湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

朝は、中山間の草刈り共同作業・・・

2018年07月15日 |  3.赤津村の共同作業

今日は、朝5:30から、中山間事業の草刈り共同作業の日・・・。

昨日、下草刈り用の260㏄のエンジンを搭載した草刈機の刃を新品に交換しました。農道の草刈りだけならその必要がないのですが、山裾の灌木を切り倒すには、新品の刃の方が問題なくきれますので・・・。特に、つたのつるを切るのは、新品の刃の方が無理をしないで刈ることができます。

今日の作業のとき配布されたのは、草刈り用のチップソー2枚とペットボトルのお茶1本。

チップソーの専用研磨機をもっているのですが、この専用研磨機で、きれなくなったチップソーの刃を研磨するのは、農繁期のとき・・・。今、田の畔の草取りに使用しているチップソーは、今日、配布されたのと同じメーカーの同じ型番のチップソーを、筆者が専用研磨機で研磨したもの・・・。最近は、ほとんどチップソーを購入することはなくなりました。 

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午前8:30から長福寺の草刈り・・・

2018年07月01日 |  3.赤津村の共同作業

常夏川の土手の草刈りを終えて、家に戻り、着替えて朝食をとる、すぐ、湖南の赤津村の長福寺の草刈り作業に向かいました。

7月5日、長福寺を含む、曹洞宗・妙心寺派の<総会>が長福寺で開かれるというので、庭の草刈りが行われました。筆者、護持会会長の指示にしたがって、石段の草取りをしました。使った農具は、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農するまえに、山口で入手した2ダースの<根切鎌>のうちの2本・・・。右手と左手に1本ずつ根切鎌をもって、石段の割れ目や継ぎ目に生えた草をていねいに取り除いていきます。苔むして滑りやすくなっていると思われるとこは、コケを根切鎌で削り落としました。

作業を終えて、寺の本堂でお茶を飲んでいたとき、世話役の方々が筆者の方をじっとみて、話しかけて来られました。<吉田くん、中風か? さっきから手と指が震えてるんだけど。ひどく揺れてんなあ?> 筆者、<ああ、これ、中風ではありません。こどものころからこうなんです。>と答えましたが、世話役の方々の表情は、あきらかに心配されているご様子・・・。関節障害のある右手をかばって、実質、左手で作業していたので、もとからる手と指の震えが拡大したようです。

筆者の病歴の中には、中風はありません。でも、今夜、医学書を読んで中風について勉強してみることしましょう。作業を終えて、世話役の方々と話をして帰ってきたのが、午前11:30でした。

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今朝は5:30~、常夏川の土手の草苅り・・・

2018年07月01日 |  3.赤津村の共同作業

今朝は、5:30から、湖南の赤津村の共同作業がありました。常夏川の土手の草刈り・・・。

筆者は、下草刈り用のエンジンが少し大きい草刈機に、下草刈り用のチップソーを装着して草刈り作業をしましたが、草刈り作業をはじめようとしたとき、高齢の農家の方が話しかけて来られました。

農家:Koyamaくん!
筆者:(あたりをキョロキョロ見回しながらほかに農家の方がいないことを確認して)わたしのことですか
農家:んだ!昨日は、Daisama de te-henndattabe?
筆者:Daisamaって、なにかほかに共同作業があったのですか?
農家:Daisamaは、Daisamaだべえ!
筆者:Daisamaがなにか、わからないんですけど・・・。
農家:Daisamaは、かみなりさまのことが!
筆者:Daisamaって、Raisamaのこと?
農家:んだ!Daisamaのことだ!
筆者:Hanokiyajiの田んぼにいたときで、10mmのひょうが降ってました。
農家:イネと野菜がひょうでだめになった!あんたとこは大丈夫か?
筆者:まだ、確認していないのですが・・・。

筆者、妻の実家・湖南の赤津村に帰郷・帰農して、今年で6年目になりますが、時々、湖南の方言がわからないときがあります。筆者、どうやら、DとRの区別、聞き分けをすることができないようです。Daisamaという言葉をきいたとき、<大明神様>かと思ったのですが、<雷様>のことでした。

