部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

「差別」概念は歴史的概念である

2007年10月22日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
9 「差別」概念は歴史的概念である

ここで、筆者は、「特殊部落」と「差別」について第3の命題をたてたいと思います。

考えてみるに、「特殊部落」について、あるいは「差別」について、このような概念定義の作業をしていたのは、20年以上も前のことです。より意識的に、「特殊部落」・「差別」概念について定義を試行錯誤していたのは、『部落学序説』の執筆計画をこころに秘めだした頃です。

その後も、部落研究・部落問題研究・部落史研究の新しい論文・書籍を手にするごとに、「特殊部落」・「差別」等の基本的な概念の定義をやり直してきました。

そして、ある時点から、筆者は、「特殊部落」・「差別」概念から、「部落差別」の「実質的定義(Real definition)を確定するようになりました。「部落差別」とは何か。その定義は、既に、『部落学序説』のこれまでの論述の中で繰り返しとりあげていますので、『部落学序説』を章・節・項にそって読んでくださった読者の方々は、繰り返し、筆者の定義に遭遇することになったことでしょう。

筆者の「部落差別」についての「実質的定義(Real definition)」は、ここであらためて取り上げる必要はないと思いますが、この「実質定義(Real definition)」という表現は、近藤洋逸著『論理学概論』の本文からの引用です。引用に際して、英単語を外して、「実質的定義」としてのみ紹介することも可能ですが、「実質的定義」・・・、日本語の辞典をひいてもそう簡単に納得できる説明に遭遇することができるとは限りません。辞書の見出し語に、「実質的定義」という語がない場合もあります。

手軽にインターネットでアクセスしても、「実質的定義」について、満足のいく説明を入手することは、今のところ不可能ではないかと思われます。

ただ、「Real definition」で検索しますと、日本の社会だけでなく、グローバルな社会における「Real definition」について文献を漁ることができます。

日本の教育は、中学3年間、高校3年間、合計6年間、なんらかの形で英語を学習させられています。筆者の世代は、英文読解が重視されていたため、筆者は、英文読解能力はみにつけても、英会話能力はほとんど身につけることはできませんでした。

しかし、筆者の経験では、簡単な英文は、昔の中学校2年生程度の英文法で読むことができますし、少し難解な学術書も、専門用語をクリアすれば、昔の高校2年生程度の英文法、英文解釈法で読むことができます。

それに、語彙数の豊富な電子辞書も自由に閲覧できる、また、翻訳ソフトを使用できるご時世・・・、「Real definition」で検索した文書を読むことはそれほど難しいことではありません。

インターネット上の英文を読みますと、英文法を無視したブロークンな英語文章が大手を振ってまかりとっています。英単語のスペルミスも至るところで目につきます。

しかし、インターネットの世界では、文法上の欠陥そのままに、いろいろな意味で情報の発信が行われています。

筆者は、岡山県立児島高校出身ですが、卒業時の成績は、学年最下位でした。大学進学することができる水準のはるか下に位置づけられていました。高校3年生のとき、担任からつけられたあだ名が「落伍者」でした。

それでも、違和感をあまり持たないで、「実質的定義(Real definition)」を受け入れることができます。「実質的定義」に日本語の世界で情報が収集できなければ、グローバルな世界に情報を求めることもやぶさかではありません。

「実質的定義」がご理解できない方は、「Real definition」を調べてください。

真実を知りたいという思いがまされば、英語の文章など、なんとか読解できるものです。

逆に、どんなに語学力に長けていても、部落研究・部落問題研究・部落史研究、あるいは差別問題・差別史に興味のない方、一般説・通説・俗説にあまんじておられる方は、それがたとえどんなにやさしい英文であったとしてもそれを読解することは困難です。

以前、筆者は、『部落学序説』で、このように記しました。

差別とは何なのでしょうか。それは、被差別に置かれた人々から、彼らの本当の歴史を奪い、その歴史に代えて、「賤民史観」という、なんともおぞましい、希望のない歴史や歴史観を押しつけることではないでしょうか。被差別に置かれた人から、彼らの本当の言葉、歴史や人生の物語を奪い、そのあとで、権力者や政治家、学者や教育者がつくりあげた「賤民史観」という幻想を、さも歴史の事実であるかのように押しつけ、強要すること、それこそが差別というものではないかと思われたのです。

この文は、筆者の「部落差別」に対する「実質的定義(Real definition)」です。

しかし、今回、「水平社宣言」の源流をさぐるために、また「特殊部落」概念の変遷史を踏まえるために、これまでの部落研究・部落問題研究・部落史研究において、著名な学者・研究者・教育者が、「特殊部落」・「差別」という基本的な概念について、どのように定義してきたのか、その過去の実績と、今日的状況を確認するために、「第2節・「特殊部落」と「差別」」の論述をはじめたのです。

その作業を徹底するために、無学歴・無資格の筆者が、学者・研究者・教育者の概念定義・命題・推理推論の「土俵」にあがらなければならなくなった・・・、ということです。

ひろたまさき氏の『日本近代社会の差別構造』の中にみられる、「差別」の定義は、すぐれた研究上の労作であると思われるのですが、筆者の見聞きする範囲では、あまりかえりみられてはいないようです。ひろたまさき氏は、「差別」の概念をいかに規定するかは本稿の目的ではないが、概念のあいまいさが問題であるとすれば、少なくとも本稿の論旨に必要なかぎりで、あらかじめ検討しておかなければならない・・・」として、本格的で詳細な「差別」の定義を実行しています。

ひろたまさき氏の「特殊」という指標に対する認識は、注目に価するものです。

しかし、このひろたまさき氏の定義、近藤洋逸著『論理学概論』で、「唯名的定義(Nominal definition)」と称されているもので、『部落学序説』の筆者が指向している「実質的定義(Real definition)」とは異なります。

筆者の「特殊部落」・「差別」概念の「実質的定義(Real definition)」を相対化するためにも、ひろたまさき氏の「唯名的定義(Nominal definition)」との対比、比較研究は避けて通ることができません。

筆者は、ひろたまさき氏に対しては一面識もありませんが、彼の書いた文章・論文を通して、彼と内的に対話することができます。マルティン・ブーバーのいう「汝と我」の関係において対話することができるのです。

たとえ、その文章・論文という間接的手段での対話といっても、それは、マルティン・ブーバーが「汝とそれ」として批判する関係に堕することはありません。

『部落学序説』の筆者としては、ここで、第3の命題をあげておきます。

命題3:「差別」概念は、歴史的概念である。

水平社の源流をさかのぼっていきますと、「特殊部落」という概念も、「差別」という概念も使用されていない世界にたどりつきます。「特殊部落」という概念に、歴史的用語としての「造語」のときがあったように、「差別」という概念も、昔から、普遍的に存在していたのではなく、近代中央集権国家の国政・外交の諸問題の中で「造語」されたときがあるのです。「特殊部落」概念が使われるようになった時代と、「差別」概念が使われるようになった時代とは重複している・・・、という歴史的事実があります。これまでの、部落研究・部落問題研究・部落史研究ではあまり、注目されてこなかった点ですが・・・。

「唯名的定義(Nominal definition)」ではなく、「実質的定義(Real definition)」を主張する筆者は、「特殊部落」概念と同じく、「差別」概念も、「歴史の用語」として、「造語」・「普及」・「衰退」・「死語」という言葉のライフサイクルの中に置かれていると確信しています。

「差別」概念は、歴史を超越した普遍的な概念ではなく、歴史の中に内在し、「生まれて死ぬ」ことになる歴史的概念です。


歴史的概念としての「特殊部落」と「差別」

2007年10月22日 | 第5章 水平社宣言批判



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
8 歴史的概念としての「特殊部落」と「差別」

この節において、ひとつの命題を設定しました。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

近藤洋逸著『論理学概論』によりますと、この命題は、「特殊部落」と「差別」の両概念の定義、そのあと、「特殊部落」を主語とし、「差別」を述語として、両者を「ある」という語で連結することによって成立します。

最初の基本的な作業は、「特殊部落」概念と「差別」概念の定義ですが、筆者が、定義を遂行する前に持っている「前理解」は、井上清著『部落の歴史と解放理論』・原田伴彦著『被差別部落の歴史』等の、その気になれば誰でも入手して読むことができる部落史の一般書です。

戦後の部落史研究の代表的な学者・研究者・教育者の言説をそのまま転用することも可能性としてはあり得るのでしょうが、少なくとも、既存の部落史研究を批判・検証するときには、彼らが使用している基本的な概念については、その定義ないし定義法について考察を試みる必要があるでしょう。

彼らが、「特殊部落」概念や「差別」概念をどのように使用しているのか・・・、それは、彼らの論文全体の質を大きく決めることになるからです。

「定義」に際して、遵守しなければならない五つの規則がありますが、その「規則Ⅰ」は、「定義は被定義項の公共的内包を与えるべきである。」というものです。「公共的内包」とは何なのか、近藤洋逸著『論理学概論』を読んでいただくとして、近藤洋逸氏は、「この規則を厳守するのは時には実際には困難である。」といいます。「その場合には、公共的内包としては、名辞の適用される対象そのものの特性ではなくても、その対象の用途や起源でもかまわない・・・」と付け加えます。

しかし、学者・研究者・教育者は、「学問」で飯を食っているわけですから、できる限り、定義の「規則Ⅰ」を遵守する必要があります。

今、上記に掲げた命題に対する考察をさらに深めていくために、井上清著『部落の歴史と解放理論』・原田伴彦著『被差別部落の歴史』等に対して、客観的に論じることができる世代の論文、渡辺俊雄著『いま、部落史がおもしろい』(解放出版社)から、「特殊部落」についての定義を抽出してみましょう。

命題2:「特殊部落」は、歴史的な概念である。

これは、渡辺俊雄氏の次の文章に依拠します。

「「特殊部落」という語は、たんなる「旧穢多」「新平民」の言い換えではありません。明らかに近代的な価値観、評価をともなった歴史的な用語なのです」。

「歴史的な用語」というのは、「特殊部落」という用語(概念)が、歴史の中で、「生まれて死ぬ」用語であることを示しています。用語のライフサイクルを考えますと、「歴史的な用語」は、はじめに、歴史のある時点で「造語」され、それが「普及」、やがて、「衰退」し、「死語」になっていく、ことばであると認識されます。

