遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

伊東静雄ノート3

2019-12-06 | 近・現代詩人論
川村二郎はあるところで、なぜ伊東静雄に惹かれた
かと云えば認識を追求する詩人という印象が、認識を追い求めるというその姿勢によってだと語っていたのを読んだ記憶がある。伊東静雄ほど鋭い形では現れているものがほかに見当たらなかったということらしかった。いづれにしろ『哀歌では』〈意識の暗黒部との必死な戦い〉によって、かれの〈個性〉が現実と激しく切り結ぶところに拠ってあったが、『春のいそぎ』の〈平明な思案〉は現実とほぼ重なり合ってしまうのである。

〈あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!〉の純白の世界へはもはや帰れないのでありあまりにもみじかい期間をはげしく燃焼しつくしたその一瞬の光芒のような〈個性〉のうちに、抒情詩の成立する根拠を問うことができるかもしれない。いま、伊東の熱く烈しく燃焼させた表現主体の根拠とはどこに求められたのか、伊東の思想を決定づけた日本浪漫派との出会いとはべつに問わなければならない問題であろう。



私が愛し
そのために私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
   真白い花を私の憩いに咲かしめよ 
昔のひとの堪え難く
   望郷の歌であゆみすぎた
   荒々しい冷たいこの岩石の
場所にこそ (「冷たい場所で」全行)
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