草刈り作業中は、黙々と草刈りを続けました。

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湖南の農家が米つくりをやめる決断をするとき・・・

2018年06月24日 |  3.赤津村の共同作業

今日の湖南の赤津村の共同作業で、担当の草刈りを終えたあと、砂利敷きの手伝いにまわったとき、そこで作業されていた農家の方々にいろいろ質問しました。その話の中で、湖南の赤津村の農家が、米つくりをやめる決断をする要因について話をおうかがいすることができました。

湖南の赤津村の農家の方々にとって、一番楽な農作業は、農業機械を操作するためにその運転席に座っているときだとか・・・。米つくりが農業機械の操作だけでできるなら、80歳になっても、90歳になってもできる・・・。しかし、米つくりは、農業機械の操作だけではできない。鍬やスコップを使ってしなければならない作業も多い。農家が、米つくりをやめる決断をするとき、それは、鍬やスコップが使えなくなったときだ・・・。使えてあたりまえの鍬やスコップで農作業をすることができなくなったとき、歳を感じ、農作業をする年代が過ぎ去ってしまったことを実感させらるのだとか・・・。

あるひとは、<今まで大型トラクターで耕していたのに、𠮷田さんのように、管理機で耕すというのもなかなかできない・・・。> と話しておられました。稲作農家も、up sizing は可能であるけれど、down sizing は難しいということでしょうか・・・?

筆者、<素人百姓の目からみて、時々不思議に思います。なぜ、湖南の赤津村の農家は、若い時から栽培面積を徐々に増やしていって、高齢になってからもそれを維持、そして、ある日あるとき突然、倒れて、稲作農家であることに自ら終止符を打つ・・・。どうして、高齢化にあわせて、徐々に、栽培面積を少なくして、無理のない稲作を続けないのか・・・?>とお話ししました。筆者と同じ70歳の農家の方は、<歳をとったら、農業をやめないで、楽しい農業に切り替えたらええんだ!>と話しておられました。 all or nithing 、そんな極端な考え方が、湖南の農家の生き方をギクシャクしたものにしているようです。all と nothing の間には、無数の可能性がありますので、それぞれの農家の置かれた状況でその可能性を見出していけばいいのに、と思われますが・・・。 

素人百姓の筆者は、もともと、big size ではなく small size、超小型農機具と鍬とスコップで、手作業に近い米つくりをしていますので、
 ある農家の方、<𠮷田さんなら、80歳になっても、90歳になっても米をつくってるかもしんねえなあ・・>と話しておられました。

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夜は、小枝町の常会・・・

2018年05月26日 |  3.赤津村の共同作業

夜7:00~、小枝町の常会がありました。

議題は、小枝町所有の、霊柩車とその格納庫の解体と廃棄について・・・。霊柩車というのは、リヤカー+霊柩車装備であるようですが、土葬時代の名残りであるようです。諏訪の内の墓地には、つい最近まで土葬をしていた墓がありますが、小枝町所有の霊柩車とその格納庫が解体されることで、土葬がなくなり、小枝町の共同作業から<墓掘り>がなくなるようです。

郡山市はまだ土葬が認められているのでしょうか・・・?

筆者の妻、<母がなくなったときは、家族葬にすることにします。小枝町のお手伝い、香典などはお断りします。> と話していました。最近、小枝町に家があるおばあさんがなくなったとき、家族の方は、家族葬に徹して、小枝町のお手伝い、香典などはお断りしたと耳にしたことがあります。小枝町は、葬儀のとき、住人によって、盗ったり盗られたりするのが当たり前だったようですが、筆者と妻は、その風習にはなじめません。

冠婚葬祭の<冠婚>も縁がきれていますので、<葬祭>も縁が切れても不思議ではありません。<ここらのもん>は<ここらのもん>だけでうまくやったらいいのではないでしょうか・・・。<よそもん>は、いつまでたっても<よそもん>・・・。<ここらのもん>から馬鹿にされ、排除される存在でしかありません。 

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中山間・赤津集落全体会議・・・

2018年05月08日 |  3.赤津村の共同作業

今日の夜、<平成29年度 中山間地域等直接支払制度赤津集落全体会議>がありました。

いわゆる総会なので、会議次第にそって、淡々とすすめられていきましたが、今日、専業農家の方から、今日・明日・明後日と3日間、低温注意報が出ているとかで、棚田ですでに田植えが終わっている14枚の田に影響が出る可能性があると話しをお伺いしました。15°C以下が3日間続きますと、<稲の苗があかくなる>そうです。田植え直後に、3日間低温にあうと、稲の苗が活着できずに枯れてしまう可能性があるようです。

