冷えた空気の中を歩き回ったので、暖かい飲み物を頂きにカフェへ…。

カウンターの上に並べられたブラウニーやフルーツ・ケーキ…なんて美味しそう!
でもあいにくお腹は空いていなかったので、身体が暖まりそうなスープをお願いした。
とろりとしたベジタブルスープの熱々の湯気に、冷気で強張った髪や顔の皮膚がふにゃあと緩んでいく感じ…ああ温かい…嬉しい。

ベジタブルスープはたっぷり、でかいカフェオレボウルのような器になみなみと注がれて…写真では普通のコーヒーカップのサイズに見えるけど、スプーンはカレーを食べるときのような大さじサイズ…。
英国では珍しい厚切りのパン。小麦胚芽や種がぎっしりで1枚食べるのがやっと。
近くのテーブルにいた家族連れの女の子が、スープの写真を撮るわたくしを「そんなものの写真を撮るの?」と言いたげな顔で見ていた…。
カフェの内部の写真はコチラをどうぞ。


身体も暖まったところで、もう一度メイン・サンクチュアリとネイチャー・サンクチュアリを最後に回ってみることにした。
もう余り時間がない。
するとまた轟音が…!
飛行機だ。
さっきも驚いたけれど何てひどい音だろう。
飛行機が遠ざかってしまうと、また辺り一面何もなかったかのように静寂に包まれる。このギャップは何なのか…。
おちおち瞑想もしていられないのではないだろうか…。
再び2つのサンクチュアリに立ってから、初日に迷った道を辿ってYELLOW SANDSへ戻った。
迎えに来てくれた赤いタクシーに乗り、フォーレス駅へと向かう。
…結果を言えば、フィンドホーンは自分のように駆け足で回り駆け足で帰って行く者に何かが起こる場所ではなかった。
自分の体調にも問題があったかもしれないけれど、一朝一夕で「何か」を期待するには図々しすぎるというものだろう。
精霊や妖精を直に感じ取れなくても、今の自分にはフィンドホーンへ行くことに意味があった……そういうことなのだと思う。
そしてフィンドホーンで感じたギャップ。
あの轟音はインヴァネス空港の飛行機ではなく、Kinloss空港の軍用機だったことが、帰りのタクシーの中で分かった。
初めはこんな神秘的な場所の上に飛行機が飛ぶなんて…と眉をひそめたが、あのひどく邪魔にしか感じられない轟音にもちゃんと意味があるのだ。
フィンドホーンでは定住が禁止されていると聞いたことがある。
様々な共同作業を通じて必要な事を学び経験し、自分の中にある神を体験することが出来たならば、また一般社会に戻っていくことが重要とされているようだ。
フィンドホーンを訪れた人はみな、ずっとここで暮らしたいと思うだろう。
平和で静か…高い精神性を持つ人たち。
スピリチュアルなパワーに溢れた奇跡のような場所…。
しかしフィンドホーンという限られた世界の中だけでしか生きていけない、暮らせない人間になるのは駄目なのだ。
ちょっと例えが飛ぶが、まついなつきさん(漫画家)の著書の中で、アトピーで苦しむご自分の子供さんについてのお話があった。
ある田舎の温泉に入るとアトピーの症状がピタリと止まるので、一家でここに引っ越そうかと真剣に考えられたらしいのだが、また苦しむと分かっていながら結局は東京で暮らして行くことを決心された。
それは息子さんに「世界中のどこででも生きていける人間」になってほしいから。
このまついさんの考え方とフィンドホーンのあり方は全く同じだと思う。
人里を離れて山に籠もることだけが修行の場ではない。
物に囲まれながらそれに溺れることなく、意に染まなくとも多種多様な人格の人間と社会生活を共にすること。
これこそが究極の修行ではないのかと思う。
あの飛行機の轟音は、フィンドホーンで暮らす人たちに、外の世界(一般社会)を忘れてはならない、無視してはならない…という警鐘のような役割を果たしているのではないだろうか。
陽気なタクシーの運ちゃんが、ここからどこへ行くんだい?と訊いた。
「エーディンバラ。あ~えっとビコウズ、マイフレンド リーブスインエーディンバラ。…トゥモウロウ、ロンドン」
快調に飛ばすタクシーの後部座席で、明るい日差しが眩しかった。
「FOR INSPIRATION AND CONTEMPLATION…。」
フィンドホーンは非現実的な場所のようで、実はとても現実的な場所であった。
付記。
フィンドホーンの創始者アイリーン・キャディさんは英国時間の12月13日午後7時すぎに、息を引き取られました。
慎んで哀悼の意を捧げます…。