「特殊部落」がいつ「造語」されたのか・・・。

井上清著『部落の歴史と解放理論』・原田伴彦著『被差別部落の歴史』・渡辺俊雄著『いま、部落史がおもしろい』各書を読んでもほとんど違いはなさそうです。

この「特殊部落」という用語、ブログ『蛙独言』の著者・田所蛙治氏が指摘されている通り、「被差別部落」の人々にとっては、「自称語」ではなく、「他称語」です。

この「他称語」は、原田伴彦氏のことばを借りますと、「明治40年ごろ」に、「内務省によってつくられた」「一種の官製的な差別用語」で、「この言葉の裏」には、「部落とは「特殊」なもので、どこか一般とちがった特別な、えたいの知れぬものである、一般社会とはまともにつきあえぬものであるという印象を強めようという政府がわの意図」がこめられたもので、近代中央集権国家においても採用された「民衆分割政策、あるいは民衆分断統治の手段」として採用されたものです。その影響力は深刻なものがあって、「一般」の人々だけでなく、「部落解放をめざす意識的な人びと(当時の中産階級・知識階級)さえ、ともするとこの用語の差別性に気がつかず、このことばの魔術におどらされ、この言葉を用いる」事例があったということです(佐野学著『特殊部落民解放論』・高橋貞樹著『特殊部落一千年史』・『水平社宣言』等)。

原田伴彦氏のことばは、後日批判検証するとして、「特殊部落」という「歴史的な用語」も、その用語のライフサイクルから見た「造語」の段階があった、ということは否定しがたい事実のようです。

この「特殊部落」という概念は、政治用語・行政用語として登場してきたのですが、そのため、全国的に「普及」してしまいます。

しかし、水平社の糾弾闘争によって、この「特殊部落」という「差別用語」は、使用が自粛され、あるいは抑圧され、「衰退」していきます。

しかし、用語のライフサイクルの最終段階である「死語」になったのか・・・、といいますと、いまだに「死語」にはなっていないと考えられます。なぜなら、「特殊部落」ということばは、戦後、「未解放部落」あるいは「被差別部落」という別のことばに置き換えられ、また、「特殊」・「未解放」・「被差別」ということばを省略した「部落」という短縮形が用いられているからです。

この「部落」という概念、「被差別部落」の人々にとって、「他称語」としてその世界に入ってきたにもかかわらず、水平社宣言で「特殊部落」という概念が取り入れられたこともあって、戦前・戦後を通じて、「被差別部落」の「自称語」としても使用されてきました。

筆者は、「被差別部落」のひとびとが、いまだに「部落」概念を「自称語」として使用し続けている・・・、それ自体が被差別のメルクマールであると思っています。

「特殊部落」という概念が、歴史的概念であるとして、それでは、「差別」という概念は、どのような概念として認識することができるのでしょうか・・・?

「差別」という概念は、時代を超えて、歴史を超えて存在する普遍的概念なのでしょうか。それとも、「特殊部落」概念と同じく、歴史的概念なのでしょうか。

これは、ことばの遊びではありません。部落研究・部落問題研究・部落史研究にとって、とても大切な問題です。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

この命題の主語である「特殊部落」・「特殊部落民」の述語となる「差別」ないし「差別語」が、普遍的な概念であると理解するか、歴史的な概念であると理解するかによって、「差別」そのものの認識が大きく異なってきます。そして、それは、「特殊部落」・「特殊部落民」概念の定義にも大きく影響してきます。

『部落学序説』の執筆後、まもないとき、部落解放同盟新南陽支部の要請で、『部落学序説』の執筆に際して使用する資料・論文を公開してきましたが、筆者の手持ちの資料・論文をひもとくだけでも、こころある学者・研究者・教育者によってなされてきた、「差別」概念の定義、「差別とは何か」、「部落差別とその他の差別の違いは何か」・・・、という議論・研究のあとをたどることができます。

「差別」概念を、普遍的概念とするか、歴史的概念とするかによって、「差別」概念は、「部落差別」を、他の差別と異なる「特殊」な差別であるという認識と、「部落差別」は、普遍的な差別を最も具現したものであるという認識が併存するようになったのです。

戦前戦後を通じて、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の多くは、「差別」概念をあいまいにしたまま、「差別」概念を恣意的に使用してきたのです。「差別とは何か」、十人十色、百人百様の理解と主張が混在するようになったのです。

岩波日本近代思想大系『差別の諸相』の解説である《日本近代社会の差別構造》の著者・ひろたまさき氏は、阿部謹也著『世界史における身分と差別』から引用してこのように記しています。

「阿部謹也は、「差別という言葉は学問上の分析概念として確実性がないといわれる」と指摘し、その理由の一つに「何が賤視の根源にあったか」があいまいなことを挙げている。「賤視の根源」が普遍的に存在するのか、地域や時代によってことなるものであるかは大問題であり、その解明が充分だといえないのはたしかであるが、また「差別」とされる現象がきわめて多様であるということも、あいまいさをつねに生みだす理由の一つであるように思われる」。

「差別」概念が、普遍的概念であるか、歴史的概念であるか・・・、その問いに対して、妥当な答えを用意するのは、無学歴・無資格の筆者ではなく、部落差別の完全解消を願い、部落差別で禄を食んできた学者・研究者・教育者の責務ではないかと思われます。ひろたまさき氏が指摘する、「その解明が充分だとはいえない」状況そのままに、国の同和対策事業・同和教育事業の終了宣言とともに、学者・研究者・教育者は、反差別の前線から逃亡・離脱することは、部落研究・部落問題研究・部落史研究で禄を食んできた学者・研究者・教育者の本分に反することではないでしょうか・・・。


『部落学序説』と論理学

2007年10月17日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
7 『部落学序説』と論理学

これまで、『部落学序説』の筆者が、『部落学序説』を展開する上で避けて通ることができない基本的な「概念」の定義法について説明してきました。

今回の文章を読まれた方は、飯屋に食事をするために行ったのに、そこで飯屋のおやじさんから延々と料理法について聞かされるのと同じ状況に置かれたのではないかと思います。

おいしく定食をいただければこと済むのに、料理法とか食事療法とか説明をきかされた分には、せっかくの美味しい定食も不味くなってしまいます。

今回の文章は、『部落学序説』の舞台裏、あるいは、小説家の書斎を論じているようなところがあります。読者の方の中には、「概念の定義法などどうでもいい・・・」と受け止められている方、また、「その程度の学問的基盤で執筆していたの?」と驚かれる方、いろいろあるようですが、いままで、『部落学序説』を自然体で執筆してきた筆者には、よくもわるくも「その程度」の現実でしかありません。

次回から、「特殊部落」と「差別」について、定義法ではなく、定義例をとりあげていきたいと思っていますが、近藤洋逸著『論理学概論』の最後のページに記された「問題」に目を向けてみたいと思います。

問題
自然科学に比べて、社会科学の立ちおくれは何によるのか。

この問いは、『論理学概論』第5章社会科学の方法の末尾に記されている演習問題ですが、第5章の本文は、「経済学、政治学、法律学、歴史学などの社会科学が自然科学に比べて、その探求のパターンにおいて異なるところはないが、その精密性において、体系性において、そしてまた予測の能力において遜色のあること・・・社会科学の立ち遅れは、何に由来するのであろうか。」という問いではじまっています。

同じ問いではじめて問いで終わる・・・。

『論理学概論』第5章の文章を参考にしながら筆者なりに解答してみることにしましょう。

自然科学と社会科学の方法論を比較しますと、両者の間には根本的な相違点があります。前者は、ものごとの認識において、認識の「主体」と認識の「客体」が分離されうるに反して、後者は、「認識の主体と客体が同一である」ことがあげられます。

『部落学序説』の主題に照らして具体的に適用すれば、部落研究・部落問題研究・部落史研究においては、差別「社会の一員である研究者」が差別・被差別の「社会的人間を研究する」ことを意味します。

このことは、「研究者」が、差別社会の中で、差別者として生きているか被差別者として生きているか、あるいは、差別者であったとしても、差別を肯定して生きているか否定して生きているかという「実践的態度」の如何が、研究者の研究テーマである部落問題・部落差別問題・部落史をめぐる諸問題に対して持つ「理論的態度に影響」することを意味します。

「影響」するのは、「事実判断」ではなく「価値判断」です。たとえば、「近代は、近世と比べて歴史的に進歩した形態である」という「価値判断」が、研究者の「理論的態度に影響」してきますと、近世の「穢多非人」に対して、負の価値概念でしか見えなくなってしまいます。近世の「穢多非人」に関する文献を読んでいても、「事実判断」ではなく「価値判断」を優先させてしまいます。多様な歴史上の存在形態を持つ「穢多非人」を「賤民」として一色に塗り固めてしまいます。

近藤洋逸氏は、「社会科学者は自己の価値判断に好都合な材料のみを集めて仮説を作って展開し、この帰結に合致する事実のみを選びだして確認するという偏向に陥りやすい・・・」といいます。

既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くが陥ることになった「偏向」性です。唯物史観・マルクス史観・発達史観・進歩史観・・・、どのようなことばで表現されようと、イデオロギー的概念を使用して分析・総合された研究は、その「偏向」性の可能性があることを常に自己検証しなければなりません。近世幕藩体制下の「穢多非人」を「賤民」概念で認識し、差別的な「賤民史観」のもと「賤民史」に組み込んで言及する・・・、それはこの「偏向」性のあらわれのひとつです。

近藤洋逸氏は、社会科学的認識が、この「偏向」性から解放されて、自然科学的認識、つまり、より学問的認識に近づくためには、方法論がないわけではない・・・、といいます。近藤洋逸氏は、「経済学、政治学、法律学、歴史学などの社会科学」的認識において、不当な「価値判断の介入」を排除して、「客観性」を確認することは可能である・・・、といいます。

