湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

先祖の歴史は、自ら調べるべき・・・!

2018年04月15日 |  5.部落学序説

ひとは、だれでも、ひとりで存在しているわけではありません。

そのひとには、父と母があり、その父と母には、さらに父と母があり、幾世代にも渡って、その家と血筋が受け継がれていくのが普通・・・。そういう意味では、そのひとの先祖の歴史をたどろうと思えばたどることができる類のものです。しかし、先祖の歴史に、予見と偏見を持ち、その歴史を調べることにためらいやあきらめの思いを持ちますと、たどることができる先祖の歴史をたどることができなくなってしまいます。

山口県立古文書館の北川健先生は、被差別部落のひとびとに、<あなたがたは、ほんとうに先祖の歴史を捨ててしまっていいのですか?あなたがたの先祖の歴史には、現在の同和教育が語る、みじめであわれで差別されたひととしての側面だけでなく、自信と誇りを持って生きてきた歴史もありますよ。産湯と一緒にあかちゃんを捨てるようなことをしていいのですか・・・?>というような意味の問いかけをされていたと聞かされていますが、先祖の歴史は、学者・研究者・教育者にゆだねないで、自分で調べてみる必要があります。部落史の学者・研究者、同和教育の教師、同和行政の公務員などは、<負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。>類の人々でしかなかったのですから・・・。もちろん、彼らの中には、国の同和対策事業が終了したあとも、部落差別完全解消のために取り組みを継続しておられる方々が少なくなくないでしょうが・・・。

部落差別を拡大・拡散して、うやむやにして、部落差別の解消を図ろうとする現代の部落解放運動は、あやまちにあやまちを重ねようとしていますが、間違った部落解放運動に埋没せず、真の解放をその手につかむには、被差別部落の方々がみずからの歴史をみずからの手で取り戻す必要があります。筆者が、山口県立古文書館の北川健先生の<自称弟子>として、2005年に『部落学序説』の執筆をはじめたのは、それを訴えるためでもありました。

先祖の歴史は、自ら調べるべきです。 無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者ですら可能だったのですから、近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>役・<非人>役の記録が残っていないはずはありません。

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信濃の修験道史と被差別部落史を読み合わせる・・・

2018年04月15日 |  5.部落学序説

昨夜、信濃の修験道史と被差別部落史を読み合わせてみました。

その結果、信濃だけでなく、全国において、修験道の歴史と被差別部落の歴史は交差することがないと確信するにいたりました。やはり、両概念の外延と内包は大きく異なり、それらが相矛盾する場合が少なくないからです。 

筆者は、高校生のとき、3年間で読んだ本600冊の影響で、<所与の人生を引き受けて生きる>ことを選択しました。現在の人生だけでなく、先祖の歴史も含めて・・・。ただ、<所与の人生>を知るには、多くの時間と労力を要し、筆者が、現在だけでなく過去の歴史をも含めて知ったのは、70歳になってからでした。

筆者の父祖・吉田永學、曾祖父・吉田向學の先祖の歴史は、近世幕藩体制下の穢多・非人の歴史とは、一切交錯することなく、100%無関係・・・。しかし、筆者が、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会に赴任したとき、日本基督教団が、部落解放同盟から、差別文書を放置したとの理由で糾弾を受け、全国の各教区に部落差別問題特別委員会が設置されましたが、その時期に西中国教区に赴任した筆者、山口東分区長から、その委員を押しつけられ、結局、30年間に渡って、部落差別問題にかかわることになりました。部落差別問題特別委員会の委員を、4期8年にわたってしてきましたが、西中国教区の部落差別問題の取り組みの現実は、新約聖書の主イエスさまの言葉に出てくる<負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。>現実にあると認識し、5期以降辞退しました。教区の定めた職務を放棄するものには2度と役職につけないということで、筆者、西中国教区の様々な社会問題との取り組みから疎外されることになりました。しかし、そのころ、すでに、山口の被差別部落とのつながりができていた筆者、その教会を離れるまでの30年間、部落差別問題にかかわることになりました。

筆者の<所与の人生>としてではなく、日本基督教団の牧師の職務のひとつとして・・・。2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してからは、日本基督教団の隠退牧師として、牧師の職務から解放されましたが、それ以来、山口の被差別部落とのつながりは途絶えてしまいました。

