湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

女遊びをする忘年会なんて、誰も出ねえ・・・!

2018年12月09日 |  3.湖南史談会

長福寺の忘年会のとき、湖南史談会の会員の方、3人のうち2人に尋ねてみました。

<今年の湖南史談会の1泊研修会には参加されるのですか?>

すると、ひとりの方は、<おらは、参加しねえ。なんでも、参加するひとがすくなくて、1泊研修会は中止したみたいだぞ>と話しておられました。もう一人の方は、<女遊びをする忘年会なんて、誰もでねえ・・・!>とか・・・。湖南史談会の1泊研修会は、芸者をあげての宴会が企画されたようですが、参加者は企画した執行部だけ・・・? 湖南史談会の方々の中には、いかがわしい行為で<淋病>をうつされたひともいて、 なかなか大変・・・。

しかし、健全な精神を持っている会員の方々も少なくないようです。筆者、ほっと一安心・・・。 湖南史談会を、<郷土史研究をする有志の会>ではなく、<金持ちの農家の老人クラブ>と誤認したことによる、湖南史談会の低迷・・・。内部から改革されることを願っているのは、筆者だけではなさそうです。

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湖南史談会の忘年会は、宮城の松島で・・・

2018年11月18日 |  3.湖南史談会

午後1:00から、妻の実家の棚田の田の片付けにでかけようとしているところに、電話がかかってきました。湖南史談会の会員の方から・・・。

今年の湖南史談会の忘年会は、宮城の松島だそうで、会費は、36,000円・・・。不足金額は、当日徴収するようで、宴会のときの芸者・カラオケに要する費用はさらに追徴になるとか・・・。1泊2日の総費用は、約100,000円とか・・・。

筆者:芸者?
会員:そう、芸者・・・。最近は、芸者を呼ぶ料金も高くなって、費用がかさむみたい・・・。
筆者:コンパニオンではなくて芸者・・・?湖南の金持ちの農家の老人会だから、そういうこともあるのかもしれませんね。
会員:今年は米の収穫はどうだった?農協からたくさん振り込まれてきたか?
筆者:今年は、収穫量が激減して、農協からは1銭も入ってきていません(農協には出荷していませんから・・・)。
会員:それは大変だなあ。忘年会には出られねえなあ・・・。
筆者:私は、湖南史談会は脱会していますので・・・。

あれやこれや話して、電話を終えたのが、午後2:30・・・。筆者、やはり、湖南史談会の方々からもバカにされているようです。<おんな遊びひとつ知らねえ、ろくでなし!> 

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郡山地方史研究会も脱会したほうがいいのかも・・・

2018年09月01日 |  3.湖南史談会

昨々日、湖南史談会の会員の方と少しく立ち話をしました。

筆者が、湖南史談会の会員をやめたことで、いろいろな憶測がとびかっているようですが、いちばん多い憶測は、<吉田くんは、郡山地方史研究会に入るために、湖南史談会を踏み台にした!>というもの・・・。

なにでも、これまでは、郡山地方史研究会の会員になるためには、湖南史談会で、湖南史談会会員になりたいとの意志表示をしたあと、5~10年、郷土史研究の実績をあげ、それが認められると晴れて湖南史談会会員になり、さらに、郷土史研究の実績を積み重ね、それが認められると、湖南史談会推薦で、郡山地方史研究会の会員になることができる・・・、という慣習が存在していたようです。

ところが、筆者は、2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農すると、その年の5月に湖南史談会の会員になり、その年に郡山地方史研究会の会員になったそうで、湖南史談会の内部から激しい批判があったようです。しかし、筆者が脱会したことで、筆者が会員になったことを好ましく思っていなかった人々は安堵の思いを抱いたようです。<湖南史談会は、湖南の金持ちの老人会だ!貧乏百姓の出る幕ではねえ!>

筆者は、郡山地方史研究会に入るために、湖南史談会を踏み台にしたという自覚は、100%なし・・・! 筆者、湖南史談会の会員になりたいと申請したことは一切なく、当時の湖南史談会会長に懇願されて入っただけ・・・。湖南史談会に、<悪しき前例を残さないため>にも、筆者は、郡山地方史研究会をも脱会すべきだったのかもしれません。

