部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

歴史記述の視点・視角・視座

2009年03月23日 | 第5章 水平社宣言批判




【第5章】水平社宣言批判
【第1節】部落概念
【第1項】<歴史記述の客観性>について
【その4】歴史記述の視点・視角・視座

無学歴・無資格の筆者が、歴史研究の基本的な知識・技術として依拠しているのが、今井登志喜著『歴史學研究法』と、古島敏雄著『地方史研究法』であることは、繰り返し表明してきましたし、度々両論文から引用してきました。

この2冊は、歴史研究の基本的・伝統的な方法が紹介されています。

筆者の蔵書は、文庫本・新書版が圧倒的に多いのですが、この2冊の本も新書版で、東京大学出版会の「東大新書」に含まれています。

歴史研究の基本的・伝統的なこの2冊の本ですら、<歴史記述の客観性>について、楽観的な信頼を綴ることはありません。むしろ、その論文の至るところで、<歴史記述の客観性>を阻害することになる要因に対して常に警告を発しています。

史料に表現されていることは、<記憶によって再構成>されたものにほかならず、その史料には、その史料を記録した人の<視点・視角・視座>が否応なくまとわりついているのが普通です。

通常歴史研究は、史料の中から、歴史記述の主観的要素を取り除き、<生のままの歴史事実>を抽出しようとします。しかし、歴史研究の学者・研究者・教育者が、実証主義的研究法を駆使して、<生のままの歴史事実>を確定した・・・、といっても、そのことで、<歴史記述の客観性>が自動的に保証されるわけではありません。

「歴史は過去に対する現代の関心である」(『歴史學研究法』)ので、現在の歴史研究に際しては、その学者・研究者・教育者の現在の<視点・視角・視座>という、あるいは外部からの歴史研究に対する要請(運動団体・政治団体・教育団体・・・)という、<歴史記述の客観性>をそこなうことにつながる<歴史記述の主観>的要因がついてまわるからです。

そういう意味では、歴史研究は、常に、<歴史記述の主観性>を批判検証し、歴史研究の<視点・視角・視座>は常に相対化されつづけなければならないのです。「歴史学は・・・自己の学問的基盤を批判的に省察する再帰的自己反省の学」(野家啓一著《歴史を書くという行為》)たらねばならないのです。

無学歴・無資格の筆者、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するに際して、筆者の<視点・視角・視座>をできるかぎり明らかにしてきました。『部落学序説』とその関連ブログ群に、執筆者たる筆者の<個人的な情報>が多々含まれるのは、筆者の<視点・視角・視座>について読者の方々に情報を提供すると同時に、筆者の<視点・視角・視座>をより明確に確立するためです。

それでは、<視点・視角・視座>とは何か・・・。

『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方々から何度も質問されたことがらですが、『部落学序説』第5章・水平社宣言批判の執筆をあらためて再開するにあたって、筆者のいう<視点・視角・視座>とは何なのか・・・、少しく説明しておきたいと思います。

筆者、正真正銘の無学歴・無資格ですので、大学・大学院等の高等教育機関において、歴史研究における<視点・視角・視座>について学んだことはありません。そのため、ここで<視点・視角・視座>について説明することは、またまた、歴史研究の学者・研究者・教育者の方々から・・・、とりわけ、彼らを代表するかのように、筆者の言説を批判してこられる、岡山の中学校教師・藤田孝志氏から、筆者が<誹謗中傷・罵詈雑言>としてしか受けとめることができない酷評を受けることになるかもしれません。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、どれだけ、部落史研究の学者・研究者・教育者の方々(部落解放研究所編『部落解放史』全3巻の著者21名)の<代弁>に成功しているかどうかはわかりませんが、筆者・・・、典型的な無学歴・無資格・・・、本来、学問の世界、歴史研究の世界、部落史研究の世界とは無縁の存在ですので、筆者の<視点・視角・視座>を明らかにすることで、部落史研究の学者・研究者・教育者から<失笑>されることについて、臆する理由は何もありません(無学歴・無資格の筆者の居直り・・・)。

といっても、<無から有を呼び出す>ことは、筆者にはできませんので、<視点・視角・視座>とは何か・・・、そのことについて言及するために、この項の文章を書くときに最初に紹介申し上げた野家啓一著《歴史を書くという行為》を参考にして、考察をすすめていきます。

