部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

田所蛙治に関する一考察(2の2)

2006年04月15日 | 付論

田所蛙治に関する一考察(2の2)

田所蛙治氏は、神戸市で、長年に渡って部落解放運動に従事してこられました。彼は、研究者ではなく、運動家であったといいます。

筆者は、田所蛙治氏に一度もお会いしたことはありませんが、彼がインターネット上で公開している文章を読んで想像する人物像にこころあたりがない訳ではありません。田所蛙治氏に類似した人に、部落解放同盟山口県連新南陽支部の福岡秀章氏がいます。

彼も、自らを研究者ではなく運動家であるといいますが、その言葉と違って、彼の書斎には、部落解放運動に関する貴重な資料が多数並べられています。時々、貴重な蔵書をお借りして読ませていただいたことがありますが、研究者ではなく運動家に過ぎないという言葉と違って、その研ぎ澄まされた感性は、部落史研究者のとうてい及ぶところではないと思っています。ただ、彼を評価する人が、解放同盟の中には少なかったようで、随分誤解されているようです。

たとえば、「血統的にはサラブレッドのような「賤民の後裔」」と自称する、被差別部落の「おぼっちlゃま」である灘本昌久氏は、彼をこのように批判します。

「侮辱する意志の有無」を問わずに、特定の言葉を差別語として指摘しだすと、差別であるかないかの基準が、「被差別者に痛みを与えるか与ええないか」というところに安易に置かれがちとなり。その結果、最近では、水平社時代であれば絶対に糾弾されなかったことまで問題視されるようになってきた。例えば、山口県新南陽市では、同和対策事業の執行に必要なため、従来の市営住宅に関する条例を改正し、入居資格に、従来「寡婦、引揚者、炭鉱離職者」という制限があったところへ、「その他の社会的に特殊な条件下にある者」という条項を付け加えた。これが、部落民を特殊なものと差別しているということになり、市当局者は「結果的に同和地区の人々にとって痛みを感じるような表現になったのは遺憾」として陳謝し、条例を改正したという。「特殊」という言葉に、これほどこだわるとは驚くほかはない。「特殊」の代わりに「特別」とでも書いておけばよかったのだろうか。これを差別事件として麗々しく取り上げた『解放新聞』の記事は、運動史上の汚点のひとつである。

灘本昌久氏によって、部落解放「運動史の汚点のひとつ」であると断定され、ありもしない濡れ衣をきせられた部落解放同盟山口県連新南陽支部の運動の担い手こと、山口県における数少ない筆者の友人である福岡秀章氏です。

筆者は、灘本昌久氏の論文《「差別語」といかに向きあうか》(『部落の過去・現在・そして・・・』)を読んで、はじめて、同じ、部落解放運動に携わっている人々の意識の多様さと水準のばらつきに気付かされたのです。大阪・豊中の高級住宅街に身を置く灘本昌久氏は、山口の地方の小さな被差別部落に身を置き運動を展開している、ひとりの運動家の置かれた状況と闘いの課題をつゆも理解していないと思わされたのです。灘本昌久氏の文章に目を通したときの筆者の、素朴な感想は、「なんだ、部落のおぼっちゃまのたわごとか・・・」というものでした。失望感に満ちたため息でした。

日頃、解放同盟に批判的な新南陽市の共産党議員でさえ、市議会で、市の住宅条例の文言は差別的であると指摘していたのですから・・・。部落解放運動の中央から地方を見るとき、何ら、部落解放同盟新南陽支部の運動の姿勢と内容を検証することなく、いとも簡単に、「運動史上の汚点のひとつ」と言ってのける灘本昌久氏の浅はかさにはあいた口が塞がりませんでした。

田所蛙治氏は、筆者の『部落学序説』に対する評として、「一つひとつの問題点は、具体的に取り上げられるべきであり、さすれば、その解答も具体的に浮かび上がってくるはずであり、「同和利権の真相」のようなペテンで全体を全否定するようなことにはならないはずなのです。」といいますが、地方にあって、真摯に部落解放運動に従事している運動家の「一つひとつの問題点は、具体的に取り上げられるべき」ところを、いとも簡単に「運動史上の汚点のひとつ」と切って捨てられる感性こそ問題であると筆者は考えます。