明日も低温が続きますので、妻の実家の棚田の温水田の効果を確認してみることにしましょう。農業用水路の水温と、温水田からはえぬき、ひめのもち、コシヒカリの田に給水するための水口の水温を、赤外線温度計で測定して、どの程度あたためることができるのかを調べてみることにしましょう。 

中山間事業で、妻が受け取る補助金は、農業用水路から水をくみあげるために使用する給水ポンプのガソリン代に消えてしまいます。 農業用水路から水を、必要なときに、必要な量だけ汲み上げることができるので、コシヒカリやはえぬきの栽培が可能になっています。

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今日は、村の共同作業の日・・・

2018年05月05日 |  3.赤津村の共同作業

今日は、赤津村の共同作業の日・・・。

朝5:00からの<堰上げ・掘り上げ>作業には、妻が出て、朝8:00~12:00までの常夏川の環境整備作業(柳の木伐採)には、筆者が参加しました。

他の農家の方がチェンソーで伐採した河原の柳の木を土手まで運び上げるのが筆者の仕事・・・。一緒に作業をされていた農家の方、この冬、屋根の雪下ろしをしているとき屋根から転落、肩を脱臼したとかで、力が入らないとか・・・。それなのに、手斧で、チェンソーで伐採した柳の木の枝落としをされていたので、筆者、その方に代わって、てその方の手斧で柳の木の枝落としを始めたのですが、左手で手斧をコントロールすることは難しく、右手で手斧を振り下ろすには、右手関節障害があり握力の少ない筆者にはかなりハードな作業になります。無理をして右手が使えなくなっても、あとの農作業に差支えますので、斧を戻して、伐採された柳の木の枝や短く伐採されたその幹を土手にいる他の方が軽トラに積むことができる高さまで放り上げることにしました。

一緒に作業をしていた農家の方、<若いひとは、力があんだなあ・・・!>と感心しておられましたが、筆者、<一昨年の共同作業のとき、農家の方に教えてもらったんです。力を使わないで、伐採された柳の木の枝を土手の上まで放り上げる方法を・・・>とお答えしました。その方法を教えてくださった農家の方、うわさで長い間入院、療養されていたとか、今日の共同作業にはその姿がありませんでした。

湖南の赤津村、どんどん、農家が高齢化して、共同作業に出るひとが少なくなっていっているようです。 

午前中のわずか4時間の共同作業だったのですが、筆者、午後はダウン・・・。そのあとは何もすることができませんでした。70歳の筆者にとっては、4時間の肉体労働的共同作業は、1日仕事です。 

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交通安全協会湖南支部定期総代会・・・

2018年04月23日 |  3.赤津村の共同作業

昨日、午後5:00から、郡山北地区交通安全協会湖南支部定期総代会がありました。

筆者、湖南町赤津村小枝町の総会で、昨年、 郡山北地区交通安全協会湖南支部代議員の役をおおせつかりましたが、昨年は、待てど暮らせど、いろいろな方々に尋ねても、音沙汰なし・・・。今年になって、はじめて、連絡がありました。それで、昨日、その定期総代会に出席・・・。

役員と代議員あわせて60~70名が出席・・・。

筆者が会場に入ったときは、後部座席はすべてうまっていて、仕方なく前の席にすわろうとしましたが、会場に集まってきた湖南のひとは、ほとんど知らないひとばかり・・・。前の席に座っていたひとの中に、顔見知りの元赤津区長のEgawaさんがおられたので、その横に座りました。 そして、総代会がはじまるまで、少しく話をしましたが、少しく疲れておられるご様子なので、あたりさわりのない話しにしました。

これからの2年間の郡山北地区交通安全協会湖南支部長さんは、Egawaさんだとか・・・。

この集会に出席してよかったのは、湖南の2箇所の駐在所のおまわりさんの名前と顔が分かったこと・・・。 前任のおまわりさんは、よく村の中を歩いて、時々尋ねて来られていたのですが、後任のおまわりさんになってからは、そういうことがなくなりました。名前と顔がわかったことで、納得・・・。

