益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

嫌な予感・・・

2008-05-23 22:58:51 | Weblog

2008年5月23日(金) 晴れ

益鳥の身辺余話 AM8時56分、室内温度26℃、湿度60%、晴れ。


こういうことから、国民の感覚的操作が何気なく始まっている・・・愛国心・忠国心などを目指した「滅私奉公・お国のために・・・」的人間、国民の痴呆化を狙っている、陰謀の存在が隠されていることを今、誰も気づいていないのだろうか?恐ろしいことである。
 
それだけではない、視点は変わるが只でさえ「鬱病や、引きこもり」人口が増えている現状で、裁判に同じく参加するにしても、被告として登場するという・・・参加?になっては、笑い話にもならないとんだ裁判参加というものである。ただ、相談窓口を設置したから・・・で済ませる問題ではないであろう。・・・とも思うよ。

左様我輩は非常に頭が悪い。以下の裁判員制度導入趣旨なるものを読んでも、一向に「本当に必要な制度なのだろうか?」という疑問への答えは得られないでいる。我輩を除く国民諸氏は納得してるのであれば、相当に頭がよろしいなぁ・・・と感心したり、逆にどうかしてるんじゃないか?等と密かに頭を傾げているってとこが正直なところだ。

こうして国民はなんやら訳分からん間にとんでもない犠牲を強いられることになったり、そういった状態に落とし込まれていくんだなぁ・・・というサンプルのようなもんだなや・・・とそんな気がしてくる。それだけははっきりと分かるし理解できる。嫌な予感がするんだがなぁ・・・

 

最高裁判所Q&Aより転載↓

● どうして裁判員制度を導入したのですか。
類似 これまでの裁判に何か問題があったのですか。
これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。また,現在,多くの国では刑事裁判に直接国民が関わる制度が設けられており,国民の司法への理解を深める上で大きな役割を果たしています。
そこで,この度の司法制度改革の中で,国民の司法参加の制度の導入が検討され,裁判官と国民から選ばれた裁判員が,それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に判断すること(これを「裁判員と裁判官の協働」と呼んでいます。)により,より国民の理解しやすい裁判を実現することができるとの考えのもとに裁判員制度が提案されたのです。

● どのような経緯で裁判員制度の導入が決まったのですか。
裁判員制度は,平成11年7月,内閣に設置された司法制度改革審議会が,平成13年6月に取りまとめた意見書の中で「司法制度改革の三つの柱」の一つとして国民的基盤の確立を掲げ,その中核として導入が提言されました。 その後,内閣に設置された司法制度改革推進本部において,裁判員制度導入のための法律案の立案作業が進められ,平成16年3月「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案」が国会に提出され,同年5月21日に可決成立し,同月28日に公布されました。平成20年4月18日に同法律の施行期日を定める政令が公布され, 裁判員制度は,平成21年5月21日から始まることになりました。

● 裁判員制度が導入されることで,どのようなことが期待されているのですか。
裁判員が参加することにより,裁判官,検察官,弁護人とも,まず国民に分かりやすく,迅速な裁判とするように努めることになります。また,法律の専門家が当然と思っているような基本的な事柄について,裁判員から質問や意見が出されることによって,国民が本当に知ろうと思っているのはどういう点なのかということが明らかになり,国民の理解しやすい納得のいくものになると思われます。
一言でいうと,裁判の進め方やその内容に国民の視点,感覚が反映されていくことになる結果,裁判全体に対する国民の理解が深まり,司法が,より身近なものとして信頼も一層高まることが期待されています。

東京新聞コラム・社説より転載 ↓
筆洗
2008年5月23日

 どっちがいいとか悪いとか、無闇(むやみ)に言うもんじゃない。そう思わせるのが、ギリシャ神話にあるミダス王の話だ。

▼太陽神アポロンが牧羊神パンと、竪琴(たてごと)か何かの腕比べをした時、ミダスはパンに軍配を上げる。激怒したのは、アポロン。「おまえの耳などこれで十分だ」と、ミダスの耳を、ロバの耳に変えてしまうのである。