方法 その1
既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の検証において、「事実判断の背後にひそむ価値判断を摘出することによって、この判断にもとづく偏向を暴露する・・・」方法。

方法 その2
既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究において、「価値判断」によって「設定」された「目的」「どのような手段が適切であるか」を検証する方法。

方法 その3
既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の「目的設定の基礎にある理想や世界観を明るみに引き出し、それに内的矛盾があるかどうか吟味する」方法。

近藤洋逸氏の指摘する、これらの「方法」は、「価値判断」から「事実判断」を分離せしめ、「事実判断」「事実判断」たらしめる方法であるといえます。『部落学序説』の執筆者としての立場からいえば、既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の研究成果から、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」という垢を洗い落として、「穢多非人」に関する資料をして資料みずから語らしめる・・・という方法になります。

従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究には、この「価値判断」「事実判断」が渾然と一体化されたものが多く見られます。

近藤洋逸氏は、「社会科学が科学としての資格を持つためには、科学的探求そのものの中に価値判断を混入させてはならない・・・」といいます。部落研究・部落問題研究・部落史研究が「科学」(学問)としての資格を持つためには、「科学」(学問)的探求そのものの中に、イデオロギー的偏向性をともなう「価値判断を混入させてはならない・・・」と、マックス・ウェーバーの「有名な没価値性の主張」を紹介されています。

しかし、近藤洋逸氏は、「その没価値性の貫徹は容易なことではない。」といいます。

「課題や材料の選択」・「仮説の設定」・「理論の展開」には、「無意識のうちに価値的なものが影響し、好ましくないものを無視し、好ましいものを強調する危険が、常につきまとうからである。」と指摘します。

「課題や材料の選択」、部落研究・部落問題研究・部落史研究の「課題」・「主題」の設定、そのために使用する史料・論文などの「材料の選択」・・・、その作業の中にも、意識的・無意識的に、研究者が生きてきたイデオロギー的価値判断が影響しているというのです。

既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究に対して、異なる視点・視角・視座から、既存の研究を全面否定するような新説が提示されるとき、「没価値的」な、特定のイデオロギーと史観に依拠しない、「事実判断」に基づく新説が提示されるとき、どのような事態が生じることになるのか・・・。

近藤洋逸氏は、「対立する価値判断を調停できるのではない・・・」といいます。

近藤洋逸氏によると、社会科学においては、「対立する理論」の是非は、「正確な検証によって一挙に決めることは至難であり、結局は長期にわたる論争によって互に自説を修正しつつ接近するか、もしこれが不可能ならば、説明や予測や問題打解の能力の優劣が、長期の試練によって判定され、一方の勝利に終わることになるのである。現実の社会の前進にどれだけ貢献するかによって最終の審判がくだされるのである」。

『部落学序説』は、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、「無意識のうちに価値的なものが影響」していることを真摯に受け止め、できる限り、イデオロギー的価値概念から自由になり、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を退け、史料・伝承・論文を読み直し、その内容を批判・検証することで、「事実判断」に則した部落学を構築すべく、日本の教育・社会によって「無意識のうちに」筆者の中に刷り込まれた「前理解」を言葉化し取り除いていくために、『序説』(プロレゴメナ)として執筆をはじめたのです。

『部落学序説』の読者の方々の中には、学歴・資格を持ち、部落研究・部落問題研究・部落史研究の専門的知識と研究方法をお持ちの方もおられることでしょう。部落研究・部落問題研究・部落史研究のよりよい見直しがあれば、『部落学序説』に対置してくださることを希望します。

今回、この第5章第2節で、識者に一笑に付される・・・、ことを覚悟して、『部落学序説』の執筆者である筆者の手の内を示しました。今回の文章は、課題文をあたえられて解答した高校生のレポートのような文章ですが、筆者の限界を示すものです。


定義・命題・推理

2007年10月15日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
6 定義・命題・推理

筆者は、無学歴・無資格です。

最近、この言葉がますます好きになりました。無学歴・無資格というのは、公的な高等教育を受けていない・・・、ということを意味します。

それでも、学問を指向しようとしますと、自分なりにカリキュラムを組んでそれを実践していくことになりますが、筆者は、若かりし日、自分に対する教育のために、教養科目の中に、「論理学」を組み込みました。テキストは、近藤洋逸著『論理学概論』。

この本を選択したのは、岡山の丸善の岩波コーナーで、この書を手にとってみて、なにとなく読めそうな気がしたからです。19歳のときです。

ある種の出会いのひとつです。

それから、40年が経過しますが、この本、装丁が頑丈で何度読んでもページがばらけることはありません。固い表紙は、使えば使うほど光沢が出てくるようです。

いままで、近藤洋逸著『論理学概論』にしたがって、「概念」の定義法について紹介してきましたが、「定義」された「概念」「主語と述語」に使用して両者を「ある」・「ない」という語で連結しますと「命題が成立」します。この「命題を根拠にして他の命題を導き出すことを推理とか推論と呼び」ます。このとき、「根拠」となる命題を「前提」と呼び、「これから導き出される命題を「帰結」」と呼びます。推理・推論は、「演繹推理」(deductive inference)、あるいは、「蓋然的推理」(probable inference)として遂行されます。

つまり、論理学というのは、ものの見方・考え方の形式を教えてくれるものです。

独学をするものにとっては、論理学は、必須科目になります。

論理的思考ができないと、せっかく学んだ知識も、体系化して自分のうちに取り込むことができません。

それに、独学というのは、直接指導してくれる「教授」、学んだことを相互研鑽する「学生」という人間関係と相互学習の場を持たない・・・、ということを意味しますから、自分のものの見方・考え方をできるかぎり客観的にとらえるためにも、論理的な発想・手法を身につける必要があります。

無学歴・無資格の人間が、文章を執筆し、公開することに何らかの責任があるとすれば、その文章の論理性と客観性がどれだけ担保されているかにあると思われます。

論理学には、形式的思考にいくつもの規則を設定しています。

たとえば、「定義」についていえば、守らなければならない五つの規則があります。

近藤洋逸著『論理学概論』の言葉をそのまま抜粋しますと以下のようになります。

規則Ⅰ 定義は被定義項の公共的内包を与えるべきである。
規則Ⅱ 定義項のきめるクラスと被定義項のそれとは一致すべきである。
規則Ⅲ 定義は被定義項またはこれと同意味の名辞を用いてはならない。
規則Ⅳ 定義は曖昧な、多義的な、また比喩的な言葉を用いてはならない。
規則Ⅴ 定義は、肯定的な言葉で述べうるときには、否定的な言葉でのべるべきではない。

これらの規則は、みずからの論理性を検証するときにも使用できますし、また他者の論文を批判・検証するときにも使用できます。

大学等の高等教育機関で「論理学」の単位をとらずとも、中学校・高校の数学教育を通して、論理学的知識と活用方法は修得できるし、修得しているはずです。そこから、近藤洋逸著『論理学概論』への道はそれほど遠くはありません。

筆者が住んでいる隣の市(周南市・旧徳山市)に徳山大学という私立大学があります。毎年、島野清志著『危ない大学、消える大学』において、最下位グループにランクインされていますが、この私立大学では、論理学のテキストに近藤洋逸著『論理学概論』を採用しているようです。

そういう意味では、今日、近藤洋逸著『論理学概論』に記載されている論理学の知識と技術は、半ば、常識化した部類に入るのでしょう。無学歴・無資格の筆者が、近藤洋逸著『論理学概論』をとりあげ、みずからの思考がこの書に依拠していると高言しても決して不可思議なことではないでしょう。

論理学的能力・・・。

それが直接影響する分野は、情報処理の世界ではないかと思っています。プログラミングは、まさに記号論理学の世界です。論理性を無視するか間違いますと、情報処理システムはたちどころにハングアップしてしまいます。小さな論理的なエラーが、大きなネットワークシステムの障害につながることも少なくありません。

このプログラミング、システム構築の分野で、外国人技術者が導入されているといわれますが、日本における論理学的教育(数学教育)の失敗が大きく影響しているのかもしれません。

明治以降の「国民国家」においては、「国民」、「国家権力の道具として消費される「臣民」」として位置づけられていました(岩波講座『憲法2』 人権論の新展開)。その「臣民」とは、国家権力によって、「死ね」と命令されたら、戦場で死に、国家の施策に反論しない国民のことです。明治政府は、国民に近代教育を提供するとともに、国民がみずから、主体的に、思考、判断、行動する国民になることを極力抑えてきました。そのための政治的装置が「公教育」と「検閲」(信教と思想の弾圧)でした。

今日、日本社会の右傾化の中で、「推理・推論」の否定と「検閲」の導入を唱える学者・研究者・教育者も少なくないようですが、それは、学者・研究者・教育者の学問性がすでに破綻しかかっていることを示しています。

論理学的知識と技術の集大成は、医学とか法学の世界にみられます。医学教育、法学教育の目的は、医学・法学の体系的知識と技術の修得におかれます。

無学歴・無資格の筆者がいうのも変ですが、学問の体系化は、医学・法学の分野だけでなく、少なくとも学問の名のつくものには、共通の課題ではないかと思われます。

それなのに、なぜ、これまで、部落研究・部落問題研究・部落史研究の分野で、研究成果の体系化がおこなわれなかったのでしょうか・・・?

