洞玄寺 2008-12-21 14:33:20 | Weblog 火薬町から厚狭川沿いの道を 行くと西下津地区になる 左手山間に大きな屋根が見える 洞玄寺である 厚狭毛利家の菩提寺として2世紀半 にわたり毛利家一族が祀られてきた この辺りは全く不慣れで手探りの 状態でスケッチした
文化会館 2008-12-20 13:42:09 | Weblog 正式名は山陽小野田市文化会館 と言う 旧小野田市と旧山陽町が合併する までは山陽町文化会館だった 時々クラッシックや演歌歌手などの コンサートがあったりして何度か 入ったことがある この会館の向こうには新幹線厚狭駅 がある
高架橋 2008-12-19 13:35:51 | Weblog 日本化薬の前の道をしばらく 行くと視界が開けてくる 厚狭川上を走るのは国道2号線 のバイパス 宇部市の舟木地区から山陽小野田市 埴生地区まで今年全面開通し便利になった
古い工場 2008-12-18 14:54:00 | Weblog 日本化薬は1916年(大正5年) に創立されこの工場が最初の工場 であった ダイナマイトなどの火薬類は 火薬ジャパンという別会社で製造 している 触媒や医薬品なども製造していて 従業員は290名 9人制の男子バレー部は全国2位 という強豪チームを有する。
火薬工場 2008-12-17 14:00:56 | Weblog 鳥越地区から厚狭川に沿って 少し行くとこの工場がある 正式名は日本化薬厚狭工場 昔は厚狭日化(あさにっか)と 呼んでいた この辺りは昔の風情が残って いて何となく懐かしさを感じる 通りである 「火薬町」というユニークな 町名がついている
鳥越の集落 2008-12-16 15:06:23 | Weblog 厚狭川橋を渡りすぐの信号を 右へ行くと鳥越(とりごえ) 地区になる 静かな山間の集落である 集落の前には広い田園があるが やはり休耕田が目立つ この辺りにも元会社の同僚や 知人が住んでいる
厚狭川下流 2008-12-14 15:08:12 | Weblog 我が家の前の国道190号線を 下関方面へ車で3分くらい行くと 厚狭川橋がある 橋を渡ると旧山陽町渡場地区に なるがこの辺りには友人知人が多い 橋の上から上流を眺めて描いた 遠く向こうの堤防の先に行きつけの 美味しいウナギ屋さんがある 下流は橋をくぐるとすぐ小野田湾と なり周防灘に流れる
寝太郎像 2008-12-13 15:36:52 | Weblog 旧山陽町の伝説「三年寝太郎」の像 山陽本線厚狭駅前ロータリーにある 三年間眠り続けた一見すると ただの怠け者の男が突然起き出した 末に灌漑など大きいことをすると いう話 もっと詳しいことを知りたいひとは 「寝太郎」で検索してみてください このブログに初めて旧山陽町の絵を 載せました。 今後おいおい町内を描くつもりです
横顔 2008-12-12 09:38:25 | Weblog 順八翁は 天保6年(1835)に生まれ 大正8年(1919)に没 長州(萩藩)の下級武士の家に生まれる 藩校「明倫館」に学ぶ 明治8年ころからセメントに注目し 「士族授産」事業として明治14年 日本初のセメント会社(小野田セメントの前身) を設立34年まで社長をつとめた