▼哀れミダス、常は頭巾(ずきん)で隠し、職務上知り得る理髪師には、他言すれば厳罰だと申し渡す。守秘の重圧に苦しむ理髪師は、仕方なく、地面に穴を掘って秘密をささやいた。よく知られたお話、『王様の耳はロバの耳』の基にもなった神話である。

▼裁判員になれば、理髪師の苦労は人ごとではない。「私は無罪を主張した」などと評議の内容を漏らせば、秘密漏示罪になり「六月以下の懲役又(また)は五十万円以下の罰金」に処されてしまう。

▼制度スタートまでちょうど一年となった二十一日、名古屋地裁であった模擬裁判の際、参加者の一人がいみじくも言っていた。「死ぬまで誰にも話せないなんて、すごく難しい。ストレスがたまる」。一般市民に、この心の負担は大きい。第一、そこまでの守秘が現実に可能かどうか。

▼神話では、理髪師が、例の穴を埋めると、そこに葦(あし)が生えてきて、風にそよぐ度(たび)に秘密をささやくようになってしまうのだ。誰かも言っていなかったか。人間はおしゃべりな葦である、と。

裁判員制度
2008/05/21
あと1年、課題解消期せ

 裁判員制度の開始日がちょうど一年後に迫った。「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」は二〇〇九年五月二十一日に施行される。その名の通り、私たちが人を裁く仕組みがスタートする。

 司法改革の目玉として法が公布されて四年。この間に最高裁はPRに努めてきた。だが、当事者である私たち国民の不安解消には程遠いのではないか。制度面の課題も山積したままだ。最高裁は「あと一年頑張れば体制は十分に整えられる」(島田仁郎長官)という。その過程はしっかり見届けていかねばならないだろう。

 「見切り発車」に懸念を抱く理由の一つには、事後の検証が難しい仕組みになっている点が挙げられよう。裁判員には守秘義務が課せられる。犯罪歴など極めて高度な個人情報を直接扱うのだから当然ではあるが、だからこそ制度検証との兼ね合いは大切だ。

 たとえば「評議」の場である。法廷の審理を経て、国民から選ばれた裁判員六人は、職業裁判官三人とともに、それぞれ意見を述べなければならない。被告は有罪か無罪か。有罪ならどれくらいの量刑にするべきか。まさに「開かれた司法」を象徴する場面であり、裁判員制度のクライマックスの一つと言っていいだろう。

 だが、その詳細を知ることは困難だ。評議の場でどんな意見が出たのか。どの意見が、どのような進行指揮で大勢を占めるに至ったのか。それらは裁判員として職務上知り得た秘密であり、外部に漏らすことは許されない。

 実社会で何かを決する場面に照らせば分かりやすい。家庭でも職場でも、あるいは国会でもいい。その道に詳しかったり、声が大きかったりする人の意見は、多少の理不尽さはあっても通りがちなことを私たちは知っている。万一、おかしな評議があっても詳細が知れれば改めることも可能だが、裁判員制度は原則的に外部からの検証の道を閉ざしている。

 旗振り役の一翼を担う日本弁護士連合会の鈍さも心配である。組織としての対応が難しいのは分かるが、検察側との総合力の差はこれまでも指摘されてきた。厳罰化の流れが勢いを増している折、「開かれた司法」の名の下に、取り調べ当局の力だけが強大化していくのだとしたら、在野法曹として不本意ではないだろうか。対応策をしっかり整えてほしい。

 既に取り入れられた公判前整理手続きの検証も、まだ十分とは言えない。取り調べの可視化や犯罪被害者参加制度などの新しい試みも、裁判員制度の中でどう運用されるのか未確定部分が多い。

 導入前の綿密な制度設計と、国民理解を得るための丹念な努力。それがいかに大切かは、たとえば後期高齢者医療制度をみても言をまたない。「あと一年の頑張り」に全力で取り組んでほしい。