筆者は、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、学者・研究者・教育者が、その基本的な概念に対する定義、また定義に基づく命題と推理・推論を怠ってきたためではないかと思っています。唯物史観・マルクス史観などのイデオロギー史観の適用を優先させ、実証主義的な部落研究・部落問題研究・部落史研究を怠ってきたためではないかと思っています。

そのため、「特殊部落」・「差別」という概念ですら、共通の認識を得ることができずに今日に至っているのです。

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「特殊部落」・「差別」の実質的定義について

2007年10月14日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
5 「特殊部落」・「差別」の実質的定義について

実質的定義(Real definition)

近藤洋逸氏は、その著『論理学概論』において、「実質的定義」を、「被定義項が指示する事物を分析して、それの構造や機能を明示する定義である・・・」と説明します。

「特殊部落」という概念(被定義項)が何を意味しているか、史料・研究論文・聞き取り調査等を分析して、その属性、すべての「特殊部落」に共通する属性を抽出し、その概念の外延を確定する作業をすることになりますが、「概念の内包(属性)は一度に定まるものではなく、経験を重ねるにつれて変化するが、やがて安定すれば、これが概念の公共的内包となり、そのクラス(外延)も確定する・・・」ことになります。

筆者は、『部落学序説』の執筆に先立つ十数年の準備期間において、部落研究・部落問題研究・部落史研究の基本的な概念について、その内包と外延を確定する作業を延々と続けてきたのです。まず、内包を確定し、それから外延を確定します。そして、その概念定義のもとで、史料や伝承を読み直します。不都合が生じたときは、また最初から、概念と内包を検証し、新たに外延を確定します。そして、『部落学序説』を執筆する際に使用する基本的な概念が「安定」してきましたので、『部落学序説』の執筆に踏み切ったのです。

近藤洋逸氏は、「実質的定義」を、「被定義項が指示する事物を分析して、それの構造や機能を明示する定義である・・・」と説明しますが、その定義を実践するためには、膨大な時間と労力が必要になります。「実質的定義」は一朝一夕に獲得することができる類のものではありません。

筆者が『部落学序説』を<自信>を持って書き続けているのは、部落研究・部落問題研究・部落史研究の基本的な概念の再定義のために多くの時間と労力をかけて、それを苦心して獲得してきたからに他なりません。

近藤洋逸氏は、「アリストテレスの類と種差による定義はこの型に属する定義である。」といいます。

「アリストテレスの類と種差」について、筆者がはじめて目にしたのは、高校生のときでした。田中美知太郎著《古代哲学》、山下正男著《論理学の歴史》を通じて、「アリストテレスの類と種差」を知りました。なぜだかわかりませんが、最初、それらの文章を読んだとき、深い衝撃を受けたのです。そのとき、こころの底から、「学問をしたいな・・・」と思わされたのです。

しかし、通っていた高校での成績は最下位・・・。大学進学の可能性はほとんどありませんでした。

おそらく、「アリストテレスの類と種差」にひかれたのは、筆者の誤解・・・、に基づくものであろうと思いますが、その衝撃は、筆者の脳裏に深く刻み込まれたのです。

そういうこともあって、筆者は、今日まで「アリストテレスの類と種差」についての言及に深い関心を持ち続けてきたのです。

「実質的定義」は、「被定義項の属する最も近い<類>と、その項を他のものから区別する<種差>とを示す定義である。」といいます。

『部落学序説』第1章で筆者が、試行錯誤の上に、嵯峨天皇による司法・警察制度の確立以降の<国民>を「非常民」と「常民」という<類>を、両者の<種差>を非常民であるかいなか(軍事・警察に関与しているかいなか)によって分類するというのも、「アリストテレスの類と種差」に由来します。

歴史学で使用される「発生的定義」をいくら累積しても、それは、必ずしも「事物の本質」に迫ることができるとは限りません。歴史学上の「発生的定義」は、ややともすると、「発生的定義」のアトランダムな累積で終わる可能性があります。

それに比べると、「実質的定義」は、概念の、たとえば、「特殊部落」という概念の本質を定義するのに向いています。

筆者は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の中にも、「発生的定義」を固守しないで、積極的に「実質的定義」を導入して、部落差別の本質に迫ろうとしている人が存在していることを否定するものではありません。筆者が、山口県の部落史を知る上で大きな影響を受けた、元山口県立文書館研究員・北川健先生(山口大学で教鞭をとっておられる・・・)や、静岡大学・黒川みどり教授などの論文は、概念の定義が明確で、彼らの論文の趣旨を明確に理解することができます。

概念の定義があいまいですと、その論文の意味するところもあいまいになってしまいます。

山口県立文書館の研究員の「二大巨頭」といわれた北川健先生と、もうひとりの布引敏雄氏・・・、比較すると、布引敏雄氏は、その論文に使用されている概念定義が極めてあいまいです。筆者は、山口県の部落史研究の両「巨頭」の論文を比較検証することで、筆者の研究スタイルを確立していったのですが、それが半ば習慣化された分、既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の論文を読むことにおいてシビアになっているのかもしれません。

『田舎牧師の日記』で、布引敏雄氏の最近の論文(紀要『部落解放研究』(第178号 2007.10)に掲載されている「部落史の窓/長州藩の検断」)は、長州藩とその支藩の「検断」について論及しているのですが、「部落史の窓」という場でなされる、「検断」についての論及はあくまで「検断」についての論及であって、「穢多非人」に関する言及ではない、と明言しないことで、読者に同一視させ、「検断」の持っている負の属性を「穢多非人」に転化しようとしている、あるいはそれを期待している可能性があります。

論理学では、「論点相違の虚偽」(Fallacy of irrelevant conclusion)に該当します。

「定義」「推理」を常にあいまいにして、歴史資料の引用でもって、「発生的定義」に終始する部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者はあとをたちませんが、彼らによって、「論点相違の虚偽」・「人に訴える論証」・「権威に訴える論証」・「衆人に訴える論証」・「無知に訴える論証」・「論点窃取の虚偽」・「多問の虚偽」が横行し、日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」が拡充・強化されてきました。

無学歴・無資格の筆者の目からみますと、山口県立文書館の部落史分野の「二大巨頭」、北川健氏と布引敏雄氏は、学者としての良心を持っている前者と、学者としての良心をどこかで反故にしている後者として映ります。

『部落学序説』は、「実質的定義」法によって、「非常民の学としての部落学・・・」を執筆してきました。『部落学序説』に対する批判は、『部落学序説』の「非常民論」・「新けがれ論」に対抗しうる、「実質的定義」をかかげてなされるべきです。

「論点相違の虚偽」・「人に訴える論証」・「権威に訴える論証」・「衆人に訴える論証」・「無知に訴える論証」・「論点窃取の虚偽」・「多問の虚偽」・・・に基づく筆者への批判は、反論する気力さえ失せてしまいます。

『部落学序説』の、現代の被差別部落の祖先にあたる「穢多非人」は、差別されていた「賤民」ではなく、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」であった・・・、とする説に対して、豊富な部落史に関する史料や論文から、「穢多非人」は、一般説・通説・俗説通りに、差別されていた・・・として、恣意的に引用して反論してくる<批判>の本質はいったい何なのでしょうか・・・?


「特殊部落」・「差別」の定義の方法・・・

2007年10月08日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
 4 「特殊部落」・「差別」の定義の方法・・・

『部落学序説』の読者の方の中には、「差別がなんであるのか、定義できないものは差別について語るべきではない・・・」・「人権がなんであるのか、定義できないものは人権について語るべきではない・・・」と批判される方がおられます。

大学という高等教育の場で、大学教授という肩書をもった方から一度も講義を受けた経験のない筆者にとっては、「定義」という知的作業は極めて稚拙なものがあります。

『広辞苑』で「定義」ということばをひきますと、このように記されています。

【定義】(definition)概念の内容を限定すること。すなわち、或る概念の内包を構成する本質的属性を明らかにし他の概念から区別すること。その概念の属する最も近い類を挙げ、それが体系中に占める位置を明らかにし、さらに種差を挙げてその概念と同位の概念から区別するのが普通のやり方。

『広辞苑』の説明を読みながら、筆者は、感心してしまいます。短いことばでこんなに明瞭に「定義」を定義できるとは・・・。言語学者というのは、「言語」だけでなく、その「言語」を使用するすべての背景についての正確な認識が必要なようです。

『広辞苑』の説明・・・、相当する英単語が使用されています。『岩波英和大辞典』をひもとくと、definition はラテン語に由来すると説明されていますので、田中秀央編『羅和辞典』(研究社)で確認しますと、このような説明がありました。

1 境をつける、区切る
2 確かに定める、確立する、明示する
3 制限する
4 限界を明示する、定義づける

『羅和辞典』と比べると『広辞苑』の説明は、「定義」の単なる字義の説明ではなく、論理学上の「定義」を定義しているように見えます。日本の社会では、「定義」という概念は、論理学を学んだ学者・研究者・教育者の間で通用することばで、それ以外の一般の民衆にとっては縁のないことばなのかもしれません。

「差別がなんであるのか、定義できないものは差別について語るべきではない・・・」という表現は、無学歴・無資格であって、学者・研究者・教育者ではない筆者に対する批判なのかもしれません。「差別がなんであるのか、定義できないもの」は、公的に学歴・資格が認められている学者・研究者・教育者の説を黙って受け入れるべきである、という・・・。

しかし、ラテン語の世界にあって、「定義」とは、必ずしも学者・研究者・教育者の独占物ではありません。人が生きていく上で、「定義」という所作は避けて通ることができない、極めて日常的な営みです。物事を識別するときに、「定義」という所作は、意識的・無意識的に関わらず、実践されていると思われます。

『旧約聖書』の中に、「創世記」という書がありますが、この中で、「男」が「女」を定義する話が出てきます。「女」だけではありません。この地上に存在するありとあらゆるものを「定義」していくのです。「創世記」は、「男」の定義によって、「すべて生き物に与える名は、その名になるのであった・・・」と記しています。定義は、人間が神によって創造された原始にさかのぼる、人間の本来の営みなのです。

しかし、「創世記」において、人間が「定義」することができないものがひとつあります。それは、「人間」自身です。人間は何であるのか、それは、人間自身の定義によって自由に改変されるものではなく、人間を創造した神によって定義され、人間はその定義を恣意的に改変することはできないのです。

『旧約聖書』のことばを信じている筆者は、当然、『旧約聖書』的意味合いで、「定義」という、人間にとって極めて基本的な所作を実践しようとします。

学者・研究者・教育者が「象牙の塔」の中で使用している「定義」という学問的所作についてはほとんど何も知りませんが、しかし、こころある学者・研究者・教育者は、「定義」という学問的所作を「象牙の塔」から引きずり出して、一般の民衆が「定義」を実践することができるように、必要な知識と情報を提供してくれます。