筆者、70歳・・・。年金暮らし+百姓くらしで、日々を過ごしていますが、田2.4反、温水田0.4反、ビオトープ0.1反、田畑転換した畑1.1反、畑0.6反、山林8.0反で、自給自足の暮らしをしていますが、郷土史研究のために、調査・研究に従事する時間的ゆとり、精神的ゆとりはほとんどなし・・・。ただ、優柔不断な筆者、郡山地方史研究会に脱会届を出すのは、いつの日になることやら・・・。 

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湖南史談会の新しい会員の方と談話・・・

2018年07月03日 |  3.湖南史談会

7月1日の長福寺の草刈り作業のとき、世話役のひとりの方が話しかけて来られました。なんでも、今年、湖南史談会の会員になられたとか・・・。

筆者、<秋山雄記先生が、「𠮷田くんと話ができる若い会員をひとり増やす・・・」と話しておられた方は、あなただったのですか。失礼ですが、お歳は・・・?>と問いかけますと、65歳だとか・・・。筆者、70歳ですから、5歳年下の方・・・。しかし、65歳も70歳も、同じ年代・・・。若い、若くないの判断になじまない年代だと思うのですが、秋山雄記先生からみると、その65歳の方は、70歳の筆者より若く見えるらしい・・・。

その方の先祖は、会津藩の藩士身分で、文化・文政時代に湖南の赤津村に配属されたそうで、その方は、16代目であるとか・・・。湖南の赤津村では、16代の家系が明らかな家はそれほど多くはないとか・・・。草刈り作業のあと、長福寺の、その方の先祖の方々の墓碑を案内してくださいました。中には、<山伏>になった先祖もおられるとかで、墓碑に<山伏>という文字が刻まれていました。

筆者の先祖は、信州栗田村の観聖寺の住職の家系・・・。筆者は、直系血族の17代目になるようですが、<武士>と<宗教者>は、近世幕藩体制下の1600年代から現在までの家系を古文書ないし史資料を用いて確認することはそれほど難しくはなさそうです。<百姓>は、宗門改帳に、家族の名前と続き柄、年齢が掲載されていますので、宗門改帳をていねいにたどっていけば、やはり、1600年代以降、現在までの家系を古文書を通して確認することもできます。

65歳の方、定年を迎えたあとは、先祖の歴史を調べるために多忙な日々を過ごしておられるとか・・・。<年金暮らし+自給自足農業の百姓暮らし>をている筆者には、先祖の歴史を調べることができるのは、冬期間の晴耕雪読のときだけ・・・。長福寺の世話役のかかりは、3年で、来年の3月末でお役御免になります。それまでの間、何回、その方のお話しする機会があるかは定かではありませんが、筆者の手元にある史資料から、その方の先祖の歴史をたどってみることにしましょう。 

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要注意人物・・・?

2018年04月24日 |  3.湖南史談会

今朝8:00、湖南史談会の顧問の秋山雄記先生が来訪・・・。

この前、湖南史談会の総会があり、秋山雄記先生が推薦した2人の方が新会員になられたとか・・・。ひとりは、長年湖南の中野村で文化財の保護につとめて来られたかた・・・。もうひとりは湖南の赤津村出身で郡山市役所を定年退職された方・・・。どちらも、大学卒とかで、無学歴・無資格、どこの馬の骨か分からない筆者を湖南史談会会員に推薦して他の会員から非難されて困っていた秋山雄記先生にとっては汚名挽回というところでしょうか・・・。

ついでに、秋山雄記先生、秋山家は、秋山雄記先生で7代目だとか・・・。今、住んでおられる家・土地は、14代続いて子孫が絶えた半澤家を墓ごと買い取って跡を継いで、士族になったとか・・・。あわせて24代だとか・・・? 秋山雄記先生、今、その家系図を作っておられるそうですが、家系図をつくるのは大変だとか・・・。

最後に、秋山雄記先生、<湖南史談会には、無学歴・無資格、どこの馬の骨かわからないものもいるが、そういうひとの話しに耳を傾けてはなんねえ!ここらのもんでねえから、ここらのことは知らねえ!>と、筆者に語りかけて来られましたが、それって、筆者のこと・・・? まあ、ともかく、大学卒のここらのもんが新会員になられて、湖南史談会も安泰、めだし!めでたし!

