部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

『部落学序説』とその関連ブログ群のアクセス解析

2007年12月24日 | あとがき



(1)アクセスの全体的傾向

Graph0711_3

統計・・・

とかく、統計上の数字は、都合のいいように解釈される傾向があります。

今回、それを懸念しつつ、ココログの「アクセス解析」の統計上のデータを使用して、『部落学序説』とその関連ブログ群を解析してみたいと思います。

上のグラフ「月別アクセス数」は、ココログの「アクセス解析」のデータをもとに、EXCELLのグラフ機能を使用して作成したものです。期間は、ココログの「アクセス解析」のデータが保存されたはじめた、2006年6月から2007年11月までの月単位の「アクセス数」と「訪問者数」です。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、いくつかのブログで構成されていますが、どのブログも上記グラフと同じように描画されますので、サイト全体のデータのみを掲載しました。

元のデータは、右表に掲示しました。 Grp007121
   

上のグラフは、EXCELLのグラフの種類の「対数」を使用したものです。このグラフによると、『部落学序説』とその関連ブログ群のアクセス件数は「微増」を続けています。

有名サイトのブログと比べますと、『部落学序説』とその関連ブログ群は、ほとんど認知されていないブログに入ります。内容が内容ですし、社会的には、「誰でもが避けて通りたい問題・・・」ですから、当然といえば当然なのですが、今後も、マイナーからメジャーに移行することはほとんど可能性がないと思われます。

上のグラフをみると、「微増」している部分と「停滞」している部分がありますが、「停滞」している部分は、『部落学序説』に新しい文章を掲載していない時期と重なります。次から次へと新しい文章を掲載していけば、「停滞」状態を脱出して「微増」を続けていくことができるのではないかと思われます。

やはり、書き続けていくことが大切であると思われます。

ココログの上記統計期間の間、『部落学序説』とその関連ブログ群に対して、罵詈雑言・非難中傷が浴びせられた時期がありますが、その影響は、通常のグラフ上でははっきりと確認することができます。しかし、グラフの種類を「対数」とすることで、それらの影響は極小化することができます。

川の流れの中の小さな岩でしかなかったということでしょうか・・・。筆者にとってなすべきことは、『部落学序説』の執筆計画通りに執筆を継続していくことでしょう。


(2)訪問者の地域的傾向


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『部落学序説』とその関連ブログ群の訪問者の地域的分布・・・、まず大域的にみてみましょう。右の円グラフは、東日本と西日本のアクセス数を比較したものです。東日本は東京を含みますので、速断はできませんが、西日本より東日本の方がアクセス数・訪問者数が多いのは意外です。

「被差別部落は西日本に多い・・・」と言われますが、『部落学序説』の訪問者ついていえば、東日本と西日本の間で、地域的なかたよりはなく、全国からのアクセスがあります。『部落学序説』の解釈原理、「新けがれ論」・「非常民論」は、日本全体を視野に入れての論述であるため、当然の結果といえば当然です。部落差別問題を、西日本、特に、大阪をはじめとする近畿に特化して考えるのは間違いであると思われます。

07122_2県別のアクセスデータは、左の表の通りですが、上位15位までと下位5位を掲載しました(統計対象は、ココログの「過去4カ月間」のデータ・・・)。

なぜ、上位15位までに限定したのか・・・、それは、中国地方(広島・岡山・島根・鳥取・・・)からのアクセスが予想以上に少ないということを強調するため。

最近、中国地方の某県の<同和教育研究協議会>で、明治初期のキリシタン弾圧で、「穢多」が宗教警察機能をになっていたことを証明する資料の存在が明らかにされたとか。問題の深刻さから一般公開しづらい資料のようですが・・・。

中国地方(広島・岡山・島根・鳥取・・・)からのアクセスが少ないのは、『部落学序説』とその関連ブログ群を無視した結果ではなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究に取り組んでおおられる学者・研究者・教育者の数の少なさに由来するようです。

山口県内からの訪問者は、既に限定されて久しくなります。あまり訪問者数は増加していません。


(3)アクセス数増加に協力してくださったサイト

ココログの「アクセス解析」から、『部落学序説』とその関連ブログにリンクして、『部落学序説』とその関連ブログ群のアクセス数の増加に協力してくださったサイトは以下の通りです。