筆者が、昔、若かりし日、独学で学んだ「定義」の方法は、近藤洋逸・好並英司著『論理学概論』(岩波書店)です。他にも、2、3冊、論理学関係のテキストがありますが、やはり、『論理学概論』にとって代わるものはありません。

『部落学序説』の筆者にとって、「定義」とは何か・・・。

『部落学序説』の執筆を開始してまもないとき、このことについて言及していたのですが、今回、筆者の理解する「定義」を、『部落学序説』第5章第2説の主題を前提にしならが、近藤洋逸・好並英司著『論理学概論』に準拠して説明していきたいと思います。

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ひとはなぜ「定義」を求めるのでしょうか・・・。

近藤洋逸氏は、「定義を求める理由はさまざまである」といいます。「さまざま」な理由の中で、筆者にとって最も近い理由は、「他の名辞との区別を明瞭にし、その名辞の示す対象の的確な研究を可能にしたい・・・」という思いです。

「旧穢多」・「新平民」という概念との区別を明瞭にし、「特殊部落民」の示す対象の的確な研究を遂行する・・・、それが、筆者が「特殊部落」ないし「特殊部落民」という概念を定義しようとする理由です。

「定義」とは何か・・・。

近藤洋逸氏は、「簡単にいえば」といって、このように説明します。「定義とは・・・名辞(概念)の内包を明瞭にし、そのクラスを(外延)を確定する手続きである」。

近藤洋逸氏のことばに従いますと、「特殊部落」あるいは「特殊部落民」を定義するということは、「特殊部落」・「特殊部落民」概念(「被定義項」といいます)の「差別語」という属性(「定義項」といいます)を明らかにすることによって、「特殊部落」・「特殊部落民」が何であるかを明らかにする作業であるといえます。

近藤洋逸氏は、具体的な定義方法として、6種類の定義方法を、事例をあげながら詳細に説明してくれています。その6種類の定義方法を列挙すると以下のようになります。

(1)指示による定義(Ostensive definition)
(2)同意語による定義(Synonymous defenition)
(3)唯名的定義(Nominal definition)
(4)発生的定義(Genetic definition)
(5)実質的定義(Real definition)
(6)操作的定義(Operational definition)

近藤洋逸氏がとりあげている「定義」法にしたがって、部落研究・部落問題研究・部落史研究を遂行するときの基本的な概念の「定義」法について、それぞれ、具体的に説明することにしましょう。

ちなみに、『部落学序説』の筆者が、『部落学序説』の執筆に先立つ20数年前、部落解放同盟新南陽支部・部落史研究会の方々に、その支部のある被差別部落を調べてほしい・・・、と依頼されたとき、調査の前提となる知識・技術を明確にしましたが、「定義」法については、そのとき、近藤洋逸・好並英司著『論理学概論』(岩波書店)を使用することを告げています。

『部落学序説』の執筆開始後においても、「定義」については、この『論理学概論』に全面的に依拠しています。

『部落学序説』の執筆において採用している「定義」法は、上記の6つの「定義」法のうち、第5番目の「実質的定義」法です。なぜ、「指示による定義」・「同意語による定義」・「唯名的定義」・「発生的定義」・「操作的定義」ではなく、「実質的定義」法を採用するに至ったのか、具体的な事例をまじえながら、『論理学概論』にそって説明していきましょう。

●指示による定義

近藤洋逸氏によりますと、「指示による定義」は、「初歩的な定義」であり、「日常しばしば使用される」定義です。

「指示による定義」とは、「定義される名辞が適用される対象を指で示すとか、何かの行動で示し、これによって名辞の内包を理解させる方法」のことです。

たとえば、「被差別部落」という概念を明らかにするために、「被差別部落」へ連れて行って、「ここが被差別部落だ・・・」と「指で示す」こと、その「被差別部落」の隣保館において、「被差別部落」の住民と交流するという「行動で示す」ことで、「被差別部落」が何であるのか、その属性を示す方法のことです。

「百聞は一見にしかず」ということわざがありますが、「ここが部落だ・・・」・「この人が部落民だ・・・」と具体的に指摘することで、「部落」・「部落民」が何であるのか、その属性を示す方法です。

戦後の部落解放運動史をひもといていますと、こういう「実物による定義」、「指示による定義」がまかり通った時代もあるようです。

「被差別部落」の悲惨さを伝えるために、「写真や絵を見せる方法」というのも、「変種」ではあるが、「指示による定義」に数えられます。

近藤洋逸氏によると、<「山口県の被差別部落とは、A、B、C・・・である」というように、被定義項のクラスの含む個体の名称を列挙する>方法も、この「指示による定義」の「変種」に数えられます。

この「指示による定義」は、「日常しばしば使用される」定義法なのです。

しかし、この定義法は、「限界」と「欠陥」があります。

「ここが部落だ」と指摘されても、指摘された「差別者」にとって、どのように「被差別部落」が「被差別部落」として認識されるかは、保証の限りではないからです。「先進地視察」といって、同和対策事業がすすんでいた地域、たとえば奈良県の「被差別部落」を視察する場合、一見高級住宅街のように見える同和地区指定されたその地域を見て、どのような「被差別部落」像が構築されるかは計り知ることはできません。同和対策事業によって改善された地域の状況を確認する人もいれば、その同和対策事業の中に「逆差別」的現象を確認することで終わる人もいるかも知れません。

「先進地視察」で目にした奈良県の「被差別部落」の姿を見て、いわゆる同和問題・同和対策事業の対象地域である「被差別部落」の「共通点」(共通の属性)を認識できるか、「被差別部落」の本質を把握することができるか・・・、といいますと、非常にこころもとないものがあります。

日本基督教団の「部落解放の父」といわれる東岡山治牧師が、「部落民とはおれのことだ」と自らを指さされても、そのことで、東岡山治牧師を通して、その背後にあると思われる「被差別部落民」の共通の属性にたどりつくことができるかどうかといいますと、非常にむずかしいものがあります。知り得たのは、「部落民」と自称するひとりの人間の姿であり、「部落」とよばれる地域の姿であるからです。決して、「部落」・部落民」の本質を把握するに至ることはほとんどあり得ないのです。

「指示による定義」・・・、この定義法は、部落研究・部落問題研究・部落史研究に際しても「日常しばしば使用される」定義法ですが、定義法としては、本質的に内包されている「限界」と「欠陥」を考えるとき、「指示による定義」だけでは、「部落民」・「特殊部落民」・「被差別部落民」を定義することは不可能です。

●同意語による定義

この定義法は、近藤洋逸氏によると、「辞典が用いる方法」だそうです。『広辞苑』で、「特殊部落」をひきますと、「部落の差別的呼称」と記されています。近藤洋逸氏によると、「特殊部落は、部落の差別的呼称である。」、「部落とは、身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人々が集団的に住む地域のことである・」、「特殊部落とは、未解放部落のことである。」、「特殊部落とは、被差別部落のことである。」という、『広辞苑』に記載されていることは、すべて、この「同意語による定義」ということになります。

また、「特殊部落とは、特殊な部落のことである。」という定義も、この「同意語による定義」になります。

「特殊部落」という「難解な名辞」「これと同じ内包の平易な名辞で置き換えたり、外国語の名辞を母国語の同じ内包の名辞に翻訳する方法」もこの「同意語による定義」に入ります。「インドのカースト制度は、日本の被差別部落にあたる。」という定義も、この部類かもしれません。

しかし、この「同意語による定義」も限界と欠点があります。

なぜなら、「特殊部落」の概念の外延と内包は、「旧穢多村」・「未解放部落」・「被差別部落」・「インドのカースト制度の<不可触賤民>」の外延と内包は大きく異なっていますので、それを無視して、「特殊部落」とそのほかの地域を同一視しますと、おのずと「特殊部落」の認識に誤差と誤解が生まれてきます。

●唯名的定義

筆者にとって、近藤洋逸氏の説明は、少々難解すぎます。

「唯名的定義」は、「新しい名辞の導入法」として採用されます。「導入される名辞としては新しい名辞を用いることもあり、また古い名辞に新しい内包を与える場合もある」といいます。

明治30年代後半、明治政府は、行政用語として「特殊部落」という用語を採用しますが、当時、「新しい名辞」として導入された「特殊部落」は、「特殊部落は旧穢多村である。」として定義されたようです。

「古い名辞に新しい内包を与える場合」として、戦後、井上清によって導入された「被差別部落」概念は、「古い名辞」である「特殊部落」を、「被差別」という「新しい内包」で再定義するものでした。

この「唯名的定義」、「他の定義と異なり真偽の区別はない。」そうです。

「真偽の区別」がないところから、この「唯名的定義」は、「形式的定義」ともいわれるそうですが、この「唯名的定義」・・・、学者・研究者・教育者の間では、半ば常識化していて、最近では、あまりとりあげられることはなさそうです。学者・研究者・教育者の間で常識化している「唯名的定義」も、無学歴・無資格の筆者には、自明ではありません。

最近の憲法論や人権論における定義には、この「唯名的定義」が一般的に流通しているようです。「国家」とは何か、「人権」とは何か・・・、その問いに対する答えとしての定義には、この「唯名的定義」が用いられているとか・・・。

『広辞苑』をひもとくと、「唯名的定義」について、このような説明があります。

(nominal definition)概念を定義する場合、それを単に別の言葉に言い換えるにすぎない仕方をいう。概念の内包が十分に明らかにされていないから、定義の仕方としては不十分なものである。「音感」を「音に対する感覚」と定義する類。

「唯名的定義」は、「特殊部落」を「特殊な部落」、「被差別部落」を「差別されている部落」、「部落」を「特殊部落・未解放部落・被差別部落の短縮形」と定義する場合に該当します。「唯名的定義」では、「部落」「概念の内包が十分に明らかにされていない・・・」ことから、この「唯名的定義」も、最初から、限界と欠陥を持っているようです。