妻、<あなた、湖南史談会やめて3年目になるのに、秋山雄記先生、なにの御用だったのかしら?>と、筆者に問いかけてきましたが、筆者、<わからない・・・。>と答えました。秋山雄記先生、湖南の人々から要注意人物と思われている筆者に、<要注意人物には気をつけろ!>と教えに来てくださったのかもしれませんが・・・。

 

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湖南史談会は・・・

2018年04月14日 |  3.湖南史談会

湖南史談会は、ここらのもんの、ここらのもんによる、ここらのもんのための、ここらの史跡、文化財に関する談話と史跡めぐりの<歴女>ならぬ<歴老>の会・・・。

よそもんの筆者、湖南史談会の役員会で、<湖南の歴史を調べたければ、自分で勝ってに調べろ!他にひとを巻き込むな!>と言われ、役員会だけでなく、湖南史談会脱会を決意・・・。

筆者は、妻のふるさと・湖南の、古代・中世・近世・近代(明治・大正・昭和戦前・昭和戦後)の歴史に興味があり、それを知りたいと思って史資料を集めていますが、筆者、すでに70歳・・・。単独でできる歴史研究には限界がありますので、筆者、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢にふさわしく、柳田國男のいう<史心>に生きるのみ・・・。

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歳をとると、他人が持っているものを欲しくなる・・・?

2018年04月14日 |  3.湖南史談会

今朝、湖南史談会の伊藤会長が尋ねて来られました。なにでも、昨日、湖南史談会の総会があったとか・・・。その総会で、2名の方が新会員として入会を承認されたとか・・・。湖南史談会のKanedaさんから、以前、2名の方が新会員になると話しをお聞きしていましたので、たぶん、そのおふたり・・・。湖南出身の方々なので、湖南史談会も固陋を脱して、新しい息吹が吹き込まれることになるでしょう。

伊藤会長、尋ねて来られたのは、会津史学会編『会津の宿場 会津五街道と宿場再見』の件・・・。

3月30日に、筆者の妻に取寄せてほしいと依頼に来られて、そのままになっていたのですが、筆者のブログを読んだ方から、筆者が入手済みであることを聞かされ、それを思い出して、引き取りに来られたようです。 価格は、古書価格+送料で、約3,450円・・・。郡山市の古書店では、8,800円、会津若松の古書店では、10,800円・・・。伊藤会長、<手数料をはらいます>と言われていましたが、<今日はもちあわせがないので・・・>といわれるので、<私は、商売で取寄せたわけではありませんので、手数料は結構です>とお断りしました。

伊藤会長、いとこの方が会津史学会編『会津の宿場 会津五街道と宿場再見』を持っておられるのをごみて、同じ本が欲しくなったそうです。

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問題は複雑・・・

2018年03月31日 |  3.湖南史談会

問題は、複雑・・・。

日本基督教団神奈川教区や西中国教区で牧師をしていたときは、その問題がどんなに複雑で、筆者の手に負えなくても、忍耐と努力で問題解決のための時間と労力をささげてきましたが、2013年3月31日に、西中国教区の山口のちいさな教会の牧師を赴任して、隠退牧師になったあとは、そのような<牧会>的職務から解放されています。

関わりたくなければ関わらないですむようになりました。

今朝、湖南史談会の Kaneda さんから電話がありました。その中で、 会津史学会編『会津の宿場 会津五街道と宿場再見』についての話しも出てきました。なにか、事態は複雑・・・。その本が届いても、しばらくの間、筆者の手元に留保しておいた方がよさそうです。それに、湖南史談会の Ito 会長も、その本のことは、明日、すでに忘れておられる事態も想定できますから・・・。

これまでにも、何度か、湖南史談会会員の方から頼まれて古書を取寄せたことがありますが、筆者は、古書店でも、便利屋でもないので、今後一切、古書の注文手続きの代行はしないことにしました。 

