オーストラリア永住権取得は難しくない!

5つの目標を作り始まった、永住LIFEの幸せなオーストラリア永住権への道

幸せなオーストラリア永住権への道 5 小さなハワイ

2005-06-28 15:27:55 | Weblog
一晩、バスに揺られてゴールドコーストに到着した。
うーん、これは小さいハワイだなぁ。

ゴールドコーストハイウェイというメインストリートを挟んで、
沢山のお土産物やさんや、飲食店、そしてハードロックカフェに巨泉のOKギフトショップがあり。
高層のマンションや、ホテル、コンドミニアムがビーチサイドにはにょきにょきと建ち並び、水着のままで、カフェではお茶を飲んでいる人たちがいる。
サファー達が裸足でぺたぺた歩いている。
シドニーとは比べようも無いほどのリゾート感だ。

よし、いい感じだ!まずは家を探そう。
日本食レストランの前に張られていた、シェアメイト募集のマンションに電話をかけて
家を決め、落ち着く事ができた。海まで歩いて2分くらいの場所に、そのマンションは
あった。そして、プールとジャグジー付きで週100ドル。
残念ながら、12,3偕建ての3偕なので窓から海は見えなかったが、敷金も礼金も
ないシェア暮らしなので、もっと素敵な場所が見つかったら引っ越せばいいと思った。
その後、本当に3ヶ月で引っ越す事になった。

家が決まったら今度は学校だ!
住む場所は別として、5つの目標を達成する為には英語は必須。
英語が話せなければ、仕事もできないし、外国人の親友もできないし、
沢山の仲間と語りあう事もできない。
とにかく、英語が話せなければなにも始まらないのだ。

学校にも通い始め、1週間がたち生活も落ち着いてきた。
その頃から、僕は1つの問題について考えはじめていた。







幸せなオーストラリア永住権への道 4 Ask your heart.

2005-06-22 18:41:07 | Weblog
5つの目標をたてた僕は、シドニー空港に降りた。
ユースホステルに泊まりながら、素敵なビーチの見える家を探す事にした。しかし、シドニーの物価の高さと、入国したのがオーストラリアの初冬だった為、冬のボンダイビーチはとても寂しく、シティーは僕が育った東京の街とあまり変わらなかった。ここは自分の求めていた場所ではないと落ち込んでいた。
そして、意味もなくブラブラしながら1週間以上がすぎていった

そんな、ある夜に不思議な出会いがあった!
ケンジさんという年上の日本人とユースホステルで知り合い、夜通し話すことになった。
ケンジさんは初対面の僕に、まるで昔からの仲間のように、自分の事や今までの話を聞かせてくれた。なんだか不思議な感じのする人だった。
僕も自然に、オーストラリアに来るまでの事、今の状態をケンジさんに話した。
ケンジさんは言った「永住LIFEくん、君に足りないのは少しの勇気と行動力だよ。ここが違うと思うなら、なぜ何時までもここに留まるんだい?本当にやりたい事があるのに、自分のすべき事がわからなくなったら、自分の心に聞いてみな。」

次の日の朝、バス会社に行った。
そして何処か違う場所に行くチケットを買う為に、でも何処がいいかさっぱり分からなかった。なぜなら、突然に決めたからだ。「サーファーズパラダイス」なんだか分からないけれど、かっこいい名前だと思った、そんな名前を町の名前にしてしまうオーストラリア人のセンスに感動しながら即決してしまった。

僕のシドニーでの生活はたったの10日で終わってしまった。
そして、その後の2年間を過ごす事になるサーファーズパラダイスに向かう事になる。
ケンジさん、ありがとう。なにか大切な時には不思議と誰かが現れて導いてくれる事もある。
あの日、ケンジさんがくれた言葉は英語の言葉だった。
If you really want some,You shuld ask your heart.
Go for it!