●発生的定義

この定義法は、近藤洋逸氏によると、「名辞の示す対象の発生や成立の条件をあげる方法」だそうです。この定義法は、「生物学、社会科学、歴史学などでよく使用される」もので、「特殊部落」を定義する場合、「それが形成された条件や状況をあげることによって・・・」定義されます。

「特殊部落は、明治政府によって特殊部落として認定されることによって特殊部落とされた。」、「特殊部落は、社会的・経済的・文化的低位によって差別されるようになった。」・・・、というような定義は、この「発生的定義」に該当します。

近藤洋逸氏は、この「発生的定」は、「生物学、社会科学、歴史学」の世界においては、「的確に定義」できるといいます。「特殊部落」成立の原因と結果、それを明らかにしようとする学的いとなみは、この「発生定義」と不可分であるといえるかもしれません。

しかし、この「発生的定義」法も、限界と欠点があるようです。

近藤洋逸氏は、「この定義の使用には注意が必要である。」といいます。そして、こう続けます。「事物の発生や成立の条件や事情は必ずしもその事物の本質であるとは限らないからである」

「特殊部落」とは何か。歴史学的に、その「成立の条件や事情」を明らかにしても、それは、ただ「成立の条件や事情」を明らかにしているのみであって、「特殊部落」の「本質」を明らかにしていることにはならない・・・、というのです。

『広辞苑』には、「発生的定義」の説明があります。

「定義において、本質的属性の分析の困難な場合、その発生・成立の条件をあげて定義するもの」。

「特殊部落」とは何か。「部落」とは何か。その「発生的定義」は、最初から、「特殊部落」の「本質的属性の分析の困難」さが前提され、「本質的属性の分析」を回避して、付随的な、「特殊部落」の「発生・成立の条件」をあげてそれに代えようとするものです。

『部落学序説』の筆者が、「部落学」を提唱するのは、部落史研究の本質的限界を想定してきたためです。部落差別完全解消のためには、部落差別の「発生・成立の条件」の追究で終わらず、部落差別の「本質的属性の分析」を遂行が不可欠であると思われたからです。「部落」・「部落民」・「部落差別」の本質を明らかにするためには、「発生的定義」だけに依拠することはできないと思われたからです。

上記の「指示による定義」・「同意語による定義」・「唯名的定義」・「発生的定義」法は、それぞれに、定義法としての限界と欠点を持っているわけです。

20数年前、山口の小さな教会に赴任してきた筆者は、当時、部落解放同盟から差別文書について糾弾を受けた日本基督教団は、部落差別問題特別委員会を設置、教区・教会に対して反差別の啓蒙活動を展開していました。そして、筆者が所属することになった西中国教区においても部落差別問題特別委員会が設置されたのですが、「その委員の引受手がない・・・」、ということで、西中国教区に赴任してまもない筆者に、西中国教区はその委員のひとりに任命したわけです。

初代の委員長であった宗像基牧師は、委員会で、所属する各分区で、具体的に部落差別問題と取り組むように指示していました。4期8年に渡って委員をしましたが、すべからく優柔不断な筆者も、長年、部落差別問題とかかわっていると、被差別部落の人々や、その運動団体と接点ができ、交流が生まれてきます。

西日本部落解放夏期講座・山口県同和問題を考える宗教者連帯会議・人権展・山口県同和教育研究協議会の集会に動員され参加している間に最初に交流が生じたのが、部落解放同盟新南陽支部の方々でした。支部結成当時から、いわゆる、「同和利権」とは無関係で、正統派の部落解放運動を展開していた支部です。

その被差別部落の隣保館で開催されていた「学習会」に参加させてもらっていたある日、部落解放同盟新南陽支部の方々から、「この被差別部落のことを調べてほしい・・・」と依頼され、最初は断ったのですが、「たっての願い・・・」ということなので、部落解放同盟新南陽支部のある、旧徳山藩領地の被差別部落とその歴史を調べることにしたのですが、そのとき、どのように調査するのか、筆者のもっている知識と技術を明らかにしました。

無学歴・無資格の筆者のもっている知識・技術は大したものではないのですが、歴史学的研究方法、地方史研究方法、社会学的研究方法、民俗学的研究方法、名辞・命題・推理・体系化の方法について、最初から明らかにして取り組みをはじめたのです。

最初は、「指示による定義」・「同意語による定義」・「唯名的定義」・「発生的定義」法による、「部落」・「部落民」・「部落差別」の定義を受容しそれに依拠してものごとを発想していましたが、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老に対して聞き取り調査をしたことから、それらの定義法に基づく、一般説・通説・俗説を支えている研究を疑問視するようになりました。

そして、それまで、筆者が受容していた、学者・研究者・教育者によって、部落研究・部落問題研究・部落史研究に際して採用されていた、「指示による定義」・「同意語による定義」・「唯名的定義」・「発生的定義」をすべて破棄して、あらためて、定義しなおすことから、『部落学序説』の構築をはじめたのです。

そこで筆者が採用した定義法は、近藤洋逸氏が、5番目と6番目にとりあげている「実質的定義」「操作的定義」法でした。「操作的定義」法は、意図的に「仮説」をたてるときに、暫定的に使用していたもので、中心は、「実質的定義」法です。

『部落学序説』の執筆計画をたてる前、その資料(史料や伝承、論文)を収集し、精読していた時期に、すでに、部落研究・部落問題研究・部落史研究に際して使用されている基本的な概念に対して、よりよい定義を模索していたのです。

そして、その諸定義が安定していったとき、つまり、諸概念の外延と内包の全体を見通すことができるようになったとき、『部落学序説』の執筆をはじめたのです。

ですから、『部落学序説』で使用している概念については、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々と20数年に渡って繰り返し繰り返し相互批判と検証を積み重ねてきたのです。

「実質的定義」法は、『部落学序説』執筆開始以来、これに基づいて定義してきましたので、その定義法については既存の文章を読んでいただければいいのですが、再度、筆者の理解する「実質的定義法」(real definition)について説明しておきます。


命題:「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である

2007年10月06日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
3 命題:「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である


『部落学序説』としては、ひさしぶりに命題を立てることにしました。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

この命題、読者の方々の中には、今更命題として取り上げる価値はない・・・、と判断される方が相当おられるのではないかと思われます。

この命題は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者だけでなく、彼らによって啓蒙活動の対象とされる一般国民、民衆にとっても、いわば、常識化した命題です。ほとんどの人は、この命題について、反論しようとはされないでしょう。

一般説・通説・俗説の世界においても常識化してしまったこの命題を、あらためて、命題としてとりあげることにした背景には、戦後から今日までの部落研究・部落問題研究・部落史研究の累積にも関わらず、「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」が何であるのか、いまだに、明確な定義が獲得されていないという現実があります。

『「部落史」論争を読み解く』(解放出版社)の著者・沖浦和光氏はこのように語ります。「90年代に入ってからさまざまな視点から多様な部落史像が語られるようになった。活発な論争が展開されること自体は、歴史研究の水準を高める必須の契機なのだが・・・そのような錯綜した問題状況は、教育課題として、あるいは社会啓発の課題として、部落問題に取り組んでいる教育や行政の現場に戸惑いと混乱を生じた・・・」。

部落史研究の「基準」・「座標軸」だけでなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が、再定義する必要のない暗黙の前提として使用してきた、「特殊部落」・「差別」という基本的な概念ですら、明確に定義され、一般的に受け入れられるような状況にはない・・・、ということを示しています。

『<差別と人間>を考える』(批評社)の著者・八木晃介氏は、「あとがき」でこのように記しています。

「差別問題についての言説が他者につたわりにくいのは何故なのだろうか。もちろん、そこには多様な理由が介在しているにちがいないが、決定的な問題は、差別問題についての言説の発信者(送り手)と受信者(受け手)とが互いにもっているはずの差別にかんする「意味」が相互にしばしばすれちがってしまうところにあるように思われる」。

『部落学序説』の筆者が、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観を撃つべく、「特殊部落」・「差別」について発信しても、その受信者である読者の中には、筆者の研究成果を、既存の賤民史観の枠組みの中に再吸収して賤民史観に立脚した自説の延命に供する・・・、という場合も多々あるようです。

今回、<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>という命題を証明する過程において、当然、既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の論文の引用・解釈において、その研究成果の再発掘が行われる場合も少なくないと思っていますが、彼らの手にかかると、それすら、換骨奪胎され、彼らの都合のいい形で再利用されるて終わる可能性も少なくありません。

そういう意味では、筆者と一部読者との間の「すれちがい」は、今後も避けて通ることはできないように思います。

しかし、たとえそうであっても、『部落学序説』の執筆を継続するにあたっては、重要なキーワードについて定義する必要を感じます。今回の文章においては、「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」等のキーワードについて、明快に定義をした上で、論述を展開すべきであると思っています。「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」等の用語の定義と、それらを用いて執筆される文章・論文とは不可分の関係にあると思われるからです。不明確な定義からは不明確な文章・論文しか生まれない・・・、ことを考慮すると、明快な文章・論文にするためには、そこで使用する用語の定義は避けて通ることはできないと思われます。

上記の命題<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>の淵源は、原田伴彦著『被差別部落の歴史』(朝日選書)の「序章 部落の人びとは特殊な人びとではない」の最初の項「犯罪用語-特殊部落」の一節です。

「「特殊部落」あるいは「特殊民」ということばは、明治の四十年ごろに、政府筋によってつくられた一種の官製的な差別用語」でした」。

原田伴彦氏の文章を参考にして、筆者は、上記の命題を設定したのですが、しかし、同じ命題に依拠しているからといっても、筆者が、原田伴彦氏の教説を無批判的に受容しているというわけではありません。日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観に依拠する原田伴彦氏と、賤民史観を歴史学上の差別思想であるとしてそれを否定する『部落学序説』の筆者との間には、深い認識のずれがあります。原田伴彦氏が意図的に無視した史料を筆者は、原田伴彦氏に説を批判するときの根拠にするからです。

以前にも記したことがありますが、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の真意は、引用された文献・語られた内容の中だけでなく、引用されなかった文献・語られなかった内容の中にその存在を確認することができる場合が多々あります。