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会津の宿場 会津五街道と宿場再見・・・

2018年03月30日 |  3.湖南史談会

昨日、筆者が棚田で農作業をしているとき、湖南史談会 Ito 会長が来られて、本を一冊注文してほしいと、妻に頼んで行かれたとか・・・。

その本は、会津史学会編『会津の宿場 会津五街道と宿場再見』・・・。Ito会長の息子さんが検索したところでは、古書価格、3,200円、16,500円、20,000円、20,000円、25,000円の5冊がヒットしたようで、そのうち最低価格の3,200円の古書を注文してほしいとのこと・・・。息子さんが注文しようとしたところ、手続きが完了できないとか・・・。そこで、湖南史談会のKanedaさんに相談したところ、筆者に頼めば取寄せてくれるといわれたとか・・・。

すぐ、インターネットで確認・・・。ついでに、日本の古本屋で検索してみたところ、最低価格は、9,000円・・・。

しかし、この本、赤津・福良・三代の宿場町について執筆しているのは、Ito会長のおくさまのお父さんになる半澤卯右衛門・初代湖南史談会会長・・・。当然、Ito会長が蔵書しているはずの本なのですが、いつも気前のいいIto会長、他のひとに本を貸したまま、返ってこなかったのでしょう。

ちょうど、郡山に住んでいる娘が遊びにきていたところだったのですが、筆者が、娘に、<3,200円、16,500円、20,000円、20,000円、25,000円の中の3,200円・・・。ひとに頼むと、そのひとが横取りしてしまわない・・・?>と問いかけますと、娘は、<おとうさんは、そんなことをするひとではないと、まだ信頼されているのよ>と話していました。

赤津・福良・三代の記事は、それぞれ4ページ・・・。 

今朝、会津の宿場・赤井宿の近くのセブンイレブンに行って、古書代+送料=3,437円を振り込みました。古書は、どの程度の本がくるかわかりませんので、郵送されてきたら封を切らないでそのまま、Ito会長に代金引換で渡します。 

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湖南史談会の農家の方々も農作業開始・・・

2018年03月27日 |  3.湖南史談会

今日、郡山のスーパーに食料品の買い出しに行ったとき、湖南史談会の Kaneda さんに出会いました。おかあさんをリハビリに連れてきてるとか・・・。

Kanedaさんの話しでは、どの農家も、この陽気で農作業を初めておられるとか・・・。

午後、妻の実家の棚田にでかけたとき、湖南史談会の Koyama さんと息子さんが、コメつくりの準備作業をしておられました。

妻の実家は、湖南の中で一番小さな農家で、田もわずか4.0反、減反政策で2.4反しか栽培していませんが、湖南史談会の会員の専業農家の方々は、6~10町、コメを栽培しておられます。素人百姓の筆者と、専業農家の、湖南史談会の会員の方々とでは、耕作面積比は、1:20~40・・・。

昨日、妻の実家の棚田の田の畔と土手をあるいているとき、湖南の中で一番小さな農家といっても田4.0反は、とても広~いと感じました。生前、妻の実家のおとうさん、<湖南に戻ってコメつくりをするなら、おらの田んぼだけでやれ。歳をとるにつれて、だんだん広くなってくるから・・・>と話していましたが、ほんとうにその通りでした。<65歳でコメつくりをはじめるのだから、無理をすると、すぐからだをこわしてしまうぞ。>と話していました。筆者、妻の実家のおとうさんの遺言だと思って、その言葉を守っています。

有機栽培・無農薬栽培で、玄米食味分析計(静岡製機)で80点以上の自給自足用のコシヒカリが収穫できたら十分です。

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吉田さん、髪型変えたの・・・?

2018年02月19日 |  3.湖南史談会

昨日の郡山地方史研究会の古文書講習会に行ったとき、会場の駐車場で、参加者の方々が除雪作業をしておられました。

筆者がくるまからでたとき、湖南史談会のKanedaさんが、ハンディスコップで除雪しながら横を通り過ぎて行きました。そして、折り返してこられたとき、筆者と目があい、<吉田さんだったの? 気が付かなかった!髪型変えたんだ!>と話しておられました。

この前、理髪店に行ったとき、1.髪を短くし、2.7・3に分けないで流すようにし、3.眉毛は半分の太さにし、4.後ろと横は刈り上げて、どちらかいいますと、郡山地方史研究会の Sato 先生の髪型に近づくようなヘアスタイルになっていました。