カウンターの上に並べられたブラウニーやフルーツ・ケーキ…なんて美味しそう!
でもあいにくお腹は空いていなかったので、身体が暖まりそうなスープをお願いした。
とろりとしたベジタブルスープの熱々の湯気に、冷気で強張った髪や顔の皮膚がふにゃあと緩んでいく感じ…ああ温かい…嬉しい。

ベジタブルスープはたっぷり、でかいカフェオレボウルのような器になみなみと注がれて…写真では普通のコーヒーカップのサイズに見えるけど、スプーンはカレーを食べるときのような大さじサイズ…。
英国では珍しい厚切りのパン。小麦胚芽や種がぎっしりで1枚食べるのがやっと。
近くのテーブルにいた家族連れの女の子が、スープの写真を撮るわたくしを「そんなものの写真を撮るの?」と言いたげな顔で見ていた…。
カフェの内部の写真はコチラをどうぞ。


身体も暖まったところで、もう一度メイン・サンクチュアリとネイチャー・サンクチュアリを最後に回ってみることにした。
もう余り時間がない。
するとまた轟音が…!
飛行機だ。
さっきも驚いたけれど何てひどい音だろう。
飛行機が遠ざかってしまうと、また辺り一面何もなかったかのように静寂に包まれる。このギャップは何なのか…。
おちおち瞑想もしていられないのではないだろうか…。
再び2つのサンクチュアリに立ってから、初日に迷った道を辿ってYELLOW SANDSへ戻った。
迎えに来てくれた赤いタクシーに乗り、フォーレス駅へと向かう。
…結果を言えば、フィンドホーンは自分のように駆け足で回り駆け足で帰って行く者に何かが起こる場所ではなかった。
自分の体調にも問題があったかもしれないけれど、一朝一夕で「何か」を期待するには図々しすぎるというものだろう。
精霊や妖精を直に感じ取れなくても、今の自分にはフィンドホーンへ行くことに意味があった……そういうことなのだと思う。
そしてフィンドホーンで感じたギャップ。
あの轟音はインヴァネス空港の飛行機ではなく、Kinloss空港の軍用機だったことが、帰りのタクシーの中で分かった。
初めはこんな神秘的な場所の上に飛行機が飛ぶなんて…と眉をひそめたが、あのひどく邪魔にしか感じられない轟音にもちゃんと意味があるのだ。
フィンドホーンでは定住が禁止されていると聞いたことがある。
様々な共同作業を通じて必要な事を学び経験し、自分の中にある神を体験することが出来たならば、また一般社会に戻っていくことが重要とされているようだ。
フィンドホーンを訪れた人はみな、ずっとここで暮らしたいと思うだろう。
平和で静か…高い精神性を持つ人たち。
スピリチュアルなパワーに溢れた奇跡のような場所…。
しかしフィンドホーンという限られた世界の中だけでしか生きていけない、暮らせない人間になるのは駄目なのだ。
ちょっと例えが飛ぶが、まついなつきさん(漫画家)の著書の中で、アトピーで苦しむご自分の子供さんについてのお話があった。
ある田舎の温泉に入るとアトピーの症状がピタリと止まるので、一家でここに引っ越そうかと真剣に考えられたらしいのだが、また苦しむと分かっていながら結局は東京で暮らして行くことを決心された。
それは息子さんに「世界中のどこででも生きていける人間」になってほしいから。
このまついさんの考え方とフィンドホーンのあり方は全く同じだと思う。
人里を離れて山に籠もることだけが修行の場ではない。
物に囲まれながらそれに溺れることなく、意に染まなくとも多種多様な人格の人間と社会生活を共にすること。
これこそが究極の修行ではないのかと思う。