4月10~12日の、今回の、筆者の父祖・吉田永學のふるさとを尋ねる旅で、先祖のルーツが除籍謄本や関連史資料で、近世幕藩体制下の司法・警察であった穢多・非人とは無縁の存在であることが明確になりました。その結果、筆者が、2005年に、インターネットのブログ上で書きおろした『部落学序説』執筆の視点・視角・視座がより明確になり、『部落学序説』を出版することをあらためて確認させられました。 長野市公文書館の主事の方や、『部落学序説』を読んでくださっている学校教師の方々の要望も踏まえて、『部落学序説』の内容を、旧長州藩の枠組みを越えてより広範なものにすることにしました。郡山地方史研究会の先生方の協力も得て・・・。

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もうひうとつの視点・視角・視座・・・

2018年04月14日 |  5.部落学序説

4月10~12日の、二泊三日の、筆者の父祖・吉田永學のふるさとを尋ねる旅で、筆者が得ることになったひとつに、『部落学序説』を論じるときの、<もうひとつ>の視点・視角・視座があります。

その視点・視角・視座は、近世幕藩体制下の<宗教家>(社家・寺・修験など)が、当時の司法・警察、あるいは軍需産業の従事者である<穢多>役・<非人>役とどのようにかかわったのかを、関連史資料を分析、批判・検証し、そこから、<穢多>役・<非人>役の<もうひとつ>の姿を描きだすことで、現在の被差別部落の人々が完全解放されるための理論を構築するためのものです。

筆者、ブログ『部落学序説』を公開で、書下ろしで執筆をはじめたとき、多くの読者の方々から、<自分をさらさないで他者の被差別問題を取り上げるのは好ましくない>と指摘され、筆者、筆者自身の身をさらしながら、筆者の先祖、曾祖父の吉田向學の名をペンネームにして執筆をつづけてきましたが、思わぬ時間を費やしてしまいました。

さあ、これからは、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方々が、<おのれをさらしながら、部落差別について語る>番です。おのれをさらしながら、語ることができますか? できませんか? 筆者からの問題提起です! 

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部落史関連の文献に出てくる修験道・・・

2018年04月14日 |  5.部落学序説

昨夜、筆者が蔵書している部落史関連の基本的な文献をひもといて、<修験道>との関連記事を検索してみました。

従来の基本的な文献では、<修験者>と<穢多・非人>との関連を言及しているものは、1冊もありませんでした。当然と言えば当然なのですが、その理由は、 <修験者>の穢れ観と<穢多・非人>の穢れ観は、相矛盾するからです。正と逆を同時に真と認める不合理な論理に身をゆだねなければ成立することができない世界がそこに存在するからです。

<武士>身分ないし<百姓>身分は、<出家>して<修験者>になることはできますが、<穢多>身分ないし<非人>身分は、<出家>して<修験者>になることができるのか・・・? しかし、<穢多>身分ないし<非人>身分が、<出家>して<修験者>になることができるかどうかに関する記事を検出することはできませんでした。

一時、学校同和教育で使用されていた<士農工商その他>という、近世幕藩体制下の身分を把握しようとする図式では、<その他>の中に、 長野の松代藩を例にとっても、穢多・非人のほかに、卒族・社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者などが含まれてしまう可能性があります。穢多・非人の概念の外延を拡大して、卒族・社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者を<被差別>の中に含め、差別問題そのものを相対化することをもって部落解放と論じている学者・研究者・教育者でなければ、誰も、近世幕藩体制下の司法・警察である、違法を取り締まる側に立つ<穢多・非人>と、彼らによって取り締まられる側になる<社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者>を混同することはないでしょう。<穢多・非人>は常・非常の世界でその職務を遂行し、<社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者>は日常・非日常の世界でその職分を遂行しているからです。両者がなんらかの理由で交錯することがあるとすれば、一番可能性のあるのは、<社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者>が幕府や藩の定めた法に違背し、犯罪行為をしたときでしょう。

<賤民史観>という差別思想を部落史研究の前提としている学者・研究者・教育者の多くは、法を取り締まる側と、取り締まられる側を同一視し、法によって裁かれたひとを<差別されたひと>と同定する傾向がありますが、<賤民史観>という、日本の歴史研究上の差別思想に身を投じた学者・研究者・教育者、またはその信奉者・追従者だけが、<穢多・非人>と <社家・寺・修験・堂宇・神子・医師・浪人・癩者>を同一視してしまうのでしょう。