そのためか、湖南史談会顧問・会長・副会長・事務局長・Kuwanaさん、筆者と目があっても、筆者だと認識することができなかったようです。それにひきかえ、Sato先生、筆者と目があって、筆者の頭を見て、うれしそうににこにこされていました。筆者の服装は、背広ではなく、黒色で、なにとなく機動隊の制服に近い装い・・・。

今朝、妻にその話しをしますと、妻は、<大丈夫、あなたは自然体で落健先生に似ているのですから、数か月すれば、同じ状態に戻っています>と話していましたが、無実の罪で警察に追われる逃亡者になったとしたら、筆者、丸坊主になり、メガネをはずして、あごひげをのばし、黒い袈裟を来て、錫杖をもって旅すれば、全国逃げおおせるのかもしれないと思いました。この前、テレビで『逃亡者』という映画を見たばかりですので、余計、そうおもわされるのかもしれません。

しかし、捕まって取り調べを受けている間に、筆者、落健一先生と同じ風貌、姿になっていることは間違いなく、自分で自分自身を証明してしまうことになるでしょう。

しかし、70歳の筆者、なんでこんなに、岡山県立児島高校の教師であった78歳の落健一先生に似てしまったのでしょう?児島高校にも、高校教師はたくさんいたし、山口で日本基督教団の牧師をしている間も、高校の先生方の読書会に参加していろいろな高校教師の方々とであったし、また3年間、山口県立高校で仕事をしていたとき、校長・教頭・教師の方々と多数で会ってきました。2013年4月1日に妻のふるさと・湖南に帰郷してからも、郡山地方史研究会の元高校の教師をされていた先生方に出会ってきたというのに、筆者の脳裏の一角に54~55年間、刻みつけられたのはぜなのでしょう?

 

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湖南史談話会からの出席者は、6名・・・

2018年02月18日 |  3.湖南史談会

今日の郡山地方史研究会の古文書講習会に出席されていた湖南史談会の方々は、顧問・会長・副会長・事務局とKuwanaさんとKanedaさんの6名・・・。

筆者が知る限りでは、湖南史談会から6名も、古文書講習会に参加されるなんて、なにかあったのでしょうか?それが、今日の大雪を呼んだのかもしれません。

Kanedaさん、<吉田さん、湖南史談会に戻らないか・・・?>と話しておられましたが、筆者は、<ここらのもん>になることをやめて、<よそもん>として、湖南の歴史や民俗を調べることにしましたので、<湖南史談会に戻る可能性はありません>と答えました。

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吉田さんがどういうひとかだんだん分かってきた・・・

2018年02月17日 |  3.湖南史談会

今日、湖南史談会の Kanedaさんから電話がありました。

朝日新聞に、会津の農家が、近世幕藩体制下の会津藩で書かれた『会津農書』にもとづいて、酒米を栽培し、それで新しい酒をつくったという記事が掲載されていたとかで2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、次の年から、標高550mの湖南高原の棚田の田で有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリを栽培したときの栽培法、佐瀬与次右衛門の『会津農書』に基づいて栽培していると、最初から話していましたが、湖南史談会の会員の方々の耳にも、会津で『会津農書』に従って米や野菜を栽培することが可能であるとの認識が広まってきているようです。それを、筆者は、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前から知っていて、帰るとすぐそれを実践する・・・、そういうところから、<吉田さんがどういうひとか、みんな、だんだん分かってきた>ということでした。

筆者は、要するに温故知新のひと・・・。

筆者が日本基督教団の隠退牧師であるという、それだけの理由で毛嫌いし排他的になるひとは少なくありませんが、その筆者が、近代科学による、化学肥料・農薬・除草剤を多用した近代的農業に一線を画して、『会津農書』をはじめとする、寒冷地に属する東山道の、近世幕藩体制下の農書を参考に百姓暮らしをし、妻のふるさと・湖南の歴史や民俗、自然や風土を大切にしようとしていることがやっと認識されはじめたということでしょうか・・・?

でも、筆者が、湖南の歴史や民俗を研究するグループにかかわることはもうありません。<ここらのもん>になることはできないとさとった筆者、<よそもん>として生きていくことを決断しましたから・・・。

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吊るし雛・・・?