野家啓一氏は、「歴史記述は個人や共同体や国家のアイデンティティ・・・と切り離しがたく結びついている。」といいます。「アイデンティティの主張はナショナリズムの問題圏と接しており・・・否応なく政治性を帯びている。」そうです。

しかし、その「歴史記述の客観性」を損なう「主観的要素」のひとつ、「政治性」は、その歴史記述が、歴史研究の世界から歴史教育の舞台に移されるとき、「歴史記述」「正史」として認定され、歴史研究の批判対象からはずされていきます。歴史を学ぶものは、歴史研究の学者・研究者・教育者の「歴史記述」を、<公認された客観的歴史>として、受容・維持・発展させることが求められるようになります。

部落史研究についていえば、被差別部落のひとびとの歴史を、<賎民の歴史>とみなす<賎民史観>こそ、部落史研究の研究成果であり目的である・・・、ということになります。

部落史研究を<賎民史観>として描くときの歴史資料・・・、時空を越えて種々雑多な史料が存在しますが、部落史の学者・研究者・教育者は、<賤民史観>的部落史像を描くために有効な史料を取捨選択することになりますが、そのとき、野家啓一氏のことばの通り、「歴史家たちは、みずからの利害関心や動機づけにしたがって「語るに値するもの」、すなわちその時代にとって「意味」と「価値」を持つ出来事を選び出すのである。」

野家啓一氏、「それを決定するのが歴史家の「視点」・・・」であるといいます。

「そこには、すでに一種の価値判断が働いている」のであって、部落史の学者・研究者・教育者が、その研究主題の論究に必要な史資料を取捨選択する段階で、<歴史記述の客観性>を損なう<歴史記述の主観性>がしのびよってきているといえます。

そういう意味では、<部落史を語るときの視点>とは、種々雑多な関連史資料からどのような史資料を選択するか、そのときの判断基準であるといえます。部落史の一主題を研究するときに、幕府という中央政府の史資料に依拠するのか、諸藩の地方政府の史資料に依拠するのか・・・。あるいは、支配者である<武士>階級の資料に依拠するのか、被支配者の<百姓>階級の地方文書に依拠するのか・・・。あるいは、軍事・警察・司法などの、<殺生与奪の権>を行使することができる<非常民>の側の資料に依拠するのか、<非常民>によって逮捕・監禁・捜査・裁判・処刑の対象とされる<常民>の側の資料に依拠するのか・・・。部落史の主題を研究するに際して、どの史資料を採用するのか・・・、その判断の根拠となるのが<視点>です。

野家啓一氏は、その論文《歴史を書くという行為》の中で、<視角>という表現を用いることはありませんが、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者にとっては、<視点>によって、歴史記述のために選択された史資料を分析、批判検証していくときの方向性が、<視角>であると認識しています。

たとえば、女性史に関する論文を書くときを想定しますと、男性が書き記した史資料だけに基づいて女性史を書く場合と、女性が自ら書き記した史資料を集積して女性史を書く場合とでは、その歴史記述に大きな違いが出てきます。<女性史家の視点>は、種々雑多な史資料の中から、どのような史資料を取捨選択して女性史を記述しようとしているかによって明らかにされます。

取捨選択された女性史に関する史資料を、<男性の立場>から<男性の視線>で女性史を描くのか・・・、<男性の立場>から<女性の視線>で女性史を描くのか・・・、<女性の立場>から<男性の視線>で女性史を描くのか・・・、<女性の立場>から<女性の視線>で女性史を記述していくのか・・・、取捨選択された史資料の解析に向かうための方向性は、ひとつではありません。歴史の記述に際して、学者・研究者・教育者によって確定された方向性のことを、筆者、<視角>と呼んでいます。

どの<視角>をとるか・・・、そこにも、<歴史記述の客観性>を損なう可能性のある<歴史記述の主観性>が忍び寄ってきます。歴史研究における、学者・研究者・教育者の<視点>・<視角>は、その学者・研究者・教育者の「一種の価値判断」の結果であって、決して、没価値的な概念ではありません。

普通、歴史研究の学者・研究者・教育者によって、「生のままの歴史事実」を明らかにするために<視点>・<視角>が自覚されるのですが、その<視点>・<視角>は、歴史研究の学者・研究者・教育者が置かれた歴史と状況によって大きく左右される可能性が否定できませんので、ほんとうの「歴史学は・・・自己の学問的基盤を批判的に省察する再帰的自己反省の学」であることを自覚し続け、歴史学の研究者としてのおのれのありようを常に批判検証することを怠らないのです。