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夜は集落の寄合・・・

2018年02月18日 |  3.赤津村の共同作業

夜は、7:00から、集落の集会がありました。

確認事項だけ・・・。そのあと、飲み会をするというので、筆者、すぐ帰ってきました。悪酔いしそうな飲み会には参加しないことにしています。酔いがまわったころ、<よそもん>を罵倒するのが常ですから、<君子危うきに近寄らず>・・・。

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長福寺の世話人会&忘年会・・・

2017年12月10日 |  3.赤津村の共同作業

今日は、午前11:00~、湖南の赤津村の長福寺の総代世話人会&忘年会がありました。

例年、ほとんど全員が参加されるそうですが、今年は、7人の方が欠席・・・。総代世話人会のあと、忘年会がはじまりましたが、いろいろな話の花が咲くこと、咲くこと・・・。

無住となった長福寺の寺守をされている方と意気投合・・・。職人仕事について話をしているとき、<昔、横浜の洋光台でたたみ職人をしていたことがあるが・・・>と話しはじめられました。その方が、洋光台で仕事をされていたのは、洋光台・港南台が団地化される前の話し・・・。ひとつの山に2~3軒の農家があっただけの場所に、10万人の住人が済む団地がつくられるとうわさされていたころの話しとか・・・。

筆者、日本基督教団の牧師として最初に赴任したのは、横浜の洋光台・港南台伝道所であると告げて、洋光台・港南台がどういう場所であったのか、詳しくお聞きすることができました。今の洋光台・港南台より、昔の洋光台・港南台の方が、筆者にはあっているような気がしました。その寺守の方、洋光台で畳屋さんをすることを勧められたそうですが、都会は肌に合わないといって、湖南に戻って、湖南で暮らして来られたようです。洋光台・港南台は、全国からの寄せ集め、地方出身の、生粋の東京人からみますと、田舎者の寄せ集め・・・。みめかたちは、都会人でも、こころは田舎人というひとが少なくありませんでした。排他的で閉鎖的・・・。

忘年会のとき、湖南史談会の KoyamaさんやAkatsuさんとも、親しくお話しをすることができました。2017年の稲作結果と2018年の稲作の抱負について・・・。みなさん、夢があって、湖南の明日は明るい・・・!Akatsuさんは、筆者と同じ、1948年生まれ。団塊世代に属します。今年の湖南史談会の1泊2日の史跡巡り&忘年会は、赤津村からの参加希望者はなかったとか・・・。湖南史談会を脱会しても、赤津村のKoyamaさんやAkatsuさんとは、いろいろな場面で話をする機会が多いので、湖南史談会に入っていても脱会しても、筆者の環境に変化なし・・・。

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過疎・高齢化した農村的地域社会でのひとの暮らし・・・

2017年11月19日 |  3.赤津村の共同作業

今日、湖南の赤津村の長福寺の庭の木の雪囲いの作業を終えて、参加された、役員や世話役の方々と一緒に食事をしていたとき、いろいろな話題に花が咲きました。

今日は、出された弁当の食べ方を観察・・・。3分の1ほど食べて、<もう入らねえ>と食べるのをやめてしまう方・・・、同じく3分の1ほど食べて、<残りは、かかあに持って帰って食わすべえ!>と、介護されているおくさんのために持って帰られる方・・・、弁当を食べるのもしんどそうにされている方・・・、筆者と同じように、さっさと全部たいらげてしまう方・・・、弁当の食べ方ひとつにも、それを食べるそれぞれのひとの暮らしが滲み出てくるようで、いろいろ考えさせられました。

筆者と妻、<年金暮らし+百姓暮らし>なので、置かれた状況は、彼らと同じ・・・。

この前の郡山地方史研究会の研究発表会で配布された史資料の中に、<今泉家文書>のひとつ<内済為取替一札之事>という資料がありました。近世の守山藩・二本松藩・三春藩の住人は、<表家>と<裏家>に区別されていたようです。<表家>・<裏家>によって、負担金の額が大きく異なります。この郡山の<表家>と<裏家>、湖南の<本屋>と<借屋>に相当するようです。前者が町における区分とするなら、後者は村における区分・・・。

今日は、2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農して、はじめて、赤津村の住人の暮らしと生活を垣間見ることができたような気がしました。

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カメムシの被害、なかったのけ・・・?