あの飛行機の轟音は、フィンドホーンで暮らす人たちに、外の世界(一般社会)を忘れてはならない、無視してはならない…という警鐘のような役割を果たしているのではないだろうか。
陽気なタクシーの運ちゃんが、ここからどこへ行くんだい?と訊いた。
「エーディンバラ。あ~えっとビコウズ、マイフレンド リーブスインエーディンバラ。…トゥモウロウ、ロンドン」
快調に飛ばすタクシーの後部座席で、明るい日差しが眩しかった。
「FOR INSPIRATION AND CONTEMPLATION…。」
フィンドホーンは非現実的な場所のようで、実はとても現実的な場所であった。
付記。
フィンドホーンの創始者アイリーン・キャディさんは英国時間の12月13日午後7時すぎに、息を引き取られました。
慎んで哀悼の意を捧げます…。
そうなのよ!山にこもるのは楽なのよ!でも、それじゃダメな何かがあるから、篭っちゃダメなのよ。
言葉にできないや...
確かにあの辺りの軍用機は凄い音を立てて飛ぶよね、マッハゴーゴーって感じ(・・どんな感じだ??)
なるほどね・・・
山にこもる・・・この世の中、今の時代を生きている中で、
目を背けてはいけない現実、というものを
ちゃんと認識して、それおをふまえた意識の中で
自分の精神を鍛えたり、静粛にさせたり、磨いたりするって
ことなのかな??
↑あきちゃんの言いたいことも、とても知りたいわ・・・。
そうだよね、どうしても特別な場所に行かなきゃ悟りとか開けないような気がするけれど、日常生活をまっとうにこなしていくこと、真面目に生きていくことが一番の修行のような気がするわん!
だからフィンドホーンでなきゃ出来ないってことはないと思うの。
でも何かのきっかけを与えてくれる場所であることは確かだす。
今度は日曜日以外
いやあマッハな軍用機だったわ~。思わず耳を押さえたもん。
妖精さん!うふうふうふ~
でもそれはただ自分に都合のいい夢のような場所を求めてただけで、この現代で飛行機が飛ぶのは当たり前で車がびゅんびゅん走ってるのも当たり前のことなんだよね。
まさしくやっこちゃんが言っているとおり(あきちゃんが言いたいことも同じだと思うよ!)の印象をわらしも感じました。
あの轟音の中で瞑想できるようになったら、きっとどこででも瞑想できるわ…。
仏教でも修行ってあるけどさ(特に禅宗とか真言密教とか)、山で修行して、「俺って悟り開いちゃったぜ~!イェイッ、修行達成♪」ってことじゃなくて、お山で学んだことによって得られたものを、衆生の救済に役立ててナンボ、っていう。
俗世に立ち返ることを考えずにする「修行のための修行」とか「自分のための修行」じゃ、ダメなんだよねーー。
この、雑念や雑音にまみれた世の中で、どれだけ高みに達することが出来るか、それを保てるか、生かせるか・・・・・。
そんな精神性があれば、宗教戦争とか、ないはずなのに。
>修行のための修行…
そうそう!いくら滝にうたれても、ただうたれた自分に満足してちゃ何にもならないんだよね。
もちろん精神や身体を鍛える為に「滝にうたれる」って行為は否定しないけれど…。
フィンドホーンの役割というのはこれからもっと大きくなっていくような気がします。
宗教の介在しないこんなコミュニティが近代になって現れたことにも意味があるような気がするし…。
石油の高騰も、人間に石油をエネルギーとして使う時代を終わらせて、真剣に地球のことを考えなさい…というメッセージなのかなあ…とも思いますだ。