鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

永明寺公式ブログ【所在地】〒681-0065 鳥取県岩美郡岩美町新井210 【電話&FAX】 0857-72-0777

浦富の香林寺が永明寺に合併された経緯

2012-12-18 20:32:16 | 【永明寺合併寺 香林寺】
  香林寺は、大本山諸嶽山總持寺の妙高開基の通幻寂霊大和尚禅師の生誕地に建っていました。通幻寂霊禅師は、曹洞宗が全国に広まる礎を築いた名僧で、その誕生にまつわる「飴買い幽霊」の民話でも有名です。また、香林寺は、江戸幕府大老の井伊直弼の師である佛洲仙英大和尚禅師が得度した寺です。
  鳥取藩次席城代家老(倉吉荒尾)の荒尾嵩就(透關院殿、倉吉荒尾初代)の三男で瑞松山景福寺(鳥取市新品治町)の中興開基である荒尾秀就(瑞松院殿、倉吉荒尾三代)は、兄の荒尾宣就(満正院殿、倉吉荒尾二代)の妻である池田備中守長幸の娘(香林院殿心岳理清大姉)の菩提を供養する為に浦富に地霊山香林寺を建立し、陣屋敷のある倉吉にも荒尾家(倉吉荒尾家)先祖代々の牌所(菩提寺)として父と兄の戒名を山号と寺号とする透關山満正寺を建立しました。
  香林寺は、鳥取藩主の池田家、次席家老の荒尾家、浦富を管轄していた家老の鵜殿家、御用商人などの牌所と祈願所になっていましたが明治期に廃寺となり、香林寺の過去帳と檀家を永明寺が継承し、香林寺を合併しました。永明寺では本堂に香林寺の霊廟壇を設け、香林寺歴代住職と香林寺を庇護していた池田家、荒尾家、鵜殿家の方々の供養をしています。
  香林寺開山の彌峰理天大和尚は、浦富の土葬神(つげのさい)の墳墓(通幻寂霊禅師の生誕地)のそばに草庵をむすび隠棲していましたが、宮城の金剛山輪王寺十六世となるにあたり、弟子の独之が草庵に住持していました。元禄三年(1690年)に鳥取藩城代家老の荒尾秀就は、兄の荒尾宣就室の香林院殿(池田備中守長幸の娘)の二十五回忌に景福寺十六世の徳翁孫隆大和尚(香林寺初祖、満正寺開山)と独之の両者と合議して、瑞應山本光寺の末寺で白地にあった雪渓山龍泰寺を改称して瑞松山景福寺の末寺の地霊山香林寺とし、香林院殿の牌所(菩提寺)としました。
  香林寺は、佛洲仙英禅師の実家が火元となった「坂根屋火事」で浦富の繁華街と香林寺が焼失する香林寺八世の佛山本宗大和尚(景福寺三十二世、吉祥院十世、本光寺二十五世、佛洲仙英禅師の得度師)までは景福寺の退居寺(隠居寺)として堂宇が存在していました。しかし、「坂根屋火事」ののち香林寺九世の讓山謙觜大和尚(周源院八世、龍澤庵二世)から香林寺十七世の鐵山全牛大和尚(洞泉寺六世)までは景福寺住職をしておらず、景福寺の退居寺としての性格は弱まり幕末を迎えました。

永明寺の薬師如来像の由来(因幡薬師霊場 第26番札所)

2012-12-18 20:30:54 | 【永明寺の由来・歴史】
  永明寺の開創期の歴史をたどってみると当寺に薬師如来像が奉安されている背景には、白鳳期の創建とされる岩井廃寺(国史跡)や平安期に開かれたとされる岩井温泉と密接な関わりがあることがわかります。
  永明寺開山の日外宗旭大和尚は、本光寺十世、長安寺開山です。本光寺は、永明寺の本寺であり、岩井温泉に鎮座する御湯神社の社地の字「弥勒堂」のあたりにあった天台宗の岩井廃寺(弥勒寺)を曹洞宗に改宗し、応永元年(1394年)に山名煕貴(一説に山名煕高)が開基となって再興された由緒ある名刹です。岐阜市にある岩井山延算寺には、岩井廃寺の薬師如来像(重要文化財)が移され奉安されています。本光寺は、日外宗旭大和尚のときに鹿野にある少林山讓傳寺の末寺と定められました。また、岩井温泉近くの宇治の利生山長安寺は、岩井温泉の源泉を発見し病を癒したとされる宇治長者こと藤原冬久の菩提寺です。平安期作の仏像を有する長安寺は、廃寺となっていましたが、日外宗旭大和尚が寛文元年(1661年)に本光寺の末寺として再興し開山となりました。
  日外宗旭大和尚は、晩年に隠居して過ごす適地を新井の道竹城の上屋敷に得ました。高僧が隠居する知らせを聞いた近隣の地主、庄屋などが競って浄財を喜捨し、鳥取藩主の池田光仲の治世に寺領を安堵されて、永明寺は、承応元年(1652年)に本光寺の隠居寺として開創されました。開創以来、永明寺は、釈迦牟尼仏を御本尊としていますが、承応四年(1655年)に薬師如来像が奉安されたことが如来像の背面に記されています。永明寺三世の厳洲太密大和尚(本光寺十五世)が伽藍を整備し、そのあとを引き継いだ永明寺四世の鳳洲道林大和尚(本光寺十八世)が永明寺の開創期の由来に関して安永四年(1775年)に『永明寺因由記』を漢文で著し詳述しています。
  永明寺二世の華山太梁大和尚(本光寺十四世)は、寛文七年(1667年)に本光寺が坂上から恩志に移転した後、本光寺御本尊が「拈華微笑の釈迦牟尼仏」のため「拈笑山」だった山号を本光寺開山の南章長勝大和尚(勅賜佛頂瑞應禅師)にちなんで享保十一年(1726年)に「瑞應山」と改めました。永明寺には、延享元年(1744年)に華山太梁大和尚が御湯神社の神祇官の占部後胤と渡部長門のもとめに応じ、神社の由来を漢文で著した『御湯神社本記』が所蔵されています。

永明寺の公式ブログ開設

2012-12-18 12:55:54 | 【永明寺よりお知らせ】
  永明寺の公式ブログを開設いたしました。写真は、永明寺の裏庭と池です。永明寺では、主にお檀家さまを対象として昭和55年の創刊以来『永明寺だより』を現時点で第129号まで発行してまいりました。ひきつづき『永明寺だより』は発行してまいりますが、更にブログ開設でより多くの方々に永明寺の活動や行事、境内のいまをお伝えできればと考えました。誰もが気軽につどう活気あふれるお寺をめざし、お檀家さまのみならず地域の皆さまとも手をとりあって寺門興隆していけますように。

永明寺住職 石田 光徳 九拝 

長谷寺住職 石田 貴道 九拝 (永明寺副住職)

永明寺護持会 役員一同 合掌