部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

「旧穢多の精神史」と「差別の精神史」の違い

2006年11月30日 | 第4章 太政官布告批判



【第4章】太政官布告批判
【第B節】「旧穢多」の精神史的考察
【第2項】「旧穢多の精神史」と「差別の精神史」の違い

この節で取り上げるのは「旧穢多の精神史」であって、「差別の精神史」あるいは「被差別の精神史」ではありません。

「旧穢多の精神史」は、「精神史」の研究対象が「旧穢多」(穢多とその末裔)という極めて具体的な存在であるのに対して、「差別の精神史」の対象は、「旧穢多」を含む「新平民」・「特殊部落民」・「同和地区住民」・「被差別市民」・・・歴史の進展とともに、常にその概念の外延と内包を拡大してやまない抽象的・観念的な存在である「被差別部落民」です。

筆者の見解をよりよく理解していただくために、右図を用意しました。

Ruikei1
縦軸には、「被差別部落民」を時間系列で5段階(1・2・3・4・5)で表示しています。横軸は、「被差別部落民」を空間系列で6段階(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵ)で表示しています。

まず、時間系列を説明します。

1 近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として「穢多の類」(穢多・非人、以下「穢多」とよぶ)として活躍していた時代をさしています。
2 幕末期から明治4年以前の間に、近世幕藩体制下の「穢多」身分から近代中央集権国家の「士族」身分・「平民」身分に移籍された人々と、明治4年の太政官布告以降、近代中央集権国家の「平民身分」にされたが、それに先立つ「平民」(「常民」としての百姓・町人)と区別されて「新平民」と呼ばれた人々の生きた時代を示しています。
3 明治30年代後半以降、近代中央集権国家によって「特殊部落」という政治的概念が導入されますが、「特殊部落民」として生きることを余儀なくされた時代をさしています。「特殊部落民」という概念は、「新平民」と呼ばれた「旧穢多」の他に、近世幕藩体制下の「武士」・「百姓」(町人を含む)身分を相当数含んでいます。
4 戦後の同和対策事業・同和教育事業が実施された時代をしめしています。同和対策事業・同和教育事業の対象地域は、国と地方行政によって「同和地区」として指定された地域です。その「同和地区」の住人に対して「同和地区住民」という概念が適用され、その外延は、「特殊部落民」の他に、「同和地区」に住む相当数の一般の住民をも含んでいました。
5 同和対策事業・同和教育事業終了後の時代をしめしています。部落解放同盟およびその参加の部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者は、「被差別市民」という概念を導入して、従来の「被差別部落民」と「一般民」との間の線引きを、「被差別市民」・「非被差別市民」という線引きにひきなおそうとしています。

「差別の精神史」ないし「被差別の精神史」が、上記の1・2・3・4・5のすべての時代をひとつのものとして、超時間的に、総合的にとりあげるのに反して、『部落学序説』の筆者のいう「旧穢多の精神史」は、上記の1・2にのみ限定して、歴史的・具体的にとりあげます。

次に空間的系列を説明します。

Ⅰ 明治4年の太政官布告公布以前に、近世幕藩体制下の「穢多」身分から「武士」・「百姓」(町人)に移籍したり、明治以降、近代中央集権国家の「士族」・「平民」に移籍されたひとびとをさします。
Ⅱ 明治4年の太政官布告以後、上記のⅠをのぞく「旧穢多」で、「新平民」とよばれた圧倒的多数のひとびとをさします。
Ⅲ 明治30年代後半、「新平民」とともに、「特殊部落民」という概念の外延にあらたに組み込まれたひとびとをさします。
Ⅳ 戦後、「特殊部落民」とともに、同和対策事業・同和教育事業の対象地域「同和地区」の住民としてあらたに組み込まれたひとびとをさします。
Ⅴ 同和対策事業・同和教育事業終了後の部落解放運動の中で、あらたに「被差別市民」として組み込まれようとするひとびとをさします。
Ⅵ 将来の「被差別部落民」の仮想予備軍です。「被差別部落民」ではない、大多数の国民・市民をさしています。

薄い黄色の帯は、それぞれの時代において「被差別部落民」の範疇にはいらなくなったひとびとをさしています。Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵが、「旧穢多」と共に、「被差別部落民」にあらたに組み込まれていったひとびとを指すのに反して、薄い黄色の帯は「被差別部落民」から離脱していったひとびとを指しています。

