益鳥の思いつき放題放談之記

他愛のない話題で綴る無責任放談・・・

小泉政権の失政置き土産の山累々

2006-05-13 15:54:57 | Weblog

あれもこれも小泉政権の置き土産となる国民犠牲弱者切捨て失政累々たる屍の山にも匹敵する惨憺たる日本社会の現状だ!!!

ある新聞コラム欄より・・・

格差社会考 

雨の中ずぶ濡れの子は無責任な親のせい
 雨降りから、どんな光景を連想するだろうか。傘をさすか、雨宿りするか。童謡のように、傘を持って迎え
に来た母親と子供が手をつないで歩く姿を思い描くかもしれない。ところが、最近は雨の中の自己像を描くテストをすると、ずぶ濡(ぬ)れになった絵を描く子供が増えているのだそうだ。

 このテストは「雨の中の私」と呼ばれ、各地の少年鑑別所で、非行少年の家庭環境や養育歴などを探る精神分析的手法として行われてきた。とくに親子関係を通じた安全感覚があぶり出されるといわれ、一般には大切に育てられ、親に守られている子供は当たり前のように傘をさす姿を描く。一方、親から庇護(ひご)された体験に乏しい子供は、自分を防御する力が不十分なため、雨にもなすすべがなく、ずぶ濡れになる自分を描く。ストレスにさらされた痛々しい心の内の表れ、と考えられる。つい最近は福岡の鑑別所で30%、横浜では42%が雨に濡れた絵を描いたとの報告もあり、今後も増加する傾向が認められるという。

 「雨の中の私」は、必ずしも厳密に親子関係を示すわけではない。だが、少年事件の関係者は経験則を踏まえ、ずぶ濡れの絵の増加は、親子関係のゆがみを投影する不気味な現象と受け止めている。少年院の教官の約8割が「指導力に問題のある保護者が増えた」と指摘している事実とも、児童虐待の増加とも、通底している

 少子化で、補導・逮捕の人数には歯止めがかかったのに、依然として人口比が高いのも気がかりだ。非行に走る少年の割合が増えているからだ。少年院などでは処遇が困難な少年の増加も、大きな問題となっている。

しかも一昔前のように暴れて教官を困らせる粗暴型ではなく、ストレスや不安を抱えきれずに、泣き叫んだり、情緒不安定になるタイプが主流になっている。非行のピークは14歳から16歳だったのに、最近は年長になっても低下しなくなっているのも不安材料だ。成長に伴う通過儀礼型の非行が減少し、非行を繰り返し、成人後は常習犯罪者になる少年が目立つからだ。

 こうした状況とずぶ濡れの絵の増加は、不思議に重なり合う。外見上の差異はなくても、親の愛情を一身に受けて育つ子と、親に邪険にされる子がいる。今に始まったことではないが、最近は後者が際立つというわけだ。養育上の格差というより、親の格差というべきかもしれない。たとえば、離婚した両親がそれぞれ自分たちの恋愛に夢中になり、子供をほったらかしにしたため、子供が非行に走る……といったケースまで激増しているのが実情といわれる。

 親が子を庇護しないから、子は親を信じられず、非行もやめられない。その責めを子にだけ負わせてはなるまい。少年法改正による厳罰化より、親への対策に取り組むのが急務ではないか。

 『父と暮せば』など戦争レクイエム三部作で知られた映画監督の…
 『父と暮せば』など戦争レクイエム三部作で知られた映画監督の黒木和雄さんが脳梗塞(のうこうそく)で
亡くなって十二日でちょうど一カ月になる。七十五歳だった

▼八月十二日から東京・岩波ホールで公開予定の新作『紙屋悦子の青春』の準備に多忙をきわめる中での突然の死に、スタッフは動転した。昨秋のクランクイン以後、撮影は順調すぎるほど順調だった。本編になぜか音楽は使われなかった。最初と最後のタイトルバックに流されたトランペットが、今となっては弔いのように響くとスタッフは悲しむ

▼黒木さんは、主演の原田知世さんや、本上まなみさん、永瀬正敏さん、松岡俊介さん、小林薫さんが難しい鹿児島弁の台詞(せりふ)合わせに熱中する姿に心動かされたと書き残している

▼岸田戯曲賞を受けた松田正隆さんが、母の体験をモデルに描いた傑作戯曲の映画化だが、一九四五(昭和二十)年春、敗色濃い銃後の鹿児島の日常を、感傷を排して淡々と描くだけの会話劇で黒木さんは何を伝えたかったのか

▼兄の後輩で学徒出身の海軍士官に淡い恋心を抱くヒロインに、士官は自分の同僚との見合い話を持ち込んできた。見合いは行われ、直後に士官は特攻出撃して死ぬ。生き残ったヒロインと同僚士官は戦後、結ばれる

▼観客はスクリーンから伝わる事実の重みに打ちひしがれ、いつのまにかヒロインや、死にゆく士官に成り代わって嘆き、悲しむことになる。体験の風化がいわれ、戦前回帰を思わせる時代相に、黒木さんが遺(のこ)してくれたのは、観客の心を信じることの大切さだったか。


「救えた命」
 昔の中国では北斗七星が死をつかさどり、南斗六星が生をつかさどるという俗信があったようだ。4世紀に
書かれた伝奇集「捜神記」には、碁を打っていた北斗星と南斗星に酒食を献じて寿命を延ばしてもらうという話がある

▲易者に若死にの相があるといわれた少年は、卯(う)の日に桑の大樹の下で碁に熱中する2人に酒を注ぎ、肉を差し出す。返礼に南斗星は、北斗星の閻魔帳(えんまちょう)の「十九歳」の文字に上下置換の印を書き入れて、90歳まで生きられるようにしてくれたのだ

▲さてどこかで碁を打つ神仙の閻魔帳には、自分の寿命はどう書き込まれるのだろう。決まった寿命も書きかえられることがあるのだろうか。こんな空想が頭をよぎるのも、本紙のキャンペーン企画「救えた命」で、患者の生命は運まかせともいえる救急医療の現状を読んだからである

▲それによると全国で年間10万人以上もの重症救急患者が、十分な治療のできない病院に搬送されている可能性があるという。むろん治療の遅れが死につながるようなケースだ。背景には救急隊員が患者の重症度を判断して搬送先の病院を選ばねばならない制度の実態があるというのだ

▲対応能力によって3ランクに分かれる救急病院だが、救急隊員はどのランクの病院に搬送するかを決めねばならない。だが症状の判断は難しく、重症患者の35%を救急隊が中軽症と見ていたとのデータや、運び込まれた重症患者のうち救急隊が重症と思っていたのは約2割との調査もある

▲まるで人の寿命を決める神仙のような役割を押しつけられる救急隊員もたまらない。ここはどんな症状にも対応できる救急センターにまず運ぶ仕組みがほしい。寿命はやっぱり制度の不備ではなく、神様が決めてくれるのがいい。