たとえば、原田伴彦氏は、その書の中で、「日本共産党の設立者」によって作成された文章を引用しています。

文章A:「ズット高い階級のものからみれば、貧乏人はみな賤しむべき奴隷だ。なにも『特殊民』だけを、とくにいやしむべきものとは思っていない。けれども『特殊民』というものをこしらえて、それにあらゆる侮辱をよせかけておけば、一般の貧乏人どもをいくらかゴマ化すことができる。すなわち馬鹿な貧乏人どもは、まだ自分より下のものがあるように考えて、いくらか自分どもの地位を高いように思うのだ。高い階級のものはそこをよくのみこんでいるから、わざと『特殊民』諸君を一般社会の侮辱のまとにさせるのだ。そして馬鹿な貧乏人どもがそれにのせられて、よい気になって諸君に侮辱を加え、自分らの侮辱されていることを少しでも忘れようとするのだ。諸君こそ実によい迷惑だ。そして馬鹿な貧乏人どものその馬鹿さかげんに我々はあきれるのだが、しかしどうしようもない・・・」。

原田伴彦氏は、このことばを引用しながら、このことばの執筆者の差別性に対してひとことも言及していません。むしろ、<善意>(筆者の目からみると悪意にみえる)に解釈してこのように綴ります。

文章B:「このなかには、解放運動は、たんに部落だけのことではなく、貧しいものがいっしょになって貧富の差別をなくしていくために闘う、つまり貧しい小作人などの農民や労働者の階級闘争と結合してやっていくべきだという社会主義者の考え方が示されています」。

原田伴彦氏と違って、無学歴・無資格の「ただのひと」、「貧乏人」の末裔でしかない筆者は、どこをどのように解釈したら、原田伴彦氏ように、文章Aから文章Bという解釈を引き出すことができるのか、不思議に思います。

原田伴彦氏は、「「特殊部落」あるいは「特殊民」ということばは、明治の四十年ごろに、政府筋によってつくられた一種の官製的な差別用語」でした。」といいますが、「特殊部落」・「特殊民」という「官製的な差別用語」に、日本共産党・社会主義者固有の民衆分断説・愚民論的解釈が付加され、絶望的な「特殊部落」・「特殊部落民」という概念が作り出された可能性をことさら隠蔽しようとしているようにも見えます。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

同じ命題に立脚するといっても、原田伴彦氏の概念・命題の用法と、『部落学序説』の筆者のそれとは大きく質と内容を異にしていますので、命題:<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>には、再定義が必要です。「特殊部落」とは何か・・・。「特殊部落民」(特殊民)とは何か・・・。「差別」とは何か・・・。「差別語」とは何か・・・。

『部落学序説』と、既存の歴史学上の差別思想である「賤民史観」との、部落研究・部落問題研究・部落史研究上の基本用語の定義をめぐる葛藤と抵触は避けて通ることはできないようです。


「特殊部落」・「差別」概念のあいまいさ

2007年10月02日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
2 「特殊部落」・「差別」概念のあいまいさ

日本基督教団の戦後の部落解放運動に対して指導的役割をしてきた東岡山治牧師の文章に、『部落解放とイエス』という論文があります。

この論文は、日本基督教団・農村伝道神学校の紀要『福音と社会』第17号に収録されたもので、筆者は、東岡山治牧師から直接その「抜刷」をいただきました。

この論文は、「農村伝道神学校の卒業生・・・を念頭において」執筆されたもので、農村伝道神学校の卒業後、地方の小さな教会に赴任していった牧師に、その任地で、部落差別問題に取り組んでほしい・・・、という彼の期待を込めて書かれたものかも知れません。

この論文の中に、2種類の人名リストが含まれています。ひとつは、差別性を指摘された人々のリスト。そのリストには、「賀川豊彦・賀川ハル・玉井義治・熊野義孝・隅谷三喜男・竹中正夫・岡田稔・飯坂良明・畑野忍・野本真也・海老沢有道・高橋三郎・赤岩栄・片小沢千代松・雨宮栄一・国安敬二・榊原泰夫・長島伊豆男・笹淵昭平・平出亨・宗藤尚三・伊藤平次・小杉尅次・高崎毅・泉田昭・川田殖・高田英治・高杉三四子・菊地吉弥・中川秀恭・東与三次・大津光男・衣川洋三・飯野保治・他」の名前があげられています。

もうひとつの人名リストは、「部落解放にかかわったキリスト者」の名簿です。そのリストには、ライト・本多庸一・金森通倫・山上卓樹・安枝武雄・海保熊次郎・フィンチ・森知桟・柳瀬頸介・留岡幸助・竹葉寅次郎・ミラー・ハッカビー夫妻・中尾一真・ジョーンズ・竹田兼男・西村関一・梶原伸之・泉十次・片岡慶侈彦・宗像基・松田慶一・工藤英一・岡林信康・和田献一・小笠原亮一・ルイス・今井数一・キリスト者部落対策協議会100余名・淡路教会・明石教会・西宮合同教会等が列挙されています。

東岡山治牧師が遂行しようとした、日本基督教団内部での部落解放運動の反対者と賛成者の人名リストであるといってもいいと思うのですが、東岡山治牧師は、なぜ、このような人名リストを公表することにしたのでしょうか・・・。

名も無き神学校の紀要とは言え、紀要としての性格上、この東岡山治牧師の論文は、誰の目にもとまる可能性があります。いわば、「公器」で、「差別者の名前を列挙」しているのですが、その意図は何だったのでしょう。

筆者のこの文章を読んでいる方々は、この二つの人名リストを見ても、ほとんどご存知ないのではないかと思われます。読者の方々だけでなく、日本基督教団の牧師をしている筆者にとっても、ほとんど面識のない人々ばかりです。最初の差別者リストに掲載されている名前の中で、筆者と少々かかわりがあるのは、農村伝道神学校・国安敬二校長、農村伝道神学校・笹淵昭平事務長、農村伝道神学校・雨宮栄一教授、阿佐ヶ谷東教会・高崎毅牧師、阿佐ヶ谷東教会・宗藤尚三牧師、そして、農村伝道神学校の尊敬すべき先輩・菊地礼子牧師のおとうさんの菊地吉弥牧師の6名のみです。

彼らがなぜ、東岡山治牧師によって、その差別性を指摘されたのか、筆者は、その詳細をほとんど知らないのですが、筆者は、東岡山治牧師によって、どちらの人名リストにその名前を付加されているのかと想像してみるのですが、想像は至って簡単です。国安敬二・笹淵昭平・雨宮栄一・高崎毅・宗藤尚三・菊地吉弥と同じく、差別者のリストに付け加えられていることでしょう。

なぜ、そう推測するのかといいますと、それは、戦後、日本基督教団の中で部落解放運動を指導してこられた東岡山治牧師が、基督者を、二つの人名リストにふるいわけるとき、どのような基準でもって分類したか・・・、ということによります。

東岡山治牧師が「差別者」として彼らを断定する基準は、みっつあります。

①差別用語の使用
②差別表現
③明らかな差別発言と差別文書

差別者のリストに実名をあげられた人々は、上記の①~③のいずれか、あるいはそのすべてに該当するような「発言」や「文章」を残したのでしょう。

特に、最初の「差別用語の使用」は多くの問題をはらんでいます。東岡山治牧師が、「差別用語」として指摘する言葉は、「特殊部落」という言葉です。

東岡山治牧師は、この「特殊部落」という言葉は、それが用いられた文脈では、「ある意味で差別事象ではないと弁解できる」としながらも、「この特殊という言葉を聞く部落の人には「死ね」とも響く言葉であるから、差別になる・・・」と指摘します。更に、その理由を強調します。「「特殊」という語を、差別される側のものが聞かされるのは、痛いから・・・」

東岡山治牧師は、「特殊部落」という用語が使用される文脈がなんであれ、「特殊部落」という言葉自体が差別的な響きがあるので、被差別部落の人々に、心の痛みを与え、死ね・・・ともささやきかけてくる「特殊部落」という「差別用語」の使用は許すことはできない。「特殊部落」という言葉を使用すれば、即、被差別部落の人々に対する差別発言として糾弾する・・・、と宣言されているのです。

「特殊部落」という言葉は、「一般とは違う部落とされ、汚れた血の流れている人々、集団をなして孤立する群れのことを指して」いるといいます。(東岡山治牧師は、「汚れた血の流れている人々」に対して、コメントをつけないことで、差別観念をふりまいている・・・、筆者の批判)。

東岡山治牧師は、「被差別部落に生れた筆者は、この言葉を聞かされるたびに、身のちぢまる思いであったし、その場から身を隠したい「くちおしさ」を体験した・・・」といいます。そして、「今日でもなおこの差別語を平気で使う人が多い。」と怒りをあらわにします。

東岡山治牧師にとって、「特殊部落」だけでなく、「穢多・非人」、「新平民」も同等の意味合いをもっていますから、それらが使用されている文脈がどうであれ、「穢多・非人」・「新平民」・「特殊部落」という「差別用語」を単純に使用するだけでも「差別」になる・・・、と主張されているようです。

『部落学序説』の筆者が、日本基督教団の部落解放運動の指導者である東岡山治牧師によって、「差別者」の人名リストに、筆者の名前が付け加えられていると推測するのは、『部落学序説』において、筆者が、「穢多・非人」・「新平民」・「特殊部落」という言葉を直接的にとりあげ、批判・検証の対象にし、「部落学」的解明をこころみようとしているからです。文脈に関係なく、「穢多・非人」・「新平民」・「特殊部落」という「差別用語」を使用することをもって「差別」と断定する東岡山治牧師にとっては、筆者の『部落学序説』は「差別用語」の坩堝ということになります。

東岡山治牧師は、その論文の中で、「特殊部落」あるいは「差別」という概念について、定義をすることはありませんでした。「特殊部落」という言葉も、「差別」という言葉も、差別者・被差別者両方にとって、説明も定義も必要がないほで自明の概念である・・・、と確信しているようです。東岡山治牧師は、部落問題・部落差別問題の一般説・通説・俗説上の「差別用語」理解に立って、その論を展開しているのです。

