部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

はじめに

2005年09月01日 | まえがき

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はじめに

この論文は、既存の個別科学研究に拘束されず、歴史学、社会学・地理学、民俗学、宗教学、政治学、法学、行政学等の学際的研究として、永年の試行錯誤の上に達成された、部落差別問題に関する新しい認識を提示します。

民俗学の創始者・柳田国男は、「常識という言葉ほど私を悩ませたものはない」といいます。個別科学研究における常識としての一般説・通説も、常に、研究に携わるものの悩みの種になります。常識を超えて発言するとき、常識はずれであるとの批判を免れません。

部落差別問題の場合も、この常識や通説がひとり歩きして、部落差別の解消実現への大きな足枷となってきました。

戦後の部落史研究のはやい時期に、この常識や通説の見直しがなされていたら、部落差別問題は、その淵源があきらかにされ、部落差別はとっくの昔に解消されていたことでしょう。なにしろ、部落差別解消のために、33年間15兆円という膨大な時間と費用が注がれ、それ以上に多くの人々が動員されたのですから・・・。それにもかかわらず、同和対策事業が終了した今日においても、未だに、部落差別事件が発生し、そのことで悩み苦しむ青少年がいるということは、33年間の同和対策事業及び同和教育事業が瑕疵のある常識や通説を取り除くことができなかったことを意味します。

筆者が提唱する部落学は、日本の社会を部落差別に拘束する常識や通説を取り除くことを目的としています。

部落学は、2、3の部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者によって、それぞれの立場から提唱されてきてはいますが、いずれも学として確立されているとはいえません。むしろ、いずれの部落学構築も様々な困難に直面しその壁を突破できないでいるといっても間違いではありません。

この部落学序説は、部落学構築に先立って、部落学構築の前提と可能性を批判的に検証します。これまで、部落研究・部落問題研究・部落史研究によって認定されてきた常識および通説も、あらためて、批判・検証の対象になります。部落差別の根源について、多くの学者・研究者・教育者が、徹底的な批判・検証が必要であることを認識しています。

明治以降積み重ねられてきた部落差別に関する史料や伝承は、皇国史観や唯物史観の背後にある共通の史観・賤民史観から解放されて、正当な解釈がなされることを求めています。

この部落学は、解釈原理として、(1)常民・非常民論、(2)新けがれ論を採用しています。いずれも、従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究では、とりあげられたことがない理論です。無学歴・無資格の筆者が創設した理論が、どれだけ人々によって受容されることになるのか、まったくの未知数ですが、単なる学際的研究としてではなく、ひとつの新しい総合科学としての部落学は、従来の個別科学研究がなし得なかった、部落差別に対する体系的な分析と総合を可能にしてくれるでしょう。

総合科学としての部落学は、日本の社会を薄暗い差別の中に閉じ込めた、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観を批判の対象にします。部落学序説は、既存の被差別部落に関する史料・伝承のテキスト批判として遂行されます。決して、被差別部落の人々やその運動団体、また彼らに支援と連帯を主張している、学者・研究者・教育者・運動家・政治家等のことばとふるまいを直接批判するものではありません。

部落学序説の筆者である私は、日本の社会が、この差別思想である賤民史観から解放されて自由になる日、その日が部落差別完全解消の日であると思っています。賤民史観は、「差別する人」・「差別される人」・「差別させる人」、すべての人の精神の奥深くに根を張っています。差別者・被差別者、それぞれの課題として、賤民史観を粉砕・打破するために課題を共有し、共闘していかなければ、日本の社会から部落差別を取り除くことはできないでしょう。差別思想である賤民史観からの解放は、隣人や他者だけでなく、私たち自身をも、賤民史観から解放し、愚民としてではなく、賢民として生きることができる可能ならしめるのです。