それでは、<視座>とは何か・・・。

歴史研究にかかわる学者・研究者・教育者が、その<視点>・<視角>によって、史資料を選択、批判検証、分析と総合を遂行した結果生じる研究成果を<歴史記述>として叙述する場合、その学者・研究者・教育者によって選択された<枠組み>・<史観>のことです。

<権力史観>のもとで<歴史の記述>を遂行していくのか、それとも<民衆史観>のもとで<歴史の記述>を遂行していくのか・・・。<皇国史観>のもとで<歴史の記述>を遂行していくのか、それとも<唯物史観>のもとで<歴史の記述>を遂行していくのか・・・。

<視座>も、<視点>・<視角>と同じく、没価値的概念ではなく、むしろ、まったく逆に、本質的に価値概念であるといえます。

野家啓一氏によると、「歴史家の視座」は、「歴史を記述する主体の立ち位置(ポジショナリティ)」の問題であり、「時代精神や利害関心によって彩られ、ある種のイデオロギー性を帯びている」ことは否定できない・・・。歴史研究の学者・研究者・教育者も、その「視座」を選択するときに「歴史家の学問的実存」を賭けている・・・というのです。その「特定の視座によって開かれる時空」は、<歴史記述の客観性>を無条件に保証するものではなく、「関心の遠近法に沿った歪みを伴わざるをえない」といいます。

「生のままの歴史事実」は、歴史研究に携わる学者・研究者・教育者の<視点・視角・視座>によって、その歴史記述に際して、その客観性が常に危うくされ、損なわれている可能性に直面しているのです。

そして、その「歴史家の視座」は、時として、その<主観性の限界>・・・<客観性>が否定されることにつながり、「視座の転換」を求められる場合も少なくないのです。戦前の皇国史観、戦後の唯物史観・・・、その<歴史記述の客観性>が問われ、現在に至っていることは否定すべくもありません。

野家啓一氏は、歴史家の「視座の転換」は、皇国史観・唯物史観においてだけでなく、「西洋対東洋」「男性対女性」・・・という「二項対立を無効化」し、「これまでの歴史記述において忘却され隠蔽されてきた・・・声を発掘し、顕在化させることになった」といいます。「視座の転換は歴史の書き換えを要求せずにはおかない・・・」というのです。

野家啓一氏が、そう語る際に引用される上野千鶴子氏のことばは<強烈>です。

「ジェンダー史は、正史に対して「女性」という「見逃されてきた領域」(missing perspective)を付け加えることで正史の「真理性」を高めることに貢献するのではなく、自らの偏りを認めることで、返す刀で正史を僣称するものに対して「おまえはただの男性史にすぎない」と宣告したことになる」。

野家啓一氏は、その上野千鶴子氏の「指摘は、正鵠を射たものと言うべきであろう。その意味で、人種、民族、階級、人権といった概念もまた、ジェンダーの視点から再構成されねばならないのである。」といいます。

部落史研究における、学者・研究者・教育者が無条件の前提、部落史研究の枠組みとして採用している<賎民史観>は、<貴民>・<賤民>の「陳腐な二項対立」を前提とした、<貴民>の側からの差別的な<史観>に他なりません。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史研究の範疇に入るものではありませんが、上野千鶴子氏のことばをこのように借用することができるのではないでしょうか。「部落学序説は、部落史の正史<賎民史観>に対して、それぞれの時代の司法・警察に関与する「非常民」という「見逃されてきた領域」を認めることで、部落史の正史である<賤民史観>の「真理性」を高めることに貢献するのではなく、これまでその<賎民史観>によって教育され洗脳されてきた自らの偏りを認めることで、返す刀で、部落史の正史である<賎民史観>を僣称するものに対して「賤民史観よ、おまえはただの差別史にすぎない」と宣告したことになる」・・・。