近世幕藩体制下の身分制度を、<士農工商その他>という枠組みで被差別を論ずる人々の陥りやすい過ちです。 <その他>には、近世幕藩体制下において
金融業を営んでいた<座頭>が存在していますが、明治維新の際、日本の近代化のために銀行制度を早急に構築する必要に迫られた明治政府は<座頭>の権利をすべてはく奪してしまいます。<座頭>は、近世幕藩体制下で補償されていた特権を喪失し、経済的困窮に追いやられます。

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『全国民事慣例類集』は、高価・・・

2018年03月18日 |  5.部落学序説

筆者が最初に『全国民事慣例類集』を読んだのは、徳山市立中央図書館郷土資料室の蔵書からです。日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師を辞して隠退牧師となり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前に、インターネットの日本の古本屋経由で集めた部落史関連書籍の中に、この『全国民事慣例類集』があります。

今夜、インターネットで検索してみますと、2種類の『全国民事慣例類集』がありました。

『全国民事慣例類集』(1944年、風早八十二解説)@3,800円

『全国民事慣例類集』(1976年)@25,000円
『全国民事慣例類集』(1976年)@30,000円
『全国民事慣例類集』(1976年、司法省蔵版・復刻版 第1篇第1章身分ノ事所収)@36,720円

『全国民事慣例類集』(1944年、風早八十二解説)には、下の3冊にある<第1篇第1章身分ノ事>が削除されています。そのかわりに、岡山出身で東京帝国大学法学部を出てマルクス主義法学の担い手となり、戦前思想犯の疑いで投獄されたことのある法学者ですが、特別高等警察の前で転向した風早八十二のものの見方・考え方を知る上でも貴重な本です。10年版と13年版を読み比べることが可能です。

下の3冊は、<国立国会図書館デジタルコレクション - 全国民事慣例類集>(dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/786945)で、誰でも自由に閲覧することができます。『明治文化全集・社会篇』に13年版が収録されていますので、安価に入手可能です。



 

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小異ナル者ヨリシテ論究スレハ・・・

2018年03月18日 |  5.部落学序説

郡山地方史研究会の会長である大河峯夫先生と、近世の<穢多>・<非人>について話をしていますと、大河先生がいつも言われるのは、<郡山の穢多は、西日本の穢多と違うんだなあ、これが・・・>。大河先生の口から、郡山の穢多と西日本の穢多がどこがどう違うのか、一度も詳しい説明をお聞きしたことがありませんが、穢多・非人の問題は、近世幕藩体制下の司法・警察に関する問題・・・。

司法省が、大日本帝国発布の前に刑法・民法・訴訟法・地方自治法・・・などの法律を制定するために、日本全国の慣例法の調査をして、明治10年に『全国民事慣例類集』を出版、明治13年にはその増補改訂版『全国民事慣例類集』が出されています。

その両版に、このような文言があります。<地方慣例其大同ナル者ヨリシテ論スレハ全國皆同シト云モ可ナリ。其小異ナル者ヨリシテ論スレハ一村一家皆異ナリト云モ可ナリ>。それは、『全国民事慣例類集』(明治13年版)の<第1篇・人事、第1章・身分ノ事、第1款農工商穢多非人ノ別>についてもあてはまることであり、近世幕藩体制下の穢多・非人について、<大同>を持って批判検証するか、<小異>を持って批判検証するかによって、近世幕藩体制下の諸藩における穢多・非人の認識が大きく異なってきます。

これまでの部落史研究の多くは、<小異>を重点をおいて、他藩の穢多・非人との比較におして、その藩の穢多・非人の独自性を追求しすぎるきらいがありました。部落史の研究は、<大同>と<小異>、両方の視点・視角・視座が必要です。郡山地方史研究会の過去の古文書講習会のテキストにも出てきましたが、郡山の<検断>には、その職務内容がまったく異なる2通りの<検断>が存在しています。それを一つの<検断>に集約してしまいますと、<小異>に片寄るようになり、それを別々に分けて考えますと<大同>に近づくようになります。

 

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部落史関連の古書価格UP・・・?