幸せなオーストラリア永住権への道 その3 僕と目標

2005-06-22 18:07:37 | Weblog
前回はオーストラリアに着くまでの5つの目標についてお話しました。
なぜ僕がこの話をしたかと言うと、この5つの目標が到着の日から帰国の日まで、
そして、現在の永住権の修得にいたるまでの間、ずっとついてまわっていたからです。

実際はワーキングホリデーのビザがきれる1年目までは、この目標を書いたノートは
手元にあって、覚えていたのですが、学生ビザに切り替えた後の2年目は引越しの際に
どこかにまぎれてしまい何処かに隠れてしまい、自分自身もその存在を忘れていました。

帰国を決め、荷物をまとめはじめ、部屋の整理を初めた時に、何処からともなく、
このノートが出てきて、再び僕の目に触れる事になるのです。

その日までの僕のオーストラリアでの冒険を書いていきます。

幸せなオーストラリア永住権への道 2 5つの目標

2005-06-08 18:01:20 | Weblog
僕は25歳の時に初めて、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。今はワーキングホリデーの制度も変わり30歳までビザをとる事ができますが、当時は年齢的にもぎりぎりでした。そして、25歳といえば社会的にも学校を卒業して、就職をして2,3年が過ぎて、それぞれ将来の自分が見え始める頃です。そんな頃に僕は勤めていた仕事を辞めてオーストラリアに旅発つ事にしたのです。

僕は、その時に思いました。帰国した時に、仲間や家族に「お前、向こうで何をしてきたの?」と聞かれた時に、なんて答えたいだろうか「うーん、上手になったのは波乗りと、遊びかな?」これではダメだな。
そうだ、帰国までにやり遂げる5つの目標をつくろう!

そこで、シドニー行きの飛行機の中で紙とペンを出して考えました。
うーん。なににするかな? 色々、前向きな目標を考えたけれど、良いものがうかびません。

そうだ!本当に自分のやりたい事にしよう、こんな風になったらいいなーと夢を見ていた事にしよう。
そして、5つの目標ができました。
1、現地のサーフショップで唯一の日本人スタッフとして働く。
2、英語しか話せない外国人の親友を作り、一緒に暮らす。
3、海の目の前に暮らし、プール、ジャグジー付きで窓から波がチェックできる家で暮らす。
4、たくさんの外国人の仲間と出会い、色々な価値観と世界を知り、共有する。
5、オーストラリアでの暮らしが幸せなものであれば永住権をとる。

うん、これは良い!これが全部できたら、この1年は素晴らしいものになるに違いない。
その為には、まず英語だなー。勉強はどうでもいいから、まず話ができるようにならないと
なにも始まらないな。そうだ!英語を話せるようになろう。

僕のオーストラリアはこうして5つの目標を立てることから始まりました。

幸せなオーストラリア永住権への道 1 永住LIFEから

2005-06-08 16:33:55 | Weblog
はじめまして、永住ライフです。

僕がワーキングホリデーで1998年に初めてオーストラリアに行ってから7年が過ぎました、さらに2000年に帰国してからでさえ5年の月日が流れています。永住権の習得にはこんなに月日が必要なのでしょうか?

そんなことはありません。2000年の帰国直後にオーストラリアに永住したいと考えました。しかし当時の僕は永住権を取得できるのは一部のお金持ちか、ものすごいスキルを持った人物か、さもなければオーストラリア人と結婚をするしか方法はないと思っていました。

ああ、自分はお金持ちでもないし、人に誇れる特別なスキルもない、オーストラリアに2年住んでいたとはいえ、オーストラリア人の彼女がいたこともない、永住権なんて夢のまた夢だな、考えていました。

そんな時、お金持ちじゃなくても、コネがなくても、その上なんとオーストラリアに一度も行ったことがなくても永住権を取得する事が可能だと知りました。

この、ブログでは僕の「幸せなオーストラリア永住権取得までの道」を物語形式で書いていきます。この物語を通じて、自分もオーストラリア永住権取得の始めの一歩を踏み出そうと考えてくれる人が現れる事を楽しみにしています。