『英語屋さん』の宝箱

『英語屋さん』『英語屋さんの虎ノ巻』(集英社新書/電子書籍版)、『英語で夢を見る楽しみ』(財界研究所)の著者のブログ

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ゴミも吸殻も道徳心も捨てた人々

2006-10-19 11:05:58 | 随想

 この国の道徳心は比較的高いと思っていた私も、最近はそうも思わなくなってきました。かつて都内の別の区の賃貸マンションに住んでいた当時はほとんど気にならなかったのですが、一軒家に引っ越して、門前に落ちているタバコの吸殻や菓子パンの空袋に気付くようになってからは、いちいち嫌な思いをしながら拾っては捨てています。


 私が現在住んでいる新宿区では路上禁煙条例がすでに施行されているので、この家の近くで歩きながらタバコを吸っている人を見かけては「すみませんが、新宿区では道路でタバコを吸えませんよ」とやんわりと注意することにしました。しかし、私の注意などどこ吹く風。「すみません」といってどこかに行ってしまう人はまだいいほうで、半数くらいは無視してそのままタバコを吸い続けています。さらにひどいのになると、私が見ている目の前でタバコを投げ捨ててしまう人も…。さすがに立腹した私が、「道路はあなたの灰皿じゃないでしょう。迷惑だから、拾ってください!」と強く言うと、オロオロしながら逃げてしまったので、結局は私が拾う羽目になります。


 そのような迷惑行為をはたらく通行人の大多数は、30代から50代以上のサラリーマン風の男性。新宿区の外から通勤している人もいるのでしょうから、区の条例を知らないのはまだ仕方がありませんが、人が注意しているのに無視することはないでしょう。こういう人々に道徳や法の遵守を説くのがまったく無駄だとしたら、この国の民度もたかが知れています。


 業を煮やした私は、路上禁煙を呼びかけるステッカーを新宿区役所からもらって門の外に貼りました。そのステッカーをもらうとき、区の職員に「地下鉄の駅から出てくる人が、そこでもうタバコに火をつけている」と話したところ、しばらくしたら地下鉄の駅前にも同じステッカーを貼ってくれました。その効果があったのか、ひところに比べると、捨ててあるタバコの吸殻が以前より少なくなりました。しかし、門前から吸殻が完全になくなることはなく、不逞の輩との闘いはまだまだ続きそうです。


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映画『フラガール』を見て

2006-09-28 11:48:05 | 随想

 都内でフラを教えている家内に引っ張られて、上映中の映画『フラガール』を見てきました。なにしろ出不精な私、映画館に足を運ぶのは『千と千尋の神隠し』以来、実に4年半ぶり。


 『フラガール』は、昭和40年代、エネルギー需要の変化に伴って閉山を迫られた炭鉱会社が地元の雇用確保のために建設した常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)に東京から招かれたフラダンス教師が、素人の田舎娘をフラダンサーに育てる物語。その経緯は、かつてNHKで放送していたドキュメンタリー番組『プロジェクトX』でも取り上げていましたが、この映画はそのストーリーを涙あり笑いありの娯楽作品に仕上げていました。生活のため娘に「腰ミノをつけて裸踊り」をさせることに対する炭鉱夫たちの屈辱感や怒り、東京から来たフラ教師との葛藤というモチーフもよかったと思います。


 家内のほうはフラを教える教師の側に感情移入して見ていたそうですが、私自身は昭和40年代の田舎の風景の描写に見入ってしまいました。私が育った北海道の田舎でもよく見かけた板葺き平屋建ての社宅や、通学に使ったのとよく似たディーゼル車を見て、懐かしさがこみ上げてきました。「よくできたCG(またはセット)だなあ」と思って見ていたら、そのほとんどが現存している建物や乗り物をロケで撮影したものだそうです。やはり、実写の映画はいいですね。ハワイのダイヤモンドヘッドの稜線を彷彿とさせるボタ山(ズリ山)を随所で見せた手法、有名なハワイのウクレレ奏者ジェイク・シマブクロが演奏するBGMも、全体の雰囲気をよく盛り上げていました。


 この映画は、あの高度成長期に日本全体が繁栄を謳歌していた陰で、このような苦労を重ねて生活の基盤を築いた人もいるという事実を思い出させてくれます。まだ、地域社会や会社が一種の共同社会として、人々の暮らしを守ろうとする古き良き時代だったのかもしれません。同じ地域振興策といっても、国がばらまいた金でひたすら「箱物」を作っては失敗したバブル期以降の社会の風潮に対する一種の警鐘と受け取るのは、少しうがった見方でしょうか。


 ところで、ひさしぶりに訪れた映画館は、数年前とはかなり様変わりしていることも驚きました。やわらかいイスで快適に見られましたし、夫婦割引や年齢による各種の割引も利用できるようになっていました。平日の昼間ということもあって映画館には年輩の人の姿も多く見られました。この国の映画産業の努力の跡が伺えます。


子ネコ生かし

2006-09-18 12:01:49 | 随想

 私の住む東京都内の古い一軒家にはネコが2匹、同居しています。「飼っている」ではなく「同居している」と書いたのは、彼らがどちらも自らの意志でこの家を選んで住み始めたからです。つまり、どちらもノラネコの出身。


