遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

伊東静雄ノート2

2019-11-18 | 近・現代詩人論

「発想は暑く烈しく無ければなりませんが表現においては沈着暢達でなければいけないと思います。〈略〉私自身『わがひとに与ふる哀歌』から『春のいそぎ』 へたどった道を思い浮べ個性の宿命といふのを不思議なものに思っております。「読書新聞」というのに『春のいそぎ』を評して「作者の温厚篤実な人柄のままにうたはれた云々」とありましたが、哀歌の当時誰が渡しを温厚篤実だなどと評しましたらう。〈略〉」


これは戦争も敗色の濃い真木昭和十九年に、伊東を私淑している一女性に当てた詩集のお礼と思われる手紙の一部分である。ここでかれは発想を語り、その詩業をかえりみている。詩的出発は伊東のことば通りであろう。たしかに熱く烈しかったが、晩年にちかづくにつれてれて沈着暢達へと深く沈んだ表現をとった。というよりも、たぶんとらざるを得なくなってしまっている自らへの不満やるかたのなさがつたわってくるのだろう。そして、そこに〈個性の宿命のようなもの〉を伊東はいたく察知していたことがわかる。それはまた、日本の近代詩以後の抒情の宿命というようなものに一直線に貫かれた痛みであったといっていいようにおもえるのだ。


この読み方に多少不安があるのは、日本浪漫派といわれた詩人の詩や伊東の詩を絶賛した萩原朔太郎の詩の影響についてはどの程度なのかもあまりかえりみることがなかったという不安のせいなのかもしれない。川村二郎はあるところで、なぜ伊東静雄に惹かれたかと云えば認識を追求する詩人という印象が、認識を追い求めるというその姿勢によってだと語っていたのを読んだ記憶がある。伊東静雄ほど鋭い形では現れているものがほかに見当たらなかったということらしかった。いづれにしろ『哀歌では』〈意識の暗黒部との必死な戦い〉によって、かれの〈個性〉が現実と激しく切り結ぶところに拠ってあったが、『春のいそぎ』の〈平明な思案〉は現実とほぼ重なり合ってしまうのである。〈あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!〉の純白の世界へはもはや帰れないのでありあまりにもみじかい期間をはげしく燃焼しつくしたその一瞬の光芒のような〈個性〉のうちに、抒情詩の成立する根拠を問うことができるかもしれない。いま、伊東の熱く烈しく燃焼させた表現主体の根拠とはどこに求められたのか、伊東の思想を決定づけた日本浪漫派との出会いとはべつに問わなければならない問題であろう。

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