2018年03月18日 |  5.部落学序説

山口にいるとき、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方が、<部落史関連の史資料を入手するならいまがチャンス。これまで、部落史の研究をしていたひとが一斉に手放しはじめているから・・・>と教えてくださいましたので、筆者、『部落学序説』・『部落学原論』を出版・執筆するための基本的な史資料となる古書を、インターネットの日本の古本屋経由で入手しました。

昨夜、その数冊の現在入手価格を日本の古本屋経由で調べてみたところ、柳瀬勁介著『社会外の社会 穢多非人』は、5,000円、5,000円、7,000円、8,600円の4さつがヒットしました。筆者が入手したときは、1,000円以内だと記憶していますが・・・。部落史関連の古書価格、徐々に値上がりして行っているようです。

あらためて、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方のアドバイスに従って、部落史関連の基本文献を多数入手していてよかったと思わされました。 どんな文献を手に入れることができるか、それは、ひとつの<出会い>です。<出会い>にめぐまれると、貴重な文献を驚くほどの安さで入手することができます。

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部落差別って何ですか・・・?

2018年03月16日 |  5.部落学序説

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押しつけられ、山口で、部落差別問題との取り組みをはじめることになりましたが、数年後に、山口の被差別部落の方々と交流がはじまり、部落解放運動をされている方々からいろいろ部落差別問題について教えをこうことになりました。

筆者は、岡山県立児島高校生のとき、国語の教師であった落健一先生仕込みの質問の仕方をするのが常・・・。

当時、部落解放同盟山口県連の委員長をされていた方に、何度かお会いしているうちに、質問をするようになりました。<部落差別って何ですか?>、<部落差別が国民的課題だというのはどういう意味ですか?>、<なぜ穢多・非人が差別語なのですか?>、<私はただの貧乏人ですが、ただの貧乏人の貧しさと被差別部落のひとの貧しさはどう違うのですか?>・・・と、いろいろな質問をぶつけるようになりました。

同和問題を考える宗教者連帯会議で、山口県連の委員長に、<部落解放同盟は、一説に暴力団であるといわれていますが、実態はどうなのですか?>と質問して、宗教者連帯会議に出席されている宗教者を唖然とさせたことがあります。

山口県連の委員長さん、<私に、こんな質問をぶつけてくるのは、あんたくらいだ!知った上で、質問してるんだろ?あらためて問われると、答えに窮する・・・>といって、1冊の内部資料を提供してくれました。今日、ファイルを整理していて、そのときいただいた資料が出てきて、そのときのことを思い出しました。その資料は、部落解放運動家の養成のための内部教育資料・・・(部落解放運動家は部落解放運動家として生まれてくるのではなく、部落解放運動家としてつくられる・・・)。

<なぜ?>、<なぜ?>で話をつないでいく筆者に、山口県連の委員長は辟易されたのでしょう。 あるとき、筆者、山口県連に出入りすることを禁止されてしまいました。<なにごとも深く追究するのはよくない。すべからくほどほどに・・・>というのが、当時の山口県連の委員長さんの言葉でした。

当時の山口県連の委員長さんの名前、 やっと思い出しました。

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部落学序説の執筆資料ファイルの整理・・・

2018年03月16日 |  5.部落学序説

今日の夜、2005年5月14日に、インターネットでブログ『部落学序説』を書下ろしで執筆をはじめる前、それまでに収集した部落差別問題に関する資料を項目別に分類して項目ごとにファイルしましたが、そのファイルすべてに目を通しました。そのファイルにどのような文献が保存されているか、確認しただけですが・・・。

今、振り返ってみますと、<よくぞ、これまで集めてきたものだ・・・>と自分であきれるほど、山口の被差別部落に関する史資料・研究論文を集めています。

筆者の研究課題は、山口の被差別部落そのものというより、山口の部落史研究や同和問題と取り組んでいる学者・研究者・教師、あるいは部落解放運動家などが、部落差別問題をどのように受け止め、どのように部落解放運動理論を展開していこうとしているか、それを分析、批判・検証すること・・・。

ある学者は、<君がしていることは、部落差別問題に取り組むひとを背後から切りつけることと同じだ!>と筆者を批判していましたが、筆者は、1.被差別部落の歴史を自分で調べる(Tesis)、2.部落史の学者・研究者・教師が論述する被差別部落の歴史と比較・検証をする(Antithese)、3.部落差別完全解消の提言をする(Ginthese) ことで、筆者が被差別部落の歴史に対して抱いた問題意識を Aufheben しようとしたわけです。もちろん、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の戯言として切り捨てられることを前提に・・・。