《「言語論的転回」以後の歴史学》の著者・小田中直樹氏は、このことについては「日本の歴史学界は・・・ほぼ黙殺してきたといえる」といいます・・・。<歴史記述の客観性>の追究と<歴史記述の書き直し>を求めるのが、歴史学ではなく「隣接する諸学問領域に属する研究者」であったことは、歴史の皮肉・・・。「他領域の研究者が歴史学者の頑迷さを批判し、後者は前者の無理解に首をすくめるという光景が、各地で展開されることになった・・・」そうです。

「歴史学は・・・自己の学問的基盤を批判的に省察する再帰的自己反省の学」・・・

無学歴・無資格、学問・歴史の門外漢である筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、最初から<序説>(プロレゴメナ)として、「自己の学問的基盤を批判的に省察する再帰的自己反省の学」を内に抱え込んでいるため、『部落学序説』執筆の<視点・視角・視座>は、日本の歴史学に内在する差別思想である<賎民史観>の学者・研究者・教育者に対する批判検証の学であると同時に、筆者の自身自身に対する批判検証の学でもあります。

 


歴史記述の客観性の追究

2009年03月22日 | 第5章 水平社宣言批判




【第5章】水平社宣言批判
【第1節】部落概念
【第1項】<歴史記述の客観性>について
【その3】歴史記述の客観性の追究

歴史学における「一般の常識」として、「歴史家の仕事は、過去の事件や状態を事実に即して客観的に記述することである・・・」ということがあげられます。

前々回に引用したことのある、加来彰俊著《歴史記述の客観性》という論文の一節です。

歴史研究の学者・研究者・教育者によって執筆される論文の<歴史記述の客観性>が保証されるためには、<客観性>の対となる<主観性>ができる限り排除されなければなりません。

しかし、歴史研究の成果である論文は、「事実という客観的要素と解釈という主観的要素とが複雑に絡み合ったもの」として存在しているので、歴史研究から、<主観的要素>を完全に排除することはできません。

もし、歴史研究の学者・研究者・教育者として、<主観的要素>を排除して、<客観的要素>のみで、その論文を組み立てている・・・と信じている人があるとすれば、その歴史研究の浅薄さ、通俗さを示すのみで、歴史研究の名に値しない論文であると推測せざるを得ないでしょう。

筆者が知りうる限りの歴史学者・研究者・教育者の多くは、<歴史記述の客観性>を保持するため、常に、<主観的要素><歴史記述の客観性>をそこなう可能性に留意し、それを自覚しながら、日々、<主観的要素>と闘い、<歴史記述の客観性>を追究してやまないひとびとです。

しかし、長い歴史研究の間には、最初<主観的要素>であったものが、いつのまにか、<主観的要素>の域を脱して、歴史研究の暗黙の前提になってしまうことがあります。一端、<暗黙の前提>が、歴史研究の学者・研究者・教育者によって受容されはじめますと、その<暗黙の前提>は、歴史研究の批判検証の対象ではなくなり、多くの学者・研究者・教育者によって、無批判に<自明の理>として通用するようになります。

加来彰俊氏が、「歴史家の主観的制約をなす視点の中から、可能なかぎり個人的要素を排除して行って、誰でもが普遍的に受け入れられるような、何か共通の一つの視点、いわば「歴史意識」一般のようなもの・・・」とよぶもの・・・、つまり、<史観>と呼ばれるものです。

筆者が、<日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観>として批判する<賎民史観>もそのひとつです。

筆者、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢ですので、歴史研究の論文をひもとくときは、その学者・研究者・教育者の、論文執筆における<客観的要素><主観的要素>を認識しようとします。どの部分が、歴史の事実で、どの部分が歴史の解釈なのか・・・。その解釈の、どの部分が、その学者・研究者・教育者固有の見解で、どの部分が<史観>に依拠した部分なのか・・・。その両者をどのように連絡をとろうとしているのか・・・。

無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者が、なぜ、そこまで意識しなければならないのか・・・。

筆者、部落差別問題に関与する前までは、部落差別問題にはほとんど関心がなく、自分のライフワークとして天皇制の問題にかかわっていこうとしていたからです。天皇制に関する論文を批判・検証するためには、そのような自問自答をすることを避けて通ることができなかったからです。

というのは、論文《日本の歴史思想》の著者・上横手雅敬氏(当時、京都大学教養部助教授)がいわれるとおり、日本の「近代歴史学」は、「天皇制の恐怖からの解放なしに・・・成立しえなかった」からです。<実証主義研究>は常に迫害され、日本の歴史研究の学者・研究者・教育者は、「長い受難の歴史」を生きざるを得なかったからです。