2017年11月19日 |  3.赤津村の共同作業

今日、湖南の赤津村の長福寺の庭木の雪囲い作業があったとき、農家のAさん、筆者に、<カメムシの被害、なかったのけ?>と問いかけて来られました。

筆者、<カメムシの被害はありません。今年で米つくり4年目ですが、今まで1度もカメムシの被害にあったことはありません。農薬を散布しなくても、かわりに、カエル、トンボ、クモがカメムシを捕獲して食べてくれますから・・・>と答えました。すると、農家のAさん、<あんたの田は、農薬・除草剤を一切振らねえから、カエルやトンボ、クモがいっぱい居んだべなあ・・・>と話しておられました。

農薬・除草剤を使わないのも<衆目環視>・・・。一度でも農薬を使うと繁殖しないイトトンボがいっぱいいるし、一度でも除草剤をまくと繁殖しない雑草が繁殖しているし、田に近寄ってみれば、すぐに分かるので、筆者と妻の有機栽培・無農薬栽培による米つくりは、<公然の秘密>・・・。

なにしろ、筆者69歳、妻62歳ですから、<電光石火>のごとく農作業を速やかにこなすことができませんので、肥料散布のときも、JA福島さくらの大槻支店と、援農ショップ・グラントマトで購入した肥料・堆肥の袋を数日積み重ねて置く場合が多いので、なにを散布しているかも、<衆目環視>と<公然の秘密>対象です。

今年は、稲の穂の間にかけられた蜘蛛の糸にかかったカメムシ、トンボにそのエキスを吸われるカメムシの姿を何度もみました。妻の実家の田にもカメムシはやってくるのですが、農薬・除草剤を散布しないので、その天敵が多く、カメムシ被害は発生しないのでしょう。

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリを栽培されている農家の方がおられましたが、カメムシ被害にあったお米をいただいたことがありますので、妻の実家の棚田の田で収穫した米にカメムシ被害があればすぐわかります。しかし、この4年間、カメムシ被害はありませんでした。

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あんたとこのコシヒカリの粒は大きいなあ・・・!

2017年11月19日 |  3.赤津村の共同作業

今日、湖南の赤津村の長福寺の庭木の雪囲い作業があったとき、休憩時間ごとに、今年の米の収穫状況についていろいろ話をおうかがいしました。

単発的な情報を収集しますと、いろいろなことが見えてきます。

Aさんの田のあきたこまちの収穫量は、少しく倒伏気味でしたが、反あたり9俵、10俵に届かなかったそうです。その近くのBさんの田のあきたこまち、今朝の小枝町の堰上げのとき聞いた話しでは、全面倒伏していたにもかかわらず反あたり12俵収穫があったとか・・・。Aさんは、いつもありのままを話しておられますが、Bさんは、なにかにつけて素人百姓の筆者と妻をバカにすることが多く、<どうだ見たか?オラの腕前を!こんな天候不順でも、反あたり12俵収穫できんだ!>と自慢される方・・・。

そんな話をしているとき、世話役のひとり、農家のCさんが、<あんたとこのコシヒカリの粒は大きいなあ・・・!>と筆者に話しかけて来られました。Cさんは、妻の実家の田のコシヒカリの栽培状況を常日頃から観察されているようです。今日の午後、野菜直売所・湖南四季の里の店しまいの大掃除にでかけた妻、親類・親戚筋のYaeちゃんから、<コシヒカリ、採れたのけ?>と言われて、<今年は収穫量が減少しました>と答えたところ、Yaeちゃん、<そうか、粒が大きかったんだなあ・・・>と話されていたとか・・・。

妻の実家の田は、棚田のどん尻にありますが、ボウガケした風景は、遠くからもよく見えますし、常夏川沿いの農道を走れば、栽培中のコシヒカリやはえぬきの成長状況や、登熟状況を、ボウガケした稲の穂から粒の大きさを確認することができます。つまり、筆者と妻、<衆目環視>の中、有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリ、はえぬき、ひめのもちを栽培しているわけで、収穫量も、ボウガケした本数で推測できますので、<公然の秘密>・・・。プロの農家の<はったり>と<見栄>とは無縁の世界・・・。