2018年02月14日 |  3.湖南史談会



前湖南史談会会長の秋山雄記先生が、ご自宅の庭に、湖南の赤津村出身の小説家・諏訪三郎の記念館<諏訪記念館>をつくられたとき、<吊るし雛>を持ってお祝いに駆けつけてくださった方がとの記念の写真・・・。

筆者のコンパクトデジカメ、昨年破損しました。その後、新しいコンパクトデジカメを入手していませんので、もう、湖南の写真を撮ることはないと思われますが、昨夜、秋山雄記先生所蔵の『文政十一子年寄ゟ御用日記』をひもといていて、目にした上の写真・・・。それをみながら、筆者、あることを思い出しました。

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、長州藩領の浄土真宗の<穢多寺>を尋ねたとき、その住職の方から、その寺の古文書に出てくる<吊るしもの>という言葉の意味を調べてほしいと頼まれたことがあります。浄土真宗にとっても葬儀は大切・・・。門徒の方々の葬儀に際しては<弔う>という言葉を用いるのが常ですが、あるときは<吊るす>という言葉がもちいられているというのです。

<吊>は<弔>の異体字なのですが、<吊>という文字と<弔>という文字が意図的に使い分けられているとしますと、言葉の意味合いがまったく異なってきます。たとえば、病気・老衰で自然死を遂げた場合は<弔>・・・。犯罪者の処刑の場合は<吊>・・・。

上の写真を見ながら、筆者、<吊るし雛>は、病気などの自然死ではなく、堕胎・間引きによる不自然死を暗に含んでいるのだとしたら、<吊るし雛>は、生まれてくるはずの子どもを不本意におろしてしまったひとが生まれてこさせなかった我が子のとむらいのための<吊るし雛>であるということになります。にぎやかに飾ればかざるほど、ひとの悲哀と哀愁がただよってきます。<吊るし雛>は、近世幕藩体制下の貧しい百姓の間でひろまった風習とか・・・。

郡山地方史研究会の古文書講習会の今回のテキストに収録されている『旅籠屋御修法御改帳』を読んでいますと、気が重くなってきます。古文書を解釈するとき、親たちによって女郎に売られた女性の悲しみ、苦しみをどこまで反映させることができるのか・・・。古文書のくずし字を楷書に置き換えるだけではすまされない世界がそこに待っています。

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古文書講習会の予習・・・

2018年02月14日 |  3.湖南史談会





昨夜、郡山地方史研究会の古文書講習会のテキストを予習していました。今回は、既出の古文書だとお聞きしていましたので、筆者の手持ちの古文書講習会のテキストを調べてみました。

1.御定壁書写・・・平成15年第35回のテキストに収録
2.覚(領民へ申触)・・・平成5年代25回のテキストに同じ筆跡の同種の文書あり
3.旅籠屋御修法御改帳・・・平成18年38回のテキストに収録
4.御用日記(秋山磯之助勤中御用日記)・・・湖南史談会会員であったときに読んだことのある古文書

1.~3.は、最初読んだときにくずし字を楷書に置き換えていますので、最初読んだときの誤読をチェックすることができます。最初読めなかったくずし字が今、どの程度読めるようになっているのか・・・。

2.については、同時期に異なる2種類の触が出されていますが、長州藩の枝藩である徳山藩に類例があり、『覚(領民へ申触)』の歴史的背景がおもしろそうです。

4.は、筆者が、湖南史談会の会員であったときに読んだことがある古文書です。『文政十一子年寄ゟ御用日記』の1節です。上の写真は、テキストに相当する最初の3ページ分の写真です。筆者、湖南史談会は脱会しましたので、もう湖南の古文書に読む機会はほとんどなくなると思います。4.の内容は、会津藩領の廻米の陸運・水運に関すもの・・・。

くずし字を楷書に置き換えたとして、問題は、その先・・・。その古文書に書かれていることをどう解釈して歴史の真実にたどりつくことができるのか・・・。古文書が読めるようになったとして、それがいったいどういう意味があるのか・・・。1.~4.の古文書の内容を見て、しばし、考えさせられました。

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