現在、一般的に「被差別部落民」と呼ばれているひとびとは、決して「被差別部落民」として一様な存在としてではなく、上記の時間系列と空間系列によって織りなされた多種多様な形をとって、その姿を「現象」せしめているといってもよいでしょう。

いまから20数年前、山口の小さな教会に赴任してきてからというもの、教区の部落差別問題委員会の委員をおしつけられ、また、その委員を辞退したあとも、なんらかのかたちで部落差別問題に取り組んできました。その中で、ときどき、「おれは部落民だ・・・」ということばを耳にしました。筆者は、直接・間接的にそのことば聞くたびに、そのことばをどう受け止めればいいのか、とまどいの思いを持ちました。

あるひとが「おれは部落民だ・・・」と告白すると、一瞬、周囲はシーンと静まりかえります。そして、次の瞬間、そのひとは、「被差別部落民」として語りはじめ、そのひとのことばを聞いているひとは、そのひとの語りを「被差別部落民」のことばとして耳を傾けてしまいます。

「この世の中、すきこのんで自らを部落民であると名乗るひとはいない・・・」という暗黙の前提から、「それにもかかわらず、部落民をなのっている以上、そのひとは、部落民にちがいない。」と推論します。「それが事実なら、われわれはそのひとを部落民と同定し、それなりの関係を持たなければならない・・・。」と受け止めるようになります。

誰ひとり、そのひとに、「あなたは、自分を部落民というが、それはどういう意味ですか・・・。」と問うこともなければ、「あなたの先祖は、どの国のどの村に住み、何をしていたひとですか・・・。」とも、「あなたはいつごろから、被差別部落に住むようになり、どのような被差別経験をしたのですか・・・。」とも問うこともないのです。そのひとの家や血筋、職業が話題にされることもまずないでしょう。もし、変に質問でもしようなら、「部落民にその身元を明らかにすることを求める、その行為こそ差別だ!」とその差別性を指摘されることになるかもしれません。

あるひとが、「おれは部落民だ・・・」と宣言するとき、そして、一般民に対して、「差別者」と「被差別者」の対立的関係で、そのひととの関係を見直すことを要求されるとき、一般的には、そのひとの要求は、そのまま承認されることになった・・・のではないかと思います。

33年間15兆円をついやして実施された同和対策事業・同和教育事業をめぐって、いま、いろいろな不正事件や汚職事件が発生していますが、似非同和行為を蔓延させた背景には、「おれは部落民だ・・・」と言明して、同和対策事業・同和教育事業の利権を要求されるとき、「おれは部落民だ・・・」という表現の検証も認定も、国や地方行政が一切しなかった・・・、その結果として、似非同和行為を暗黙裡に許容することになったと思われます。

『部落学序説』の筆者が、この節で、「「旧穢多」の精神史的考察」について論じるとき、それは、上記の「おれは部落民だ・・・」と名乗るひと(同和行政、同和会・解放同盟・全解連・全国連などの運動団体が、そのことを認めようと認めまいとにかかわらず)を対象にしているわけではありません。「おれは部落民だ・・・」と名乗るひと、上記の空間系列のⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴのすべてに該当する可能性がありますし、また、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵのすべてに該当しない可能性もあります。

「差別の精神史」・「被差別の精神史」は、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵのすべてを含んで総合的に論じますので、「おれは部落民だ・・・」と名乗るすべてにひとも、その研究対象に含むことになります。

しかし、『部落学序説』の筆者が、この節で、「「旧穢多」の精神史」で論じようとしている「旧穢多」は、上記の時間系列の1と2、空間系列のⅠ・Ⅱに限定されたひとびとです。明治4年の太政官布告で、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の身分を解かれ、「常民」(「平民」)とされ、「新平民」と呼ばれるようになったひとびとです。

この節で、筆者が耳を傾けようとしているひとびとは、「旧穢多」あるいは「旧穢多の末裔」たちです。明治30年後半以降、「被差別部落民」の拡大された外延であるⅢ・Ⅳ・Ⅴに属するひとびとや、時間系列において、どの段階(1・2・3・4・5)に属するか分からないひとびとではないのです。「旧穢多」の精神史を明らかにするためには、「旧穢多」のみに限定する必要があります。

