益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

安倍首相の教育再生審議は「軍事国家再生教育」としての統制教育再生の目論みの他ではない!

2006-10-30 12:45:43 | Weblog

 

                                           菊 (画像クリック)

 子供から金曜日の午後メールが届いた。「これから帰ります。00時00分頃到着予定・・・(警官)」といった文面であった。

折り返し私は返信した・・・「解りやんした・・・(総監)」・・・(警官)という下りが「何でだ!~」と、ちょっとひっかかったものの、ふざけ心での表現だろうと解釈したのは当然のことで、だから私はそれに応えるように(総監)と書いて返信した。

駅まで子供を迎えに行き、後は土日と四方山話や、買い物に出たり、食べたり呑んだりの水入らずの時を過ごして、一息入れ様とスイッチを入れたTVの画面に、折りしもソフトバンクの通信費0円ニュースが取り上げられていたこともあって、メールの話になり、「それはそうとあの(警官)ちゅうのはどういうことだったのだね」と訊いてみた。

「えっ!警官って???」「メールの最後に書いてたじゃないの・・・」「ああ、あれ!警官?あ、あれ・・・(敬礼)よ。絵文字の敬礼を入れた・・・」と言って「解った!お父さんの携帯ドコモでしょう?ドコモに敬礼の絵文字がなかったのねぇっ・・・それで・・・」

送信メールを見せて貰うと警官が敬礼をしている絵文字が貼り付いていた。瞬間的に警官・総監と反芻した家族は大笑いになってしまった。

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苛めも、それ故の自殺も、履修不足も、優秀大学進学への期待と実力との狭間での、精神的重圧が引き起こす犯罪、自殺も全ては格差社会の仕組み上の犠牲的悲劇で、これまでの政治家の責任は重いものがある。しかもこの時期、安倍政権は「教育再生」を最重要施策にあげ、その解決どころか問題点の助長をこそすれ改善には程遠い案件を以って審議中である。その案件たるや再生は望むべくもない代物ばかりである。勿論安倍首相の望むところは軍事国家再生教育としての統制教育がその主なる目的であり、希望するところであるとするなら頷けないことはないが・・・
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新聞コラム&社説などより・・・

いじめの実態を調べて統計を出すとなると、その定義が必要にな…


 いじめの実態を調べて統計を出すとなると、その定義が必要になる。教育現場が定義にとらわれると、いじめがいじめ でなくなる▼埼玉県新座市の中学で、少年三人が同級生を失神させて顔などを殴る事件があった。市教委は学校から報告 を受けたが、三人が警察に逮捕されるまでいじめと認めなかった。文部科学省が定義するいじめは(1)自分より弱いも のに対して一方的に(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じる-こと。「継続的かど うか分からなかった」という▼岐阜県瑞浪市の中学では二年生の女子生徒が自殺した。両親の相談を受け、いじめられて いないか先生が生徒を見守っていた中での悲劇。学校側は、部活動中に本人がいじめと受け止めた出来事があったかもし れないが、いじめ自殺と確認できていないとしている▼「個々の行為がいじめに当たるかの判断を表面的、形式的に行う ことなく、いじめられた児童、生徒の立場に立って行うこと」。文科省はいじめの定義を示す一方で、こうも要請してい る。女子生徒の思いはどうだったのだろうか▼「どの親も戦々恐々で子どもを学校に送り出しています。被害者にならな いか、加害者にならないかと。いじめは起きて当然と認識することから始めたい。その方が被害者は声を上げやすいし、 加害者にならないよう子どもを指導しやすくなる」。ある小学校の先生からこんな手紙をいただいた▼今大事なのは、い じめで苦しんでいる子どもを一刻も早く救うこと。大人の叡智(えいち)と行動力を示したい


 学歴社会の矛盾
 (2006年10月30日付)

 「いい成績をとり、いい大学に入って医者になることが幸せにつながるという価値観を暴力に訴えてまで押しつけ、知 らず知らずのうちに精神的な極限状態まで追い込んでしまいました」▲「そのことで妻や二男、長女は命を失い、長男も 罪を償うことになり、今までの人生で築き上げた何もかも失ってしまいました」。奈良県で母子3人が死亡した医師宅放 火事件で父親が公表した手記の一部である。その悲痛な叫びは学歴偏重社会の告発にも聞こえてくる▲全国の高校で相次 いで発覚している必修科目の未履修問題も同根ではないか。本県で未履修を明らかにした鎮西学院高の校長が記者会見で 「進学のため」と語っているように受験重視によるひずみが教育内容をゆがめてしまった▲こんなデータもある。県地域 労使就職支援機構が若者に生きる力や働く意欲を持たせるためにどうしたらいいのか、親、教師、企業に問うたところ、 トップに上がったのは「企業や社会の学歴偏重を改める」「大学入試の廃止」だった▲受験至上主義の行き詰まりが見え ているのに転換できない。格差の広がりが、保護者に受験競争へのさらなるこだわりを生み、学校評価の重視が進学実績 を上げたい学校の焦りとなっているのではないか▲「教育再生」をうたう安倍新政権発足に合わせたかのように教育現場 の矛盾が噴き出している。教育とは何か。受験一辺倒の社会価値観そのものを問いかけたい。