東岡山治牧師にとって、「特殊部落」という概念も、「差別」という概念も、極めてあいまいなまま使用されているようです。

そのような、あいまいな概念を使用しての、キリスト者を、「差別者」と、そうでない、「部落解放運動にかかわった」人とに二分する、東岡山治牧師の判断は、ほんとうに的を射たものと言えるでしょうか・・・。

《現代部落差別の構造-差別意識を中心に》の著者・三橋修は、その友人のひとりが部落差別について糾弾を受けたとき、糾弾している側からこのように語りかけられたといいます。

「俺がここで糾弾している、その俺がここにいるということが部落差別の結果なのだ」。

三橋修氏は、「彼は何かの定義を与えるのでもなく、何かの尺度をもち出すこともなく、俺のいかりの中に部落差別をみよ、といったのだと思う。差別される者にとって、部落差別は確実に存在する。そしてその結果として自殺に追い込まれた者も後を断たない・・・」といいます。

何が差別であるのかないのか・・・。それを決めるのは、被差別者自身である・・・。

そんな主張が見え隠れします。

東岡山治牧師が、「特殊部落」あるいは「差別」という用語を定義することなく、部落問題・部落差別問題の一般説・通説・俗説に立って恣意的に使用し、キリスト者を、「差別者」「解放運動にかかわった」人のリストに二分する、背景には、三橋修氏が紹介されている糾弾者と同じ状況と認識があるのかも知れません。

東岡山治牧師は、第三者に対して、『部落学序説』の筆者である私を、「このひとは悪いやっちゃ!」といって紹介されるのも、「穢多・非人」・「新平民」・「特殊部落」という「差別用語」の認識と取り扱い方において、東岡山治牧師と筆者との間に大きな認識上のずれがあるからに違いがありません。

この認識上の違い、両者の側から克服するにいたらず、被差別者の東岡山治牧師と、差別者の筆者との間の亀裂と溝は深くなる一方です。

『部落学序説』第4章・水平社宣言批判において、筆者は、東岡山治牧師が、「解放運動にかかわった」人として評価される「柳瀬頸介・留岡幸助・竹葉寅次郎」の中に、近代部落差別をつくる側に身を置き、被差別部落のひとびとを差別の絶望へと追いやったキリスト者の姿をとりあげることになるでしょう。東岡山治牧師が評価する「柳瀬頸介・留岡幸助・竹葉寅次郎」の中に、差別者の典型的な姿を認識する筆者は、ますます、東岡山治牧師の部落解放運動から遠ざかっていくことになりそうです。

街道が十字路で交差するように、あるとき双方から近寄り、そして一点で遭遇、そのあとは、再びそれぞれ別な方向へと離れて再び交差することがないように・・・。

学歴・資格をもっておられる被差別部落出身の東岡山治牧師と違って、無学歴・無資格の「ただのひと」でしかない筆者は、「無学歴・無資格」であるがゆえに、一般説・通説・俗説を批判・検証し、「特殊部落」概念、「差別」概念を定義し、「特殊部落」「差別」の本質に迫っていきたいと思います。東岡山治牧師のように、被差別者としての「情念」で語ることのできない、単なる差別者でしかない筆者は、「情念」で語ることができない分、分析と総合によって、客観的・論理的に追究していくことになります。


差別語「特殊部落」

2007年10月01日 | 付論



「特殊部落」・「差別」概念の定義法について
1 差別語「特殊部落」

「全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ」。

水平社宣言は、上記の言葉ではじまっています。その文章の中で、「特殊部落」・「特殊部落民」という用語が使用されています。

これらの言葉は、部落問題・部落差別問題においては、「差別語」であると認識されて久しくなります。

戦前・戦後の部落解放運動において、「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉を使用した表現・表記・文書は、「差別表現」・「差別表記」・「差別文書」として厳しく「糾弾」されてきました。

その結果、差別者・被差別者を問わず、「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉を使用することを自制するようになりました。今日、自分の身をさらしながら、「差別語」としての「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉を使用する人はほとんど皆無であるといってもよいでしょう。

『部落学序説』の筆者としても、「差別語」としての「特殊部落」・「特殊部落民」を使用することはできる限り避けたいと思っています。

しかし、「部落史」・「部落解放史」の中に出てくる歴史用語としての「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉を使用しないで、「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉の持っている「差別性」を明らかにすることができるかどうか、考えますと、こころもとないものがあります。

20数年前、筆者が棲息している下松市の社会同和教育研修資料『みんなで解決するために』(下松市同和教育推進委員会・下松市教育委員会発行)というパンフレットを読んだことがあります。

その一節に、このような言葉が記されていました。「差別意識や偏見をとりのぞいていくためには・・・史実に基づいて、科学的な正しい理解と認識を深めることが必要です」。

その「科学的な正しい理解と認識」に基づいて、「被差別部落」の人々がどのように表現されているのかといいますと、古代から中世までは無表記、近世幕藩体制下の身分制の確立から明治4年の「解放令」までを「部落の人々」と表記、「解放令」から、そのパンフレットが執筆された現在までを「同和地区の人々」と表記するというのです。

そのパンフレットでは、「全国水平社の創立」について、このように記されています。「1922年(大正11)3月3日、京都市の岡崎公会堂に全国の同和地区の代表二千人が集まって、全国水平社の創立大会が開かれました。長い差別の歴史の中で苦しんできた同和地区の人々が、自らの力によって団結し、人間の権利と自由を奪い返すことを宣言した日です」。

そして、水平社宣言の一部がこのように紹介されているのです。

「全国に散在するわが部落民よ、団結せよ」。

下松市の社会同和教育研修資料『みんなで解決するために』というパンフレットは、「差別意識や偏見をとりのぞいていくために・・・史実に基づいて、科学的な正しい理解と認識を深める」ために執筆されたと宣言されていますが、筆者だけでなく、少しく、部落問題・部落差別問題について学んだことがある人なら、このパンフレットに記されていることは、「史実に基づいて」なされたものではなく、<史実を操作>してなされたものであり、「科学的な正しい理解と認識」からほど遠い、<非科学的な誤解と偏見>から執筆されているということにすぐお気づきになることでしょう。

なぜ、社会同和教育において、<史実を操作>・<非科学的な誤解と偏見>が行われているのかと考えますと、近世幕藩体制下の「穢多」・「非人」、明治初期の「旧穢多」・「新平民」、明治30年代後半以降の「特殊部落民」という歴史用語を「差別語」として忌避し、「差別語」を使用した・・・、ということで運動団体からの糾弾を避ける意図があったためでしょう。

下松市の過去の学校同和教育・社会同和教育は、<史実を操作>して、市民を、差別・被差別の立場を問わず、歴史の真実から遠ざけ、下松市の学者・研究者・教育者が定めた<非科学的な誤解と偏見>を市民に押しつけるものであったといえるでしょう。

そのパンフレットが内包しているさまざまな問題点は後日触れることにして、『部落学序説』の筆者が、その第4章・水平社宣言批判を展開していく上で直面することになるさまざまな問題についてあらかじめ言及しておきたいと思います。

それは、部落史の一般説・通説・俗説において、「差別語」として認識され、忌避されている「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉をどのように取り扱っていくか・・・、という問題です。

日本近代思想大系『差別の諸相』(岩波書店)の解説者・ひろたまさき氏は、その凡例において、このように記しています。

一、本書は、差別の歴史を批判的に究明することを目的とし、日本近代社会成立期における差別の諸相に関する史料を、七章にわけて編成し、章ごとに年代順に配列した。・・・

一、各史料においては差別的用語あるいは表現が頻出する。これらは、現代社会においてなお、偏見と差別を助長拡大するものであるから、当然に使用されるべきではない。しかし、本書は、差別をなくすための努力の一環として過去の差別の実態を明らかにしようとして編まれたものであり、したがって解説・注においても、当時の用語を限定しつつ使用した。本書の性格に鑑み、読者の理解を得たい。

ひろたまさき氏の見解では、近代部落差別の典型的な差別語である「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉は、「現代社会においてなお、偏見と差別を助長拡大するものであるから、当然に使用されるべきではない」ということになります。しかし、「差別をなくすための努力の一環として」遂行される学者・研究者・教育者の使用は容認されてしかるべきである・・・、という主張のように聞こえます。

そうすると、『部落学序説』の筆者のように、無学歴・無資格、しかも、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者ではない、一般の「ただのひと」による、「特殊部落」・「特殊部落民」という差別語の使用はどのように評価されることになるのでしょうか・・・。

部落解放運動史における過去の差別発言・差別表記・差別文書事件をひもといてみますと、「特殊部落」・「特殊部落民」という言葉を使用しただけで、運動団体から糾弾を受けた事例を少なからず確認することができます。

しかし、『部落学序説』第4章・水平社宣言批判の執筆を再開するにあたって、今後、「特殊部落」・「特殊部落民」という差別語を留保付きで(「」付きで)多用することになります。歴史学的研究だけでなく、歴史学・社会学・民俗学・法学・政治学・宗教学・人類学・比較文化学などの学際的研究としての「部落学」にとっても、歴史概念としての「穢多」・「非人」、「旧穢多」・「新平民」、「特殊部落民」・・・という概念の使用を避けて通ることはできません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を払拭するためにも、「特殊部落」・「特殊部落民」という差別語の生成過程とその言葉の果たした差別的機能を明らかにしなければなりません。最初から、表層的な、「特殊部落」・「特殊部落民」という差別語に対する忌避感情に押し切られて、「特殊部落」・「特殊部落民」の背後にある国家的・社会的差別構造を不問に付し避けて通るのでは、『部落学序説』も、既存の差別的な部落研究・部落問題研究・部落史研究と同類のものになってしまいます。

『部落学序説』の筆者の立場を明確にするためにも、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学的前提、前理解を批判・検証することを旨とする「序説」(プロレゴメナ)を徹底するためにも、「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」等の基本的な用語について、筆者の「前理解」を明らかにすることにしましょう。