『部落学序説』は、いかなるイデオロギーにも依拠せず、筆者が遭遇した史料・伝承を具体的に精査することで展開しています。『同和利権の真相』でとりあげられているさまざまな事件に類したものは、この山口の地でも多々耳にしてきました。被差別部落を離れて久しい人が、同和対策事業の利権にあずかるために被差別部落に舞い戻り、同和事業に参入したという話や、同和対策事業の資格を得るために、離婚して、被差別部落出身の女性と再婚、部落解放運動に参画したという話を聞いたことがあります。筆者は、そういう、同和対策審議会答申の精神にそぐわない事業を容認したのは、田所蛙治氏が指摘する同和「行政」であると思っています。同和「行政」に対して批判してはならないのではなくて、同和「行政」は、批判されるまえに自らを総括しなければならない責務があると筆者は確信しています。ひとつひとつの具体的な同和対策「事業」を検証することで、同和「行政」の実績を総合的に批判・検証しなければならないのです。部落差別の解消は「国民の課題」として、国民を動員した同和「行政」の当然の責務です。

同和対策「事業」終了と共に、同和「行政」も、なにも問われることなく、闇から闇に葬り去られていくことは決して許されるものではありません。部落解放同盟新南陽支部は、紆余曲折を経て、部落解放同盟の中央の力によって、事実上、組織を解体されてしまったのです。部落解放同盟新南陽支部の福岡秀章氏をはじめとする被差別部落の人々は、それをあまんじて受け入れているようですが、門外漢の筆者は、組織の論理で支部を切るのも問題だが、切られるのも問題である、「切らない」・「切らせない」という姿勢が大切であると、彼らを説得してきましたが、結局は、彼らは、部落解放運動の前線から離れてしまいました。

筆者は、田所蛙治氏の文章を読みながら、田所蛙治氏ももしかしたら、新南陽支部の方々と同じ立場に置かれているのかもしれない・・・と、思われたのです。

筆者は、田所蛙治氏が、高校生のとき、芥川龍之介の小説『河童』を読んで、「蛙」といわれてショックを受けた「河童」の中に、自己の姿を見いだし、逆説的に居直って、自らを「蛙」(他称語)と自称していきはじめたくだりには深い感動を覚えました。ローマ帝国のキリスト教迫害に時代、キリスト教の信者は、ローマ帝国の一般の市民から「クリスティアノイ」(クリスチャン)として揶揄され、中傷されて生きてきました。そして、「他称語」としての「クリスチャン」という言葉を「自称語」として採用し、その言葉を、「差別語」ではない別な意味内容に転換させて行きました。田所蛙治氏が、自分を「蛙」(他称語)と自己表現したことは、筆者には、ローマ帝国のキリスト教迫害時代のクリスチャンと同等の精神的高揚を見いだしたのです。「蛙」と間違えられるのが嫌で、この世から姿を隠してしまう「河童」と違って、「河童」のまま、「そうだ、おれが、あんたのいう蛙だ」と居直って生きることができた田所蛙治氏に拍手喝采したい気持ちになりました。かって、新南陽支部に人々に抱いてのと同じ気持ちです。

筆者の『部落学序説』は、そのような田所蛙治氏にとって、適当に茶を濁して、通り過ぎることのできない問題提起を含んでいると考えられます。田所蛙治氏が、これまで、避けて通ってきた問題、「部落」・「部落民」の定義、近世史と近現代史の連結方法、穢れと宗教、明治維新と「解放令」のとらえ直し、部落史の限界と克服・・・(田所蛙治氏の文章を解析した結果)等について、部落解放運動の門外漢が、無学歴・無資格を省みず、識者に笑われるのを覚悟して、学際的研究の成果を詳述していることについて、素通りすることはできないはずだと筆者は考えています。

筆者と違って、田所蛙治氏は、「江戸期の藩の治安部隊として位置づけられていたと思われる」「穢多村」の末裔なのですから、自分のルーツを徹底的にたどることで、『部落学序説』の「常民・非常民」論、「気枯れ・穢れ」論を超える理論を展開できる可能性を秘めておられます。20年といわず、30年40年生き抜いて、部落差別完全解消のための提言をしていただきたいと思います。『部落学序説』の筆者にとっては、部落差別問題は、所詮他人事でしかありませんから・・・。田所蛙治氏が、『部落学序説』の論理を包み込んで、田所蛙治氏独自の解放理論を構築してくださるよう願ってやみません。そのためにも、『部落学序説』は徹底的に批判していただければと思います。筆者も真剣勝負でこの『部落学序説』を執筆していますから(年輩の方に対する失礼の数々お許しください)。

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