戦後、「長い受難の歴史」に終止符が打たれたといわれますが、しかし、戦後、学問の自由が保証されるようになってからも、<天皇制の恐怖>は、歴史研究の学者・研究者・教育者の自由な精神を拘束し、自主規制させるような力を発揮していた・・・、と考えられます。

現在の社会においても、「明治以降に作り出されたものに過ぎない国民感情論が持ち出され、国民の信条にさえ干渉が生ずる」可能性が多々存在しているからです。

そういう意味では、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者にとってすら、歴史に関する研究論文に目を通すとき、どの部分が、歴史の事実で、どの部分が歴史の解釈なのか・・・。その解釈の、どの部分が、その学者・研究者・教育者固有の見解で、どの部分が<史観>に依拠した部分なのか・・・、絶えず、自らに問いかけ、批判検証のいとなみをせざるを得ないのです。

期せずして、かかわるようになった、明治天皇制構築の流れと表裏一体の関係にある、部落問題・部落差別問題・部落史研究においても、その関連史資料・論文などを読むとき、どの部分が、歴史の事実で、どの部分が歴史の解釈なのか・・・。その解釈の、どの部分が、その学者・研究者・教育者固有の見解で、どの部分が<史観>に依拠した部分なのか・・・、自らに問いかけざるを得ないのです。

『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者・・・、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢ではありますが、このような姿勢は、筆者の<歴史に対する間違った態度・姿勢>などではなく、歴史研究に責任をもって、主体的にかかわっておられる歴史学の学者・研究者・教育者によって、その論文・書籍を通じて<間接的>に教示されたものにほかなりません。

ですから、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆に際して採用している歴史研究法は、歴史研究の常道をたどるもので、決して、そこから逸脱して、<恣意的な解釈に自己満足>しているわけではありません。

筆者が、現代部落史研究の成果として採用しているのは、『部落解放史・熱と光を』の上・中・下の3巻です。全1000ページを越え、上田正昭・和田萃・井上満郎・横井清・寺木伸明・中尾健次・生瀬克己・布引敏雄・桐村彰郎・秋定嘉和・黒川みどり・白石正明・八箇亮仁・灘本昌久・城間哲雄・藤野豊・村越末男・渡辺俊雄・三輪嘉男・梅原達也・友永健三の21名の学者・研究者・教育者によって執筆されたものです。

1989年出版ですから、いまからちょうど20年前・・・の部落史研究に依存していることになります。

それらの部落史の学者・研究者・教育者の種々雑多な論文を、ひとつにまとめているもの・・・、部落史研究の、研究成果を収める枠組みを、筆者、<日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観>とよんでいるのです。

それらの21人の学者・研究者・教育者は、高学歴・高資格、歴史の専門家、しかも、部落解放運動を視野にいれての部落史研究をされている方々・・・。その彼らが、『部落学序説』とその関連ブログ群で、筆者が<差別思想>であると指摘する<賎民史観>を、何ら批判検証することなく、<暗黙の前提>として採用しているというようなことが、一体、ありうるのか・・・、『部落学序説』の読者の方からときどき、問いかけされますが、筆者、大いにあり得ることであると思われます。

日本人が、「天皇制の恐怖」を前に、歴史の事実・真実を追究する、歴史研究の学者・研究者・教育者としての良心を捨て、「皇国史観」の国民の精神に対する注入機関に甘んじていた、歴史学の学者・研究者・教育者自身の歴史は、遠い昔の過去のできごとではないからです。

そして、その「天皇制の恐怖」は、亡霊のごとく、現在においても、歴史研究の学者・研究者・教育者の精神の奥深くに宿っているからです。


部落史における歴史記述の客観性

2009年03月21日 | 第5章 水平社宣言批判




【第5章】水平社宣言批判
【第1節】部落概念
【第1項】<歴史記述の客観性>について
【その2】部落史における歴史記述の客観性

「客観性を尊重しない学問などはない・・・」

宮崎市定著《中国の歴史思想》の中に出てくることばです。

歴史学は、歴史に関する<学問>(科学)のことですが、<学>という名称をつけている以上、歴史学は、その研究対象たる史資料に対する研究だけでなく、その歴史学がよって立つところの前提に対する批判・検証をそのいとなみのうちに内包しています。