07124
全アクセス数の6.5%に達します。ココログの「アクセス解析」過去4カ月間のデータを手作業で集計しました(上位7位まで)。

この7サイトは、過去4カ月間だけでなく、それ以前に大量のアクセス者を出してくださったサイトです。

筆者は、来年早々60歳になりますが、あまり、2チャンネルの世界には足を踏み入れることはありません。また、ネットサーフィンを楽しむ年代でもありません。しかし、通算しますと、2チャンネルサイトからの『部落学序説』とその関連ブログ群に対するアクセスは決して少なくありません。最近は、というより、当初から、『部落学序説』とその関連ブログ群に対する批判はほとんどありません。まして、罵詈雑言・非難中傷といった類の言葉も少なかったように思われます。最近、2チャンネルについての筆者のイメージが<変質>しはじめています。

全アクセス数の93.5%は、『部落学序説』とその関連ブログ群からのアクセスです。

一般的に、ブログのアクセス数を増やすには、トラックバックを利用した方がいい・・・、と言われますが、筆者は、あまりトラックバックを利用することはありません。

なにしろ、『部落学序説』の内容が内容ですから、恣意的にトラックバックを設定することでかえって迷惑をおかけすることもあるかもしれないと、自粛している次第です。

ついでに。アクセス数を増やすためには、文章題を適切なものにする必要があります。最近の『部落学序説』の「水平社運動史の批判的研究(その1)」、「・・・(その2)」というような題名の付け方は、アクセス数増加を無視した付け方です。


(4)ブログ別アクセス件数

071252005年5月14日に執筆を開始して以来の『部落学序説』とその関連ブログ群の累計アクセス件数です。

開始直後は、ブログの操作方法、ブログを論文執筆ツールとして転用する方法が分からず試行錯誤していましたので、アクセス件数は何度かリセットされています。実際のアクセス件数はもう少し増えます。

ブログ「被差別部落の地名とタブー」と「ある同和対策事業批判」は、『部落学序説』第6章を先取りして執筆したもので、本来、『部落学序説』の一部です。

ブログ「紀州藩城下町警察日記を読む」は、筆者が、『部落学序説』の執筆を優先させるため、部落解放同盟新南陽支部部落史研究会の方々と執筆分担して、筆者が手をひいたためです。『部落学序説』執筆が完了しましたら、『部落学序説』の研究方法を駆使して、「紀州藩城下町警察日記」を体系的に批判検証したいと思っています。

その他は、「遊女と穢多」、「教会の怪奇現象」、「実験動物教育学」、「被差別部落の詩人・松本淳の旅(写真集)」などのブログを立てたときの残滓です。現在は、削除されていますが、『部落学序説』のあと、執筆を再会する予定です。

ときどき、すべてのブログのリアルタイムのアクセスを計算して、『部落学序説』の累計アクセス件数と数字が合わないと指摘される方々がおられますが、『部落学序説』の累計アクセス件数の数字は、適当な時に(アクセス数が1000件増えるごとに)、ココログの「アクセス解析」の「サイト全体(合算)」の数字を手作業で転記しています。


(5)読者によってよく読まれる文章


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まず、『部落学序説』の文章を取り上げることにしましょう。

文書単位でみますと、一番訪問者数の多いのは、「白山信仰と穢多」です。

そのあとに続く文章は、すべて「白山信仰と穢多」の問題に光をあてることになる文書群です。

『部落学序説』とその関連ブログ群が、西日本の人々より東日本の人々によって、より多く読まれている秘密は、この「白山信仰と穢多」が、読者の方々に何事かを語りかけているためではないかと思われます。

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この4カ月間、訪問者数が一番多いのは、『被差別部落の地名とタブー』の文書群です。

「禁忌」(タブー)についての文章が、読者の方々に何らかの問題提起をしているようです。

このブログは、『部落学序説』第6章で取り上げる予定のものを先取りして文章化したものですが、『部落学序説』・・・、歴史学の書ではないにもかかわらず、時間系列で文章を書いています。近世から近代、近代から現代へと、論点がシフトしていくに従って、アクセス数・訪問者数が増加していく傾向にあります。

