部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

水平社宣言(原文)

2007年03月15日 | 別稿 史料としての水平社宣

【第5章】水平社宣言批判
【第1節】史料としての「水平社宣言」
【第1項】水平社宣言(原文)



宣言

全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ。

長い間虐められて來た兄弟よ。

過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた我等の爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが我々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際我等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

兄弟よ。

我々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。

我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。

我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

水平社は、かくして生れた。

人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日 全國水平社


決議

一、吾々に對し穢多及び特種部落民等の言行によつて侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺彈を為す

一、全國水平社本部に於て我等團結の統一を圖る為め月刊雑誌『水平』を発行す。

一、部落民の絶對多数を門信徒とする東西兩本願寺が此際我々の運動に對して抱藏する赤裸々なる意見を聴取し其の回答により機宜の行動をとること

右決議す

大正十一年三月三日 全國水平社創立大會



『部落学序説』第5章・水平社宣言批判で使用する文献としての「水平社宣言」とその「決議」は、「決議」の中にうたわれている月刊雑誌『水平』第1巻第1号、27~28頁に収録されている上記「水平社宣言」とその「決議」を使用します。

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5 コメント

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この「水平社宣言」は正確ではありません。現行の... (Dr.Zequ)
2010-09-19 11:44:29
この「水平社宣言」は正確ではありません。現行の平野によるものであり、創立大会において読み上げられた原文ではありません。
 上記の「宣言」文は残念ですが、水平社創立大会... (Dr.Zequ)
2011-01-04 12:15:54
 上記の「宣言」文は残念ですが、水平社創立大会に読み上げられた宣言ではありません。平野小剣が訂正し、今日教科書など一般的に掲載されているものです。したがって、起草者西光万吉の真意を再発見することは出来ません。
コメントありがとうございます。ご指摘については... (吉田向学)
2011-01-06 19:25:23
コメントありがとうございます。ご指摘については日をあらためて考察するつもりですが、私は基本的認識として、水平社宣言を水平社全体の宣言として認識しており、水平社宣言を西光万吉個人の思想の所産であるとは認識していません。水平社宣言を西光万吉の思想に集約させることは、西光万吉の思想と人格を誤認させることにつながることになるのではないでしょうか。私にとっては、西光万吉は、否定すべからざる浄土真宗の僧侶・・・。その浄土真宗の僧侶が執筆したとするには、水平社宣言の文言はあまりにもかけ離れているのではないでしょうか。私は、西光万吉の思想性は、浄土真宗の教理の上に立って、キリスト教を中核とする欧米思想に対峙したことによって醸しだされたものであると思っています。できる限りはやく、この問題について再検証して文章化したいと思います。
質問 (高天原)
2018-04-07 19:26:09
水平社宣言の中の「人間が神にかわらうとする時代」とはどういう意味ですか?ここで言われている「神」とは何を指しているのでしょうか?
水平社には西光万吉をはじめとして宗教関係者がいたとききます。それなのに神仏を否定する立場をとったのでしょうか?
答にならない答 (吉田向学)
2018-04-08 09:02:49
水平社宣言の「人間が神にかわらうとする時代」という文言は、部落史研究上の禁忌の対象です。多くの部落史研究者・同和教育担当者は、この言葉の意味を避けて通るのが常・・・。<人間が神にかわらうとする時代>の<神>は一般的用いられる<神仏>の<神>ではありません。<人間が神にかわらうとする時代>の<神>は、<現人神>の<神>であり、明治天皇制構築の過程で、旧幕藩体制下の支配者層(穢多役・非人役を含む)の多くが切り捨てられ排除されて行った近代天皇制国家総体をさしているものと思われます。<我々の祖先は自由、平等の渇迎者であり實行者であった>は旧幕藩体制下の司法警察であった穢多役・非人役の職務遂行の信念であり、<陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であった>というのは、明治天皇制国家によってその地位をはく奪され排除されていったという歴史認識を物語る言葉です。水平社宣言には、明治天皇制によって押し付けられた<烙印>、差別の桎梏と鉄鎖をかなぐり捨て、自らをそれから解放していくという闘争宣言の意を込めた<神>です。戦後と違って、それ以前の、国家権力に対してストレートに批判の言葉を投げかけることがためらわれた時代の婉曲的な表現です。

この解釈も、無学歴・無資格、部落史研究の門外漢である筆者の妄言であると、専門家から批判されることになるでしょうから、高天原さんは、安易に他言しないほうが賢明だと思われます。

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