<歴史とは何か>、<歴史研究とは何か>・・・。歴史学は、その問いに対する答えを、他の学問に他律的に求めるのではなく、自立的に、みずから、<歴史とは何か>、<歴史研究とは何か>・・・、をあきらかにしようとします。

そのような問いは、筆者のような、無学歴・無資格、歴史の門外漢にとっては、避けて通られがちな問題になります。

「一般の人にとっては歴史事実は始めからそこにあった自明のもの・・・」として受けとめられるのが常です。その歴史的事実は、歴史学の学者・研究者・教育者の学問的研究によって、ただしく研究され、「一般の人」が全面的信頼をもって受け入れることができるものとして提示されていると考えられています。

しかし、「一般の人」が、歴史研究の学者・研究者・教育者の論説に問題意識をもって、批判検証をはじめるとしたら、歴史研究の学者・研究者・教育者にとっては、プロフェッショナルな歴史学の専門家に対する<極めて不遜な挑戦>としてうけとめられることになるのでしょうか・・・。

無学歴・無資格、歴史学の門外漢である「一般の人」は、歴史の専門家である学者・研究者・教育者の書く論文に耳をかたむけ、ありがたく受容するだけでいい・・・、それを、<しろうと感覚>で疑義を持ち、批判するなどもってのほか・・・、そんな雰囲気がいたるところに漂っているようです。

宮崎市定氏は、その論文《中国の歴史思想》の冒頭で、このように記しておられます。

「あらゆる学問の中で、歴史学はとりわけ客観的具体性を尊重する学問である。もちろん、客観性を尊重しない学問などはないであろうが、私の言いたいのは、歴史学は、生のままの歴史事実を尊重する点にある・・・」。

現存する、あるいは、今は隠蔽されているがやがてその存在が明らかにされる史資料を含めて、その史資料の背景にある「生のままの歴史事実」・・・。歴史学が、学として存在し続けるためには、この「生のままの歴史事実」に肉薄し、歴史の事実・真実にたどりつこうとする学問的情熱が要求されます。

「生のままの歴史事実」に対する関心を喪失したり、その追究を断念したりする、学者・研究者・教育者は、もはや、歴史学の研究者の名に値しないといっても過言ではないでしょう。

「生のままの歴史事実」に置き換えて、ある特定のイデオロギー、たとえば、皇国史観とか唯物史観とかによってつくりだされたアドホックな用語に置き換えるとしたら、それは、歴史学の研究者が、研究者であることを放棄して、「一般の人」の水準に歴史学を引き下げることになるでしょう。

宮崎市定氏は、「歴史学では、歴史事実を生のままで、即ちそれだけを全体から切り離したり、独立させたりしないで、全体につながったままで使い道を考えるのである。だから歴史学では、凡ての場合にあてはまるようにと、抽象的なことばで総括することはあまり役に立たない。」といいます。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、部落史研究の学者・研究者・教育者が、「生のままの歴史事実」(たとえば、<穢多>・<非人>・・・)を「生のままの歴史事実」として受けとめ続ける、歴史学本来の研究上の姿勢を放棄して、「凡ての場合にあてはまる」、便利な、「抽象的な言葉」、<賎民>として「総括」することは、「あまり役に立たない」どころか、近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての<穢多>・<非人>を、<生まれながらにして、本質的な賤しい民・・・>、<賎民>として認識することは、歴史研究にたずさわる学者・研究者・教育者によってなされる、学問上の差別再生産の悪しきいとなみとして映ります。

宮崎市定氏のいう、「客観的具体性を尊重」するためには、部落史の学者・研究者・教育者は、<賎民>という、差別的な概念の枠組みを最初から設定しないで、「生のままの歴史事実」は、「生のままの歴史事実」として受けとめ続ける必要があります。

どうしたら、「生のままの歴史事実」「生のままの歴史事実」として認識し続けることができるのか・・・。

宮崎市定氏は、「その生のままの歴史事実をうかむためには、別のなまのままの歴史事実を手助けとしてもってこなければならない。」といいます。つまり、Aという「生のままの歴史事実」は、Bという「生のままの歴史事実」によって、相対化されなければならない・・・、というのです。