差別者のうえにも、被差別者のうえにも、差別なき社会が実現するよう、祈りをこめて、無学歴・無資格・無能力をも顧みずこの部落学序説を執筆します。

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5 コメント

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読者の方々の中には、筆者が、<部落>に対して<... (吉田向学)
2012-12-08 13:59:45
読者の方々の中には、筆者が、<部落>に対して<分析>することに不快感を示される方々が少なくありません。その方々は、<部落>を<不可触>な神聖な存在として認識されているようです。しかし、批判検証と分析を許さない神聖な存在は、この世の中に存在しているのでしょうかい? 中国共産党と北朝鮮共産党は自らに対する批判を許さないようですが、それは、神聖な存在ではなく、神聖な存在であると民衆に見せかけるため・・・。筆者の本業は、日本基督教団の牧師・・・。聖書は<聖なる書>として認識していますが、それは、常に批判検証の学としての神学の対象になります。<批判検証の学>を忘れた筆者は、筆者でないし、筆者に<部落>に対する<分析>を放棄することを迫る方々の言葉は、耳を傾ける必要がないと思われます。繰り返しますが、<分析>による批判検証をする必要がないほど全面的に受容されるべきことがらはこの世の中にはなにひとつ存在しません。
大変興味深く拝読致しました。 (新平太)
2010-09-02 21:24:56
大変興味深く拝読致しました。
私は自分の先祖の実像を知ろうと幕末から明治を中心に調査をしています。その仮定で、自分の先祖が明治期に作られた新平民という言葉で示された階層でるらしい事が分ってきました。
私は、新平民は旧エタ、旧非人を指す言葉と思っておりましたが、柳田國男氏の明治から大正の著作を読むと、どうやら同氏は、新平民は旧エタや旧非人の他、旧幕府時代からいかなる人別帳にも載らなかった人々をも指すように感じられました。また、同様に特殊部落という言葉も同氏は、農村部などで一切の農業を営まない者(旧幕府時代から人別帳に乗らなかった人々)の居住地を含めて指すように思われました。私の先祖は、この農業を一切営まない人々にあたります。具体的には、幕末から明治の親類まで含めた先祖の職業は、農具職人、行商人、卜占などです。
吉田向学様の論文では、警察機構という点で、旧エタ旧非人を論じていらっしゃいますが、私の先祖周辺で見えてくる人々は、その範囲だけでは論じることができないようにも思えます。
私も、旧エタや旧非人の多くが当時の警察機構を担っていたのであろうとは思っています。余談ですが、私が住む、関東の地方都市では、旧街道の旧一里塚の近くに被差別部落と言われる地域が分布しています。また、良く他界した父が旧エタを「四つ」とか「四足」とか表現していました。これは、一般的に皮革業とのかかわりからと説明されていますが、疑問に思います。これも警察機能を担っていたために「犬のように嗅ぎまわる」という点から疎まれて表現されたのではないかと思えてなりません。
旧エタ旧非人の多くが、警察機構に関わっていた事は間違いないと思いますし、私の先祖の親類の中には、村で番太も勤めていた親類もいたとの聞取り結果もありますが、明治期になって新平民や特殊部落という言葉で示された人々をそれだけで括ってしうことは出来ないのではないかと思いました。
お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
まとまりの無い感想で申し訳ありません。
不快な思いをさせたことを深くお詫びさせていただ... (BigBrother)
2006-06-18 19:14:55
不快な思いをさせたことを深くお詫びさせていただくとともに、真意を述べさせていただければと思います。
論説や論文とは、あくまで個人の「主観」に基づく主張なのですが、それを事実によりいかに「客観化」できるかが重要だと考えるのです。貴兄の考えと通じるところがあるとも思いますが、言い換えれば「誰が言った」かではなく「何を言っている」かが重要であり、いかにその論が著者の主観から独立しているかが論文の品位にとって大切であると考えるわけです。先のコメントで指摘したかったのは、純粋に論説としての「部落学序説」そのものであって、決して著者に対してのものではありません。私は信念として、優れた論説は著者の主観を離れて高度の普遍性を持ちうるものと考えております。
敬意を表しまして拙ブログに貴論を紹介させていただきました。コメントなどいただければ幸いです。
BigBrother様 (吉田向学)
2006-06-11 23:49:01
BigBrother様

コメント、ありがとうございます。『田舎牧師の日記』に「無学歴」・「無資格」という題で、コメントに対する返事を掲載しました。今後ともよろしくご指導の程、お願い申し上げます。SmallBrother・吉田向学
興味深く拝見させていただいています。 (BigBrother)
2006-06-11 13:14:16
興味深く拝見させていただいています。
よき協力者を得て、より完成度の高い論説となりますことを期待しています。徒に自らを卑下する「無学歴」「無資格」など生い立ちへの繰り返しの言及や本論に関係の薄い過剰な批判などが、せっかくの優れた論説の品位を落としてしまっているのが残念ではあります。これらを別稿にし論旨を簡潔にすれば、誠に素晴らしいものになると思うのです。
「部落学」が大成し部落問題解決の新たな潮流となることを心から期待しています。

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