部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

部落差別は語り得るのか

2009年04月11日 | 第5章 水平社宣言批判




【第5章】水平社宣言批判
【第1節】部落概念
【第2項】差別と被差別
【その1】部落差別は語り得るのか

前項で、部落史研究にともなう<根源的制約>について言及しました。その<根源的制約>・・・、歴史研究一般においてそうであるように部落史研究においても、<歴史記述の客観性>を追究するために、それを阻害することになる<歴史記述の主観性>は常に批判検証され、歴史研究の<視点・視角・視座>は常に相対化されつづけなければならないのです。

今回、あらためて、<部落差別は語りうるのか>、<語り得るとしたらどのように語ることができるのか>・・・、考察してみたいと思います。

筆者、最近、インターネット上の古書店で流通している、部落問題・部落差別問題・部落史研究などに関する古書を検索することが多いのですが、現在、インターネットの古書店で入手することができる関連文献だけでも相当量にのぼります。

北海道から沖縄まで、あるいは、古代から現代まで、その関連文献を検索し、資金的ゆとりがあれば、それらの関連文献を入手することも不可能ではないでしょう。

しかし、それらをすべて入手したところで、<限られた人生>・・・、1人の学者・研究者・教育者が、部落問題・部落差別問題・部落史研究のすべての関連文献を読破し、個々の問題に精細に言及することなど、ほとんど不可能なことでしょう。

まして、無学歴・無資格、学問の世界、歴史研究の世界とはほとんど縁のない筆者の場合、被差別部落に関する諸問題すべてに精通して論述することなどありえないことがらです。

しかし、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆をはじめて以来、筆者の論述に、<時間的・空間的制約がある・・・>との批評はあとを絶ちません。そんな批評は、筆者が、インターネット上で『部落学序説』を公開する前の長い準備段階から、筆者にあびせられていた批評で、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢が、被差別部落に関する諸問題について言及するとき、必然的にともなってくる、<ありきたり>の<世間>からの批評に過ぎないとは思うのですが・・・。

確かに、『部落学序説』執筆の大きな動機は、近世幕藩体制下の長州藩・・・、周防の国と長門の国の、<被差別部落>の歴史と伝承に負っていることは否定すべくもありません。部落史研究者の書いた論文を自分の足で歩いて確認し、そこでであった<被差別部落>の人々の伝承に耳を傾けてきたことが、それまで、部落問題に関心のなかった筆者に関心を引き起こさたのは事実ですから・・・。

しかし、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、<時間的・空間的制約がある・・・>と評する方々にとって、<時間的・空間的制約がない・・・>、あるいは、<時間的・空間的制約を越えた・・・>、普遍的な、誰でもが納得できる、部落問題・部落差別問題・部落史研究は、これまで、どのうように、誰によって、構築されてきたというのでしょうか・・・。

インターネット上で読むことができる『被差別部落伝承文化論序説』の著者・乾武俊氏は、このように記しています。

「「全国六千部落」という。「自分はその半分の三千部落を歩いた」「二千部落に接した」という研究者に出会うことがある」。

乾武俊氏・・・、「そのたびに私は、絶望的になってしまう。私などいくらか知っている部落は50部落にも満たない・・・」とため息をもらします。

民俗学の立場から、著名な論文『被差別部落伝承文化論序説』を書いた乾武俊氏ですら、多分に、その研究成果に対して、<時間的・空間的制約がある・・・>と批判の対象にされる可能性があるのでしょう。

研究対象における、<3000部落><50部落>の差・・・、それは、圧倒的な、否定すべくもない差であると思われます。乾武俊氏曰く、「私はいまだに知らないことばかりだ。こんな私が、いま「被差別部落の伝承文化」について、諸説をのべる資格があるのだろうかと戸惑う」。

しかし、乾武俊氏・・・、「自分はその半分の三千部落を歩いた」「二千部落に接した」という豪語する研究者の研究に対して、乾武俊氏流の<疑義>を提示しています。

少し長い引用になりますが、乾武俊氏のことばです。

「たとえば3000部落を30年でまわるとすれば、1年100部落である。1部落3日間か。本も読まず、ものも書かず、ましてや人の前で話しなどせずに、古老の語りだけを聞き取りしながら、私の30年もそのように過ごせばよかった。そうすれば、「全国被差別部落の民俗伝承」の輪郭だけでも書き残せたのにと今になってつくづく思う。時は帰らない。各地の古老の語りは、なおさらに帰らないのである・・・」。

30年といいますと、大学・大学院を出て博士課程を取得してから許される学者・研究者・教育者として許された歳月です。その間、「本も読まず、ものも書かず、ましてや人の前で話しなどせずに、古老の語りだけを聞き取りしながら」過ごすことなど、誰にとっても不可能なことです。

仮に、「三千部落を歩いた」「二千部落に接した」・・・という学者・研究者・教育者のことばが真実であったとしても、<1部落3日間>の聞き取り調査によって、その被差別部落の歴史と民俗をどの程度まで聞き取りすることができるのでしょうか・・・。被差別部落の古老の信頼感を勝ち得て、その古老から真実を聞き出すことができる術を知っていても、<1部落3日間>で、その部落の歴史と民俗をすべて調べ尽くすということなど、最初から不可能なことがらではないでしょうか・・・。