被差別部落の方々から、<誰にでも読めるやさしい文章にして・・・>と懇願されていたので、学術論文の形にはしませんでした。学術論文の体裁をとらないと読むに値しないという、学者・研究者・教師の方々からの批判もあとを絶ちませんでしたが・・・。 『部落学序説』を執筆するとき、その内容に対して、学者・研究者・教師の方々から批判があったとき、弁証するだけの史資料を隠し持つことにしました。しかし、実際に『部落学序説』の執筆をはじめますと、『部落学序説』の内容ではなく、筆者に対する個人攻撃がほとんどで、隠し持った史資料を持ち出して、より生産的な議論に発展することはありませんでした。

今夜、その資料ファイルをみながら、<よくぞ、これまで集めてきたものだ・・・>と自分であきれてしまいました。

そのファイルのひとつに、長州藩における<廻米>に関する資料・研究論文もありました。郡山地方史研究会の古文書講習会のテキストに、湖南の赤津村に保存されてきた<公文書>に出てくる会津藩の<廻米>に関する資料がありました。 古文書講習会は、古文書を読む事だけが目的ですので、それを用いた研究はまた別のものですので、過大な期待は禁物ですが、<廻米>は、いろいろな側面を持っています。

おりをみて、古文書講習会の過去のテキスト25年分の中から、<米>に関する文書を抜き出して、総合的に資料を読み直してみることにしましょう。近世幕藩体制下の会津藩・二本松藩の稲作と米の流通について、全体像を把握できるように・・・。 

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長野県・福島県・兵庫県出身の学者からの影響・・・

2018年02月27日 |  5.部落学序説

『歴史学研究法』の著者・今井登志喜氏は長野県出身、『地方史研究法』の著者・古島敏雄氏も長野県出身、『民俗学の方法』の著者・井口章次氏は兵庫県出身、『習俗 倫理の根底』の著者・佐藤俊夫氏は福島県出身・・・、筆者が影響を受けた学者は、長野県・福島県・兵庫県の出身・・・!

2013年4月1日に、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師を辞して、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前、部落史研究にさらに磨きをかけるために、インターネットの日本の古本屋経由で、部落史研究の基本文献を収集しました。それだけでなく、地方史研究・郷土史研究・古文書研究・古文書読解法・解釈学・法制史・警察史・比較法学・民俗学などの文献も収集・・・。

『部落学序説』を、インターネット上のブログで公開で、書下ろしで執筆をしていたときの環境と比べますと、現在の筆者の書斎は、雲泥の差という言葉があてはまるほど充実しています。 

デカルトの『方法序説』、今井登志喜著『歴史学研究法』、古島敏雄著『地方史研究法』の3冊を読み直して、筆者の、歴史研究の原点に立ち戻ることができたら・・・、と思っています。

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昔は昔、今は今・・・

2018年02月11日 |  5.部落学序説

昔は昔、今は今・・・。

隠退牧師になるということは、牧師をしている間に背負うことになった十字架を下すということをも意味しています。

部落差別問題との取り組みは、筆者が、日本基督教団西中国教区のちいさな教会の牧師をしているときに、押し付けられた課題・・・。隠退は、その課題からも解放されるということをも意味しています。しかし、山口で出会った、未指定地区の被差別部落の方々からお聞きして、その真偽を、徳山市立中央図書館の強度資料室で確認した限り、彼らの証言は真実であると思いました。

その真実を、隠退牧師になった今も、語り続けなければならないと思っていますが、筆者が書いた『部落学序説』、時の流れの中に、不要なものは背後に退き、大切なことがらだけが前面に出てくるようになりました。

70歳になっても、資料を読み漁り、原稿を書くことができるということは、隠退牧師の筆者に、主なる神さまが与えてくださった恵みです。昔は昔、今は今、その恵みを感謝して受け止め、そえを生かさなければ・・・。

 

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午後は、校正・編集できるEditorを使って・・・

2018年02月09日 |  5.部落学序説

午後は、『部落学序説』の長文を、ひとつのファイルとして校正・編集できるEditorを使って、その作業をしていました。

<私は・・・>と表現しているところもあれば、<筆者は・・・>と表現しているところもあります。『部落学序説』を用語的に統一しようとしますと、長文の『部落学序説』を1つのファイルで検索・置換できる能力をもったEditorでなければなりません。

この前、有償のEditorを購入したのですが、ほとんど使用に耐え与えないものでした。それで、フリーソフトを使って作業をはじめたのですが、outline processor機能もついていますので、編集校正が可能になります。

書下ろしの執筆途中で、近世について言及しているときに近代に関する論述を求められたり、『部落学序説』の範囲を超えて、『部落学』の内容を求められたり、無意味な論争をふきかけられたり、近代・現代に関する記述が多重化した場合も少なくありませんでした。混乱した章立てと内容を再構築するためには、outline processorは必須のツールですが、今日、やっと、筆者の要望に応えてくれるText Editor に遭遇しました。