宮崎市定氏によれば、「生のままの歴史事実」の相対化の飽くなき連続こそ、歴史研究の本質であるといえます。「生のままの歴史事実」を徹底的に相対化し続けること・・・、それこそが、歴史研究にたずさわる学者・研究者・教育者の本来的なありようです。宮崎市定氏曰く、「歴史学は、いつまでたっても生の歴史事実から離れられない学問なのである」

部落史研究において、その学者・研究者・教育者が、「生のままの歴史事実」である、近世幕藩体制下の司法警察である非常民としての<穢多・非人>を、<生まれながらにして、本質的な賤しい民・・・>、<賎民>とラベリングして、<穢多・非人>に、すべての<賎民>の負の遺産を押し付け、それでも、<賎民>は、差別とたたかい<脱賎>を勝ち取っていった・・・、と自家撞着的に解釈することは、本来の歴史研究からの明白な<逸脱行為>であると思われます。

部落史研究を<賎民史観>的研究に貶めたもの・・・、それは、部落史の学者・研究者・教育者が暗黙の前提として、かえりみることがなかった、学者・研究者・教育者自身の内なる<差別性>そのものに起因します。

  


ゆらぐ歴史記述の客観性・・・

2009年03月21日 | 第5章 水平社宣言批判




【第5章】水平社宣言批判
【第1節】部落概念
【第1項】<歴史記述の客観性>について
【その1】ゆらぐ歴史記述の客観性・・・



『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆に際して、筆者、繰り返し、<無学歴・無資格>を表明してきました。

<無学歴・無資格>は、大学等の公的高等教育機関において勉学する機会をあたえられることがなかった・・・、そのため、高等教育を通じてなされる、保守的イデオロギーあるいは革新的イデオロギーをその精神に<注入>されることはなかった・・・ということを意味しています。

そのため、歴史学ないし歴史研究の枠組みにも拘束されないで、目にすることができる史資料を、比較的自由な精神のつばさで散策することができる・・・、という、<無学歴・無資格>のプラスの面をも持ちあわせている・・・、ということの表明でもあります。

そのため、筆者、『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方々から、繰り返しいただいた、<無学歴・無資格を標榜することは自粛した方がいいのではないか・・・>という善意にみちたアドバイスに対して、また<無学歴・無資格を標榜することは、自らを卑下することであり、差別問題を語るものにはふさわしくない・・・>として、筆者に向けられてきた悪意に満ちた<誹謗中傷・罵詈雑言>に対して、筆者、<無学歴・無資格>の立場を堅持すると宣言してきました。

『部落学序説』第5章・「水平社宣言批判」の執筆を再開するにあたって、<無学歴・無資格>、歴史研究の門外漢、部落史研究のしろうとでしかない筆者の立場から、<歴史記述の客観性>について、もういちど、考察しておきたいと考えて、この文章から、筆をおこすことにしました。

<歴史記述の客観性>については、すでに、『田舎牧師の日記(Ⅱ)』の「歴史研究法と歴史相対主義」という文章をしたためています。そのときは、部落史研究という<個別史>ではなく、すべての歴史研究に共通する<一般史>を前提に言及しました。

今回は、部落史研究という<個別史>の世界に限って、<歴史記述の客観性>について言及してまいりたいと思います。

<歴史記述の客観性>について考察するために、筆者が比較研究の対象として參照する論文は、加来彰俊著《歴史記述の客観性》(1963年)と、野毛啓一著《歴史を書くという行為-その論理と倫理》(2009年)の二つの論文です。

前者は、筆者が高校生のときに読んだ人文書院版『講座哲学大系』の『第4巻歴史理論と歴史哲学』に収録された論文、後者は岩波講座『哲学』の『11歴史/物語の哲学』に収録されている論文です。そのふたつの論文が執筆された時の間に、46年という歳月が横たわっています。

その46年という歳月の間に、日本の歴史学あるいは歴史研究が、どのように<発展・発達>していったのか・・・、<無学歴・無資格>の筆者、寡聞にしてなにも知りません。

ただ、偶然、筆者が目にすることになった、二つの論文、西日本と東日本、昭和と平成という時空を越えて、いずれも、<歴史記述の客観性>について、<疑義>を提示しています。

歴史学ないし歴史研究のプロフェッショナルに属する人々は、歴史学ないし歴史研究の基本的な理解として、<歴史記述の客観性>について、批判的に考察し、自らの歴史研究の営みとその研究成果について、<歴史記述の客観性>を保持していると、強弁することを控えてきた・・・と言えるでしょう。

