部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

2008年10月06日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(5.心理学者・教育学者の「まなざし」理解 4

<4>周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

この表現は、心理学者・梶田叡一氏の論文、《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》から借用したものです。

その論文の第3章の見出し「周囲の”まなざし”と自己概念との矛盾葛藤」は、その論文の中核部分になります。

梶田叡一氏、その冒頭でこのように綴ります。

「周囲からの”まなざし”によって、いつでも必ず、自らに対する”まなざし”が決められてしまう、というわけではない。当然のことながら、時には、周囲の人からの”まなざし”と自己概念との間に乖離や矛盾を感じざるを得ない場合がある・・・」。

「周囲からのまなざし」・・・、それは実に多種多樣なものがあります。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏から受けた誹謗中傷・罵詈雑言も、その「周囲からのまなざし」のひとつでしょうが、筆者、インターネットのブログで『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆をはじめて、いろいろな方々から「まなざし」を受けるようになりました。多くの場合、肯定的ないし中立的立場からの「まなざし」ですが、時として、岡山の中学校教師・藤田孝志氏からの「まなざし」のように、筆者そのものではなく、そのひとが<筆者>と想定するところのものに対する「まなざし」である場合が少なくありません。

最近、2ちゃんねるで、筆者の『部落学序説』の各章・項・節を3行論文化している方がおられますが、筆者、その方の<意図>が読めませんので、傍観しているだけですが、そのいとなみを、2ちゃんねるの読者の方は、筆者の「自作自演」と断定して、そのいとなみを<狂気のなせるわざ>と解釈されているようですが、筆者のあずかりしらないところです。

つまり、梶田叡一氏がいう「周囲からのまなざし」と筆者の「自己概念」(自己理解・・・)との間に「乖離」が発生しています。

梶田叡一氏、「周囲の人からの”まなざし”と自己概念との間に乖離や矛盾を感じざるを得ない場合」として、次のような場合を列挙します。

1.”自己宣言”としての強いアイデンティティを持ち、周囲からの”位置づけ”としての社会的アイデンティティに対抗しようとする場合、
2.身におぼえのない情報が広まったり、自分自身では重きをおかない何かが生じたりして周囲の”まなざし”が自己概念にそぐわない形で一変する場合、
3.周囲の”まなざし”は変わらないのに、自らについての何かを自分自身で位置づけし直す、といった形で自己概念の変化が生じた場合など・・・。

心理学者の梶田叡一氏、「このようなとき、人は一般に、次の四つのタイプのいずれかによって、周囲からの”まなざし”と自己概念との乖離や矛盾に解決を与えようとする・・・」といいます。

梶田叡一氏は、心理学者としての研究成果として、<一般的>には、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決は、例外なく、次の4パターンのいずれかに属するといいます。

心理学者・梶田叡一氏の論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》は、非常に短い論文なので、筆者の文章の中で、この論文のことばを引用するに、その論文の数十パーセントに及んでしまいます。

しかし、それは、単なる梶田叡一氏の論文の引用ではなく、筆者独自の視点・視角・視座からの批判検証なので、著作権に違背する可能性はほとんどありません。

しかし、その4パターン・・・、そのまま引用させていただくことにしましょう。

①自己概念に合うような形で周囲の”まなざし”を変化させるべく、周囲への働きかけをする。たとえば、「わかってください、私はそんな人間じゃあないのです。私は本当に、○○なのです」といった類の反応。

②主我の全体的なあり方を変化させ(自己変革を行い)、周囲の”まなざし”に調和するものにする。たとえば、「周りの人があのように考えているのも一理あるかもしれない。その線にそって努力してみよう。そうれすれば、周囲の人が考えている面が自分にも見えてくるかもしれない」といった類の反応。

③自己概念を周囲の”まなざし”に同調するような形で、自らの意識の中で自閉的変化させる。たとえば、「よくよく考えてみれば、本当の私というのは、周囲の人の考えている通り、○○なのであろう」といった類の反応。

④自己概念と周囲の”まなざし”との間の心理的関係を断ち切ることによって、両者の乖離や矛盾を意識しないですむようにする。たとえば、「周りの人の見方はそれとして仕方がない。しかし自分は自分である。誤解や食い違いはよくあることだから気にしないでおこう」といった類の反応。

梶田叡一氏は、<一般的>には、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決は、例外なく、次の4パターンのいずれかに属すると言っているだけで、<一般的>でない場合、つまり<特別的>・<特殊的>な場合は、この4パターン以外のパターンが存在する可能性を否定していません。筆者、この<一般的>な4パターン以外を、<特別的>・<特殊的>な例外的パターンとして認識することにしましょう。

筆者、この心理学者・梶田叡一氏の、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決の4パターンを、部落差別問題に適用することにしましょう。

<被差別者>が<差別者>から差別的な<まなざし>でみられるとき、<被差別者>はその<まなざし>をどのように受けとめるのか・・・?