バーチャルな改憲論

 就任後の“豹変(ひょうへん)”が指摘される安倍晋三新首相も、新憲法制定への意欲は変わりません。間もなく公布 六十周年を迎える日本国憲法はいぜんとして揺れています。

 戸惑いを隠せない顔の数々が目に浮かびます。安倍首相が誕生して一カ月、新首相の本当のところが見えてこないので す。

 ベストセラーになった著書『美しい国へ』は、言葉が躍るだけで具体的内容が乏しく、戦前的価値観への郷愁ばかり、 という印象でした。それまでの首相は、ナショナリズムを鼓吹する人たちから輝く星のようにもてはやされていました。

 ところが、政権を握ってからは様子が違います。

■どちらが“実像”なのか

 日本によるアジア侵略と植民地支配を認めた村山首相談話や、従軍慰安婦問題で強制があったことを明確にした河野官 房長官談話を踏襲し、靖国神社参拝は事実上凍結です。

 これらと矛盾する過去の自分の発言は「個人の見解」と棚上げしました。中韓両国の声を無視し続けた小泉外交から舵 (かじ)を切ったようです。

 個人としての安倍像、首相としての安倍像、どちらがリアルで、どちらがバーチャルなのでしょう。

 その一方で、一九四六年十一月三日に公布され、平和憲法として国際的にも評価されている日本国憲法を廃止し、新憲 法を制定する熱意は衰えないのですから「はて…」と判断に迷います。

 辞書を引くと「リアル」の項には「本物の・本当の」と、「バーチャル」は「仮想の」とあります。側近の一人で、首 相補佐官となった世耕弘成参院議員が雑誌『論座』十一月号で披露しているメディア戦略を読むと、戸惑いは一層募りま す。

 政策はもちろん、記者会見での話し方、カメラ位置についてのメディアへの注文、対談中の肘(ひじ)のつき方、視線 の方向など首相に対する“振り付け”は多岐にわたります。

■欠けている現実の認識

 懸念されるのは、そのように振り付けする側も、振り付けされる側もリアルな現実認識がないのではないか、と思われ ることです。

 太平洋戦争中の日本人の意識と生活の記録『暗黒日記』を残したジャーナリスト、清沢洌は四五年元日のページに次の ように書いています。

 「昨夜から今暁にかけ三回空襲警報なる。…日本国民は、今、初めて『戦争』を経験している。戦争は文化の母だとか 、『百年戦争』だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。…戦争はそんなに遊山に行くようなものなのか。 それを今、彼らは味わっているのだ」

 沖縄以外の国内が地上戦の戦場になったことはなく、政府による情報統制とそれに対するマスコミの迎合で、当時、国 民は実情を知らされずに、圧倒的多数が戦争を支持していました。米軍の空襲に連日さらされるようになって、やっと戦 争についてリアルな認識を持ち始めたが遅かった、と清沢は批判したのです。

 アフガニスタンやイラクでの戦争に対する日本人の意識と似通っていませんか。私たちは、遠くの、自分に見えない戦 争を人ごととして傍観していなかったでしょうか。

 爆弾が落とされる下には、ミサイルを撃ち込まれる先には、必ず普通の市民が暮らしているのです。イラクではいまだ に連日、たくさんの人々が亡くなっています。

 国際社会に背を向けた北朝鮮の暴走は止めなければなりませんが、戦争のもたらす現実をしっかり認識してことに当た りたいものです。

 民族派の論客である、一水会顧問の鈴木邦男さんは「今の日本では右翼団体より市民団体や右派メディアの方が過激だ 」と苦笑しています。

 いまや人口の大部分が戦後世代です。安倍首相と首相を取り囲む政治家の大半も、戦争を知らない、しかも市井のホコ リにまみれたことのない二、三世議員です。

 首相の変化は就任して現実の重みに直面したせいかもしれません。それでもなお、彼らの改憲とナショナリズムの主張 は、戦争に対する正しい認識を欠いたまま戦争できる国を目指しているのではないか、という不安を感じさせます。いわ ばバーチャルリアリティー(仮想現実)に基づく新憲法制定論です。

 二十世紀のはじめ、デンマークの陸軍大将、フリッツ・フォルムは各国議会に自分の考えた「戦争絶滅受合(うけあい )法案」の制定を働きかけました。一口で説明すると、戦争開始から十時間以内に国家の元首、その親族、首相、大臣、 国会議員、高級公務員など地位の高い人たちを最前線に送り込む、という内容です。

■戦争の顔をしてこない

 これが法制化されれば憲法第九条はもっと大切にされるはずですが望み薄です。せめて局面転換に向けて「戦争は戦争 の顔をしてこない」という言葉を反芻(はんすう)しましょう。

 戦争をしなかった国がいつの間にかそれのできる仕組みを持つようになるさまを描いた絵本『戦争のつくりかた』の制 作に協力した翻訳家、池田香代子さんの指摘です。