このことは、部落史という<個別史>の研究においても言えることです。

ほんとうの、歴史学の学者・研究者・教育者は、その歴史研究において<歴史記述の客観性>を暗黙の前提として、そのいとなみを続けることはできない・・・、と思われます。しかし、部落史研究に限っていえば、その歴史研究に対しては、<外から目的を課する>という、部落史研究という<歴史研究>に対する<外圧>・・・、部落解放の運動団体や政治団体、その<御用学者>になりさがった研究者集団によって、<歴史記述の客観性>として<賤民史観の強制>が行われきた・・・、ということは、否定すべくもありません。

加来彰俊氏のことばに、このようなことばがあります。「歴史に外から目的を課することは、歴史の尊厳を傷つけるばかりか、歴史のそもそもの存在理由である、事実と空想の区別さえも曖昧にする結果をもたらす・・・」。

今日の古代・中世・近世・近代・現代の部落史研究を通じて、一般的に部落史の学者・研究者・教育者によって、部落史研究の前提として採用されている<賤民史観>は、歴史の<事実>を否定し、被差別部落の民衆に対して、<生まれながらにして、本質的な賤しい民・・・>とラベリングする営みに他なりません。

戦後の同和対策事業・同和教育事業施行の対象となった、その当時の被差別部落の人々が置かれた社会的・経済的低位の状態を、歴史的・理論的に根拠づけるものとして、拡大再生産されていったものが、この、それ自体が典型的な差別思想である<賎民史観>です。

「教訓という目的に役立つためなら、空想の方が事実よりまさる場合だってある・・・」。

部落史研究の目的は、被差別部落の歴史を客観的・実証主義的に検証して、部落差別完全解消のために、学者・研究者・教育者として、史料の発掘と、あらたな歴史像を構築していく責務があったにもかかわらず、場当たり的に人権教育・同和教育を糊塗してきた人々は、奥深いところにある<歴史の事実>・<歴史の真実>ではなく、人権教育・同和教育の「教訓」のみを安易に抽出する愚をおかしてきたと思われます。

歴史学・歴史研究における「一般の常識」は、「歴史家の仕事は、過去の事件や状態を事実に即して客観的に記述することである・・・」と信じていますが、<歴史記述の客観性>を学問的に担保するためには、「過去の事象について正確な知識」が必要です。

「歴史家が「あったことをあった通りに」語るためには、言うまでもなく、「あったこと」について正確な知識を所有していることが前提になる・・・」といいます。しかし、加来彰俊氏は、多くの場合は、「過去の事象について正確な知識を持つことができる」可能性を持つことは「不可能・・・」であるといいます。

その理由は、歴史学ないし歴史研究の主体となる学者・研究者・教育者は、その研究に際して、何らかの「前知識」・「主観」から自由になることができないからです。

それは、部落史研究の世界においてもいえることで、部落史の学者・研究者・教育者は、「自分が直接に経験することができない過去の事象について、つねに史料を媒介にしながら間接的に推理するより他はない・・・」のであって、「意識的たると否とを問わず、事実の解釈には、歴史家の主観が入らざるを得ない・・・」のです。

その<主観>が、部落史の学者・研究者・教育者の<視点>を形成し、それが集団の中で累積されることで<史観>が構築されていきますが、戦後の部落史研究において、部落解放をめぐる運動団体・政治団体・教育団体などの<外圧>によって、<特定の時代の特定の立場から見られた事実の一つの解釈>にすぎない<史観>が、部落史の歴史の事実・真実であるかのように、国民のすべてに、その理解と受容が強制されてきたものが、筆者がいう、<差別思想である賎民史観>に他なりません。

筆者は、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢であるにもかかわらず、部落史研究の学者・研究者・教育者の世界で、なんら批判検証されることなく、暗黙の前提として受容されるに至っている、部落史研究の枠組み・・・、史観・・・を、<差別思想である賎民史観>として、<部落学>の批判の対象にしているのです。

歴史研究における、<歴史記述の客観性>を重んじるがゆえに、偽りの、真ならざる<歴史記述の客観性>を批判検証・・・、部落史の学者・研究者・教育者の精神世界奥深くに内在する<差別思想である賤民史観>をとりのぞこうとしているのです。