梶田叡一氏のことばを、一部置き換えて、その問題解決の4パターンを部落差別に転換してみましょう。

①被差別者の自己概念に合うような形で差別者の”まなざし”を変化させるべく、差別者への働きかけをする。たとえば、「わかってください、被差別者はそんな人間じゃあないのです。被差別者は本当に、○○なのです」といった類の反応。

②被差別者の主我の全体的なあり方を変化させ(自己変革を行い)、差別者の”まなざし”に調和するものにする。たとえば、「差別者があのように考えているのも一理あるかもしれない。その線にそって努力してみよう。そうれすれば、差別者が考えている面が被差別者にも見えてくるかもしれない」といった類の反応。

③被差別者の自己概念を差別者の”まなざし”に同調するような形で、被差別者自らの意識の中で自閉的変化させる。たとえば、「よくよく考えてみれば、本当の被差別者というのは、差別者が考えている通り、○○なのであろう」といった類の反応。

④被差別者の自己概念と差別者の”まなざし”との間の心理的関係を断ち切ることによって、両者の乖離や矛盾を意識しないですむようにする。たとえば、「差別者としての見方はそれとして仕方がない。しかし被差別者は被差別者の見方・考え方がある。誤解や食い違いはよくあることだから気にしないでおこう」といった類の反応。

<被差別者>が、<差別者>から、差別的な<まなざし>を向けられたときに、<被差別者>がとりうる可能性があるのは、<一般的>には、この4パターンに尽きるということになりますが、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、④は、<差別者のまなざしから読み取った被差別者自身の像(鏡映自己像)の取り入れの全面的拒否、逆に、③は、<差別者のまなざしから読み取った被差別者自身の像(鏡映自己像)の全面的受容、①と②は、全面的拒否と全面的受容の中間領域で、①は、被差別者に差別的<まなざし>の修正を要求、②は、差別者の<まなざし>を受け入れ自己概念の修正を受容・・・、することであると理解されます。

被差別部落の人々が、差別者から差別的なまなざしを注がれたとき、被差別部落の人々がとりうる可能性のある<反応>は、全面的拒否と全面的受容を両極として、その間にさまざまなグラデーション段階があるということです。

心理学者・梶田叡一氏の論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》からを、《部落研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》と読み替えますと、梶田叡一氏の論文の結論はこのようになります。

「要は、部落問題を客観的な面から、すなわち被差別部落の人々の社会的地位や収入等々の面から吟味していくだけでは不十分であって、人々の共有する差別的な”まなざし”の面から、そしてそれによって形成される被差別部落の人々の自己への”まなざし”の面からも吟味していく必要があるのではないか・・・こういった意味での部落差別における心理構造を理解していくことによって部落問題研究・部落差別研究は新しい地平を切り開いていけるのではないだろうか」。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、2001年佐賀市同和教育夏期講座で、「差別の眼差し・・・と闘っていく立場に立つことはできる」と豪語します。そして、藤田孝志氏、そのような立場を「被差別の立場」として認識、「<差別と闘う位置に立つ>」と宣言しておられますが、「差別の眼差し」に対する、全面的拒否と全面的受容、そしてその両極の間にあるさまざまな折衷的立場・・・、藤田孝志氏は、被差別部落のひとびとの差別者に対する対応の多様性をどのように認識しておられるのやら・・・。

<差別者>でありながら、<被差別者>の立場に立つことができると豪語する、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、真の「部落解放」・「人間解放」の担い手になるのやら、それとも、いつか論理的に破綻して、「部落解放」・「人間解放」の似非担い手に堕するのやら・・・。それとも、「部落解放」・「人間解放」の高邁な精神を捨てて、またぞろ、被差別部落の人々を卑しめ貶める「賤民史観」の担い手に身を埋めることになるのやら・・・。

筆者、これで、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録に対する批判を終了しますが、2001年から5年後の2006年、さらに5年後の2011年・・・、藤田孝志氏がどのように、中学校教師として、歴史の教師として、「部落解放」・「人間解放」のために、「被差別の立場」に立ち尽くしているのか・・・、追跡し、検証し、もういちど文章化したいと思います。

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