上記の時間系列の1・2・3・4・5と空間系列のⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵのすべてを含んで考察の対象にする「差別の精神史」あるいは「被差別の精神史」と違って、時間系列の1・2、空間系列のⅠ・Ⅱに限定した「旧穢多」の精神史は、まったく別な、異なる精神史です。既存の「差別の精神史」あるいは「被差別の精神史」は、『部落学序説』の筆者がいう、「旧穢多」の精神史を併合・吸収・無化することはできないのです。


「旧穢多」の精神史的考察は可能か

2006年11月29日 | 第4章 太政官布告批判



【第4章】太政官布告批判
【第B節】「旧穢多」の精神史的考察
【第1項】「旧穢多」の精神史的考察は可能か

『部落学序説』の執筆は、1ヶ月以上中断されたままになっていました。

その間、『被差別部落の地名とタブー』を書いていましたが、その道草を打ち切って、もう一度『部落学序説』の執筆に戻ることにしました。

『部落学序説』の第4章は、この章でもって終わりにしたいと思っていますが、第4章において、「太政官布告批判」という主題のもと、明治4年の太政官布告第448号・第449号について、多角的に批判・検証をしてきました。あらためて結論をいいますと、この太政官布告は、決して、穢多解放令・部落解放令・賤民解放令・・・等ではなく、近世幕藩体制から近代中央集権国家体制への移行期にみられる、旧身分制度の解体の一場面でしかないということです。

明治4年の太政官布告以降、「穢多」は「旧穢多」として認識されるようになりますが、「旧穢多」は、近代中央集権国家体制へ、多種多様なかたちで再編成されていきます。

明治初年から明治4年の太政官布告公布の間、「旧穢多」の中には、近代中央集権国家の近代的身分制度の「士族」・「平民」に組み込まれた人々も少なくありません。

明治4年の太政官布告以降の「旧穢多」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の身分を廃止され、「常民」として生きることを余儀なくされますが、「非常民」から「常民」への変化(現代的表現では、「警察官」をリストラされ「市民」になるという変化)は、近世幕藩体制下の「新百姓」になぞらえて、「新平民」という概念を生み出します。

この「旧穢多」・「新平民」は、明治30年代後半まで一般的に使用されることになります。明治30年代後半以降、官製用語として登場してきた「特殊部落民」という概念は、「旧穢多」・「新平民」という概念を駆逐して、「旧穢多」・「新平民」をも含む、新たな概念(外延と内包の拡大)として、一般的に使用されるようになります。

明治4年の太政官布告以降、「旧穢多」・「新平民」がどのように、近代中央集権国家の中に再編されていったのか・・・、史料・文献で確認できるものだけでも、実に多種多様なものがあります。

(1)「平民」にされたあとで、あらためて、近代中央集権国家の司法・警察システムの中に組み込まれていったひとびと(正規雇傭)
(2)「平民」にされたあとで、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての専門的知識・技術のゆえに、近代中央集権国家の司法・警察システムの中に「警察の手下」として組み込まれたひとびと(臨時雇傭)
(3)「平民」にされたあとで、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「探索」に関する知識・技術の民間転用として「探偵・調査」の仕事に転職していったひとびと。
(4)「平民」にされたあとで、司法・警察以外の教育職・一般職の公務員になっていったひとびと。
(5)「平民」にされたあとで、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の、役務の報酬として認められていた「特権」的家職(皮革・竹細工等)を継承していったひとびと。
(6)「平民」にされたあとで、近代中央集権国家の近代的産業の新たな担い手となっていったひとびと。
(7)「平民」にされたあとで、近世幕藩体制下において「穢多」に許されなかった「平民」の一般的職業に従事していったひとびと。
(8)「平民」にされたあとで、近世幕藩体制下において「穢多」に許されなかった(禁忌のひとつであった)「屠殺」の職業に従事していったひとびと。

近代中央集権国家の司法・警察システムの中に再雇傭されなかった「旧穢多」の多くは、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の職務から遠ざかっていくことになります。「非常民」の職務を継承していったひとびとは、警察官・探偵(公務員)、探偵・調査員(民間)に関与していったと思われますが、その他の多くの「旧穢多」は、「非常民」としての職務から離れて、多種多様な職業に転じていったと思われます。