より、現実的な部落差別問題に、より実践的な解決を提供していく可能性があるからではないかと思っています。

「差別戒名」についても、新しい視点・視角・視座から論じる予定です。

07128ある同和対策事業批判』、『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方々にとっては、関心があるようでない・・・、というか、食傷ぎみではないかと思われます。

過去の同和対策事業を批判するより、これからの部落解放運動へに可能性を模索する読者の方が多いような気がします。

『部落学序説』第6章・同対審答申批判で、あらためて、根源的にとりあげる予定ですが、過去は過去のことがらとして、きっちり批判・検証していくつもりです。しかし、今日一般的に行われている過度な批判に組みすることはありません。あくまで、史料・論文に対するテキスト批判としてとりあげる予定です。

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ブログ『田舎牧師の日記』は、『部落学序説』とその関連ブログ群に対する、読者の方々からの批判を直接反映させることを防ぐため、質疑応答の場として設定したものですが、最近は、『部落学序説』執筆がすすまない理由を並べ立てるような文章が多く、その内容については反省することしきり・・・。中には、筆者の<差別・被差別>についての本心を綴った文章も含まれているのですが・・・。

『部落学序説』とその関連ブログ群の読者と『田舎牧師の日記』の読者は、必ずしも一致していないような気がします。


(6)「誤解された渋染一揆」・・・


『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方々から、「一度、公表した文章は、読者に内緒でリライトしない方がいい・・・」との助言を受けました。

それぞれの文章には、執筆したときの状況が反映されていますので、あとからリライトして合理化しますと、「気の抜けたサイダー」のようになる・・・、というのです。

筆者もその通りであると思いましたので、リライトは、中止しました。

被差別部落の地名・人名をめぐる、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々との論点の相違も、そのままの形で温存しています。論点の相違をどのように克服していったか、行間から読み取っていただければ幸いです。

数日前、部落解放同盟新南陽支部部落史研究会の方から、FAXをいただきました。それは、「部落解放・人権研究所歴史部会1月例会のご案内」という文書です。

日時:2008年1月19日
場所:大阪人権センター
主題:渋染一揆、被差別民衆が柿渋染を拒絶した思いを正しく認識するために
講師:久保井規夫(桃山学院大学非常勤講師・元中学校教師)
要旨:渋染一揆に関わって、一部、「渋染の色は人をはずかしめる色か」との節があるが、これは、史実をゆがめているとして反論したい。この節は、渋染・藍染の色の解釈、無紋の前提を無視し、特定の染めに限定された意味、中世からの習俗を否定、別段の意味などに正しく答えていない。何よりも、岡山藩被差別民衆が、別段の渋染強要に反対した思いと行動が無視されているからである。歴史教科書で、唯一、近世身分差別への抵抗として記載されてきた渋染一揆の意義が歪められることを危惧し、今回の報告を行う。


講師の久保井規夫氏は、1989年、今から約20年前、大阪府の中学校教師であったとき、「渋染・藍染は人間をはずかしめる色」という文章を書きました(『江戸時代の被差別民衆』)。

『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、久保井規夫氏の文章は、論理的矛盾と意図的な操作が内包されています。

その文章を、10年後の1998年、福岡県の高校教師の住本健次氏から、同じ学校教師の立場から、「渋染・藍染の色は人をはずかしめる色か 「渋染一揆」再考」という論文で批判されます。

それは、高校教師からなされた、小中学校に配布されている同和教育の教材に記された渋染一揆い関する批判でした。住本健次氏は、「歴史の事実をまげて教えてはならない」と厳しく、徹底的に批判を展開します。しかも、「渋染・藍染の色は人をはずかしめる色」という文章を書いた中学校教師・久保井規夫氏に対して、名指しで批判します。

筆者は、『部落学序説』執筆のための研究方法として、「学者のA説と反A説を比較検証して、いずれかの立場を取り込む形で論を展開する・・・」と宣言していますが、渋染一揆の渋染・藍染については、A説(久保井規夫説)・反A説(住本健次説)を比較検証し、住本健次説が正当であると判断しました。

