「一旦(いったん)緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以(もっ)テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語の一節を思い出す年配の方もいよう。その文法上の誤りも聞いたことがあるかもしれない。「緩急アレバ」は「緩急アラバ」でなければおかしいというのだ

▲辞書「言海」を著した大槻文彦はそう指摘したが無視された。ジャーナリストの大宅壮一は中学生の時に先生に質問したが、「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」--君主の言葉は取り消せないと諭された。勅語の起草者は漢学は得意でも、日本語は不得手だったのか

▲たとえば日本語研究に一生をささげた大槻と、指摘を黙殺した文部省の役人のどちらが愛国者だろう。そう考えたのも「愛国主義は無頼漢の最後の避難所だ」という有名な格言で知られる英国人S・ジョンソンも、独力で史上初の英語辞典を書き上げたとびきりの愛国者だったからだ

明治人が教育勅語によって国の安泰を託せると思ったその子らの世代は国を滅ぼしてしまう。だがその痛恨の体験から日本人は少なくとも二つを学んだ。一つは子弟の教育は思い通りにいかないこと。もう一つは他人に愛国心を求める人と、国を愛する人とはまったく別だということだ

▲「我が国と郷土を愛する態度を養う」を条文に掲げる教育基本法改正案の審議が始まった。野党・民主党は前文で「日本を愛する心を涵養(かんよう)」と政府案よりも愛国心をはっきりと打ち出したクセ球を対案に用意したという。自民党内の愛国者をもって自任する議員への揺さぶりらしい

いずれであれ法改正が国を愛する態度や心よりも、お役所や学校で他人に愛国心を求める人ばかりを増殖させてはたまらない。教育の基本は学んだことを次世代に淡々と伝えていくことなのをお忘れなく。

 


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