柳田国男のいう、民間伝承の<採集方法の3形態>、<生活外形・生活解説・生活意識>、<目の採集・耳と目の採集・心の採集>、<旅人の採集・奇遇者の採集・同郷人の採集>のすべての側面を網羅することは、最初から可能性はないのです。

<凡人>でしかない部落史の学者・研究者・教育者は、<凡人>である筆者に対して、<天才>的な学者・研究者・教育者には可能である・・・というようなことを主張されますが・・・。

たとえ、<1部落3日間>・・・、飲まず食わずで30年間、被差別部落の古老の話を聞き取りして、その被差別部落の歴史と民俗をしらべあげても、30年後にそれを集大成する作業・・・、そんなに簡単にはすることができません。研究のため、30年間徒食するだけの財産が前提とされますが、そのような財産を保有している<富める人>が、部落史の学者・研究者・教育者の間に浸透する差別思想・賎民史観がいう、<生まれながらにして賤しき民>のことばに耳を傾けることができるのかどうか・・・。

『被差別部落の伝承と生活』の著者・柴田道子ですら、被差別部落の古老の聞き取りにおいて、柳田国男が戒めていた聞き取りの<禁忌>をおかしているのですから・・・。日本全国に散在する被差別部落の歴史は、<藩政>という観点からは多くの差異がみられますが、<幕政>という近世幕藩体制という観点からみれば、<差異>よりも<類似点>が多くみられます。

休むことなく、1部落3日間、被差別部落の古老から<類似>した歴史・伝承・民俗を聞かされては、「全国被差別部落の民俗伝承」聞き取り30年計画・・・、そのスタート時点の学者・研究者・教育者としてのこころの精気をどこまで維持することができるやら・・・。

乾武俊氏・・・、その論文の行間においては、その研究において、<時間的・空間的制約をとりはずす>ことの不可能であることを主張されているのです。

乾武俊氏曰く、「私の体力は、もはやそのような仕事には耐え得ない・・・」。

乾武俊氏の、学者・研究者・教育者としての<時間的・空間的制約>を認識・受容しての<妥協点>は、「すでに聞き取りを終えた具体的ないくつかの民俗事例から、それを手がかりにみんなが見落としていた、あるいは私たちの調査結果を読みちがえていると思われる、大事なことを問いなおすことだけはしておこうと思う・・・」ということになります。

無学歴・無資格、学問の世界とは何の縁もない筆者・・・、部落史研究においても、その研究に際して、どれだけ多くの史資料に接したかによって、その研究の質が決まるものではないと思います。通称6000部落の半分3000部落の史資料に接しているから、3分の1の2000部落の史資料に接しているから、その部落史研究は、評価され、一般説・通説として受けとめられなければならない高品質の研究論文になる・・・、とは思われないのです。

限られた史資料を通して、<歴史記述の客観性>を追究し、歴史の真実に迫る・・・。

それが、歴史学・民俗学などの学者・研究者・教育者に与えられた唯一の可能性であると思われます。無学歴・無資格、学問とはほとんど縁のない筆者にとっても・・・。

  

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2 コメント

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はじめて読ませて頂きました。 (ななし)
2009-05-06 02:10:28
はじめて読ませて頂きました。
非常に興味深く日本の真の歴史を紐解こうという理念を感じた次第ですが、
何よりも過去と人々を塗り潰す賤民史観の恐ろしさを感じます。

部落学の完成、出版期待しています。
狭山事件の埼玉県狭山市の井田といいます。さる運... (井田一郎)
2011-02-28 23:02:21
狭山事件の埼玉県狭山市の井田といいます。さる運動団体の役員をしています。このところ各地で狭山事件の背景や、関東の部落の歴史についての講演をたのまれて、話をしてきているのですが、これまでの階級闘争史観や賎民史観では説明しきれない史実にいくども直面し、その結果、私なりに行き着いたのが、貴兄と同じく、今日の部落差別というものは、明治政府によって、日本の近代化のなかでつくられ再編されていったという、差別の根幹にかかわる事実です。武州鼻緒騒動も渋染め一揆にしても旧来の解釈では語れないのです。エタ=長吏は役人であり、一定の権益も持っており、同時にその役職に必要な知識、技術、経済力、そして必要な権力すら持っていた集団、私は一種のギルドのような組織として徳川幕藩体制の下に統括されていたのではないかと思います。決して「惨め」で「悲惨」な存在ではなかった。「エタである誇り」とはそういうものではなかったかと思います。
先日、ある地方の講演でそのような話を行政の同和対策担当者や同盟員さんの前で行い、あらためてこの問題意識の正しさを実感しました。その数日後です。貴兄のブログにめぐり合いました。すばらしい先達がみつかりました。私の所属している運動団体の中でも、私が部落の正しい歴史認識の必要性を唱えるため、孤立していますが、今、非常に勇気づけられています。

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