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赤津村の長福寺の庭木の雪囲い・・・

2017年11月19日 |  3.赤津村の共同作業

今日は、湖南の赤津村の長福寺の庭木の雪囲いの作業日・・・。

宗教法人・長福寺の責任役員の方々と、各地区から選出された世話役が参加しての庭木の雪囲い作業・・・、今日は、雪がちらつく中での作業になりましたが、時々、休憩時間に話す会話は楽しい・・・。

今日は、1.山仕事用のナタの研ぎ方、2.集めた落ち葉の運搬方法、3.二段梯子を使った庭木の枝落とし法、4.ブルーシートのたたみ方・・・などについて学ぶことができました。

雑誌『現代農業』の12月号の特集は、<落ち葉&せん定枝 ラクに集めて、どっさりまく>でしたが、筆者、購入しませんでした。2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してはや5回目に冬を迎えようとしていますが、帰郷前の2008~2012年の5年間と、帰郷後の2013~2017年の5年間の計10年間で、湖南の無医村の赤津村で、田舎暮らし・山里暮らし・百姓暮らしをするために必要な知識・技術に関する本は、すべて入手しましたので、これからは、すべて節約して、吝嗇な暮らしをするつもり・・・。

<年金暮らし>+<百姓暮らし>、人生の晩年、妻のふるさと湖南で過ごすための基盤です。老いの暮らしを前に進めるためのくるまの両輪です。<年金暮らし>が破綻しますと<百姓暮らし>も維持しがたくなり、<百姓暮らし>が破綻しますと<年金暮らし>だけでは生きていくことが難しくなります。そのためには、<吝嗇な暮らし>を避けて通ることはできません。

今日、長福寺の庭木の雪囲いを一緒にしていた農家の方々、<冬の間、ナタの刃を研いでおいた方がいい>とアドバイスしてくださいました。妻の実家のおとうさんが<山仕事>のために使っていたナタは3本あります。その3本のナタの刃を研ぐ方法を教えていただきましたので、この冬、実践するつもり・・・。農業者が使っているナタと、林業者が使っているナタとは、<似て非なるもの>であるとか・・・。妻の実家のおとうさんは、林業者の下で山仕事をしていたので、おとうさんのナタはいいナタであるとか・・・。磨けば磨くほど切れ味がよくなるとか・・・。

今日は、昼食のためお弁当がでましたので、お弁当を食べながら、各地区の世話役の方々と歓談のひとときを過ごして帰ってきました。

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今朝は、農業用水路の堰上げ・・・

2017年11月19日 |  3.赤津村の共同作業

今朝は、朝6:00から、雪がちらつく中、赤津村の小枝町を通る農業用水路の堰上げがありました。

この農業用水路、小枝町の防火用水路を兼ねていますので、毎年、冬の積雪期を前に、小枝町全戸から1人出して、堰上げ作業が行われています。

作業をしているとき、はるかうしろで電信柱にもたれかかっているひとが目にとまりました。近くで作業をしていたKuriharaさんに、<あのひと、大丈夫ですか?>と尋ねたところ、<あのひとは、おらたちと同じ年齢だぞ。病気になって、ああなっちまったんだ>とのこと・・・。その後も、筆者、何度か、うしろを振り向いてその方の様子を見ていたのですが、意を決して、その方のところに行って話しかけました。

筆者:今日は、もう帰られたら?無理をすると、ろくなことありませんから。
Aさん:堰上げ、ずっと向こうまでするんでしょ?
筆者:そうです。大変だから、帰られたほうがいいですよ。
Aさん:でも・・・
筆者:誰かが文句言ったら、「吉田が帰れ!」って言ったんだと言えばいいんだ!
Aさん:吉田さんですか? そう言っていただけると、わたしはうれしい!それでは、お言葉にあまえて、帰らせていただきます。
筆者:気を付けておかえりください。
Aさん:ありがとうございます。

そういって、Aさんは、2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して以来、はじめてみるような<うれしそうな笑顔>を見せて、帰って行かれました。元に戻って、Kuriharaさんに、<あのひと、帰しました。誰かに文句言われたら、「吉田が帰れと言った」と言えといって・・・>と話しますと、Kuriharaさん、<誰も文句いわねえべえ?吉田くんに文句言ったら、あとが恐えからなあ・・・>と話しておられました。

小枝町、もしかして、<兵兵>(ぺいぺい)ばかりいて<軍曹>(リーダー)がいないのかもしれません。

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