歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

武士道とキリスト教 5

2007-01-28 |  宗教 Religion

内村鑑三の英文著作「代表的日本人」の西郷隆盛の章に、次のようなくだりがある。

西郷を討った側の者もみなその死を悼んだ。涙ながらに彼の遺体は埋葬され、今日に至るまで涙にくれて墓参する人はあとを絶たない。かくして最も偉大なる人物、おそらくは「最後のサムライ」(the last of the samurai) ともいうべき人物がこの世から姿を消したのである。

 何故、基督者の内村鑑三が「最も偉大で、おそらくは最後のサムライ」として西郷隆盛を論じたのか、それは説明を要する。西郷の言葉と行動のうちには、内村の心に深く訴えかけるものが有ったに違いない。 「代表的日本人」は英語で書かれたが、西郷の人生観を要約する言葉―「敬天愛人」―と西郷の詩文を内村はいくつか翻訳して引用している。

「天は人も我も同一に愛し給ふが故に、我を愛する心を以て人を愛するなり」(Heaven loveth all men alikeso we must love others with the love with which we love ourselves.)という西郷の言葉には、律法と預言者の思想が込められており、西郷がそのような壮大な教えをどこから得たのか興味深いところである。

内村は、西洋の宣教師によってキリスト教が明治の日本に伝えられる遙か以前から、万物の創造主である神が、日本人にそのこころをつたえなかった訳ではないと考える。言うなれば、神は、ユダヤ人に対してのみ「旧き契約」を結ばれただけでなく、世界の諸民族に対しても、その伝統と文化に応じた形で、その天意を伝え、キリストの教えにたいする準備をされていたはずである。 内村は、福音書のイエスの言葉に呼応する言葉が、西郷の遺文にあるのを見出す。それは、「天にいます主」によって直接に、「代表的日本人」の一人である西郷に伝えられたに違いないーつまり内村は、言うなれば匿名のキリスト者として、西郷を描いているのである。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする