歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

武士道とキリスト教 2

2007-01-31 |  宗教 Religion

 近代のキリスト教は、国民の統合の象徴としての「聖なる国王」の物語を否定するという側面をもっている。明治時代の天皇制は、当時のヨーロッパに残存していた帝政の模倣であったが、「天皇は神聖に侵すべからず」とするそのイデオロギーもまた、近代化の激動と混乱を乗り切るために持ち出された嘗ての西欧の絶対王政のイデオロギー-王権神授説―を思わせる。たとえば、英国のジェームズ王が一六一〇年に議会で行った演説を引用しよう。

地上に於いて君主国家は最も尊いものである。なんとなれば国王というものは単に神の代理人として玉座に座しているだけではない。神 (God)御自身によって国王は神々(gods) と呼ばれているのである。国王は地上に於いてまさに神の権力に類似するやり方で力を行使するが故に神々と呼ばれているのである。もし汝等が神の属性を考察するならば、それが国王の人格といかに一致するものであるかが解るであろう。[i]

God自身によって、国王はgodsと呼ばれ」「国王は神の代理人である」というイデオロギーこそイギリスの王室と教会を結びつけたものであり、キリスト教的に潤色された王権神授説にほかならぬが、こういう考え方こそ、国王を処刑し市民革命を推進したイギリスの急進的なキリスト教徒によって否定されたものであった。新渡戸が蔑視した「アングロ・サクソン的」キリスト教には、こういう君主制とキリスト教との安易な結合を全面的に否定するものが含まれていた。一七世紀の民主主義革命を市民自ら遂行したイギリスには、キリスト教の名において王権神授説的な復古主義と戦うキリスト教の精神があった。その精神は、チャールズ国王を民衆が裁判に掛けて処刑したことの正当性を主張したジョン・ミルトンのピューリタニズムにとどまらない。王政復古をへて名誉革命を経験したイギリスの穏健なる民主主義思想の範型となったジョン・ロックの政治論もまた、ロバート・フィルマーの「家長論」を聖書を典拠として駁論することから始まっていることを想起すればよいであろう。 

不幸にして、近代化の道を歩み始めた日本においては、英国とは違って、王権神授説的なる古代的イデオロギーが正統派の見解であって、それは敗戦を経験するまで圧倒的な支配力を民衆の間にふるったのである。その基本的な政治的・宗教的枠組みを新渡戸が肯定したということは、日本に於けるキリスト教を、武士道という幹に接木するという彼の思想―すなわち日本という「旧約」を土台として、キリスト教を土着化させるという『武士道』の思想―に対して基本的なる問題を投げかけている。すなわち、人々の武士道的「忠誠心」を天皇に向けさせた軍国主義・帝国主義のイデオロギーに対して、はっきりと「否」といえるような精神が、残念ながら、新渡戸の『武士道』からは生まれなかったということ、従って、そのような武士道は、依然としてキリスト教以前の「古き契約」のもとにとどまっていたのではなかったか、という問題である。

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