『部落学序説』だけでなく、『被差別部落の地名とタブー』や『ある同和対策事業批判』なども1つのファイルとして校正・編集が可能になります。

MSWORD2010で作業していたのですが、筆者が使っているパソコンは旧機種なので、時間がかかり過ぎになったり、パソコンの処理能力を越えたりしますので、FreeSoft のText Editorに切り替えて作業を続けることにしました。Wordは文章校正時に使用します。

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聖書解釈学を読み直すことに・・・

2018年02月03日 |  5.部落学序説

今日の午後、聖書解釈学・文献解釈学に関する本に目を通していました。

妻は、<あなたが神学書を読むのを見るのはひさしぶり・・・。英書を読み直すことにしたの・・・?>と問いかけてきますので、筆者、<いままで神学書は、大切に読んできたでしょう?ほかのひとに譲ることを考えて・・・。しかし、もうその可能性は100%ないから、神学書も、他の本と同じように、読み潰すつもりで読むことにした。マーカーを付けたり、メモ書きしたり・・・。今医学書を読んでいるのと同じ読書法で、神学・哲学・法学・歴史学・農学も読むことにした・・・。私がなくなったら、娘に頼んで、資源ごみとして出してくれたらいいから・・・>と答えました。

2013年4月1日に、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師を辞して、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して以来、説教をつくるために聖書解釈をすることはすっかりなくなりました。しかし、聖書の言葉は、筆者と妻の、信仰と暮らしの根幹・・・。自らの拠って立つところを再確認することに・・・。



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『部落史研究ハンドブック』・・・

2018年02月03日 |  5.部落学序説

昨夜、2016年、事典類を集めたときに、インターネットの日本の古本屋経由で入手した、小林茂他編『部落史研究ハンドブック』(1989年)と同『部落史用語辞典』(1985年)のページをめくっていました。

やはり、両書とも<部落>概念に関する明解な言及は避けていました。

今日、郡山地方史研究会の古文書講習会のときに、Sato先生と少しく<部落>概念について立ち話をしました。Sato先生、これからも、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群を校正・編集、小冊子化する都度、Sato先生とそのグループで読んでくださるとか・・・。

70歳の筆者の<意欲>としては、東山道の<被差別部落>の歴史を、『部落学序説』の視点・視角・視座から見直すことができたらと思っていますが、まずは、、既存の『部落学序説』とその関連ブログ群を小冊子化して、それを1冊の本にまとめ、自費出版したあとの『部落学原論』執筆の際に文章化することにします。

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塚田正朋氏の人と業績・・・

2018年02月01日 |  5.部落学序説

昨夜、塚田正朋著『近世部落史の研究 信州の具体像』の巻末にある、青木孝寿著<解説 塚田正朋氏の人と業績>を読みました。

塚田正朋氏は、新潟県東頸城郡松代町生まれ。塚田正朋氏の父親は、代用教員をしたあと鉄道員になり長野市に移り住んだようです。住んでいたのは長野市芹田北中・・・。塚田正朋氏は、キリスト教系の幼稚園に通っていたそうですが、<幼稚園に通う沿道の傍らにぽつんと住む一家がなんとなく近寄りにくく、しかも特別な目で見られているのを感じた。旧「非人」として差別されていたことをのちに知るのであるが、おそらくそれば、おぼろげに「差別」の存在を知る最初の経験となったと思われる・・・>と解説されていました。

その塚田正朋氏が、やがて、長野県における、筆者が差別思想と断定する<賤民史観>構築の担い手となっていく過程が、その解説の中に、克明に記されていました。塚田正朋氏が<賤民史観>の担い手になる背景に渡辺広氏の<先駆的研究>の影響があると指摘されていました。

『近世部落史の研究 信州の具体像』の、塚田正朋氏自身の<あとがき>には、考えさせられることが書かれていました。

筆者の祖父・吉田永學、曾祖父・吉田向學のふるさとは、長野市栗田ですが、長野市芹田北中は、すぐ近く・・・。はじめて、父祖のふるさとを尋ねたとき、道に迷って、何度も芹田小学校の前を通りました。今度、父祖のふるさとを尋ねたとき、ついでに、塚田正朋氏の足跡をたどってみるのもいいかもしれません。

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