 先輩の雌ネコはまだ小さかったころ、ノラの母ネコが連れてきました。その母ネコは、「この子をお願いします」とでもいいたげな表情でしばらく私の顔を見つめたあと、どこへともなく姿を消しました。子ネコのほうはしばらく軒先で暮らしていたのですが、前足が硬直して動かなくなるという大病を患ったため、動物病院に入院させました。


 後輩の雄ネコも、しばらく拙宅に遊びにきているうちに縁台の上で熱を出して寝込んでしまったため、これも入院させました。二匹とも、自宅に帰ってくるとすっかり家の中の生活に慣れてしまい、もう二度と外に出ようとはしません。


 このようにノラネコが多かったこの界隈も、最近ではあまりネコの姿を見かけなくなりました。以前、ノラネコが急増して近所でちょっとした問題になったときに、保健所とボランティア団体の助けを借りてノラネコの不妊去勢手術をしたおかげでしょう。外に出入りできる近所の飼いネコの多くも、そのほとんどが手術を受けているようです。


 ノラネコの姿を見かけない街というのも何か味気なくて寂しい気もしますが、飼い主がいない不幸なネコがやたら増えるのは、人間にとってもネコにとっても、けっして良いことではありません。ネコの不妊去勢手術は、特に都市の居住環境を守るためには、やむを得ない選択だと思います。


 たしか一ヶ月くらい前だったと思いますが、ある女性作家が日本経済新聞に「子猫殺し」というエッセイを寄稿して批判を招いたことがありました。タヒチ島に住んでいるというその人は、飼いネコの不妊手術をする代わりに、生まれたばかりの子ネコを殺して(昔の言葉でいう「間引き」して)いるというのです。


 彼女によると、もともと人間には動物の不妊手術をする権利も、生まれてから殺す権利もないのだから、自分はあえて生まれた子ネコを殺す方法を選んでいるのだとか。タヒチ島における彼女の生活環境はわかりませんし、彼女独自の死生観による考え方もあるのでしょう。批判を承知でそのような文章を寄稿した彼女、それを掲載した新聞社の判断をただ感情的に責めるのはどうかと思います。


 しかし、彼女の主張に対して、私はとても大きな違和感を覚えました。救う手段がほかにない場合ならともかく、そうとは思えないからです。ここ日本では、多くのボランティア(注)や地域住民が協力し合いながら、不幸な生命が生まれてこないようにしたり、生まれてきた子ネコの飼い主を見つけたりするといった地道な努力を重ねています。


 人の手が及ばない野生動物とは違って、イヌやネコはもともと人間の都合で生まれてきた愛玩動物。そのイヌやネコがこの世に生を受けた以上、彼らの生命をできる限り幸せのうちにまっとうさせてあげるのは、私たち人間の責任ではないでしょうか。


 


(注)そのようなボランティア団体のひとつに「ねこだすけ」があります。そのホームページでは、各地で行われている地域ネコ活動がよくわかります。また、ネコの里親探しのようなホームページもあちらこちらにあるようです。

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怖い自転車の無灯火走行

2006-09-17 17:26:57 | 随想

 夜暗くなってからオンボロ自転車でネコたちのご飯やら砂を買いに出かける私が最も恐れているのは、自動車よりもむしろ、無灯火で突っ走ってくる自転車や、携帯電話に夢中になっている歩行者。「危ないよ!」という意味で遠慮がちにベルを鳴らすと、逆に睨み返される始末です。


 自転車にライトが付いているにもかかわらず、それを点けずに夜道を走る人は、「都会の夜道は明るいし、気をつけているから大丈夫」という軽い気持ちでもあるのでしょうか。しかし、自動車からは見えにくくて自分の身が危険ですし、自転車で人をはねて死亡させた事故もよくあるそうです。そういった危険から自分自身を守るためには、警官に注意されるまでもなく、ライトを点灯するのは当然と思うのですが、そう思わない人がかなり多いのでしょうか。


 実際、私の経験からいうと、ここ東京の夜道ですれ違う自転車の半数以上は無灯火走行。これで黒っぽい服装をされていると、背景や天候によっては数メートル先まで近づくまで気づかないこともあって、危険を感じることもよくあります。いっぽう、歩行者も、数人にひとりくらいは携帯電話で話に夢中になっているか、画面をじっと見つめたり操作したりしながら歩いています。最悪なのは、携帯電話で話しながら無灯火、しかも猛スピードで突っ走ってくる自転車。ここまでくると、歩道を走る凶器としかいいようがありません。


 その昔、『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ペンダサン著)という本がベストセラーになったとき、日本人は水と安全をタダだと思っているという言葉が有名になりました。残念ですが、この国の人々のそのような傾向は、今でもあまり変わっていないようです。国防力や警察力の強化といった主張にこの言葉を引用する前に、ひとりひとりがもう少し、自分や家族の安全対策を考えたほうがいいのではないでしょうか。


 かくいう私自身は、自転車に乗るときには細心の注意を払っているつもりです。接触が悪くなって点いたり点かなかったりするダイナモ(発電機)ライトのほかに、もうひとつ乾電池式のライトを付けました。夜間に自転車に乗るときは、なるべく白っぽい服と帽子を着用。他の自転車や歩行者との接触事故に備えて、損害賠償保険にも加入しました。


 日常生活に潜む危険から身を守るために、安全対策にちょっとしたコストや手間をかけることをもう少し考えてみてはどうでしょうか。