そして、今回、さらに10年後の2007年・・・、元中学校教師・久保井規夫氏が、高校教師・住本健次氏の「反A説」を論駆するとの報に接したのです。

住本健次氏は、久保井規夫氏と論争するつもりはないのでしょうが、かって、高校教師に論調において敗北を喫した久保井規夫氏は、私立大学の非常勤講師の肩書のもと、高校教師の住本健次氏に対して、「リベンジ」するかのような姿勢で、かっての雪辱をすすぐというのです。

10年単位での論争・・・。

十年一日の如く、「渋染一揆の渋染・藍染の色は人をはずかしめる色」を主張する久保井規夫氏の執念・怨念・・・。動機は、「歴史教科書で、唯一、近世身分差別への抵抗として記載されてきた渋染一揆の意義」を死守することにあるようです・・・。

久保井規夫氏は、「差別に抗う素晴らしい闘い」として、渋染一揆を極度に美化しているように思われます。一見、「被差別民衆」を解放するように見えながら、その本質においては、「被差別民衆」を裏切り、「被差別民衆」を「被差別」という鉄鎖につなぎ止める思想を吹聴しているように見えます。その破れに、久保井規夫氏自身が気づいていない・・・、というところに問題の深刻さがあります。久保井規夫氏の『江戸時代の被差別民衆』が、いまもなお、小中学校の教育現場で教材として使用されていたとしても、それは、久保井規夫の歴史理解が正しいという保証にはなりません。

部落解放・人権研究所歴史部会の方々・・・、久保井規夫氏の「渋染一揆再考への反論」をすんなり通すことはないと思うのですが・・・。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常民」としての「穢多・非人」が、その職務に誇りと責任をもって生き抜いていった事例は日本全国津々浦々に存在していると思います。久保井規夫氏が、見ても見ようとしない、聞こえても聞こうとしないから、問題の本質が把握できないのだと思います。

ココログのアクセスログを追跡していくと、いろいろなことが見え始めます。

部落解放・人権研究所歴史部会でどのような研究「報告」がなされるのか・・・、多くを期待しないで待つことにしましょう。元中学校教師・久保井規夫氏の「渋染一揆の渋染・藍染の色は人をはずかしめる色」という文章は、最初から、論理的に破綻しているからです。

しかし、アクセス解析はほどほどにして、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆に力を注ぐことにしましょう。


(7)訪問頻度と訪問周期

ココログの「アクセス解析」には、「訪問頻度」と「訪問周期」があります。

「訪問頻度」というのは、「1人の訪問者が一日の間で何回ブログに訪れているか」を示したものです。

「集計対象訪問者数 41,418」のうち、「訪問頻度」が「1」は、34,648人、「2」~「11」は、16,037人、「12」~「23」は、662人、「24」~「47」は、85人、「48」以上、32人・・・。1日100回以上訪問される方は3人おられます。

「訪問周期」は、「1人の訪問者が何日に一回の割合で訪れているか」を示した数字ですが、「毎日」訪問してくださる方は、12人、「2日」~「7日」は、212人、「8日」~「2週間」は、390人、「3週間」~「1ヶ月」は、696人・・・。

『部落学序説』の閲覧、こころから感謝申し上げます。

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1 コメント

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今晩は、向学さん。 (三介)
2007-12-25 18:57:01
今晩は、向学さん。
>社会的には、「誰でもが避けて通りたい問題」・・今後も、マイナーからメジャーに移行・・ほとんど可能性がないと
そうでしょうか? 確かに「こぺる」で、やや始まり掛けていた新しい潮流は、頓挫しました。ネット上でも、陰湿なこと、多いようです。でも、僕は大いに楽観もしてます。金さんや藤野氏らの批判を受け止める、向学さんのような方が、これからも多数出て来るでしょう。「無資格・無学」なんて枕詞、必要はありませんよ。
サルトルが「ユダヤ人問題」で述べたように、誰もが当事者と言えば言えるし、誰も他者その者ではありえないんですから、代弁者に過ぎない。歴史的なこと[死者]にせよ、現在或いは未来のことごと・ものどもにせよ。

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