筆者は、その際、「旧穢多」は、どのように、「非常民」意識を棄て、「常民」意識を獲得していったのか・・・、大いに関心をもちます。

前節でとりあげた、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の一翼を担っていた、村方役人の名主であった田中正造は、足尾銅山鉱毒事件に政治家としてかかわっていく過程の中で、「非常民」意識を棄てて、「常民」意識を獲得するために、「苦学」をせざるを得なくなります。その精神的葛藤のすさまじさに驚かされざるを得ないのですが、その精神的葛藤を、田中正造の精神史として描ききったのが、林竹二著『田中正造の生涯』(講談社現代新書)でした。田中正造の精神史を描いた著作としては、林竹二著『田中正造の生涯』は不朽の名作にふさわしいものではないかと思われます。

筆者は、近世幕藩体制下の「村」レベルの司法・警察である「非常民」のもうひとつの極、「穢多」は、明治4年の太政官布告以降、どのように、「非常民」から「常民」への精神的葛藤を経験することになったのか、林竹二著『田中正造の生涯』と同等の論文・著作を探し続けてきたのですが、今日に至るまで、筆者に期待に応えてくれる論文・著作に遭遇することはありませんでした。

それにもかかわらず、今回、筆者は、あえて「旧穢多」の精神史的考察を敢行しようとしていますが、筆者に可能なことなのかどうか・・・、こころもとないものがあります。無学歴・無資格、しかも、被差別部落出身者ではない「差別(真)」の筆者が、「旧穢多」の精神史を描くことなど、あまりにも無謀ではないか・・・、というためらいの思いを持たざるを得ないからです。

「精神史」を『広辞苑』でひきますと、このような説明がなされています。

【精神史】(Geistesgeschichte)歴史的事実の背後に歴史を動かす力として精神的な力が働いていると考え、この見地から歴史をとらえ、芸術・学問・宗教などの文化形象を精神の歴史として考察するもの。とくにドイツ的な考え方。

『広辞苑』の精神史に関する定義に沿って、この節を論述することはとうてい不可能ですが、近代的部落差別が成立するためには、日本の近代国家建設の過程で近代的部落差別をシステムの中に組み込んでいった側の精神史(「差別の精神史」・「被差別の精神史」)だけでなく、その差別制度・差別政策・差別思想を受容していって、自らを、国家公認の被差別民・「特殊部落民」たらしめていった、被差別の側の精神史の考察は不可欠であると思われます。

「差別」は、差別する側だけでは成立しません。差別される側が、その差別を受容して、差別する側の差別的な視線で、被差別者が自分自身を認識するようになったとき、はじめて、「差別」は、制度的・社会的に存在するようになります。

明治4年の太政官布告以降、「旧穢多」の精神世界で何が起こっていったのか・・・。「旧穢多」は、「非常民」から「常民」への道程を、どのような精神的変革を伴いつつ歩んでいったのか・・・。「旧穢多」の精神史を解明することは、近代的部落差別の淵源を解明するためにも必要欠くべからざる研究テーマです。

しかし、従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究は、「旧穢多」の精神史を解明することにはあまり熱心ではありませんでした。学者・研究者・教育者だけでなく、被差別部落の当事者自身も・・・。部落解放運動の担い手の側からの、「部落差別はいわれなき差別・・・」、「部落差別は差別されたものにしかその痛みは分からない・・・」という言葉と思想に阻まれて、その障壁の中に立ち入ることは難しいものがあったと思われます。

被差別民の歴史の実像に基づく研究は退けられ、部落解放運動の基本方針や闘争理論によって私的思想統制と検閲によって捨象された「イデオロギー」(『部落学序説』の筆者が「賤民史観」と呼んでいるもの)的理解のみが要求されました。多くの学者・研究者・教育者は、この差別的な「イデオロギー」を受け入れ、「学問」の本質、真実を探求するという学者・研究者・教育者としてのいとなみを放棄してしまいました。

「旧穢多」の精神史を解明する研究は、ついぞ、なされてこなかったように思われます。「旧穢多」の精神史は、「差別の精神史」・「被差別の精神史」で代替することができない、極めて重要な問題提起をはらんでいるように思われます。(続く)